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進化論がもたらした不可知論・懐疑主義―世界の意味・目的の喪失

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 131-134)

第2章 ニヒリズムの諸相

2.3 ニヒリズムへの時代意識

2.3.4 進化論がもたらした不可知論・懐疑主義―世界の意味・目的の喪失

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目的を失い意味・根拠をも不可知とし、「無限と時空の彼方を夢見ている」(同上箇所)

疑惑に満ちる無信仰の圧倒的広がり、これこそが、ハーンが生きる物質文明の時代の「対 象を喪失した」(同上箇所)幻想のさかまく不可知論のつまりニヒリズムの時代の実態な のである。

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ダーウィンが主導する進化論は自然科学的本質にあるものとして不可知論をその学的 過程において伴わざる得ない。進化論は生物種の進化の事実を探求する自然科学の理論 であり、進化の存在的事実を認識しようとするものである。それは生物種の進化の存在 的事実を自然的事実によって実証しようとする生物学の学問分野である。進化論は、自 然淘汰という自然の生物的事実による無目的なつまり無意味で無方向な進化を、存在論 的に客観的に事象的に信奉するものであった。

存在論的な目的こそがあるいはその認識可能性こそが、人間における主体的自由のな かでの意味を導出するのであり、意味は目的的関係性との主体的自由によってのみ見出 されるのである。進化論はその結果において目的論を否定し、時間経過における生物種 の無目的・無意味な発展を到達点もないままに遂げることを主張する。

神が世界を生みだしたとするに対し、進化論は大地のものが自らの種としての営為の 繰り返しによって時間をかけて徐々に徐々に進化し発展したものとするのであり、それ ゆえに神的存在をあるいは神的営みを絶対的な存在者についての認識を全面的に否定す るものなのである。

「現象についての相対的客観主義がたとえ存在するにしても、われわれはすべての形 をなんらかの力の仮の現れと見なすべきなのである。その力がどのようなものかは、人 間が人間である限り決して理解できないのである。」5(Hearn 1930, 15)

しかしハーンは 1896 年から 1903 年にわたる東大における講義にて、西欧の 1850 年代 に始まるダーウィン(チャールズ・ロバート・ダーウィン 1809 年―1882 年 イギリスの 自然科学者・進化論の主導者)、ハクスリー(トマス・ヘンリー・ハクスリー1825 年―1895 年 イギリスの生物学者・進化論者)、スペンサー(ハーバート・スペンサー 1820 年-1903 年 イギリスの思想家・社会進化論の創始者)らによる進化論の大いなる影響と、進化 論的な一元論的不可知論の近代西欧における広がりについて、問題視し危険視さえして いるのである。

ダーウィン、ハクスリーそしてスペンサーの3名こそが、それぞれの進化論的言説に より、「少なくとも西欧における人間の思想が根本的に変わった」6(Hearn1930,45-46)

ことを、また彼らこそが「古いキリスト教信仰に具体的に晩鐘を告げた」7(Hearn 1930,45)

人々であるとハーンは語る。

ハーンは進化論者ハクスリーのとくにその懐疑論―つまりは疑い続けるという不 可知論―に触れて言う。

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「“不可知的 agnostic”という言葉の意味を現在のように有名にさせたのは、ハク スリーであった。」8(Hearn 1930,29)

「ハクスリーは懐疑を宗教にまで高めた。ほとんどの宗教は信仰を、つまり証明な しに人が信じなければならないことを教える。ハクスリーの教えはまさにこれとは逆 である。証明され得ないすべての事を疑うことは、誠実な人間にとっての最高の義務 だと、ハクスリーは宣言をした。」9(Hearn 1930, 29)

ハクスリーの懐疑主義 scepticism とは世界の意味・価値・根拠をその実証的証明 を求めてどこまでも探求し疑い続ける思想である。不可知論的問題について疑う姿勢 はありながらも、不可知論のように理解と懐疑を断念するものではなく、あくまでも 不可知的事象を探求し疑い続けるものである。

つまり真理界、超越界の存在あるいはその認識について疑いを断念するのが不可知 論であり、疑いを断念せず疑い続けるのが懐疑論なのである。懐疑論も基本的には不 可知論なのである。

この不可知論の蔓延こそがハーンが言う「最近 50 年間に起こったこの広くかつ深い知 的激変」10(Hearn 1930,3)が意味するものであった。神のような超越的形而上的存在 界(カントの物自体界の如き)があること、あるいは、人間は有限であることを前提に、

現象界以外の世界の存在のあるいは認識は不可能として断念する不可知論の考え方が 1800 年代後半の主思潮であり、これが世紀末のハーンの時代にニヒリズムとしてアメリ カに入り、やがては日本にも至るのであった。

「進化論、殊にハーバート・スペンサーによって説かれたその学説を固く信じていた ハーンは、徹底した不可知論者であり、それは死に至るまで変ることがなかったのであ る。」「仏教と神道を利用はしたが、ハーンの立場は一貫して不可知論のそれだった。(略)。 ヨーロッパの古い哲学体系でさえ、進化論的な解釈を与えなければ、ハーンの気に入ら なかった。」11(雨森 1994,115・116)。

ただハーンは不可知論者であり続けたのではなかった。彼が日本に来日した目的さら には日本滞在記における大乗仏教への精力的研究、さらには大乗仏教を手がかりにした ニヒリズムの超克を志向したことを考えると、進化論的不可知論の闇つまりニヒリズム の闇についての意識を鋭く有し、それからの脱却をハーンは日本において志向したので あった。

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ハーンは進化論的不可知論者でありつつも、不可知たるものの前で絶望し厭世し虚無 的に立ち止まることには至らない。ハーンは決して神秘主義者ではなく、大乗仏教に依 拠する理想論者で常にあった。ハーンは、そうしたニヒリズム自体の危機を鋭敏に深く 感じていたのである。

「ハーンの目的は、『キリスト教徒が<魂>と呼び、汎神論者が<神>と呼び、哲学者が<

不可知なるもの>と呼ぶものと同じ類の何かに、ひたすら到達し、それに触れることであ る。』」12(ユー1992,134)

進化論・不可知論・懐疑論そして虚無主義という世界の不可知を前提とする思想全 体が、1850 年代後半に社会的に逆巻き、それにより人間を支える世界の意味・根拠 を人々が見失い、迷いの社会的時代的迷妄に至る。ハーン自らはキリスト教に対する 根本からの反感を抱いていた。その点でハーン自らは進化論的不可知論を信奉するの であった。

しかしハーンは同時に、こうした不可知論のもたらすニヒリズムの危機という点で はそれを深刻に感じ続け、その超克を大乗仏教研究に見出したのであった(後述)。

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 131-134)