第二章 入会権と集団土地所有権の比較
第三節 農村集団構成員の資格
二 戸籍制度と農村土地制度の関係
戸籍制度の最も主な目的は人口の居住地点と個人情報の登記ということであり、国 民の自由移住と社会資源の分配などの問題とは関係がない。しかし、中国では、戸籍 制度と農村土地制度は互いに影響して、農村戸籍は農地使用権を獲得することの基本 的な前提である。中国では、住所を基準として、戸籍が編製され、血縁あるいは婚姻 関係がない住民が同居する場合、一つの戸籍に登録することができる。例えば、「集団 戸籍」の場合、血縁あるいは婚姻関係がない人が一つの戸籍簿に登録される288。また、
中国の戸籍は記載事項が多い。戸籍簿の初頁に戸の類型(集団、農業、非農業)、戸主 氏名、戸号、住所などが記載され、戸の各構成員の頁には詳しい個人情報が記載され なければならない289。また、人口情報の統計以外に、社会治安管理秩序を維持するため に、個人の血液型、身長、文化程度、宗教などの情報も記載される。その後、中国戸 籍制度は以下の三つの段階を経って、次第に就職、教育、住宅、医療、社会保障など の福祉権益と関連づけられる290。
288即ち、一カ所の住所に一つの戸籍を登録する。子供は成年後、もし単独の住所がなければ、前の戸 籍から独立することができない。戸籍登録は個人単位であり、各人が一人一枚ずつ戸籍登記表を記 載・保管する。これを戸ごとに集めて「戸籍簿」として、各戸に配り、保存する。たとえ子供が結婚 しても、依然として両親と同一の住所に住むなら、自分の戸籍を両親から独立することができない。
他には、結婚する時、夫婦一方は他方の戸籍に入ることができる。どちらの戸籍に入るかは夫婦が選 択できる。また、夫婦二人の戸籍が一つの「戸」に属しない場合もある。他方で、計画生育違反によ る、懲罰を避けるため、「超生」した子供の戸籍を親友の戸籍に入れた人もいる。
289戸籍簿の初頁に戸の類型という欄に「農業家庭戸」、「非農業家庭戸」または「集団戸」が記載され、
河北、遼寧、江蘇、浙江、福建、山東、湖北、湖南、広西、重慶、四川、陝西、雲南 13 個の省市は 農業戸籍と非農業戸籍の二元戸籍の区分を廃止した。そして、この欄に「家庭戸」または「集団戸」
のみを記載される。
中国の戸籍簿における「戸主」という名称を設立して、主に管理を簡単にするための仕組みである。
「戸主」は以前の家族の「家長」と違って、日本戦前の「戸主」とも異なって、特別な権利を持って いない。日本戸籍における筆頭者とほぼ同じである。
戸籍簿に氏名、戸主との関係、以前の名前、出生地、民族、本籍地、生年月日、住所、身分証の番 号、血液型、身長、文化程度、婚姻の状況、兵役状況、職業、勤務場所、信教、転居などの個人情報 は詳しく記載されなければならない。
290中国戸籍制度の特徴、法律・政策の規定、戸籍制度と農村土地制度の関係などの詳しい内容につい て拙稿「中国農村集団構成員の資格と戸籍の関係」早稲田大学大学院法研論集 152 号(2014 年)147
-171 頁参考。戸籍制度に関する重要な法規・政策(1949 年-2014 年)について、付録 2-1、2-2、
2-3 を参考すること。
第一段階(1949 年-1957 年)は、戸籍制度の形成期である。建国直後に土地改革が 行われ、農村で土地私有を実行した。土地の分配は一戸を単位とすることでなく、人 数を単位とする。土地所有権証明書が戸に交付されたが、それは単に取扱の便宜のた めである。土地所有権証明書の中に各構成員の土地面積が記載される。1956 年、早す ぎた農業合作社化運動、及び自然災害の影響で、中国では食料不足の問題が起きた。
安徽、河南、河北、江蘇などの地域で、大量の農民は生活のために城鎮に移転した。
農民の移転を制限するために、1956 年末から 1958 年始まで、中共中央、国務院は連続 4 回で「農村人口の盲目流出を制止・防止する」指示を出した。これらの措置により、
戸籍制度は集団土地所有制と組み合わされ、農民を土地に束縛することを目的とする 二元戸籍制度が築かれた291。
第二段階(1958 年-1983 年)は、戸籍によって人口の流動が厳しく制限された時期 である。戸籍制度は人口の自由な流動を制限する機能に重点を置く。1958 年から全国 で人民公社化運動が実施されたことである。農村土地の所有権は人民公社の集団所有 に変更された。このように、農村部土地の集団的所有制度が確立された。農産物量を 最大化にし、城鎮工業の発展により多くの農業収益を提供するために、農民が安心し て農業生産に専念し、農村の人口流動を制御することは重要であった。1958 年「戸口 登記条例」が公布された292。全国の人口が城鎮戸籍と農村戸籍に区分される。それに加 えて、農村戸籍を城鎮戸籍に変更することに厳しい条件が課された。農民は城鎮への 流動が厳格的に制限される。その後、城鎮戸籍の人は糧、油、綿などの生活用品は配 給されたが、この時に、農村戸籍を持つ人は城鎮で配給を受けることができず、城鎮 で生活することは難しかった。従って、農村の土地に戻らなければならない。
