第2章 先行研究の概観と研究課題の提示
2.2 語彙処理プロセス
母語の習得においては、通常「聞く・話す」という音声言語の獲得を経て、「読む・書く」
の文字の習得へと進む。「読み」の習得に関連して、語彙をどのように認識、理解するかが 大きな焦点となる。本節では、語彙処理プロセスについて認知心理学での研究成果をもとに 先行研究を紹介した後、バイリンガルの語彙処理プロセスに関するモデルを紹介し、それに 関連する同根語の問題を取り上げる。
2.2.1 語彙の形態・音韻・意味処理
人がことばを使用する時、「第一言語であっても、第二言語・外国語でも、人はその長期 記憶の中から必要な情報を検索し、こころの中の作業スペースであるワーキングメモリ内 で保持、加工することで、ことばの理解ならびに産出が可能になる」(門田, 2006: 25)。こ の長期記憶の中で語彙に関する形態・音韻・統語などの情報が蓄えられているところを心的
辞書(mental lexicon)27と表現する。人がその心的辞書にどのようにアクセスして情報を
引き出すのかについては、モデルがいくつか提出されている28。
27 言語に関連して、脳が記憶、検索を可能とする総合的システムの総称である。狭義には、脳のはたら きによって実現される、いわゆる言語活動において利用される辞書の比喩的表現として用いられる(斉 藤, 2006)。
28 代表的なアクセスモデルとして、一つずつ候補の単語を検索しチェックしていくと仮定する「探索モ デル」、ロゴジェンと呼ばれる一種の特徴収集装置が活性化する「ロゴジェンモデル」、並列分散処理の考 え方から低次の視覚特徴レベルから、文字レベル、単語レベルと順次活性化されると同時に、高次の統 語、意味レベルからも処理のフィードバック情報が与えられる相互作用を想定した「相互活性化モデル」
がある(門田, 2006)。
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その心的辞書アクセスにおいて「読み」という観点から見ると、視覚呈示された語彙は形 態、音韻、意味の3種の処理の過程でどのような認識経路を辿るのかという点で、門田(2006) は次の3つの考え方があるという。(1) 視覚情報から直接単語の意味を認識する視覚的認識 経路をたどる視覚的アクセス説、(2) 音声情報への符号化による音韻表象を経た後、意味を 認識する音韻介在説、(3) これらの両経路が同時に関係するという二重アクセス説である。
それと同時に、門田(2006)は言語の書記体系を、アルファベット方式、音節方式、表語 方式の 3つに大きく分け、これら 3つは書記表示からどのように音韻情報を取得するかと いう音韻符号への変換方式が異なっているとする。アルファベット方式、仮名に代表される 音節方式が表音文字なのに対し、漢字のような表語文字の場合、「表示単位は単語なので、
1つの文字と1語全体の音が対応する形となり、そのために音韻符号化は、その語の発音を 知っているかいないかによって、音韻化ができるかできないかが決まるという二者択一
(all-or-nothing)方式になると考えられる」(門田, 2006: 40)と指摘する。
漢字語彙の処理に関しては、仮名表記語は形態処理の後、音韻処理を経て意味処理が行わ れるが、漢字表記語の場合は形態処理の後、音韻処理を経ずして直接意味処理が行われると する視覚的アクセス説29や、音韻処理の優位性が小さい、或いは意味処理が優先されるとす る二重アクセス説が有力である(海保・野村, 1983; 門田, 2006)。しかし、水野(1997) はこのような考え方に対して、中国語の漢字を扱った実証研究による、漢字の場合も音韻処 理を経てから意味処理が行われるという研究結果30を例に挙げて、「言語の基本的処理過程 の普遍性が唱えられる中で、漢字と仮名を有する日本語の漢字処理の場合だけ音韻処理が 介在しない、あるいは、優位性が低いと考えるのは不自然ではなかろうか。また、このよう に文字の種類によって処理過程が基本的に異なると仮定するのは、処理効率の観点から見 ても不合理だと考えられる」(水野, 1997: 2)と反論する。そして、漢字表記語も仮名表記 語と全く同じように形態、音韻、意味の順で処理されるが、漢字表記語では多くの場合音韻 処理が自動化されるとする漢字表記語の音韻処理自動化仮説を唱え、その検証を行った。
門田(2006)は、先行研究をまとめた結果、漢字の意味アクセスには音韻情報の処理も介 在するものの、形態処理がその前提となっていると結論し、二重アクセスの立場に立つ。「音 韻ベースの分析的な処理経路、視空間イメージをベースにした全体的な処理経路の両者を 仮定することが必要で」あり、「様々な要因が影響し合って、どちらのルートが活性化され
29 直接アクセス説とも言う。
30 Tan, L. H., Hoosain, R. & Peng, D. L. (1995). Role of early presemantic phonological code in Chinese character identification. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 21, 43-54. 及び、Perfetti, C. A. & Zhang, S. (1995). Very early phonological activation in Chinese reading. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 21, 24-33.
