第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相
4.5 分析
4.5.2 A 先生のストーリー
A 先生は、自分の幼少期の英語との関わりについて特出したことはないと認識し ている。当時、在住していた近所に米軍基地があり、アメリカ人軍人の家族と親交 があったが、片言で挨拶をするといった程度だったという。父親は英語での会話が できるほどではあったが、特に日常的に英語を話す環境ではなく、また、中学入学 以前に英語学習をした経験はなかった。
中学は私立の進学校に進学し、そこで初めて英語の学習をすることになった。し かし、周囲の友人の多くはすでにそれ以前から英語学習経験があったため、最初は ついていくのがやっとだったという。教育熱心な家庭の子どもたちが多かったから なのではないかとA 先生は振り返り、とにかく周りに後れを取らないよう必死であ った英語学習のスタート時の焦燥感を語った。英語の成績も中学1年は普通であっ たとしている。その後、中学2年次の担任であった英語教師との出会いをきっかけ に変化していく様子が見られる。((A)はA先生、(*)は調査者)
(A)中学2年も成績が普通だったんですけど、なんかもっとできるようになりた いって思ってて、で、その担任の先生が英語の先生で、優しい女の先生だっ たので、その先生に甘えて、「先生、私、教科書訳してくるから見てください」
って言ったら、「いいですよ」ってニコニコして言ってくださって、そうした らその忙しい中、私が書いた子どもの字を直して、ところどころ、こんなふ うにしたらいいってことをコメント入れて返してくださったりっていうのが あって、
(*)えー、すごいですね。
(A)そう、それでなんか、えーって好きになって、それまではほんとに平均点程の レベルだったんですけど、で、なんかちょっとずつ成績が上がってきたらお もしろくなってきたかなーって、
(*)へー。
(A)で、中3のときかな、英語の先生が、あのー、夏休みに私に英語で手紙を書き なさいっていう宿題を出されて、
(*)えっ、それ先生だけにですか?
(A)いや、全員に。(笑)
(*)あー。
(A)それがなんか夏休みの宿題で、なんかめんどくさいなって思ったけど、茨城に おじさんがいるのでその家に遊びに行ったことを書いたんですよ。なんか、
なまずを捕って、みんなで、おじさんが料理したとか、まあそんな一日の他 愛もないことを、英語で書いて、で、先生に出したら先生が褒めてくださっ て、「Aさん、とてもいい手紙書いたじゃない」ってみんなの前で褒めて、そ んなになんか、それまではその他大勢の生徒だったのが、先生がそうやって 取り上げて褒めていただいて、すごい嬉しくて、先生が「手紙を上手に書い た人が、学校のスピーチコンテストに出てもらいます」って言って、
(*)えー(笑)すごい。
(A)びっくりしたの、すごい緊張して、まあ上手にできたかわかんないけど、それ で3分か5分かしゃべったりして、で、あとその先生が「英語の劇もあるか ら、それも出なさい」とか言って、なんかちょっと迷惑っていうか不安なか んじもあったけど、で、なんか英語を使って何かをするっていう気持ちに先 生がさせてくださって、「あー、自分も英語好きかも」ってほんとに思って、
で、それから成績もちょっとずつ上がって、
(*)じゃあ、いい先生っていうか、自分に合う先生との出会いが
(A)そうですね、それがなかったらやっぱり平々凡々と平均点くらいで過ごして たかも。
(*)へー、その先生、どういうところが良かったんですかね?