1958年-1983年の間に、中国社会は城鎮と農村で異なる政策により、「分離分治」と いう管理構造が形成された。戸籍制度は人口の自由な流動を厳しく制限する。そのた め、中国の城鎮化はほぼ停滞の状態にあった293。また、「隊為基礎、三級所有」の農村 集団所有構造は数千年間の農家を単位とする伝統的な耕作方式を変革した。元々生産 と経営の決定権がある農民は集団生産隊の構成員になった。さらに、戸籍制度の制限 により、農民は土地に束縛された。戸籍によって、集団構成員の資格が決められた。
2911961 年の「関于制止人口自由流動的報告」により、大中都市に「収容送還駅(収容遣送駅)」が設 置され、公安部門と民政部門が協力して城鎮の「盲流」者を収容し、原籍地へ送り返すこととされた。
改革開放後、大量の農民が城鎮へ流入するようになり、城鎮の治安と就業に大きな負担と認識され、
1991 年国務院「関于収容遣送工作改革問題的規定」は「三無人員」(三証-身分証、居留証、工作証
-不携行の者)が収容の対象となることが規定された。つまり、この規定によって流入農民が収容対 象に含められた。2003 年の孫志剛事件以降、社会は収容制度の撤廃に対して議論をした。社会諸方の 呼び掛けで、収容遣送制度はついに撤廃された。
292「戸口登記条例」は中国の戸籍管理制度の土台となった。現在も有効である。
293陸益龍『超越戸口-解読中国戸籍制度』(中国社会科学出版社・2004 年)45 頁。
城鎮戸籍の保有者と農村戸籍の保有者は、同じ国民であるが、戸籍制度の確立に伴い、
異質の社会システムの中でそれぞれに生活し、異なった国民待遇を受けることとなっ た294。農民は食料、住宅、教育、医療、退職金、就業などの制度によって、土地に束縛 される。
第三段階(1984 年-現在)では、前段階と同じように、就職、教育、住宅、医療、
社会保障などの福祉権益はすべて戸籍と関連づけられた。1983 年から、全国において 農村土地請負経営制が確立され、人民公社制度は正式に終焉を迎えた295。農村土地請負 経営制の実施に伴い、農村の生産力が高められた。農村余剰労働力の問題を解決する ために、戸籍制度の規制は緩和される296。城鎮戸籍の取得に対する壁が低くなり、農民 に条件付きで城鎮戸籍を開放している。農村における余剰労働力の自由な移動が可能
294具体的には、食糧については、城鎮戸籍保有者が低価格でかつ安定的に供給されたが、農村戸籍保 有者に対してはそれがない。住宅については、城鎮戸籍保有者は企業の労働者であれば、企業から低 価格の住宅を供給されたが、農村戸籍保有者は政府から住宅を提供されることもなく、住宅建設費を 全額負担しなければならなかった。教育については、城鎮部の初・中等教育は政府からの財政支援が あるため、学費が極めて低いが、農村部ではそれがないため、就学者個人が学費の全額を負担しなけ ればならなかった。医療については、城鎮部の国有企業労働者には労働保障医療制度を、公務員、教 員、軍人には全額の公費医療制度を、その他には公費医療を享受できたが、農村戸籍保有者は全額自 己負担であった。城鎮部の国有企業労働者は、退職金を支給され、労働保険制度も適用対象となるが、
農村戸籍保有者はどちらも適用外とされた。就業については、政府は城鎮戸籍保有者の労働適齢人口 に対して就業斡旋の義務を負うが、農村戸籍保有者に対しては負わなかった。
2951983 年 1 月中国共産党中央委員会は「当前農村経済政策的若干問題」を発表した。これによって、
中国では正式に請負経営制を確立した。1983 年末まで、全国の約 1.75 億の農家は、農家総数の 94.5%
を占め、生産請負制を実践していた。1985 年までに、人民公社は政社分離、郷鎮政府を設置する仕事 を終えた。既存の約 5.6 万の人民公社は約 7.2 万の郷(鎮)人民政府に変わって、その下級に約 94 万の村民委員会を設置した。これは人民公社制度の正式な終わりを告げた(中華人民共和国国家統計 局「1985 年農村基礎組織状況」http://data.stats.gov.cn/easyquery.htm?cn=C01(2015 年 9 月 19 日検索))。
2961984 年 10 月、国務院は「関于農民進入集鎮落戸問題的通知」を発表した。農民が自分の口糧の問 題を解決することができれば、戸籍を城鎮に移転することを許可する。これは初めて厳密的な城鎮と 農村間人口流動を制止する戸籍制度で第 1 本の隙間を切開した。次第に、1984 年の「自理口糧戸」、1 985 年の「暫住証」制度、1992 年の「藍印戸籍」あるいは「緑皮戸籍」から、一部分の地方政府は公 開的に「城鎮戸籍」を売るまで、城鎮戸籍はしだいに尊貴な色を脱いで、農民に有条件的に開放して いる。
「自理口糧戸」とは、1984 年 10 月の「関于農民進入集鎮落戸問題的通知」によって、農村戸籍と 城鎮戸籍の間に介在する城鎮戸籍である。「暫住証」は国内の非現地戸籍の人員が短期あるいは長期 にある都市で居住する場合、許可を申請する必要があり、取得した証明書類は「暫住証」と呼ばれる。
「藍印戸籍」とは、正式戸籍と暫住戸籍の間に介在する戸籍であり、投資、商品住宅の購入または この都市の企業に雇用される外省市人員は規定した条件を備えば、この都市の戸籍を取得することが できる。このような戸籍簿に公安機関は青い印章を押捺したため、「藍印戸籍」言われる。
「緑皮戸籍」とは、「藍印戸籍」と大体同じで、地方政策によって、緑の表紙を使って、正式な赤 い城鎮戸籍簿を区別する戸籍簿である