第一章 村落共同体に関する日中比較
第二節 中国の農村社会-沿革・研究・現状
二 建国前の村落共同体に関する研究
中国の農村社会及び村落内部組織についての様々な研究があるが、中国国内で村落 共同体に関する研究は少なく、厳密にいえば、建国前の中国農村社会に関する研究は 国外の学者から始まった。1949 年まで、戦争などの原因で、中国の学界はこのテーマ に関する研究はほぼ進展しなかった。1949 年から 1970 年代末まで、国内の政治闘争、
文化大革命などのような原因で、中国の学者のこのテーマに関する研究はほぼ停滞状 態になっていた。改革開放後、中国社会には大きい変化が発生し、法律制度を整える 必要があるため、学界の法学の研究は大部分が法律制度の設計に専心している。農村 土地制度に関する研究も例外ではない。1990 年代以来、学界では集団土地所有権の性 質は総有あるいは新型総有と主張する学者がいる。その後、入会権との比較を通じて、
集団土地所有権の法的性質は総有であると論証する学者もいる。しかし、先行研究に は、中国農村が村落共同体の性質を持っているかどうかについて詳しい研究が行われ
137「武進県農村経済概况」華東軍政委員会土地改革委員会編『江蘇省農村調査』41 頁。
138多くの場合、「宗族共有田」が地主・富農によって、コントロ-ルされた。しかし、これは地主階 級の私人所有と異なるところもある。例えば、地主は「宗族共有田」をコントロ-ルすると、宗族祭 祀の費用を調達しなければならない。学田からの収入は学校の経営などに使われた。これらの学校に 登校するのは農民の子弟も含まれた。そして、「宗族共有田」からの収入は宗族の全体の利益のため に使うと言える。
ていない。中国国内の多くの研究は新中国の成立後の土地制度の変遷、現行制度の欠 点、改革の道筋などの問題を焦点としている。なお、1949 年前の中国農村社会につい て、法社会学からの研究は少ない。
中国建国前の村落共同体に関する研究の中で、重要な影響を持つ研究は日本満州鉄 道株式会社が 1940 年 11 月—1942 年 11 月、主として華北地区の六つの村落(河北省の 4 カ所の村落、山東省 2 カ所の村落)を対象として、実施した「中国農村慣行調査」で ある。この調査は土地所有、佃耕などの方面から当時中国農村社会の基本構成を考察 した139。
「中国農村慣行調査」の学術価値に関して、中国国内外の学界で論争されたことが ある。満鉄の農村調査が占領地域内で日本軍の武力の協力で実施したことであった。
村民は敵意を抱いて、調査が中断されることを強いられることさえもあった。このよ うに、武力の脅迫によって、獲得した調査資料は事実と合わないものが多い。それゆ え、中国の学者はその調査が侵略に伴って行ったものであり、調査自身も侵略性を持 っているため、調査人員が如何に懸命で調査するかにかかわらず、ただ「戦時の資料」
であると考えた。中国農村社会のすべての真実面を完全に反映することができないと 指摘し、科学性が欠乏すると考える人が多い140。
他方、この調査が重要な価値があると主張する学者もいる。満鉄の「中国農村慣行 調査」は様々な欠陥があるが、依然として、研究上に利用できる資料である。その内 容は社会学、史学、人口学、民俗学などの学科が非常に充実し、重要な価値がある。
昔、中国の国内外の学者あるいは政府はこれと類似した調査を行ったが、ただ不明確 な累計数字を提供した。これに対して、満鉄の調査は自然村を単位とし、農戸を対象 として、厳密な調査手順と方法を設計した。「中国農村慣行調査」のような詳しい調 査プロジェクトは、極めて稀なものである。この調査によって、農村土地所有権の移 転、農産物の販売、貸借などの経済制度の状況を明確にすることだけではなく、19世 紀末期から20世紀初頭までの中国農村に対する理解を深化することもできる141。また、
調査グループの中の大部分は専門家と学者であるため、調査の内容は占領軍当局の直 接的な関心の内容を超越して、高い学術性と客観性がある142。この調査は中国近代の農 村、農民に関する研究に豊かな資料を提供し、20世紀上半期の中国農村社会を研究す る貴重な資料である。国内外の多くの学者はこの資料を利用して、大量の著作と論文
139調査結果は『中国北部慣行調査資料』という書名によって出版した。1952 年-1957 年、岩波書店 は中国農村慣行調査編『中国農村慣行調査』という書名で再版して、全書が六巻である。
140曹幸穗「満鉄的中国農村実態調査概述」中国社会経済史研究 1991 年第 4 期 109 頁。
141RamonH.Myers 著・史建雲訳『中国農民経済 河北和山東的農民発展(1890-1949 年)』(江蘇人民出 版社・1999 年)40 頁。
142曹幸穗「満鉄的中国農村実態調査概述」109 頁。
を発表した。
日本の学界では、この農村慣行の調査に基づいて、中国農村社会は共同体的性質を 持っているかどうかについて議論が行われた。例えば、この調査資料を根拠として、
平野義太郎、戒能通孝、福武直、清水盛光、旗田巍などの学者はそれぞれに中国農村 社会の構造と共同体性質に関する論文と著書を出版した143。日本の学者たちは同じ調査 資料を使うにもかかわらず、中国の村落が共同体の性質を持っているかどうかについ て、相反する結論を提示した。以下では、「戒能-平野論戦」を中心として、中国農村 社会の共同体的性質に対する議論を概観する。
