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触覚に響く音

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 169-174)

第3章 ニヒリズムの超克―個我から共同へ

3.1 触覚

3.1.4 触覚に響く音

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さらに触覚の恐怖感情は、人間の心の深い層に眠る前世の体験から寄せくる遺伝的 記憶の波でもある。自己が自己自身を超える他存在の霊魂により形成され、他者が前 世で得た過去の体験性が触覚を介し髣髴とよみがえる。遺伝的記憶の超自然的つなが りの神秘的深さを教え伝えるアーラヤ識(後述)の深い記憶の与えるはかりしれない 恐怖がある。

「しかしながら、夢のなかで触られるショックは、夢における全人類的体験との接 触を示すものであるような気がしてならない。」9( Hearn 1973,164)

夢のなかで、かつての先祖らが体験した原始的な恐怖体験とその生々しい感情が、

心の無意識なる下層にて触覚を介して目覚める。触覚的体験や他者という客観的存在 性が、主体の主観に与える主観性としての意味、つまり主観―客観の統合化された実 在の感触を夢において与え、他者の存在意味が主体的に身体的に意味化される。人間 の深層心理における無意識的領野にあるかつての他者の恐怖体験が、触覚により自己 の中にて立ち戻る。触覚は、時間・空間をはるかに超えて体験を伝える始原的な遺伝 的な持続性を有する感覚である 10(注釈:視覚・触覚について)。

主体と客体との交流は接触の触覚が可能にする。非触覚な関係の状態は永遠に客体 を対象化し続け、それゆえに記号化し続ける。

近代以前には物と人、人と人との関係は物に人の、人に物の魂が伝えられる関係で あった。人と物とが人と人と互いに同じ価値をもち、物も生きるものとなった。普遍 性が個人、個物のなかに普遍的に吹き通い、浸透していた。近代以前における貨幣を 介さぬ物々交換とは、物を介した魂の一体化であり譲渡という形の交流であった。そ れは近代的な売買ではなく、魂の相互共有化であった 11(注釈:触覚で音に触れる)。

視覚優位の時代風潮を許容しない姿勢と意識と、触覚がもたらす融和的な関係形成 がハーンの思いであった。

「面白い時には、世界中が面白く、悲しい時には世界中が悲しい、という風でござ いました。怪談の時でも、何の時でも、そうでしたが、もうその世界に入り、その人 物になってしまうのでございました。」12(ハーン 1970、374)

世界との慈しみ合う交流、ハーンは触覚の融和性・許容性を重要視していたのであ る。

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牡丹燈篭」の再話化作品)では、幽霊であるお露とお米が新三郎のもとへ最後に登場 し大団円を迎えるが、その場面の開始を告げる‘karan-koron!kan-koron!’という 二人の駒下駄の高い響き、「幽霊滝の伝説」において、さい銭箱を持ち去ろうとする お勝に対し滝大明神が発する‘Oi! O-Katsu San! ’というとどろきわたるような呼 びかけがある。

ハーンの表現ではこうした言葉の響きと余韻とが音の波動となってむしろ聞く者 の全身に触覚的に伝わる感がある。聴覚以上に触覚に訴える力がある(震え上がる、

身の毛がよだつ、戦慄するという反応)。その言葉の響きと余韻とが意味の実在的な 実体感覚を誘い、ほんものを実感させイメージ化させる効果が皮膚感覚を介して内面 化させ恐怖感を煽る。

ハーンの言葉にはその響き・音による肉体性・物的実在性つまり言葉としてのオリ ジナルな確固とした意味性が強く打ち出されている。大地とのつながりを失う抽象化 される近代的関係性が広がる中にあって、響きによる触覚的な接触感覚を与えること によって、世界の現象は具体的な生命的意味(アニミズム)として映え拡がり身体化 される。人間と世界との有機的で生命的な交流が触覚を介してなされる。

「目には見えないなにか優しげなものが漂い来て、われわれのまわりに集まり震え おののくかのようだった。忘れられた場と時の感覚がもの静かに立ち戻り来て、生き る記憶の場にも時にもない霊的な感情となって今あらためて再帰するかのようだっ た。」1(Hearn 1973,295 および注釈)

門つけの女性の唇から、聞く人のなかに宿るはるかな過去を共鳴感のなかに目覚め させる声が響く。あたかも実在するかのような存在感のある立体的余韻を伴って、そ の魅惑する声の深い響きは、ハーンの皮膚へ波として次々と打ち寄せ感動を誘う。こ うして身体のなかで触覚の感覚性が共鳴し共振を起こす。先古の人々がかつて覚えた と同じ波動が目ざまされ呼応し感動が広がる。遺伝的記憶としてその魅惑する質のま まに皮膚感覚として内的余韻を引き起こす。

ハーンにとって言葉はその文字あるいはその抽象的な意味ではなく、むしろその 音・響きそのものが大きな共鳴の余韻をもたらす。感覚上でもハーンは近代的優位性 を持つ視覚にではなく、接触の触覚により多く依拠している。ハーンの立脚点は対立 して眺めやるのではなく、一体化し触れ合う緻密な触覚に置かれている。

ハーン独特のアニミズム的音感覚であり、声が身体に触感となってささりこみ世界 の意味を開示し伝える。心の中に霊魂がするように憑依し一体化する。ハーンのこの 感覚は、ハーンが生まれ育った西洋近代の視覚中心の知覚とは基本的に異なるアニミ

