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考察

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 173-177)

第6章 漢字圏での日本語言語資源とトランスナショナル空間

6.6 考察

小学一年生後期修了時漢字読み調査協力児童の日本語言語資源として利用されるトラン スナショナル空間は、日常的に日本語インタラクションが行われる家庭の言語空間が核と なり、一時帰国による現実の日本社会空間、視聴覚や読み物のメディア空間、家庭での日本 語学習空間の4つが全員に共通であり、家庭外の日本語コミュニティ空間や日本の学校へ の体験入学空間は個々の家庭によって重視の程度が異なることが明らかになった。しかし、

中学生以上の子どもを対象にした縦断調査では、上記の共通する4つの空間のうち、家庭で の日本語学習空間がほとんど利用されない空間という結果となった。小学一年生児童B1-13 の保護者が言語背景調査質問票に回答した、家庭では「日本語学習をしていない」という同 様の言葉が、中学生以上の子どもを持つ保護者のほとんどから聞かれた。非日本語環境で日 本語学習をせずに、年齢相応の内容を日本語で会話し、日本語のTVや読み物を理解できる ものであろうか。

家庭内言語使用に関する分析から、それぞれの家庭で言語に関する実践・信念・管理の調 整が行われ、家庭内言語政策が日本人母親の主導で行われていることが明らかとなった。母 親は家庭で子どもとの日本語の会話を重視する一方で、言語優勢順位でも明らかなように、

「日本語学習をしていない」のに、学校教育で学ぶ英語より日本語の方が強い子どもが多数 を占める。この矛盾は「日本語学習」とは何かという捉え方にあるようである。調査協力者 である日本人母親が捉えている「日本語学習」とは、日本の学校教育のカリキュラムに沿っ

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た学習であり、補習授業校や塾、或いは通信教育での学習のことである。通信教育で子ども に日本語学習をさせていた家庭も、子どもが小学校中学年から高学年になるまでには、この ような学習はほぼ終了してしまう。「日本語学習」をやめた理由の大半は、現地校の勉強や 活動で子どもが忙しくなったか、子どもがやらないというものである。

多くの先行研究で、子どもが小学校中高学年になると週末の日本語学校に通うのを嫌が るようになることが報告されている(渋谷, 2013;服部, 2015)。それはちょうど、中島(2010) によると、自律心が旺盛になり自我に目覚める言語形成期後半81に入る頃である。学校の勉 強や習い事、課外活動で忙しくなると同時に、子どもの生活空間や興味関心が広がっていく 時期である。このような子どもの変化に対し、仮想世界の言語資源が果たす役割は非常に大 きいと思われる。

本稿の調査協力者が居住する中国では、2000年代のインターネット普及、2010年代のス マホ普及によりネットの活用が飛躍的に拡大し、ユーザーに日常的な仮想空間を提供して いる。中国互連網絡信息中心(CINIC)(2016)の統計によると、6歳から 24 歳までの青 少年ネット人口は2億5700万人に上り、「青少年の日常生活においてネット文化娯楽の果 たす役割はますます重要になり、中でも架空世界観の小説、漫画、アニメ、ゲームを主とす る『二次元』ネット文化」(CINIC, 2016;33)が急速に浸透していると指摘している。この うち漫画とアニメは日本のものが絶対的地位を占めており、中国の青少年の間ではアニメ、

中でも特にコメディや熱血ものが好まれ、その理由として内容がとっつきやすいこと、勉強 のプレッシャーからの解放感を味わえるからであると分析している。

これまでの先行研究では、アニメや漫画が言語資源として取り上げられることは比較的 少なく、取り上げられても付随的な扱いであった。その理由として、日本文化、とりわけア ニメやゲーム、漫画への関心が高い中国をはじめとするアジアに比べ、先行研究が多い欧米 では比較的関心が低いからではないかと考えられる。鈴木(2008)は、ヨーロッパ地域とア ジア地域の日系国際結婚家庭の子どもの比較分析をした結果、アジア地域では過半数の子 どもの興味が日本に向いており、ヨーロッパ地域の1/3という数字に比べて多いことを明 らかにし、子どもの興味が日本に向いている場合の具体例としてゲーム、アニメ、マンガが あげられていると報告している。

