第一章 村落共同体に関する日中比較
第二節 中国の農村社会-沿革・研究・現状
三 集団土地所有権の成立
建国後、村落内部の構成形態は土地改革、人民公社化などの社会主義的改造を経た 後、大きな変化が起こった。最も、注目されるのは集団土地所有権の成立である。そ の経緯は以下のとおりである。
中国では、建国前の農村において、きわめて不合理な封建的地主土地所有制が行わ れていた。農村人口の約10%は地主と富農であり、彼らは農地の70%以上を占有して いた。それに対して、90%以上の農村人口は貧農と中農であり、彼らは全国農地のた った約30%を所有しているに過ぎない170。農民は極端に困窮する状況にあった。そのた め、建国前、農民の支持を得るために、共産党は農村土地問題を徹底的に解決すると いう方針を打ち出した。建国後、農村土地問題を解決するために、1950年、土地改革 法171が公布され、共産党政権の強力な指導下で封建的土地所有制が廃止された。このよ うにして、農民個人の土地所有権を確立する農地改革が行われた。土地改革の結果と して、農民は土地と大量の家畜・農具などの生産手段を無償で取得した172。また、土地
167水林彪「日本近代土地法及び法学の比較法的特質-共同体と土地商品化の視角から―」『コモンズ・
所有・新しい社会システムの可能性-小繫事件が問いかけるものシンポジウム記錄報告書』133 頁
168武藤秀太郎「平野義太郎の大アジア主義論-中国華北農村慣行調査と家族観の変容」アジア研究 4 9 巻 4 号(2003 年)53 頁。
169小口彦太「『中国農村慣行調査』をとおしてみた華北農民の規範意識像」51 頁。
170国家統計局編『偉大的十年』(人民出版社・1959 年)23 頁-25 頁
171土地改革法の実施期間 1950 年 6 月 28 日から 1987 年 11 月 24 日まで。
172土地改革前後、農村土地所有の変化は以下のとおりである。新中国が成立する前に、農村人口の約
改革法第30条によって、土地改革の完了後、人民政府は土地所有証を発行し、すべて の土地所有者が土地を自由に経営し、売買し、賃借する権利を有する。土地制度が改 革される前に行なわれた土地契約はすべて無効となった。この規定から見ると、農民 の土地所有権に対する制限が少ない。土地改革法で認められた農民の土地所有権は近 代的な自由な所有権としての性格を持っている。
土地改革法で認められた農民の土地所有権は日本の農地所有権より、制限が少ない と評価される。表1-2で示したように、日本の農地所有権は、中国の土地改革後の農 民の土地所有権よりその制限が厳しかった173。
表1-2 中国の土地改革法と日本農地法における土地所有権の比較174
農業 経営
土地の 売買
土地の 担保
土地の 相続
土地の 賃貸
雇用労働 力の使用
農業協 同化 中国の土
地改革法
自由 自由 自由 自由 自由 自由 奨励
日本の農 地法
自由 制限 自由 自由 制限 自由 なし
土地改革により、宗族の財産は没収され、宗族勢力は以前の旧政権の保護を失い、
宗族規約の制約力も失った。前述のように、中国農村社会には、宋後期から中国建国 前まで、封建的な宗族社会である。中国において、特に南方の各省の農村では大量な
「宗族共有田」が存在していた。「宗族共有田」は名目上、宗族が所有するが、実際に は宗族の中の権勢者によって掌握されていた。1949 年中国建国後、「宗族共有田」を没 収すること及び封建的宗族制度を打ち砕くことは新中国土地改革の重要な目的となる。
また、宗族の祠堂(祖先の霊を祭る所)は宗族の標識と象徴であるが、土地改革によ り、土地と一緒に没収された。祠堂の機能の転換により、族長を権力の代表とする宗 族勢力は、宗族を統治する根拠と活動地点が失われた175。さらに、新政権の建設及び新 10%は地主と富農であり、彼らは農地の 70%以上を占有していた。それに対して、90%以上の農村人 口は貧農と中農であり、彼らは全国農地の約 30%のみを所有していた。土地改革後、貧農、中農が全 国農地の約 90%以上を所有し、もとの地主と富農は全国農地の約 8%のみを所有するようになった。
約 3 億の農民が約 4666 万ヘクタ-ル(7 億畝)の土地と大量の家畜・農具などの生産手段を無償で取 得した(国家統計局編『偉大的十年』23 頁-25 頁)。
173福島正夫『人民公社の研究』(御茶の水書房・1960 年)216-217 頁。
174福島正夫『人民公社の研究』217 頁。
175王瑞芳「没収族田与封建宗族制度的解体-以建国初期的蘇南土改為中心的考察」江海学刊 2006 年 第 5 期 153 頁。
法規の制定につれて、宗族勢力は以前の旧政権の保護を失った。それだけではなく、
宗族規約の制約力も失った。宗族首領が含まれる地主階級は、処罰を受け、宗族を管 理する権力がなくなり、しかも政治上の権利も剥奪され、農民の監督を受けなければ ならなくなった。このように、昔から存続していた宗族族長の権威はなくなった。封 建的の宗法勢力が重大的に攻撃された。以上の改革により、農村社会には建国前と比 べて、大きな変化が発生した。農村の伝統的血縁と地縁及び家族組織は打ち砕かれて、
宗教団体の活動も停止された。
土地改革によって農民が土地を獲得したが、農業生産に必須の諸手段が依然として 極端に不足していた。土地の規模が零細であること、自然災害への対応が脆弱である ことなどにより、経営の低効率と不安定さに直面し、農業生産を向上できなかった。