(水野, 1997: 2)上記の研究論文が入手できないため、著者が重なる同時期の論文Tan & Perfetti (1997) を参照した。
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るのかが決定される」(門田, 2006: 48)。その要因として、単語処理水準、語の出現頻度と 親密度、読み手の処理方略、第二言語の場合は第一言語(母語)の正書法などを挙げている。
一方、その後の実験により、水野・松井(2014)は、日本語母語話者の単語処理において、
形態情報への依存度が高く、音韻情報への依存度は低いことを示した。その理由として、「日 本語の単語はほとんどが漢字で表記される。中国語の漢字は大半が単音字であるが、日本語 の漢字の大半は多音字で、同音の漢字が極めて多い31。そのため、漢字で表記される日本語 の単語の多くは同音異義語を有しており、しかもその同音異義語は複数あることが多い。そ のため、音韻情報に依存したのでは単語の語彙にアクセスすることができない場合も多い ため、形態情報への依存度が高い可能性がある」(水野・松井, 2014: 60)と述べている。こ れは、門田(2006)の二重アクセス説を支持するものと位置づけられる。
以上は、日本語の漢字の語彙処理プロセスに関する知見である。日中バイリンガルの場合、
日本語と中国語の漢字語彙が心的辞書に蓄えられているはずであるから、モノリンガルの 語彙処理プロセスより複雑なメカニズムがあると考えられる。
2.2.2 バイリンガルの語彙処理プロセスと同根語
言語間転移に関連して、複数言語のレキシコンが別々の記憶システムを持つのか、共通の 貯蔵・システムなのかが論争となってきた。しかし実験データから、「母語・第二言語の語 彙項目自体は、確かに別個の独立した記憶システムに入っているが、それらの意味的・概念 的表象は、共通の保持・処理システムがあること」(門田, 2006: 59)が示唆され、いくつ かのバイリンガル語彙・概念モデルが構築されている。
バイリンガルの語彙処理のメカニズムについての初期の研究は、単一経路で語彙情報を 検索する探究モデルの語彙アクセスがその基本であった。絵を見て命名する実験が大量に 行われた結果、概念アクセス後、絵に命名する語彙のエントリーが行われるとする、すなわ ち語彙アクセスには概念が媒介することが明らかにされ、L2の発達が十分でない学習者は 概念アクセス後、L1を通してL2に翻訳する「語彙連結モデル」、L2が発達した学習者は L1を通さず概念から直接L2の語彙にアクセスする「概念媒介モデル」が、Potter, So, Von Eckardt & Feldman (1984)より提示された(Kroll & de Groot, 1997)。バイリンガル語彙・
概念モデルでは、L1 とL2 の非対称性の相互作用を組み入れた語彙・概念の連結を表した Kroll & Stewart (1994) の「修正階層モデル(the revised hierarchical model)」が有名で ある。
その後、バイリンガルの語彙処理モデルは様々な研究者から出されたが、現在の研究の焦 点はバイリンガルが、2つの言語システムからどのように目標言語の正しい語彙情報を引き 出すかという点である。バイリンガルが語彙アクセスする際に、目標言語である一つの言語
31 中国語でも同音の漢字が極めて多いため同音異義語が多く、声調の違いがあることで音韻情報へのア クセスが優先される可能性がある一方で、日本語の漢字と同様に形態から意味への直接アクセスも考えら れるが、本論の中心的議題ではないため、ここでは立ち入らないこととする。
