第 4 章 結果と考察―日本語専攻学習者―
4.6 日本語専攻学習者についての考察
4.6.2 自己効力感・学習性無気力感の視点からの考察
「学習性無力感」とは、米国の心理学者マーティン・セリグマンが1967年に提唱した概
176
念で、抵抗することも回避することも困難なストレスに長期間さらされ続けると、そうし た不快な状況下から逃れようとする自発的な行動すら起こらなくなる現象を言う。無力感 というのは「何をしたってどうせダメなのだ」という感覚である。
「学習性無力感」と逆の概念である自己効力感はその獲得方法の中の一つである遂行行 動の達成を指す。「遂行行動の達成」とは、成功体験をすることであり、達成感を持つこ とである。つまり、私達は、ある行動をして上手くいくと成功感、達成感を感じ、その後 に同じ行動をやろうとすれば、遂行可能感は上昇し、「またできるだろう」という気持ち が強くなる。逆に、失敗感を感じた行動に対しては、遂行可能感は減少する。上記の一ク ラスの学習者の学習動機、学習行動と学習効果を観察すると、自己効力感が学習者の日本 語学習のプロセスの中で大きな役割を果たしていることが分かる。学習効果が良かった学 習者はそのような学習の仕方で日本語を学習していくと、このような学習効果をまた獲得 できるのではないかという予想ができる。これは学習者にプラスの心理的暗示になり、学 習行動にプラスの影響を与えている。その反面、学習者の中では、自分の過去の失敗した 学習経験から、「どうせ得意ではないから、頑張っても同じ結果になる」というマイナス 思考を持っていった者もいる。以下では、自己効力感が学習者の日本語学習過程において、
どのように学習者に働きかけていたかを見てみよう。
大学入学前、学習者が日本語専攻を志望した動機は自己効力感に関係していると思われ る。文系学生が、全く知らないと言っても良いほどの日本語を志望したのは、文系学生が 文系関連の専攻を良くできるという見込みがあったことが理由の一つであると考えられる。
すなわち、文系の学生の志望動機には、高校時代の英語などの性質が似ている日本語も上 手くできるだろうというビジョンがあったということも含まれていたと思われる。それに 対し、日本語専攻に配属された理系の学生は、理系であった自分は文系関連の専攻では不 利であると感じ、より自分の長所が発揮できる専攻に行きたくなった。過去の経験から学 習者はどのようなスタイルの学習が自分に向くかについての判断がついている。さらに、
高校時代の英語の成績が良くなかったため、恐らく日本語も良くできないのではないかと いう自信がない学習者もいた。過去の英語学習における失敗経験は、今後の日本語学習で も同じ結果になるだろうという予想につながったからである。
これらの日本語学習前の結果予期が、学習者の学習過程においてどのような影響を及ぼ していたか、分析していきたい。高校時代文系だった学習者は日本語学習でもよくできる という明るい予期、高校時代理系だった学習者は日本語学習はあまりできないだろうとい う予期があったが、日本語学習開始後の短い間では、高校時代の文系理系を問わず、学習 行動においてさほど違いが見られなかった。これは、日本語学習への予期の影響より、新 しい大学生活でクラス全員が同じスタートから開始する日本語学習に抱負を立てることが できていた心境がより学習者の学習行動に影響していたからであると思われる。つまり、
日本語学習開始前の学習者の将来に関する予期は、学習者の活動に影響が少ないと判断で
177
きるだろう。しかし、日本語学習開始後、学期ごとに行われる期末試験では、その都度点 数が学習者に多大な影響を与えていたことが分かる。中国の場合、期末試験が行われた後、
夏期休暇または冬期休暇に入り、期末試験の結果はその間に発表されるため、学期の初め に期末試験でよくできなかったと思っている学習者が、新しい学期では頑張ってよく学習 しようと決意した者が多かった。このような現象はクラスで日本語の成績が下位のほうに ある学習者によく見られたものである。その決意のもとで、学習者がどのぐらいの期間行 動に出ることができるかについては、A08、A10のように一時頑張って、効果が見られず、
長続きできない学習者もいれば、A07のように、効果が出るまで頑張っていた学習者もい る。前者の場合、芳しい成績が原因で、頑張ることができたが、効果がなかったことで、
また学習者にマイナスの影響を与えていた。頑張ったにもかかわらず、改善されない成績 は、以前にも増して、(その前の良くなかった成績が学習者に及ぼした影響よりさらに大 きい)マイナスの影響を与えていたと考えられる。これは「頑張っても頑張らなくてもど うせ結果が同じだから」という学習性無気力感に陥る恐れがあるからである。学習動機下 降型の学習者はこれに当てはまると思われる。次第に学習成績に関心を持たなくなり、無 事に卒業できることが唯一の目標になってしまったのである。後者のA07のようなケース では、成績のみが刺激ではなく、三年生時に日本語力がまだまだで、自分が日本語専攻と して恥ずかしいという自覚があったため、改善行動に出たのである。この自覚もA07の刺 激となったのである。
