第二章 入会権と集団土地所有権の比較
第一節 入会権の権利主体
一 入会権の主体
以下、入会地の権利主体について概観する。その上で、入会集団は何を指すか、ど のように変化しているかについて、学界の議論に基づき考察する。
まず、入会地の権利主体について概観する。入会集団は入会地の管理・処分権能の 主体であり、入会権者が入会地の使用・収益権能の主体である。入会地の管理・処分 権能の主体とする入会集団は慣行上に定まった集団である。徳川時代から、明治初年 の官民有区分が壊れるまで、日本の山林原野の大部分に入会関係が存在していた。一 定地域の住民が慣習に従って、一定の林野に立入り、共同に使用収益としていた216。一 般的には、入会地の管理・処分権能は入会集団に帰属し、使用・収益機能は入会権者 に帰属する。昔から入会地の古典的共同利用形態が一般的であった。しかし、入会地 の利用形態は経済の発展につれて、次第に、集団直轄利用形態や個別的分割利用形態、
入会地を第三者に貸与する契約的利用形態へと変遷を遂げる217。ただし、入会権は如何 なる利用形態に変わっても、入会地の管理・処分権能は入会集団に帰属し、使用・収 益権能は入会権者に帰属するということは変わらない218。そして、入会権においては、
216石田文次郎『土地総有権史論』460 頁
217古典的共同利用とは、入会地を個々の入会権者の利用のために割り当てることなく、入会権者が入 会地の中に立ち入ってどこでも下草・落柴・小柴などを自由に採取する。採取したものは自分の個人 的所有のものである。集団直轄利用とは、集団構成員たちは各自の入山ないし採取を差し止める。入 会集団が集団として産物を管理し、収穫する形態である。個別的分割利用とは、入会地を個々の入会 権者に割り当てて、採草用地、植林、農耕地あるいは住宅用地等に使用させる形態である。契約利用 形態とは、入会地を入会集団自らが使用せず集団または構成員たる入会権者以外の者に契約によって 使用収益させる形態である(川島武宜・川井健編『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007 年)
518-520 頁(中尾英俊執筆))
218これについて、中尾は以下のように述べた。多くの場合、これについて必ずしも十分に理解されず、
入会権においてはその管理処分機能は集団のみに帰属し、使用収益機能は構成員のみに帰属すること ではない。実際には、昔から、集団は自らが使用収益することがあったし、現在でも、入会集団は直 接使用収益することの方が多いである。また、入会地の管理処分について、例えば、山入の時期、収
その管理及び処分の権能は入会集団に属し、収益の権能は集団構成員に属する。その ため、一面においては入会集団自体が権利の主体であり、他面においては集団構成員 各自が権利の主体である219。
次に、入会集団は何を指すかについて説明する。入会集団は生活共同体としての住 民集団である。厳密に言うと、入会権の主体は必ずしも常に徳川時代の村と完全一致 するわけではなく、数個の村の連合体である場合もあり(数村入会)、村の一部である 場合もある220。入会地の管理・処分権能の主体は生活共同体とする村であるということ が日本の学界の通説となっている。徳川時代から現在まで、入会集団の形と性質は大 きく変わっている。以下、入会集団はどのように変化しているかについて、学界の議 論に基づき考察する。
既述したように、徳川時代の村は中世ゲルマンの村落共同体と同様の仲間共同体
(Genossenschaft)の性格・構造を有することや、明治 21 年まで、入会権の主体たる 村が、実在的総合人であることなどが、中田の研究により明確にされた。中田は、徳 川時代から、租税の負担、訴訟行為、協約、債務の負担などは村落を単位とし、徳川 時代から、村落で村民の共同的行事が多く、村落は独立の人格者に近かったと述べた221。 明治以降、入会権の主体である村は大きい変化が生じた。明治初年、地租改正の当時、
入会地は一村所有の名義に依って地券を交付された。明治 6 年に明治政府が行った租 税制度改革により、日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立された。地券の発 行により、個人に対する土地の私的所有が認められることとなった。明治政府は入会 地の地券面上の土地所有権を如何に定めるかについて、当時実際に行われた慣例に従 った。数村入会の入会地に関しては、入会数村間の入会収益関係を調査した。その上、