また、ソ連の影響176及び国家の工業化を支援する目的で、中国においては互助組、初級 合作社の後、高級農業生産合作社177という社会主義経済の組織形態が創設された。その 結果、土地およびその他の主要な生産手段は、農民の私的所有から社会主義的集団的 所有へと完全に移行した178。1958年に「政社合一」の人民公社が出現した。全国の農業 は完全に集団・組織化されたのである179。
176ソ連は第一番目の社会主義国家として、その法制建設は中国に対して大きな影響がある。新中国が 成立した後、経済の開発および成長することが急務であるが、欧米諸国の封鎖で、ソ連から学ぶこと は必然の選択になった。そして、中国の各制度はソ連モデルに全面的に改められ、高度集権的な計画 経済に対応する制度体系もソ連から導入された(高飛『集体土地所有権主体制度研究』73 頁)。
ソ連は社会主義公有制の下に、「集団農場」を設立し、全国において農地の集団化を推進した。中 国の土地所有制度はある程度にソ連の所有制度を倣って、社会主義全民所有制と労働群衆集団所有制 の二元公有制制度を確立した。その後、二元公有制制度は 1954 年の憲法で確認された(董景山『農 村集体土地所有権行使模式研究』(法律出版社・2012 年)13-15 頁)。
177互助組は農民の土地、家畜などの生産資材と収穫農産物の私有を維持し、労力、畜力、農具などを 交換して助け合うことを実行し、社会主義萌芽性質を持った組織である。初級合作社では、農民は土 地の所有権を持って、土地によって株主になり、ともに土地によって配当された。高級合作社は、土 地などの生産資料を公有とし、集団労働及び労働に応じて分配することを特徴とする。
1781956 年末、農業生産合作社への加入農家数が全国農家総数の 96.3%を占める(高級合作社への加 入農家数が全国農家総数の 87.8%を占める)に至り、中国農業の社会的協同化の事業は、基本的に実 現された(国家統計局編『偉大的十年』30 頁)。
179人民公社は集団経済の指導機関だけではなく、基層行政組織としての機能も有する。1958 年 8 月、
人民公社に加入した農戸が農戸総数の 30.4%のみであったが、1958 年 12 月末まで 99.1%に達した。
規模が大型化し、5000 世帯以上 20000 人余りで構成される公社は一つの採算単位とされていた(国家 統計局編『偉大的十年』36 頁)。
この時期には、農作物の作付きの品種、数量、面積などが殆ど国の指令計画によって決められた。
人民公社の社員は一年中ほとんど休まず、共同で働いた。農産物の流通については、農民の自分消費 以外の余剰生産物の大部分が市場価格より低い価格で、国の統一購入によって買い上げられた。分配 については、金の面では各社員の経験と体力に応じて一日あたりの労働点数(中国語で工分と言われ る)を評定し、それに労働日数を掛けて、一年の総点数を算出し分配したが、食糧の面では主に家庭 の人数に応じて分配した(丁関良『土地承包経営権基本問題研究』(浙江大学出版社・2007 年)1-2
人民公社時期に、農業の生産、農産物の流通や価格などの意思決定はほぼ生産隊-
生産大隊-人民公社という系統組織の中で行った180。その内容は 1975 年憲法において、
法的に確認され、1975 年憲法第 7 条が「農村人民公社は政社合一の組織である。現階 段の農村人民公社的集団所有制は一般的に「三級所有、隊為基礎」、すなわち、生産 大隊を採算・計算の単位とする人民公社、生産大隊と生産隊の三級所有とする」と規 定した。しかし、人民公社の組織機構と運営の規準について、具体的な規定が制定さ れなかった。また、文化大革命の影響により、土地の浪費現象が著しく、土地の有効 利用が重要な課題になった。中国の学界では、人民公社はソ連の集団化の悲劇の轍を 踏んだところ、ソ連以上の悲惨な結果となってしまったと指摘した181。人民公社を実行 する 20 年は中国農業の発展が最も遅い 20 年である。人民公社という制度はきわめて 低い効率と農民利益の損害を引き起こした。農業の生産効率を高めることは早急に解 決するべき重要な問題であった。
1970 年代末、中国国内の情勢が大きく変わった。毛沢東の死去などがあり、その直 後に四人組が失脚し、文化大革命は終息した。中国農村では土地の所有権構造を中心 として体制改革が発生した。土地請負経営制度によって、土地所有権は集団組織に帰 属することには変わらず、土地使用権は農戸に分配される。所有権と使用権の分離が 実現された。農村土地請負経営制の実施は、伝統的家庭経営への回帰であると言える。
頁)。
180人民公社の行き過ぎた拡大と、それから来る非効率を是正するために、中央政府は「三級所有制」
を規定した。1962 年 9 月の「農村人民公社工作条例修正草案」により、「三級所有制、生産隊を基礎 とする」制度が確立された。つまり、人民公社は内部に複数の生産大隊があり、生産大隊の中に複数 の生産隊を持つ、というような三段階の組織形態を取るようになった。生産隊を人民公社の基本的な 採算単位とすることを決定した。
181人民公社は非効率と分配上の不平等などが原因で農業生産は上がらなかった。それに加えて、1958 年からの「大躍進運動」の失敗と自然災害のため、農業生産は大きく減退された。1962 年までに、農 村部の農民を中心に深刻な食糧危機に見舞われた。1959 年から 1961 年までの三年間の自然困難期で、
約 3000 万人以上の命を失った(張英洪『農民権利論』(中国経済出版社・2007 年)205 頁)。