逆に、良い成績を獲得したことで、「このまま頑張っていけば、必ず同じ成果を獲得で きる」という続けて頑張るための動機となったケースも見られた。A03はその典型的な例 であり、一年生の上半期では日本語にそれほどの興味を持っていなかったのが、努力して 獲得した良い成績により頑張れる動機を獲得していた。日本語に興味をあまり感じていな かったが、試験の成績が日本語学習で継続して努力することができる重要な要因の一つに なっていたのであろう。A03のような日本語成績上位の学習者はこのような体験を経験し やすくなる。また、日本語能力試験の受験勉強をする際、任意の方法で単語や文法を学習 し、それで良い成績を獲得することができ、今後もその方法で日本語を学習すれば良い成 績が得られるという自信がつくケースもある。アニメ鑑賞を主とした学習者A09はまさに その例である。A09は日本語能力試験の受験勉強をした際、他の学習者がやっていた単語・
文法の暗記ではなく、過去問を解くことがA09に最も効率的な方法であることが、日本語 能力試験N2の結果から分かった。そして、N1の受験勉強をした際も、以前N2を受験し た時と同じような勉強法を採用したのである。成績がクラスのトップの学習者でなくとも、
そのような体験ができないわけでもない。例を挙げると、A11 もN1 の読解では満点を獲 得したことから自信を持ち、「日本の文学作品を読むことにより、日本語力の向上につな がる。」と確信していた。また、一年生の上半期では、少し日本語の挨拶文の学習をした あと、学習者は日本のアニメなどを鑑賞していた。そして、クラスのほとんどの学習者が
178
アニメの中から授業で学習した内容を聞き取ることができた時、「大喜び」した経験があ った。このような体験をした学習者が「もっと知りたい」という気持ちになれば、これも 一種の成功体験であると考えられる。このような成功体験の少ない学習者は日本語の学習 過程中に日本語学習の喜びを感じにくく、学習者は日本語学習に満足感を獲得することが 難しくなる。つまり、本研究の結果から、日本語学習における成功経験は自己効力感の獲 得の源であり、必ずしも日本語の成績の良い学習者だけが自己効力感を獲得しているとは 限らないことが明らかになった。「遂行行動の達成」は自己効力感の情報源としては最も 強力なものであるとされており(Bandura 1977)、本研究でも、成功経験は学習者の自己 効力感、さらに日本語学習の成否に大いに関係していることが分かった。
次に、自己効力感のもうひとつの情報源である代理的体験も本研究で観察された。代理 的体験というのは自分が行おうとしている行動を他者が上手く行っている場面を見たり、
聞いたりすることによって自己効力感が上昇するということである。すなわち、「あの人 に出来るなら、私にも出来るだろう」ということである。クラスで最も日本語ができる学 習者は誰かという質問に対し、ほとんどの学習者がA03、A09の二人を挙げている。その 理由も一致しており、A03が努力して大量の時間をかけて学習し、A09は日本のアニメに 大変興味があり、鑑賞に大量の時間をかけていたからである。学習者はその認識ができて いても、「私もそうすれば、ああいうふうになれる」というように思う者は多くなかった が、A03を代表とした努力型(日本語学習に大量の時間をかけるパターン)の学習者につ いては、A08やA09が筆者に「私も同じような時間をかければ同じようになれる」という 自信満々に言っていたが、自己効力感の理論に当てはめると、A08とA09は自己効力感の 向上につながる考え方を持っていたのであろう。実際は、A08やA09のその言葉に隠され た意味は「私は上手になれないのではない。なりたくないだけである」ということである。
缶詰状態のような長時間の日本語の学習の仕方を好まないことを口にしていたのは理系出 身の学生内2名だけであったが、実際には他の理系の学生も同様に長時間の学習を好んで いなかった。したがって、A03のように、日本語学習に時間をかけることができれば、日 本語も上手になれると確信できても、行動に移さない限り、自己効力感の上昇につながら ないということである。ましてや、日本語に時間をかけて学習することが、高校時代理系 であったA08とA09の目に不格好に映る場合は尚更である。
この他に、自己効力感の情報源には言語的説得と情動的喚起がある。言語的説得は自分 が行おうとしている課題に対する努力や結果が、他者、特に専門性に優れ、信頼できる人 によって評価された場合、自己効力感が強化されることである。クラスのほとんどの学習 者が授業中に、担当の先生に音読や発表内容を褒められ、それで良い気分になり、今後よ り上を目指したくなったりした経験がある。筆者もこのような経験がある。一度褒められ た筆者は次にも先生に褒めてもらえるように、授業外で宿題の音読の内容を滑らかに練習 したことを覚えている(指名されるかどうかも分からなかったが)。これは確実に自己効