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建国後の農村社会の変革と研究

第一章 村落共同体に関する日中比較

第二節 中国の農村社会-沿革・研究・現状

四 建国後の農村社会の変革と研究

村落内部の構成形態は土地改革、人民公社化を経て、中国農村の伝統構造と伝統文 化には大きな変化が起きた。以下では、建国後の中国農村社会の変革と学界の研究に ついて概観する。

(一) 建国後の農村社会の変革

前述のように、中国には宋後期から宗族という血縁集団があり、同一の祖先を持つ 姓の人が同じく集団に属する。一度その宗族の一員として生まれたからには、一生そ の宗族の一員である。結婚しても姓が変わらない。建国後の土地改革により、中国農 村社会には建国前と比べて、大きな変化が発生した。農村の伝統的血縁と地縁及び家 族組織は打ち砕かれて、宗教団体の活動も停止された。さらに、人民公社の時期に入 った後、農民は共同で働いて、収穫物を統一的に割り当てられて、経済上と社会生活 の独立性を失った。その時期、農民は人民公社から離脱することができず、村落間の 自由流動も難しかった。これと同時に、都市と農村の二元体制によって、農民は都市 と農村間の自由に移住することもできなかった。

改革開放後、中国農村社会に大きい変化がある。建国直後の変革において、国家権 力の抑圧により、伝統的宗族と地方社会勢力は滅ぼされた。しかし、農村において、

伝統的な宗族を単位とする構造は徹底的に消えることがなく、農民の意識において、

まだ重要な位置を占めている。また、南方農村の宗族意識は依然として存在し、改革 開放の初期に、宗族復興の現象が現れた。華北の農村では、文革時期の村落内の闘争 も伝統的な宗族を単位として行った。「分田到戸」以後にも、村民の集団的な陳情、行 動などにおいて伝統的な宗族も役立っている189。特に、21 世紀以来中国農村社会には 巨大な変化が発生していた。閉鎖的な村落構造は開放的に変わり、農民の収入も多元 化している。伝統的な宗族構造、家庭構造などの農村基本的社会構造も変化している。

人口の流動、市場経済の発展、現代メディアの浸透などもその原因であると考えられ る。特に、農民の出稼ぎと密接な関係がある190

189賀雪峰「論中国農村的地域差異-村庄社会構造的視角」開放時代 2012 年第 10 期 123 頁。

190賀雪峰「新時期中国農村社会性質散論」雲南師範大学学報 2013 年第 3 期 73 頁。

表 1-3 城鎮人口と農村人口の比率の変化191 (単位 万人 %)

表 1-4 農村人口の変動192 (単位 万人 %)

また、現在の都市化193の実施につれて、表 1-3、表 1-4 で示したように、多くの農民 は都市部に移住し、農村人口の比率が減少しつつある。それに加えて、収入を高める ために、農村から出稼ぎ労働力の比率も上昇している。そして、農村における昔から の住居の接近、人々の頻繁な接触、相互の熟知、共同の労働などの特徴が少しずつ変 わっている。戸籍の制限で行政村は存在しているが、人民公社化によって、強制的に 作った政治上の村落共同体は崩壊した。

191以上の数値は、中華人民共和国国家統計局の統計デ-タによる(http://www.stats.gov.cn)

192中華人民共和国統計局のデ-タ http://www.stats.gov.cn より、筆者作成。「出稼ぎ労働力」とは 本調査年度内に、郷と鎮地域以外のところに 6 カ月と以上就職する農民労働力のことを指す。

193中国統計局のデ-タによって 2012 年には中国の都市人口(城鎮人口)はすでに 7 億 1182 万人に達 し、都市化率が 52.57%となった。

133,450

136,072

68,938

64,222

11,390 15,863 17,392

15.05

21.08

26.26 27.62

0 5 10 15 20 25 30

0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 120,000 140,000 160,000

2004年 2009年 2011年 2012年 2013年

全国総人口 農村人口 出稼ぎ労働者 出稼ぎ労働者の比率

(二) 学界の研究

中国建国後の農村社会に対して、学界の研究は以下のとおりである。建国後、農村 社会に大きな変化が発生するにもかかわらず、中国の学界では、農民革命と農民戦争 の主題を除いて、建国後から 1978 年までに、農村と農民問題に関する研究は休止状態 に陥った。既述したように、中国国内研究の基本的停滞に比べて、1949 年から 1978 年 までの 30 年間に日本では中国農村・農民問題の研究は一定の成果を取得した。現在、

