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実体の失われた近代 .1 世界の無意味化

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 114-118)

第2章 ニヒリズムの諸相

2.1 実体の失われた近代 .1 世界の無意味化

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115 る。」2(ハーン 2004、129)

ニヒリズムの原点は、ハーンにとっては実体であるはずのものが霊的で空無であると いう事実認識であった。実体を物質とする物質文明の時代認識は誤りであり、物質は実 体ではないという時代的社会的なる認識、違和感・絶望感がハーンにとってのニヒリズ ムであった。ハ-ンはそこに迷いと危うさを危機的に感じ取った。

科学の放縦のなかで不可知なるものはその存在さえも危うい状態に至る。霊魂・幽霊 という言葉は不可知なる未知の反科学的な事象すべてを指し示すタブー的な意味を負う こととなっていった。

近代において気が付くと地上に神は消えていた。それは神の不在が確認されたので はなく、人間の営みが主体的で放縦なる自由に満ちるものとなっていることを、人間 は自覚し始めたという事実の発見・確認であった。神の死としてしか表現できないほ どに人間は、自らのヒュブリス(ギリシャ哲学における不遜を意味する言葉)な営みを、

主体的自由のもとに開始していたのである。

神の代りに神の座に就くに至ったという表現が語る人間の営みとは、神の営みでは ありえず、すべからく人間主観の相対的有限的限界を超えるものではなかった。人間 は実体・絶対・客観という形而上学的規範をこうして失っていた。

すぐれたハーン研究者であり海外怪奇小説の翻訳家として知られる平井呈一(1902 年―1976 年 翻訳家・英文学者・海外怪奇小説研究者)は、「西欧の幽霊」という西 欧近代における幽霊伝承について触れるなかで、以下のように語る。

「こうして幽霊は、19 世紀まで世界中に繁殖しつづけ、人間を脅しつづけてきた のであるが、18 世紀後半からヨーロッパに近代科学の曙口がきざしはじめ、急速に それが発達して諸学が科学的真に蒙をひらき、19 世紀に入ると、ヨーロッパ各国の 学者のあいだに、人間の死後の生命、霊魂のゆくえというものが問題になりだしてき た。世はまさに心霊ブームに突入し、(略)、心霊研究協会なるものが初めてロンドン に設立されたのが、1882 年のことである。」3(平井 2000, 317-318)。

19 世紀末という科学の時代がすでに始まっていたがゆえに、人類は自らが到達不 可能な、不可知なるものの存在を初めてそれとして意識し知り始めたのである。形而 上学に相反する科学の時代に入っていたからこそ、形而上学は形而上学としての真な る意味とその対象領域が意識化され始めた。意味を奪う科学時代に対する危機意識が、

意味を守り育み伝えようとする形而上学的良識を有する人々を「心霊研究協会」設立 へと動かしたのである。科学の時代に入ったがゆえにこそ、本格的な幽霊の時代が始 まったとも言えるのである。

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言葉(例:科学という言葉)というものは、その意味が明確に現実的になった時に 差異ある他関連項目(例:形而上学・幽霊)が同じように明確に立ち上がる。こうし た項目間の関係性の保持する生産性は幻想を次々と生み出す。言葉は無から幻想的空 無的有を生み出す。近代において多くの幽霊や多くの幻想を生み出したのは、人間の 科学であり人間の言葉なのである。

「なぜ太陽は他の太陽へと走り、惑星は太陽のまわりを、衛星は母星のまわりを離 れないのであろうか。(略)。恐らく太陽は、食物を求め、仲間を求め、原生動物のよ うに種族をふやそうとしているのである。彗星は恐らく宇宙の遊走細胞であり、星雲 は星の世界の精子細胞かもしれない。」4(ハーン 1989, 330)

本来的に万有が意味を求めて活動するという確信を、ハーンはこの擬人化表現の文 章にて語る。意味による関係が生物の環世界(Umwelt)を構成し、万有同士を結び付 けている。意味こそが、生命体が求めて生き存在する目標・支え・根拠であり、生命 体の生は、対象の意味の自己主体化を実現しそれを達成しようとする活動と言える。

生命活動とは、そうした意味が生み出す相互関係に普遍的に根拠づけられる生命同士 における相互的な活動である。

2.1.2 実体性から関係性の時代へ(ソシュール)

近代以前に世界は意味に満ち事象・事物は互いの意味により支えられ合って生き存 在していた。

「それは人家の中やら周辺にすんでいるものである。(略)。井戸の神である「水神 さま」。竈の神である「荒神」、(略)、釜や鍋の神である「曲突の神」と「戸部の神」

(略)。池の主人であって、むかしは蛇体になって姿を現せると思われていた「池の 主」。米櫃の女神である「お釜さま」。人間にその田畑を肥やす方法をはじめて教えた

「厠の神」(略)。木と火と金の神。同じ工合で庭、田畑、案山子、橋、山、森、川の 神。さらにまた樹木の霊がある。」1(ハーン 2006, 110)

