第3章 ニヒリズムの超克―個我から共同へ
3.1 触覚
3.1.3 距離の解消
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夢や仮想という現象を現実の物として、身体化し肉感する。人類に共通する無意識層 の「遺伝的記憶」(ハーン)による互いの共鳴・共感のなかで人は、仮想を現実的に 呼び込み、仮想的なことや夢幻的な事象を、触覚により現実的なものとして共鳴する。
作品「富士の山」において山中の霊的事象が混沌と入り乱れ、離合集散を繰り返し、
山中という異次元界にて自然は互いに距離を超えて躍動する。互いの宇宙的大地の存 在性は思惟や観念によってではなく、触感に身体的に訴えられそして実感される。ハ ーンにとって富士山は自然の霊魂が人と触れ合う霊場なのである。
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その事態の現実実在感を呼び起こす。視覚に比して人にいっそう身近に迫られる接近 の事態は場に緊迫感をかもし、圧倒的な威嚇的恐怖感を誘う。雪女伝説における雪女 の気が付くと目の前に立ち現れ、接近するかのように迫る事態は激しい恐怖感を加速 的にもたらす。
西洋美術史家として遠近法を中心とする近代の視覚制度を考究する岡田温司は、没 入する視覚がもたらす触感的接近による相互浸透の力を評価して語る。
「最後に、ディドロのサロン評を導きの糸にしながらフリードが明るみに出すのは、
遠近法に代表されるそれまでの演劇的な絵画構成とは異なって、絵と鑑賞者との距離 を無効にしてしまうような視覚体験のありかた、つまり彼が<没入>と呼ぶものであ る。そこにおいては、こちらとあちら、観るものと観られるものとの区別は解消され、
両者の相互浸透が生まれるであろう。」3(岡田温司 2000,47-48)
それは、周囲の気配への直接的な没入の状況の中での、主観―客観を超えた一体的 交感である。見えるものと見えないものとの相互の万物照応(コレスポンダンス)に よる、深い心根における内的な深い交流であり、触覚の鋭い感覚性が恐怖感情を激し く喚起し誘発するのである。
「そのとたん芳一は自分の両耳が鋼のごときその指にしかと握られ、やにわに引き ちぎられるのを感じた。痛みは猛烈なものであったが、彼は声一つ出すことはなかっ た。」4( Hearn 1973, 174)
耳をちぎられる激痛が、命令を冷酷無比に完遂せんとする武士の武者としての意味 を、その異常なまでの律義さを、皮膚感覚により如実に実体験として伝え教える。触 覚は、他者の有する深い内面性を直接に体感することを、つまり声にならない内面の 思いを率直に生々しく伝えることを可能にする。
とりわけこの場面での激痛は、人が現世と異界とを渡り歩く異常性にともなう生命 的危険性、怨霊存在の実在性、物語が夢でなく実際の経験であることをも教える効果 を生み出す。
怪談の恐怖とは、語りの非視覚的空間のなかで、語る言葉や語りがそれらを聞く者 の感覚を介して直接聞くもののなかに身体化され、自他の境を超えて恐怖感情を共鳴 的に自分の体験とし、直接の生き生きとした具体的な恐怖を呼び起こす。創造的な主 体的再現と共感である。「耳なし芳一のはなし」におけるように、恐怖は耳を奪われ るという痛みの具体的な体験性により増幅し、一層の自己体験たる現実感覚性を帯び
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るようになる。防ぐもののない直接の生々しい臨場感覚の鋭利さが恐怖感を伴い実感 させる。
「内面的共感、すなわち、人間的自我のいっさいを姿のなかへすみずみまでさわり ながら移していく触覚、これのみが美の教師であり、美を生み出す方法なのである。」 5(ヘルダー/ゲーテ 1979、262)
ハーン作「人形の墓」の原話に関して触覚にまつわる出雲地方に伝わる風習がある という。それは前の人が座っていた後にすぐに別の人が座る時には、前の人のぬくも りが残るその床を指でトントンと叩いてからはじめて座るべきというものである 6
(牧野 2014, 72-96)。前に座っていた人の体温が床に残るので、叩かなければ、そ の人のそれまでに経験した不幸すべてを引き受ける(take upon)ことになるからと いうものである 7( Hearn 1973, 101-102)
