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死・死者の排除

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 92-95)

第 1 章 近代の共同幻想

1.8 幻想化されゆく死と死者

1.8.2 死・死者の排除

近代において死は、人間にとっての最たる否定的意味のみをもつことになる。それは 近代が死を拒否し今に生きることのみを生とし、今・ここでの物的姿のみに生を見る現 前性 1(注釈 ハイデッガー「現前の形而上学」)に執着するからである。霊的な生と存在 をタブー視し否定することを、近代は近代的合理性のもとで試みる。

死者崇拝は古代的で原始的、本能的な感性にもとづくと言える。近代に近づくにつ れて、死者や死の忌避や排除が発生し、死の穢れはますます恐怖をもって受け止めら

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ポストモダニズムの立脚点から、近代主義とくに近代の社会制度と社会思想・意 識・価値観について根本的な批判を行ったボードリヤール(ジャン・ボードリヤール 1929 年 - 2007 年フランスの哲学者、思想家)は近代における死について言う。

「アメリカに見られる葬儀場では、死者に化粧とほほえみを与え≪あたかも生きて いるかのようにみせかけている≫生きながらえる記号にたより、死から逃れようとし ています。簡単に言えば、死を象徴的に、また、コミュニティとしてこの死の責任を 負うすべを知らない社会では、人間はもはや生ける人間ではなく、生きながらえる人 間でしかありません。」2(ボードリヤール 1982,32)

近代以降、人の死・死者に対する関係・つながりは急速に失われ、人の関心とそれに よる関係は生者と生のみに執着される。時代は生者のみのそして生者のための時代とな る。物質文明のめくるめく豊かさが、生者における此岸での生と存在への執着を生み出 す。科学的精神による無機的なる客観主義の浸透と、物質文明の与える過剰なまでの物 的快適さが市民生活を満ち足りるものと感じさせ、近代という時代に世俗的に生きる満 足と価値とをゆるぎないものとさせる。

物質の魔力に満ちる近代社会の豊かさは、人間に可能な限り長く生きることへの執 着・執念を高めさせる。現世にて生きることに向かう明るくポジティブな価値が高まる なかで、死と死者に対する忌避やタブー視化はますます進行する。死と生の断層が近代 ほど大きく深く広がる時代はこれまでにはない。

人間は死を自らの生から遠ざけ排除し無意味化し幻想化しようとする。死・死者は ますます排除され、社会の周縁のさらに外側にまでも追いやられる。死・死者の排除 のなかで死と死者のグロテスクなる幻想化が促進される。近代において死・死者は生 者にとってますます幻想的な、かつおとしめられそれゆえにこそよりグロテスクな存 在となる。

死者に対する生者の関係の忌避において、死者は生きる存在ではなくすでに完全に 死んだ者としてのみ断定され、死んだ者という関係性のもとに死者は捨て置かれる。

死者は近代においては、その主体的存在性や存在する意味さえをも生者によりすべて 奪われている。

近代において人は死・死者に対する関係を激変させた。近代以前までは死あるいは 死者が確固とした存在性を保持し、生者を守り導く神的崇拝を得ていた。死者は外的 にも内的精神的にも生者にとって大きな依拠せざるを得ない実体的なる存在に対す る関係性を保ち続けていた。しかし近代において死・死者が生者からの確固とした敬 意を失い、生者は今や死・死者を現世的事態あるいは事実として認めず、むしろ死・

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死者を、身近な場から排除すべきタブー的存在としての関係へと互いの関係性を大き く変えたのである。

近代における死の忌避は、生者的生と同質なる死・死者としての生と存在の否定と、

死・死者の存在の無意味化・無関係化を象徴するものである。身近な同一的存在として 親近感と畏敬感を伴った死者から、今や遠くの見知らぬ絶対的差異ある否定的存在たる 死・死者という、無意味で無関係な存在意味へと死・死者の意味は変貌し劣化する。そ れにともない、死と死者は恐怖のおぞましい存在という性格をのみ与えられ、恐怖的存 在として過度にグロテスク化されてゆき、そのタブー性を高めてゆく。

かつて生の連続体であり生の一部を構成していた死と死者は、今や生と生者の世界 から排除され隔離され、彼岸世界に追いやられ、彼岸に留まり続けるのを余儀なくさ れる。こうして生は死を生から切り離し遠ざけ追いやり、従来は生の後の生を継続的 に構成し築き上げていた死を今や排除し、死が生との共生的関係性一切を断ち切られ、

彼岸あるいは霊場に追いやられる事態に至る。死者は生者にとっての存在意味一切を 失う。

大地という根源に近く存在し神々として生者を見守り五穀豊穣や家内安全をもた らすと信じられた死者は、生者の生活圏に立ち入るのを禁じられ排除されるのみとな る時代となる、それが近代なのである。

近代における死を排除し無意味化つまり無関係化しようとする死や死者を忌避す る感情の物象化されたものが、ハーン作品‘The Reconciliation 和解’最終場面で の、死装束をまとい、わずかな髪のみを残す妻の白骨死体の恐るべき描写である 3

(Hearn,L. 1973,7-8)。それは前夜現れた妻のやさしく穏やかで美しい姿と対極の 姿であった。人間にとって最も厭うべきしかも必ず到来する死という衝撃の事態、そ れに対する究極のタブー的感情―いとうべき、いまわしい、うとましい感情―が、妻 の白骨化した死体に物象化されている。

その白骨遺体は、肉体に与えられてきた生命的なる意味が死者においては今や全く 消滅し無に化していること、死者は生者との関係一切を絶たれているという思い、生 者にとって死・死者は無意味な存在であるという拒絶されるむなしさ、それらいっさ いの感情が近代的死生観として物象化されたものである。こうして白骨遺体は、近代 人たる夫に対する死者たる妻からの激しいうらみのメッセージとなるのである。

それは、生者による死と死者に対するタブー感情に伴って増大するー極めて近代的 なー恐怖感情の実態をハーンが踏まえた上での、夫に対する恐怖感情による威嚇であ り、それは自分を捨て立ち去って行った夫の仕打ちに対する妻による激しい報復なの である。

死・死者が生者にとってこれほどに恐怖を以て受け止められた時代は、近代以前に

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ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 92-95)