入会諸村の稼方が同等である場合、この諸村を共有者と考え、数村共有名義の地券を 発行した。稼方差異がある場合、稼方優等の村落をその入会地の所有者と見て、地券 をその村名義にて発行する222。明治初年の一連の土地改革は土地の解放であり、一方に おいては絶対的な国家主義、他方においては絶対的な個人主義の実現であった。
明治 20 年代、町村合併の促進によって、徳川時代の村は町村あるいは町村の一部に 編入された。これらの改革により、入会権の主体である村落は大きい変化が発生した。
中田は村落の変化について以下のように主張した。従来のゲルマン法型の実在的総合 穫物の売却とか、構成員の多数で決定しなければならない(中尾英俊『入会権-その本質と現代的課 題』(勁草書房・2009 年)30-31 頁)。
219舟橋諄一『物権法』(有斐閣・1960 年)450 頁、我妻栄『物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1965 年)299 頁。
220川島武宜『川島武宜著作集(第 8 巻)慣習法上の権利 1 入会権』68 頁。
221中田薫「徳川時代に於ける村の人格」901-935 頁。
222戒能通孝『入会の研究』481-482 頁。
人から、ローマ法的近代法的擬制人に改造された。これは町村有財産の帰属の変化に 表現された。従来、村落と村民の総有に属する財産は町村の専有物に変化された223。こ れに対して、戒能は「生活協同体としての村」と「行政単位としての村」を区別し、
入会権の主体は「生活協同体としての村」であると主張した。川島は入会権の主体が 生活共同体としての村であると主張する224。町村合併の促進によって、徳川時代の村は その大部分の行政的機能が町村に吸収されたが、生活共同体としての住民集団は依然 として存続している225。入会地の管理・処分権能の主体は生活共同体とする村であると いうことが日本の学界の通説となっている。
以上の変化を経て、徳川時代の村は明治以後ローマ法流の個人主義的かつ排他的な 所有権の観念によって整理されていた。明治以後の村落はローマ法の法人の観念によ り村民と分離され、村民の人格とは関係のない抽象的人格を有する町村となった226。旧 来の慣習により、入会の林野は総有地として村民全体が共同に使用し、収益を獲得し ていた。上述の変化を経た後、入会林野は町村という法人の単独所有に帰属し、入会 地盤に対する所有権の帰属と入会地に対する村民の使用収益の関係は分離される。村 民全体の総有地に対する使用収益は形式上他人の土地に対する使用収益と化したので ある227。
その後、従来の総合人としての村落は一挙にして近代的擬制人たる地方団体に改造 され、従来の村総有財産が町村専有財産に変じられ、このような状況に、入会権は総 有的権利であることを証明できなくなった228。入会権の主体であった旧村落が町村制実 施の結果として、新たな村として法人となるか、または新たな村の一区としてその団 体的人格を喪失する。このように、昔の入会関係に変化を来たし、部落民全体の総有 権であった入会権は形式上その性質を変じた229。村々入会と村中入会における入会権の 主体であった入会集団が法人となった場合には、その集団内の住民全体が有していた 入会権は所有権の本質を失い、他物権の性質を帯びる。入会集団は法人たる村となら ず、村の一区または数区としており、従来の団体的人格が新村に吸収された場合には、
その部落住民全体が有した入会権の性質を有するものとする230。このように、明治以降、
日本社会は大きい変化が発生していたため、入会権の解体は不可避的且つ加速度的に
223中田薫「明治初年に於ける村の人格(三・完)」1902-1906 頁
224戒能通孝『入会の研究』303-305 頁。
225川島武宜『川島武宜著作集(第 8 巻)慣習法上の権利 1 入会権』69 頁。
226石田文次郎『土地総有権史論』539 頁。
227石田文次郎『土地総有権史論』539-540 頁
228中田薫『村及び入会の研究』166-263 頁。
229石田文次郎『土地総有権史論』578 頁
230石田文次郎『土地総有権史論』578 頁-579 頁。