近代において主感覚となる視覚は、世界との対象化と距離化を促すなかで、眺める 視点を常に主体が自らのなかで確保し続けるものである。そのなかで視覚は現実対象 の三・四次元の立体的現実世界から、その奥行き・厚みそして時間一切を抽象化つま り現実対象から引きはがして、縦・横のみの平面の二次元世界性の像・映像へと単純 化する。それに対し触覚は、主体―客体の近代的対象化による断絶を超越し、主観―
客観への分裂以前の具体的三次元性の始原的一体化を果たす機能がある。実在する感 覚性を触覚は立体的に把握する感覚なのである。
他者のぬくもり(床に残るその体温)あるいは他者の手の冷たさ(芳一を導く武士 の手)が、他者の生きる存在意味あるいはさまざまな体験や人となりを内的に直観的 に伝えてくれる。身体的接近と触覚とは、他人を他者としてわがものとして内面化す る力がある。精神と物質の相互不加入性が近代的世界観の形成に寄与するが、ハーン は精神と物資(肉体)との自由な相互加入性を触覚において見出す 8 (岩井 2010, 89-94)。
近代において実体存在の実在を語るアオラ(オリジナルなもの、本もの、ハーンに とっての第 81 代出雲大社国造・千家尊紀という<生き神>存在)を体現するような 存在はますます希少化する。それに対する代用物(偽物、擬似的事物)の増大のなか で、実体的存在の不在の認識と実体なるものを問い求める志向が、ハーンにおける触 覚性への信頼をより強くしている。人・物とのその存在意味での触覚の内なる触れ合 い・共感・共鳴を、ハーンは強く求め続けた。真の実体を見失っている近代における 非実在的な関係的関係性によるのではない、心の琴線に触れるまでの内なる一体的き ずなを、ハーンは実体的接触の中に常に志向するのであった。
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さらに触覚の恐怖感情は、人間の心の深い層に眠る前世の体験から寄せくる遺伝的 記憶の波でもある。自己が自己自身を超える他存在の霊魂により形成され、他者が前 世で得た過去の体験性が触覚を介し髣髴とよみがえる。遺伝的記憶の超自然的つなが りの神秘的深さを教え伝えるアーラヤ識(後述)の深い記憶の与えるはかりしれない 恐怖がある。
「しかしながら、夢のなかで触られるショックは、夢における全人類的体験との接 触を示すものであるような気がしてならない。」9( Hearn 1973,164)
夢のなかで、かつての先祖らが体験した原始的な恐怖体験とその生々しい感情が、
心の無意識なる下層にて触覚を介して目覚める。触覚的体験や他者という客観的存在 性が、主体の主観に与える主観性としての意味、つまり主観―客観の統合化された実 在の感触を夢において与え、他者の存在意味が主体的に身体的に意味化される。人間 の深層心理における無意識的領野にあるかつての他者の恐怖体験が、触覚により自己 の中にて立ち戻る。触覚は、時間・空間をはるかに超えて体験を伝える始原的な遺伝 的な持続性を有する感覚である 10(注釈:視覚・触覚について)。
主体と客体との交流は接触の触覚が可能にする。非触覚な関係の状態は永遠に客体 を対象化し続け、それゆえに記号化し続ける。
近代以前には物と人、人と人との関係は物に人の、人に物の魂が伝えられる関係で あった。人と物とが人と人と互いに同じ価値をもち、物も生きるものとなった。普遍 性が個人、個物のなかに普遍的に吹き通い、浸透していた。近代以前における貨幣を 介さぬ物々交換とは、物を介した魂の一体化であり譲渡という形の交流であった。そ れは近代的な売買ではなく、魂の相互共有化であった 11(注釈:触覚で音に触れる)。
視覚優位の時代風潮を許容しない姿勢と意識と、触覚がもたらす融和的な関係形成 がハーンの思いであった。
「面白い時には、世界中が面白く、悲しい時には世界中が悲しい、という風でござ いました。怪談の時でも、何の時でも、そうでしたが、もうその世界に入り、その人 物になってしまうのでございました。」12(ハーン 1970、374)
世界との慈しみ合う交流、ハーンは触覚の融和性・許容性を重要視していたのであ る。