しかしながら、継承日本語教育の先行研究では、このような日本のサブカルチャーへの関 心は比較的低いと見られる。わずかであるが、漫画や雑誌が良質のインプットになった事例

(佐々木, 2003:32)や、母親が子どもの日本語インプットを増やすためのモノの一つとし

てのマンガ利用(Kondo, 1998:392)への言及が見られる。事例⑫や事例㉞の母親が当初心 配したように、テレビや漫画、ゲームが勉強を妨げるものとして認識される傾向があるから であろうか。一方、日本語の言語資源が限られる海外の外国語としての日本語教育分野では、

81 中島(2010)は、1つの言語・文化が形成される過程にある言語形成期(2~15歳)の年少者を対象と するため、2言語の習得について分水嶺があるとされる9-10歳を境として、言語形成期を大きく前期と 後期の二つに分けて言語発達を考えることを提唱している(中島, 2010: 22)。

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有力な言語資源として日本のサブカルチャーが注目されている(Aumour, 2011; Ruble &

Lysne, 2010)。学習者が大きな関心を寄せるものであれば、その効果は非常に大きなものと

期待されることは、外国語でも継承語でも同様であろう。

一方で、仮想世界での言語経験は受動的であり、子どもの主体的参加は行われないという 指摘もあろう。しかしながら、幼児期に読み聞かせをする絵本や想像の世界や思索を広げる 読書が文字や絵とのインタラクションをもたらすものとして捉えられるように、他のメデ ィアも同様にインタラクションを引き出すものだと考える方が合理的である。インタビュ ー調査からも、仮想世界での子どもの主体的なインタラクションを示唆する発言が見られ る。事例③は、塗り絵の女の子のキャラクターの名前が知りたくて母親に尋ねたところ、教 えてもらった代わりに平仮名の「む」をまだ覚えていないことで怒られたエピソードを紹介 した。また、カタカナは「ゲームで覚えた」、「ポケモンキャラクターで覚えた」という事例 が少なくない。漢字に関しては、子どもが読む読み物や漫画にはルビがついているのが一般 的である。小矢野(2003)は、漫画のルビが年少の読者に対する漢字学習上大きな効果をも つことを指摘し、子どもがルビのことを「読み方を教えてくれる」と捉えていることを例に 挙げている(小矢野, 2003: 37-38)。

勿論、仮想世界はこのように豊富な言語資源を持ち、インタラクションは行われるものの、

現実の実体験を伴わない。実際の言語使用を言語の習得とするならば、仮想世界の資源を有 効に活かすためには現実世界との結びつきが必要不可欠であると思われる。

現実世界のトランスナショナル空間では、日本語母語話者である親がインタラクション の相手として、言語や文化の伝授者として、大きな役割を果たす。一方で、移民研究で従来 家庭とともに継承語の習得・維持に大きな役割を担うとされてきたエスニックコミュニテ ィについては、時代的変化が見られることが先行研究で指摘されている。Vertovec(2007)

は、近年10年の移民によるロンドンの多様化の下、エスニシティを基本とした旧来のコミ ュニティは移民のニーズを満たすことができなくなっていると指摘する。移民を取りまく 状況は各地で異なるだろうが、Douglas 他 (2013) もまた、大ロサンジェルス市に住む 20 歳前後の継承日本語話者を対象とした調査で、近年の人口動態とライフスタイルの変化に より、大ロサンジェルス市では従来コミュニティが継承語保持に果たした役割は大幅に低 下していることを指摘している。それに代わり一時帰国とインターネットを代表とするテ クノロジー媒介の活動を、継承語保持や学習動機付けを促すものとして、新たに注目してい る。北京でも、日本人コミュニティの核となってきた日本人会組織の求心力の低下が報告さ

れ(柳瀬, 2016)、現地日本人コミュニティが従来担ってきた役割は、頻繁な日本との往来

やSNSに代表される通信、日本に関する情報を提供するインターネットに代替されるよう になっている可能性が考えられる。

従来、先行研究では、コミュニティが日常的な日本語のインタラクション実践の場とされ てきたのに対し、本稿の中学生以上の調査協力者の事例では、家庭での会話と仮想世界が日 常の日本語インタラクションの中心となっている。先行研究で重視されるコミュニティの

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