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意味・質を問わない事実学

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 71-74)

第 1 章 近代の共同幻想

1.6 世紀末実証科学-意味・価値の解体

1.6.1 意味・質を問わない事実学

ハーンは第五高等学校で学生に施される教育の質について慨嘆する。

「33 人の教師による 400 人の若者に対する教育は、生きる上での faith(信仰)に ついてではなく、事実つまり人間経験の科学的解明についてのものばかりである。」

1( Hearn1973, 137)

近代の科学技術は、産業革命の輝かしい成功を導き、農業から工業への人類史上初 の大転換を生み出し、人類の時代を築き上げた。その近代科学を科学的方法論におい

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て支えたのが実証科学であった。それは産業革命とそれから始まる近代を、精神的・

文化的に支える近代科学および科学的思考の原点であった。

コント(オーギュスト・コント 1798 年 - 1857 年、フランスの社会学者、哲学者) を創始者とする実証科学(実証主義)は、現実的、有用、確実、正確、組織的、相対 的を学問的理念目標に掲げる 2(廣松渉 1998、661)。その実証科学は、対象の要素へ の分割・分析を旨とする要素還元主義の手法を採り、純粋な客観的事実性をもって対 象を確定し分析し、数値的結果の導出を目標とするものである。それは経験的事実の みに基づく観察と論理による実証性に依拠するものであり、あくまでも主観を排し客 観的であることを標榜するものであった。

実証科学は、あくまでも人間の経験する感覚的なそれゆえに相対的な事実を対象に しつつ、意味・存在あるいは本質を問わず、あくまでも経験に基づく客観的な「事実 学」(上記ハーン)であろうとした。それは現実的経験による事実的明証性のみを志 向し、感覚化不可能なあいまいなもの、あるいは理念的・形而上的なもの、あるいは 主観的に漠然とした超自然的なものなどは排除・否定される。

「人間の経験についての科学的解明というものは、‘どこから’‘どこへ’とりわけ‘な ぜ’についてわれわれに決して教えてはくれない。」3(Hearn1973, 137-138)

実証科学に始まる近代科学は、存在するもの(存在者である物質・物的事象)の構成・

変化・組成、つまりそれがどのように存在するかについて定量的に問い、観察し、分 析し教えるが、存在するものがなぜ 4(注釈:科学的「なぜ」と形而上学的「なぜ」

について)存在するのかという目的たる意味(存在・生起する意味・目的)について は、実証科学もまたその系譜下にある近代科学も問わない。それを問うのは形而上学 であり神学であり宗教である 5(ウェーバー 2015, 7-74)6(注釈:実証科学におい て意味が問われないということ)。

M.ウェーバーは実証科学としての社会科学を目指したその姿勢から、実証科学の 本質的任務を認じた彼の科学論(「価値自由論」)を語る。科学は対象となる科学的問 題・事象の意味を求めずまた教えず、対象を他の言葉で客観的に説明するのみである べきと語る。

「なぜ雨が降るのか」に対する科学からの答えとしては、例えば「地上で蒸発した 水分が上空へ上る。上空での気温の低下とともに水分子が凝結を始め、自重を増す。

水分子がその自重に耐えきれなくなった段階で雨となって地上へ落ちる。」という説 明が考えられる。

この科学的説明は、現象の名前である雨という言葉を別の言葉で言いかえるという

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現象の説明でしかない。それは説明であって、「なぜ」に対する意味・目的(「なんの ために」)に対する答えではない。また「なぜ風が発生するのか」という問いに対す る答えとしては、「高気圧と低気圧とが発生し気圧のずれが発生するため」が考えら れるが、それも風という現象を「どのように」という別の言葉により言い換える説明 でしかない。それは循環論証であり、風がなぜ発生するのかという意味・目的・価値 を語る答えではやはりない。

問題は定性的な質つまり意味であり、定量的な量は意味ではない。科学はすべての 質つまりすべての意味を無意味な量へと還元する。科学や理性はその合理的方法によ って意味を解体する。合理的な対象化や分析からは意味は生まれない。むしろ直観に 支えられる非合理的で自由な形而上学や宗教こそが存在の意味・価値・目的という「な ぜ」を問い、それに対する答えを与える分野なのである。存在の意味・価値・目的こ そが、科学的思惟に抗してニヒリズムを超える射程を持つ。かくしてハーンは faith

(信仰)の教えを若者らに対し強く願うのである。あるいは自らの長男一雄に聖書の 読書を強く勧めたのであった。

形而上学そして宗教あるいは神学が対象にする不可知界(プラトンのイデア界ある いはカントの物自体界)のような現実の背後にあるいはその彼方に、合理的科学たる 実証科学は不可知なる非合理なる形而上学的世界を設定・仮定することはない。実証 科学にとり、意味・存在・本質・目的・価値を問い確保する形而上学的世界もさらに 霊界なども関与しないものである。

実証科学は自然科学と社会科学、時には心理学的人文科学をも対象領域とし、その 実証的手法はやがては近代科学全体における中心的方法になる。実証科学は事実を踏 まえ事実的であろうとする事実的結論を求める学である。それゆえにこそ実証科学は、

事実の意味あるいは事実の質(定性性)などはその実証性が保証され得ないがゆえに 問わないのである。

形而上学を全面的に否定する近代合理主義の象徴たる実証主義は、その定量的数理 的方法論によって、人類が古来より積み上げてきた世界との始原的一体化、あのギリ シャ神話を生み出した超自然的な見えないロゴスへの人間的畏敬感情などを全面的 に排除する。

神話は、宇宙や世界が有する人間にとってのー客観的事象を主観化するというー 意味の擬人化される有意義な世界である。しかし世界や自然さらには宇宙との交信・

交流によるその神話的肉声なるものは、近代において科学により非合理的とされ排除 される。

実証科学の対象とされる中で、宇宙はそのなかに人間も生きる生命体として命を育 み命に満ちるコスモス的宇宙ではなく、分析・解析あるいは観察という合理的方法の

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中で、世界は、人間(科学者)に対して感覚的にのみ対象化され対峙化される非神話的 な物理的運動の無機的な死んだつまりは無意味なる世界となる。

ハーン「天の河のロマンス The Romance of the Milky Way and other studies and stories」という作品集の美しい名前の語る世界、ハーンがこよなく愛したと言われ る浦島太郎伝説あるいは幽霊の存在、霊魂の存在といった人の心に生み出される主観 的夢想世界などは否定される。

天の河のロマンスや浦島太郎伝説やハーンが再話化しあるいは自ら創作した民 話・神話・伝承さらには迷信・怪談・経文などは、人が生き存在し死ぬ意味や価値や 目的を豊かに教える意味の宝庫なのである。迷信・民話あるいは聖書や経典・経文の ような非合理的な世界における言説こそが、人々の生き方や生死の意味を教えてくれ ていた。

実証科学の科学研究の対象は、定性性を失った定量的な数値・数式に還元される無 意味な無機的世界となる。

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 71-74)