1940 年代、中国の村落共同体の性質について、日本の学界では、有名な「戒能-平 野論戦」が展開した。平野義太郎は河北省順義縣の沙井村を取り上げ、その村の「会」
(公会)を注目していた。彼は、その会の世話人たる会首の社会地位、「会」の機能、
会首と村長の関係などを考察した上で、この「会」は村民の自然的な生活共同体であ るという結論を提出し、当時の中国村落は共同体的性格が存在していることを強調し た144。
実際には、平野の前に、中国村落が強烈な共同体性格を持っていると指摘した学者 がいる。その中で最も代表的なのは清水盛光である。彼は『支那社会の研究』という 本において中国村落共同体の存在の意義を詳しく分析した145。例えば、清水は、中国村 落は共同的性格があり、「階級分化」の性格も存在し、これは共同体的性格を破壊して いるが、村落の共同体的関係はその破壊的作用を阻止する力を持っていることを論証 した146。
平野の見解に対して、戒能通孝は猛烈的に反論した。戒能の研究主題は中国の土地 法で、村落はその直接の研究対象ではなかった。1942 年、彼は「支那土地法慣行序説」
を発表し、中国における土地所有権の性格、それを生み出した中国の社会構造を分析 した147。さらに、戒能は日本村落と中国村落を比較し、両国の村落は類似するところが 多いと考察した。例えば、彼は、すべてが村を単位として契約を締結し、租税を負担
143平野義太郞「會・會首・村長-支那村落の内部構造に関する河北省順義縣沙井村の報告を読み」東 亜研究所第六調査委員会学術部委員会編『支那慣行調査彙報』1942 年、戒能通孝「支那土地法慣行序 説」『法律社会学の諸問題』(日本評論社・1943 年)、福武直『中国農村社会の構造』(大雅堂・1946 年)、清水盛光『支那社会の研究』(岩波書店・1940 年)、旗田巍『中国村落と共同体理論』(岩波書店・
1973 年)。
144平野義太郞「會・會首・村長-支那村落の内部構造に関する河北省順義縣沙井村の報告を読み」13
-14 頁。
145清水盛光『支那社会の研究』。
146清水盛光『支那社会の研究』269-310 頁。
147戒能通孝「支那土地法慣行序説」(東亜研究所第六調査会学術部委員会・1942 年)、その後東亜研究 所編『支那農村慣行調査報告書 第一輯』1943 年に収録された。
し、村財産なども存在しているなどの点を指摘した148。さらに、戒能は日中両国の農村 社会の内部構造は実質的な相違が存在していると強調した。彼の結論は主に以下の三 つである。第一は、中国農村社会に見られる土地の所有権は、近代的所有権に類似し た。しかし、中国の封建性及び庄園が実は自生的公権機構ではなく、近代国家として の成長は十分に遂げていなかった。中国の社会では封建的性格を完全に持つことがな かった149。第二は、中国農村の土地所有権は個人の権利であり、無制限な権利であると いうことが支那農村慣行上の土地所有権を規律し、また家族的若しくは同族的慣習法 の権威は非常に弱いため、中国の農村は共同体ではなく、分散的個人によって構成し ている150。第三は、中国の同族村落の構造は血縁的協同体としての家族的、親族的協同 体の精神が解体した後に生れ出た、いわゆる「ゲゼルシャフト的関係」である151。戒能 は以上の理由により、中国農村は共同体的性格が欠如することを論証し、「自然村」の 適用を否定した。
日本の学界で、満鉄調査以降の華北農村研究は、戒能の議論を出発点として展開し てきた。その中で、「平野-戒能論争」については旗田の研究が詳しい。旗田は次の 二点を指摘した。まず、戒能が中国の農村におけるいわゆる共同体の存在を否定して いるが、平野のような反西洋、反近代の視点には反対であるということである152。次に、
近代市民主義を主張する立場から、中国村落の土地私有権についての考察を通して、
平野の大アジア主義の主な理論的根拠であった共同体理論を否定したということであ る153。さらに加えて、旗田は戒能と同様に、華北農村における村落共同体の存在を否定 し、華北農村の団体的性格の弱さを詳しく分析し154、華北農村における現地調査を通じ て、村落の境界、村民の資格、村の共同行事などの面から村落の共同体性質を検証し た上で、華北の農村が他村に対し封鎖・排他的ではなく、また協同的でもないという 結論を導き出した155。
その後、日本の学界では、華北農村研究は、戒能の議論を出発点として展開され、
「華北の村落は共同体性が存在しない」という見解が支配的な見解となった。戒能の 研究に基づき、村落が共同体として公的団体へと成長するには、農民が一定の領域に、
身分として固定される必要があると主張されている156。このように、満鉄調査以降の華
148戒能通孝「支那土地法慣行序説」(1942 年)86-93 頁。
149戒能通孝「支那土地法慣行序説」(1942 年)132-133 頁。
150戒能通孝「支那土地法慣行序説」(1942 年)68 頁。
151戒能通孝「支那土地法慣行序説」(1942 年)82-83 頁。
152旗田巍『中国村落と共同体理論』47 頁。
153旗田巍『中国村落と共同体理論』47 頁。
154旗田巍『中国村落と共同体理論』44-48 頁。
155旗田巍『中国村落と共同体理論』248 頁。
156庄司俊作「日本の村落についてのノ-ト-共同体理論の発展に向けての諸説の検討」42 頁。