(A)えー、普段はね、厳しい、ちょっと男っぽい先生だなって思ってたけど、ああ そうやって宿題出して、機械的に集めるんじゃなくて、実際に読んでね、コ メントも入ってたし、それでちゃんと声かけてくださって、こう自分たちを 伸ばそうとしてるんだなって感じたら、すごいその先生に対する感謝とか、
「もっとがんばってみようかな」とか、子どもながらにね、そんなふうに思 って。
A先生は英語の成績が特別良いわけでもない自分は、「その他大勢」のうちの一人 であると感じていた。それが、担任の英語教師に級友の前で褒められることによっ
て自己効力感を得て、さらに、次のチャレンジに導いてもらったという経験が結果 として彼女の英語学習の動機づけを強めていくことにつながり、「英語」が自分にと って新しい意味をなすようになったのである。中学生という青年期には、自分が何 者であるかというアイデンティティは特に不確定なものであり、他者との関係性の 中で自己を同定していくといわれる。エリクソン(1973,p. 147)は「青年期に自分 にとって意味をもちはじめた人々に是認されることは、同一性形成に非常に重要な 意義をもつ」と述べている。この時期におけるそのような経験は、A 先生にとって
「他者とは違う自分」をまさに認識した瞬間であったといえよう。桜井(2005, p. 168)
は、調査協力者によって語られる「その後の人生を決めたまさに決定的な経験」こ そが新しい自己像の獲得や、アイデンティティ形成にかかわる過程であり、この新 しい意味体系を獲得した転機の重要性を述べている。さらにこののち、A 先生は英 語が得意である自分、英語学習に充実感を覚える自分を意識の中で確立していくこ とになる。高校に進学し、さらなる出会いがA先生に影響を与えることになる。
(A) 高校は自分でもなんか受験のために英語できるようになりたいとか思って て、で、そしたら友達、今度は友達から影響受けるんだけど、その子がす ごい英語が発音がきれいでできる子で、「どうやって勉強してるの」ってき いたら、「学校の教科書だけじゃつまんないから、『100 万人の英語』って いうラジオを聴いてるって言って、その当時は今みたいにいろいろ教材な いから、ラジオとかがすごいやっぱり中心じゃないですか。
(*)そうですよね。
(A) 聴いてみたら『ハイディ矢野の発音工場』とか、なんかいろんな面白いの があって。
(*)あー、なんか知ってる。
(A)その後、英語の歌とか、いろんなこれまで学校ではやらないような素材を 使ってこう英語を教えてくれるんで、すごい自分の知らない世界があったん で、で、なんかその子にはちょっと及ばなかったんですけど、自分でも発音 に気をつけるようになったりして、
(*)へー。
(A)その子はほんとに発音が上手だったんで、なんかその『百万人の英語』にゲ
スト出演したりして、
(*)えー、高校生のとき?
(A)うん、で、そういうことしたり、出たりとか、それくらい上手で、その子に 刺激されたりっていうのがあったりして、
(*)うんうん、すごいですよね。
(A)いやいやいや。
(*)なんかちょっとポイントポイントで出会いみたいなのが、
(A)そうですね、やっぱり全然意識したことなかったけど、今、振り返ってみれ ばやっぱりそういうのがあったんですよね。
日本の中学・高校では、ほぼ毎日クラスメートである友人たちと同じ授業を受け、
同じ時間を共有する。特殊な場合を除き、中高生の学校でのすべては周囲の友人た ちと過ごす時間から形成されているといえる。そのような中で、興味や自信を持ち 始めた英語に関して、友人からの刺激や身近な目標が与えられることは10代の若者 にとって貴重な経験となる。A先生の場合は、英語を書いたり、英語劇を行ったり、
教科として成績を残したりと、中学校までの英語学習を順調に積み重ねてきた上で、
高校で話す英語への刺激があったことは大きかったと考えられる。ただ、「刺激をも らった級友の英語」というものが「自分の考えや感情を表現するコミュニケーショ ンのための英語」であったかは定かではなく、「英語のネイティブ・スピーカーの発 音に近いという表面的な音声面のみでの英語」であった可能性も考慮しなければな らないだろう。
さらに、下線部の語りでは、以前は意識をしたことがなかったが、このインタビ ューを通じて過去を振り返り、恩師や級友との出会い、つまり他者との関わりの中 で現在の自己が存在しているという再認識がなされたことがわかる。これはライフ ストーリー法における自己の再確認の過程の特長であるといえるだろう。
同級生に英語学習の刺激を受けたA先生は、この後ますます英語学習に夢中にな っていく。高校生として最初は大学受験にむけて教科としての英語の成績を伸長さ せたいと思っていたが、教科書の文章や文法にそれほどの興味を感じられずに過ご していたという。そこへ、たまたまダイレクト・メールで自宅に送られてきた英語 の副読本を読んでその内容に魅せられ、次々に様々なジャンルの物語を読破してい