かつて世界は神々や霊魂という実体的な独立的意味に満ちていた。八百万の神々た る山・空・風・・・、万有の自分や自分たちにとっての意味、つまり万有と自分たち との関係を有すると認める実体が実在すると信じられていた。意味を確認し意味が生 む実体的関係性を信仰することこそが、近代以前における長きにわたり続いたアニミ ズム信仰である。

近代以前には世界に意味が無数に存在し、存在はすべてそのものとしての主体的意

117 味を有すると信じられていた(言霊観)。

ハーンが亡くなった翌年 1905(明治 38)年に出版された『天の河幻想』のなかに

「天の河縁起」というハーンの論文が載せられている 2(ハーン 1994, 9-58)。

ハーンがそこで扱った短歌作品に、「たなばた の ふなのり すらし まそかがみ きよき つきよ に くも たちわたる」という大伴家持の詠んだ歌がある(同上の 56)。 天の河の一方にある琴座の牽牛星ひ こ ぼ しと、天の河のもう一方にある織女星お り ひ めが一年に一度七夕 の夜には、天の河を隔てて出会うというロマンスが語られている。

相思相愛となったものらの縁・縁起がつちかった絆の強さを、天の河の七夕神話は表 現するものである。永遠なる愛の結びつきの普遍的な強さをよく示すものである。2星 のつまりその男女2人の結びつきそして関係には強い意味つまり愛があり、愛という意 味こそが関係の有機的つながりを生み出す一つである。

意味とは万有を永遠につなげる力であり、その力へのハーンの感嘆と賛美がこの作品 には反映されている。意味こそが万有存在を結びつなげ有機的な生の壮大な世界をさえ 作り上げているのである。

「人間の手が築いたものであっても、もはや死んだ石の塊などではなくなっている。

それはみずから思考し、人を脅かすような何ものかが吹き込まれており、影のある悪 意をもった、さまざまな種類の物の怪の集まり、あるいは怪物的な 物 神フェティッシュと化してい るのである。」3(ハーン 2004,53)

ハーンが幼い頃通った教会の天井を飾る石材製の先頭アーチが、ハーンにとって恐 怖の対象であった。そのアーチは中世時代のヨーロッパほぼ全域を覆っていた広葉樹 を中心とした大森林の旺盛なる繁殖力への畏敬的崇拝対象とされるものであった。森 による激しい威嚇、森への恐怖、それがハーンにとっての教会の天井に組まれたアー チの意味であった。

人間主観による意味あるものの立ち上げは、主観的な仮説存在を実体的なものとし て幻想化する事態を意味する。関係を生み出す意味が凝集し対象化されたものが霊魂 (ハーン)であり、神々であり神である。それが具体的な像をなす場合フェティッシュ

(物神崇拝)とされる。人間主観の世界解釈である意味が、言葉(概念)に常に恣意 的に意味として人間により送り込まれる。

人は、事象(人間、貨幣、商品・製品、組織、制度他)を自己に対象化して、その 事象の価値や意味さらにはその名前さえをもその事象自体の中にー幻想的にー読み 取りながら、事象と自己の関係が事象自体の中に内在化すると錯覚する(例:サッカ ーボール、りんご・・・)。実体論的なパラダイム(時代精神)から近代の関係論的な

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パラダイムへの転換が、こうした物象化像つまり商品・製品の社会における流通ある いは普遍化のなかに現れている。

近代社会における社会的普遍的概念(上記にて扱われた諸幻想)への関係化や意識 化のなかに、物象化は浸透し顕著に広がっている。物象化において商品に反映される のは、社会関係あるいは人間関係を生みだし支える社会的文化的状況である。物のな かに人は幻想を見るが、その幻想はそのものとの関係性(関係条件)の投影であり反 映なのである。

丸山圭三郎(1933 年 - 1993 年 言語哲学者・思想研究家)は言葉のシステム(体 系)について、ソシュール言語観に従って言語観の関係論的関係について述べる。

「あらかじめ確固たるアイデンティティをもった自我と他者が実体的に存在して いるのではない。両者は関係によってはじめて生ずるのである。」4(丸山 1987,67 )

意味そのものではなく意味での差異の関係によってこそ、その差異を示すために言 葉は作り出されまた使われる。関係上での差異があるがゆえにこそ言葉が生まれ使わ れるのであり、意味そのものがそれとして実体的にあるから言葉が生まれ使われるの ではないのである。意味ではなく関係性が言葉の世界では支配的なのである。

ハーンの文学作品は実体主義への願望を有しつつも関係主義的内容構成による。幽 霊とは恣意的幻想としての物象化の試みの結果である。対象と自己との間には関係の みが存在し、関係が物的現象化すること、それが怪談の幽霊であり、近代的世界の幻 想化の試みの一つなのである。

かくして実体は人間主体の関係の幻想へと化され、フェティシズムの近代の恣意的 な像へと幻想化されるのである。近代の意味の解体とは実体の喪失による世界の関係 性への転換によるものなのである。

ドキュメント内 2015 年度博士学位申請論文 (ページ 114-118)