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ズムの、音そのもののの霊的な力によって個物の意味が独立的に感覚性から生まれた ものである。

ハーンの場合、オノマトペこそが身体性の実在的実体的な反応を示すものとなって いる。普遍的な抽象性ではなく、実体的で個別的な反応を身体という大地性を介して 獲得する。ハーンの妻小泉節が後年語った思い出がある。

書斎の竹藪で、夜、笹の葉ずれがサラサラといたしますと、「あれ、平家が亡びていき ます」とか、風の音を聞いて「壇ノ浦の波の音です」と真面目に耳をすましていました。」

2(ハーン 1970,373)

ハーンの文学作品における言葉は彫塑的立体的存在性を担っているのである。アニ ミズムのアニマは意味となって人に迫りくる。木のアニマは、木の人にとっての意味 を提示し、家の神は家の人にとっての意味を提示する。神々のアニマの意味になり、

さらに神々へと昇華されてゆく。

言語作品全体が、「われわれを捉えて離さず、全身に浸透して、人間的共感の弦楽 器をことごとく鳴りひびかせる」3(ヘルダー/ゲーテ 1979, 266)とヘルダーがいう 彫塑的触覚の共鳴感を与える力がハーンの個々の言葉には顕著であり、彼のオノマト ペ表現は皮膚感覚に直接迫り来る。

近代における個人主義の社会とは、身体的精神的意味で触覚性を欠く隔たりの多い 他人同士が作る大衆社会である。それに対し前近代の社会共同体は、生きる者同士が 人間・自然・神々の共同体全領域において包まれ育まれている意識に支えられるもの であった。お互いを皮膚感覚的なる諸体験を介して親近的に触れ合うことにより得ら れ共同的意識が普遍化する。自然オノマトペが皮膚感覚へと還元する音象徴の体系で ある限り、それは近代以前の共同体の皮膚感覚的接触の豊かさを示すものであった。

ハーン作品で出てくる音風景、道を歩く按摩、その笛の音、戸外の夜の風音、夜の 滝の落下音、少女の駒下駄の音、琵琶法師が奏でる琵琶の物悲しい音、そして盲目の 三味線弾きの歌声等々。西は言う、「そんな折からの瞽女 (論者注:盲目の女性三味 線弾き)の来訪に、ハーンが奇妙な縁を感じ取ったとしても、不思議はなかった。瞽 女の三味線語りに全身全霊を集中させ、歌詞までは理解できなくても、思う存分その 音楽性を楽しむこと」4(西 1998,117)、そのことにハーンは感動する。

「その歌いぶりが聴くものの感嘆を博したのは、まさにかの女の美音にあったのであ る。それにしても、それを歌ったものがすでに立ち去ってしまったのちになっても、そ の声は、依然として長く耳朶に残っているような気がする。―あの不思議な魅力をもっ

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た声調の秘密を、なんとかして自分で解き明かそうとせずにはいられないほど、それほ ど自分の胸のなかに、妙に甘美な感じとうら悲しい感じをのこしながら。」5(ハーン 1995、

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言葉や響きは単なる意識や観念にて生動するものではなく、遺伝に拠り多くの祖先 から伝えられた意味深いものである。

「それから、あの大きな梵鐘がボーンと鳴りひびくあの音色。あの音色には、わたく しの身ぬちにある、あらゆる 19 世紀のものとは、およそ不思議なくらい遠くかけ離れ た感情を呼びさましてくれる、一種古雅なひびきがある。わたくしには、その感情が盲 目的に嫋嫋と揺りうごくことが、怖ろしくさえ思われる。(略)。あの梵鐘の、あの大波 のような音を耳にすると、わたくしは、わたくしの魂の奈落の底にじっと潜んでいるも のが、むくむくと頭をもたげようとして、しきりと立ち騒ぐのをはっきりと感じる。」6

(ハーン 2004,162-163)

ハーンは言葉の音や響きが有する言語を超える人類の普遍的理解可能性を主張す る。言葉の音・響きのむしろ触覚による時間的・空間的な普遍的伝達力をハーンは高 く評価する。ハーンは、言葉や民謡・歌をその意味としてよりも、触覚の余韻として の音あるいは響きとして理解し共鳴する。意味よりも音・響きの波つまり音波を得て 主観的印象を触覚的に還元しながら内面に呼び込み、感じ入り一体化する。近代の視 覚中心の文字文化ではなく前近代の長き時間にわたる触覚的に感じ入る非文字文化 の音・響きにこそハーンの強い共振と共感がある。

音・響きはさらに他者との相互理解交流を触覚のように、互いの遺伝的記憶のつな がりのなかに誘発する。感情は主観的に主体的に生起し消えゆくものでありながら、

ハーンにとって感情は個人を越える過去の生者と今の死者から受け継がれる遺伝的 記憶が宿る超個人的形質であった。時間空間的に普遍的共感・共鳴の質を有する普遍 的なものであった。

「しかしながら触られる恐怖それ自体は経験によるものなのである。私が思うには、

それはちょうど子供が闇を恐れるように、遺伝により個人の中に蓄えられた前世の経 験によるものなのである。」7( Hearn 1973,164)

意味が身体的に蘇り、触覚に還元されながらその声の魂は、人の魂へと内面深くに 交わり入る。宇宙的大地の万有全体に浸透する生命的律動の存在とその実在的波動が、

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 169-174)