第5章 日本人英語教師の英語観と形成要因
5.8 RQ3 における考察
5.8.2 RQ3. B: 英語道具論
次に、RQ3: Bの英語はコミュニケーションのための「道具」であるかという点に ついては、5.7.2で示したとおり、協力者288人中284名(98.6%)が「どちらかとい うとあてはまる」、「よくあてはまる」と回答しており、ほとんどの教師がそうであ ると認識していることがわかった。
「目的」ではなく、日々の「道具」「手段」として使いこなすべきものであ る。(40代女性・教師歴20年)
「英語ができること」そのものが目標ではなく、「英語で何ができるのか」
が大切になっていると思う。英語を1つの道具として使い、その先にある、
国際社会の一員として果たせる役割を意識において、英語学習に取り組むこ とが大事だと思う。(30代女性・教師歴9年)
これらの回答における英語道具論は、英語を学ぶことだけに留めず、学んだもの を実践に活かすべきだという認識に基づいている。つまり、学んだ英語の言語体系 を知識として持っているだけではなく、それを活用したコミュニケーション実践を 行うことが必要であるとする見解からの「道具としての英語」なのである。3章で述 べたように、日本の英語教育は学校英語、特に受験英語などが知識を詰め込むこと に重点が置かれ、「役に立たない」と強く批判されてきた経緯から、コミュニケーシ ョン力育成のための英語教育にシフトチェンジを図ってきた。この知識重視の英語 教育を否定し、その対極として「使える英語」という概念が力を持ち、コミュニケ ーションのための道具として英語を使いこなすべきだというイデオロギーの形成に 繋がっている。これまで使用せずにいた道具を、積極的に使う方向へ向かうべきだ という意味をもっているのである。
4 章のライフストーリー調査における A先生のストーリーの分析では、A 先生に よって認識される道具としての英語は、これとは異なる性質を持っていた。母語話 者英語が人の思考や文化と深く結びついた「人間のことば」であるのに対して、非 母語話者英語を中心とした国際語としての英語は、その意味で人から少し切り離さ れた「単なる道具」と捉えられていた。「道具としての英語」といっても、その認識 は相対的に対極にあるものが何を指標しているのかによってその意味合いが異なる のである。
「国際語としての英語」が、「人間のことば」なのか「単なる道具」なのかという 点については、日本人としてのアイデンティティをもって英語を話すことで、真の 国際語としてのことばになりうるという見解を示す回答が複数あった。
現代は非英語圏の人々が自国の文化を背負って英語を手段として自分の意 見を発信する時代である。発音はネーティブに近くても内容の薄い会話より、
日本人としてのアイデンティティをもち、自分の考えをしっかりと発信でき
る、かつ相手のもつ文化背景や考えを尊重し、お互いが平等な立場で意見交 換し、最終的には世界平和の達成に貢献できうる共通言語であろうと切に願 います。(50代男性・教師歴33年)
国をまたいでコミュニケーションをとることができる道具としてはすごく 便利なものであると思う。しかし、日本人は、自分の国の言葉も正しく使え ていない、英語が使えても、自分の意思を伝えられないなどの困難がある。
まずは、色々なことに対し自分の意見をしっかりと持ち、正しい日本語を身 につけることが、英語をより活かすことにつながると思う。(20代女性・教 師歴1年)
これらは、母語話者英語を学習モデルとして学びながらも、日本人として確固た る考えを持ち、英語を話すことで、借りてきた言語を道具として使うといった視点 ではなく、日本人としての自己を表現することばになるといった見方である。その ためには、英語力を伸ばすことだけを重視するのではなく、まず、自身の意見をも ち、母語である日本語でも表現できることの重要性について言及している。
このように道具といっても、それが知識に対する実践を表す道具であるのか、人 間と結びついたことばに対する単なる道具であるのかという解釈の相違がある。し かし、共通して認識されうるのは、その道具を上手に使えないことによる被害であ る。
歴史的にそのような地位を勝ち得てしまった。道具としてうまく利用できな いと、不利をこうむることがありうる。これから日本が国際社会で安定した 地位を築いていくために、コミュニケーションの道具として多くの日本人が 身につけていくべき言語である。(40代男性・教師歴20年)
道具である以上、それをうまく使いこなせるか否かが成功の可否を決定づけ、格差 を生起させる要因ともなる。道具としての英語という概念は、「英語を使えなければ ならない」という絶対命題をも呼び込む性質をもったものであることにも注意を払 わなければならないだろう。以下のような記述も見られた。
それ(国際語としての英語)も大切な面だと思うが、何か(英語に限らず)
を使えるようになることだけが学校の役割ではないと考える。現在の英語教 育に関する議論を見ていると、「使えるようになること」だけが目的になっ ているようで、とても残念に思う。(40代女性・教師歴20年)
道具を使えることばかりに重点が置かれることによって、学校教育でなされるべき ことが見落とされてしまう可能性について言及している。学校教育というコンテク ストにおける英語教育とはどうあるべきかについての議論は、本節の中で後述して いく。