第2章 ニヒリズムの諸相
2.5 関係という感情の時代
2.5.1 感情の時代
ハーン作「耳なし芳一のはなし」の原典である『臥遊奇談』巻之二「琵琶秘曲泣幽霊
(琵琶の秘曲幽霊を泣かしむ」第一行目に、「千載の遺恨をとどむ幽魂長く消する事能ハ
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ず」とある 1(ハーン 2003, 361)。壇ノ浦の戦いに破れた平家の人々が 700 年以上にも わたってその恨みを癒しきれなかったことが、「耳なし芳一のはなし」の基本的モチーフ である。恨みをも含む個人的感情は近代以前においてはその表出を抑え控えるのが礼の 徳目であった。遺恨を晴らすことは死後においてのみ可能という認識があった。
「個人的な感情はできるだけ押し隠す」2(ハーン 1988, 109)ことが長い間日本 では美徳とされた(注釈 3 芥川龍之介「手巾」について)。
その芥川龍之介の作品「手 巾ハンケチ」は、感情を表わさないことを美徳とする日本人のその 生態を描くものである。
ある女性が最愛の息子の死をその恩師たる長谷川教授(東大時代の新渡戸稲造がモデ ルと言われる)に報告に訪れる。女性がしばしその激しい悲しみを表情に出すことなく 息子の死をきわめて冷静に語る姿に、長谷川は不可思議な感情に襲われてゆく。しかし やがて長谷川は、その女性が息子の死を冷静に語る一方でテーブルの下に隠れている手 では自分のハンカチを強く握りしめ、自らの悲嘆振りを図らずも表している様子に気が 付く。
顔はにこやかだが心では慟哭する母親の激しい悲しみを長谷川は見出す。感情を出さ ぬように心がける婦人のひたむきなる礼節に対し、長谷川は深い感銘を覚える。
「わたくしはまた、本質的に西洋の特質である個人性が欠けているまさにその欠如が、
わたくしにとっては日本の社会生活の魅力の一つであることを告白せねばなりません。」 4(ハーン 1992, 406)
「東洋の汗水たらして働く何百万人の微笑の下には、勇者の勇気をもって押し隠さ れ、他者への没我的な思いやりから耐えている苦難があるのです。」5(ハーン 1992, 498)
「主人公が当然抱くはずの疑念に対する説明や心理の描写を付加した点を除けば、話 の大筋は、ほぼ原話どおりだが、再話の方が、邦訳にして 4,5 倍の長さになっている。」 6(布村 2003, 332 および注釈:ハーンの再話化について)
ハーンの再話作品は原話を近代以前の過去から近代という現在へと時代を超えて翻訳 し移し換えたものであった。その再話化のなかで感情の赤裸々な表出という近代的特性 が作品に加えられた。再話作品がイギリスの人々に宛てたものである限り、原話に近代
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的個人性たる感情表現を付加する必要が、日本とイギリスとの時代的空間的差異を埋め るために不可欠なことであった。
そうしたハーンの再話作品全体における事態の合理的説明と人物における内面的 表現の付加とは、西洋近代文学の観点に他ならない。感情表現の詳細で明瞭な在り様 や変化についての描写が近代文学の大きな傾向なのである。人間同士の関係による内 面の心映えが、感情表現を介してふんだんにそして多彩に開陳される。
それは近代が個人主義の個人を社会的根拠とする時代であるがためであり、近代に おける人間とは、個人が感情そして情緒・印象という他者との関係性の総体という性 格を近代においては特に有するがためである。
原典からの再話化の過程で妻セツに対しハーンが言ったという、「本を見る、いけ ません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません。」7
(小泉節子 1995, 22)という言葉は、物語を自分のものとして理解し主体化し、そ の上で物語に対する感情・情感を込めて自分のものとして語ることを強く求めるとい うことである
ユーはハーンの翻訳の創作態度について、「自分がその魂を感じることができ、その微 妙な意味合いを感情的に追体験できると確信するまでは扱おうとはしなかった。」8(ユー 1992,38)と指摘する。
「言外の感動が心に残るような作品は、高く称賛されるのである。いってみれば、
寺の鐘をゴーンとついて鳴らすように、短い詩の佳作は、聞く人の心に、いつまでも あやしい余韻を、くりかえしくりかえし、波のように長く響かせるものでなければな らないのである。」9(ハーン 1996, 119-120)
感情が人間の実体であるかのように体の核心部から感情が震えるかのように、深い 根本からの共鳴する感動の波動が絶えず続けざまに作品から発せられる。近代に生き る西洋人であるハーンにとって文学作品における豊かで自由な感情表現は、生き存在 する人間を描く上で必須なものと考えていた。
ハーンにとって感情・情緒とは、スペンサーが言う「遺伝された感情」10(ハーン 1988, 293)であり、個人に固有の遺伝的記憶という人間に先天的に与えられ積み重なった前世 での記憶の覚醒とその振動である。したがって感情は、時間や時代あるいは空間を越え る先祖との結びつきが与える普遍的な超個人的呼応なのである。
ハーンの人間観は、人間は個人の時間空間を越える長時間的なつながりと宇宙的スケ ールでの拡がりとを有するとするものである。ハーンにとって感情・情緒とは、誰とで もどこにおいてでもすべての人同士が理解し共感できるいわば普遍的言語なのである。
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ここにこそオノマトペの機能的有効性が与えられる。
ハーンの言葉と作品は読者の心に共感という感情的余韻を残すことが志向されている。
余韻による深い共鳴と共感が、読む人に深い感動の輪を広げ、その共感が永遠化・永続 化されることが作品に望まれる。そうした言葉が尽きた後のなおかつ言葉が生み出した 心の深い場での余韻こそが、日本の俳句の文学的感動を生み出す力である。そうした余 韻での感動こそハーンにとっての作品あるいは言葉への信頼であり期待であった 11(注 釈:ハーンの再話文学について)。