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の心的辞書が活性化する(language-selective lexical access)のか、両言語が同時に活性化
する(language non-selective lexical access)のかがバイリンガル語彙処理の関心の中心で
ある。Sunderman & Fancher (2016) によると、この関心を背景に、「競合(competition)」
の概念を基に構築されたのが、バイリンガル相互作用活性化(the bilingual interactive
activation = BIA)モデルである。インプットの視覚呈示された語彙は、形態的特徴レベル、
文字レベル、語レベル、言語レベルという 4 つの階層を順にボトムアップで処理されると する。その際、形態的特徴と文字レベルにおける語の類似性により、競合する語彙候補が活 性化され、言語レベルへ送られる。そして、言語レベルではトップダウンの抑制効果で、目 標言語の正しい語彙を選択するという。その活性化が、目標言語に特定されるか、二つの言 語両方に及びかが焦点となり、形態的類似性が注目を浴びるようになったのである。
認知心理学では、バイリンガルの語彙処理メカニズムを解明するために、形態的類似性を 持つ語彙を使った実験が数多く行われた。言語間の同根語、同綴異義語、近傍語32を使った 実験結果は、両言語が同時に活性化され、非目標言語を締め出すことができないことを示し た。そして、同根語を使った実験は、同根語は非同根語より読みの反応時間が明らかに速く、
多くの場合正確な理解をもたらすことを明らかにし、両言語の同時活性化を証明するとと もに、同根語による言語間転移が語彙の理解を助けることを示した(Singleton, 2016;
Sunderman & Fancher, 2016)。このような同根語による理解促進を「同根語プライミング
効果 (cognate priming effect)」或いは「同根性効果(cognateness effects)」と呼ぶ。
一方、言語間転移に関連して、近年の社会の多言語化や個人の複数言語化の流れを受けて、
複言語主義の観点から、応用言語学の分野では、同根語を言語習得に役立てようという考え 方が、近年顕著になりつつある(Otwinowska, 2016)。バイリンガル教育分野でも、Cummins
(2008)が二言語間の転移促進のために、同根語の利用を推奨している。
それでは、日本語と中国語の二言語間に存在する多数の同根語である漢字を、日本語習得 促進のために利用とする考えは、どのような状況なのであろうか。
既に70年代、文化庁(1978)は、中国語を母語とする日本語学習者は、漢字についての 既習知識を利用すべきという立場から、中国語と対応する漢語をまとめている。その根拠と して、中国語母語話者が日本語を学習する場合の有利な点を以下の二つにまとめている。
「その一つは、漢字というものに親しみを感じているため、それを文字として目にとらえる 訓練がすでに終わっていることである。もう一つは、それぞれの漢字が意味を持っているた め、漢字で書かれている日本語を見て、その意味を知ることができるということである」(文
化庁, 1978: 5)。そのため、日本語教育の初級・中級の段階によく出てくる漢字音読語を選
び、「S (Same)」「O (Overlap)」「D (Different)」「N (Nothing)」の4つに分類 33した。但
32 同根語(cognate)、同綴異義語(homograph)及び近傍語(neighbors)については、1.4.3を参照の こと。
33 「S」は「日中両言語で意味が同じか、または、きわめて近いもの」で、全体の3分の2を占める。
「O」は「日中両言語における意味が一部重なってはいるが、両者の間にずれのあるもの」、「D」は「日