日本の学界では、中国の村落共同体に関する研究は多くあり、現在に至るまで多くの 論文と著書が発表されている。例えば、日本の学界では以下の研究がある。

石田は「生活共同体」という概念を提起し、中国で共同体的土地所有を媒介とした 村落共同体は存在しなかったが、人的結合とした「生活共同体」が存在すると主張す る194。彼は、生活共同体の紐帯には村落の結合原理として同族と同郷の二つ原理があり、

建国後、土地改革、農業集団化、人民公社などを経てきた「中国社会主義農業」にお いても、このような人的結合は解体されておらず、現在の中国農村においても「生活 共同体」は機能し、根強く存続していると強調する195

柳沢は、共同体の内側(農家経営の実情、土地所有の動向)と外側(近代中国の社 会構造)に注意を払う必要があると主張する196。また、共同体理論から近代中国社会に 接近する場合には、最初に共同体の解体が進んでいたにもかかわらず、その残滓が依 然として一定の社会的役割を果たしていると強調する197。さらに、彼は、共同体の社会 的役割について評価を行い、その歴史的意義を明確にすることを求める198

内山は、共同労働や共同組織を中心とした中国華北地方の共同体の実態と捕らえ、

村落共同体の存否について村落の社会的機能そのものを歴史的に検討した199。中国建国 後の農村について内山は以下のように述べた。人民公社に関して、「個々の共同体」が 人民公社に改編されたことは農民にとっての共同体意識の拡大と見ることもできる200。 しかし、実態として人民公社が共産党の指導によって強制的に生まれたものであり、

194石田浩『中国農村社会経済構造の研究』(晃洋書店・1986 年)28 頁。

195石田浩『中国農村社会経済構造の研究』28 頁。

196柳沢和也『近代中国における農家経営と土地所有-1920-30 年代華北・華中地域の構造と変動』(御 茶の水書房・2000 年)198 頁

197柳沢和也『近代中国における農家経営と土地所有-1920-30 年代華北・華中地域の構造と変動』198

198柳沢和也『近代中国における農家経営と土地所有-1920-30 年代華北・華中地域の構造と変動』197

-201 頁

199内山雅生『現代中国農村と「共同体」―転換期中国華北農村における社会構造と農民』(御茶の水 書房・2003 年)169 頁。

200内山雅生『日本の中国農村調査と伝統社会』(御茶の水書房・2009 年)33 頁。

生活空間に規定された「個々の共同体」の集積にすぎず、自立的に発展したものでは ない201。改革開放後、村民の収入や各関係の利害は人民公社の時代と異なり、その差が 大きくなった。村全体を同一の行動や志向に結集させるのが難しくなった202

改革開放後、国外の研究の影響により、中国の学界において、農村社会に関する研 究も増えている。多数の研究者は農村共同体の存在を否定する見解を持っているが、

異なる見解も存在する。例えば、賀雪峰の研究によると、村は自然、社会と文化の境 界があれば、共同体と言われる。この三つの境界をすべて持つと、完全な共同体を構 成する203。また、以下のような見解も存在している。中国建国後の村落は明らかな共同 体的特徴を持っているが、満鉄調査期と異なって、すでに国家権力が農村に浸透した 後の「官制共同体」になっていた。このような村落共同体の中に、人民公社時期はす でに村落の経済的基礎を築き上げって、明確な村落境界を確立した。村の血縁または 地縁を基礎とする社会生活共同体は集団所有権あるいは集団経済を基礎とする生産と 経済的共同体に変わって、自然的、自発的に形成した村落共同体は国家権力が干渉し コントロールする「政治共同体」に変化していた204。それ以外に、「関係共同体」205

「共同価値形態に基づく文化共同体」206などのような主張も存在している。一方、日本 の学者の研究は概ねに共同体の有無及び共同体の法的性質に重点を置いている。