第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相
4.6 まとめ
これまで 3 人のライフストーリーを通じて、それぞれの経験から形成された英語 観について考察してきた。いずれの英語観も、個人が積み重ねてきた多様な経験と、
それらを本人たちがいかに捉えているのかという意識に基づいた一貫した語りの中 で説得力をもつものであった。
A 先生は、イギリス英語およびアメリカ英語を「正統派」の英語と捉えてそれら を「最高レベル」のものとし、非母語話者同士の英語でのやりとりは二次的、三次 的なものであるとする英語観を抱いていることが明らかになった。これは、非母語 話者教師が教えるための規範を母語話者英語に頼らざるをえないという言語教育の 特質に依拠したものであり、日本の英語教育において標準とされる(A 先生がそう 認識している)英米語に対する標準語イデオロギーおよび規範主義の意識によるも のであると考えることができる。しかし、それだけではなく、A 先生には学生時代 に学んだ母語話者英語に対する強い思い入れがあった。学習を通じて、英語独特の 様々な語彙や表現に触れ、それが母語話者たちの歴史・文化、さらには考え方をも 包含した言葉であることに強い関心を抱いたのである。歴史的な変遷を経てそのよ うな語彙や表現の使用があるという知識を学び、言葉は「生き物」であることを実 感したという。A 先生にとって、そのような「ことば」の知識を習得することが英 語学習の醍醐味であった。それと対置して非母語話者が話す英語は、「ツール」と して使うものであり、グロービッシュに代表されるような歴史・文化などを一切背 負うことのない道具であると捉えていることがわかった。
「英語は便利なツールである」という言説は、昭和後期の学校英語教育において、
「役に立たない英語」から「コミュニケーションのための英語」へ変換していく際 のプロパガンダのひとつとして機能し(斉藤,2007,p. 197)、英語を知識として習 得するだけに留めず、それをコミュニケーションのための便利な道具として積極的 に使っていこうという趣旨のもとに拡散していった概念であるはずである。また、
母語話者英語を規範とする文法や発音に過度に囚われることなく、非母語話者とし
て英語を道具のように使用していこうという文脈で語られる性質ももっている。し かしながら、A 先生の中では、そのような英語の利便性の前景化によって、非母語 話者が使用する道具としての英語は、人間と結びついたことばとは異質なものであ るとする図式が構築されたことが考えられる。さらに、グローバル化が進んだ現代 社会において、国際語としての役割を果たす英語を「使いこなそう」といった考え 方が英語道具論の認識を加速させ、国際語としての英語がいかなる歴史や文化、価 値観も反映することのないただのコミュニケーション・ツールとして捉えられてい るのである。
実際の人と人とのやりとりにおいて、言語がこのように人間と切り離された完全 な道具となりうるのだろうか。この点について本名(2013, p. 8)は、英語の再文化 化(reculturalization)について言及している。再文化化とは、英語が国際語として、
英米語などの母語話者英語をモデルとして学習されていても、その英語は様々な地 域の文化の中に取り込まれ、多かれ少なかれそれぞれの文化的特徴を反映すること になる現象を指す。つまり、非母語話者が学んだ英語をコミュニケーション・ツー ルとして使うとき、少なくとも母語や母文化の影響を受けた英語を話しているので ある。そうであるならば、程度の違いはあったとしても、母語話者の英語のみなら ず、非母語話者の話す英語にも人間と結びついたことばとしての地位が与えられて もよいのではないだろうか。World EnglishesやELFといった国際語としての英語の 概念が、脱英米語、脱母語話者英語を軸としていることは既に述べたとおりだが、
それは英米語規範への絶対的追従を否定しているのであって、様々な話者の文化が まったく反映されない単純な記号としての英語を意味しているのではない。「便利 な道具としての英語」という概念は、「国際語としての英語」をこのような位置付 けにする機能を果たしていた。
また、A 先生は自身が非母語話者としてかなりの知識や英語運用能力をもってい るであろうにもかかわらず、「最高レベル」である英米語を話す教養のある母語話 者とは、心的距離が遠いことも明らかになった。そのために、教養のある母語話者 が話す英米語の習得を目指していまだ学習を続け、自らが教える生徒たちにも同様 に習得目標をそこに置いてほしいと望んでいる。B 先生も、自身の英語の学習環境 は違うのだが、生徒たちに対する同様の目標設定を持っている。母語話者英語を「一 番上のレベル」とした上で、非母語話者英語をそれより下に存在する、習得の「楽
なほう」と捉え、生徒たちには楽なほうに甘んずることなく上を目指してほしいと する英語教育観があることがわかった。これには、苦手な英文法を努力によって克 服した自身の経験や、子育てを経てから教師になり、英語教育も人間教育の一環で あるとするB 先生の教育観が背景にある。母語話者英語を上位に置き、その下に非 母語話者英語があるというA 先生、B先生共通の概念は、それぞれ異なった経歴や 環境、経験と認識を通じて形成されていた。
C 先生は、A 先生と同様に、中学・高校時代にいわゆるコミュニケーション力の 育成を目的とした授業を受けた経験がなく、その語りの中でも、C 先生自身が重要 であると捉えるような英語のやりとりをした経験についてのストーリーは見られな かった。C 先生の英語への興味は、言語学的な形態論といった語が構成される仕組 みや、認知言語学的観点からの文法構造などであった。大学に入ると、母語話者や それと同等の英語力をもった学生たちと一緒にディスカッションなどが頻繁に行わ れる環境になり、英語でやりとりをすることに関して劣等感を感じたという。教育 実習では全て英語で授業を実施して自信がついたものの、実際に教員になってから は、中学・高校時代に自身が受けてきた文法訳読式の授業を行い、本人はそれを快 く思ってはいなかった。そのような一連のストーリーを語った上で、C 先生は自身 の非母語話者英語を肯定的に捉え、「正しい」と考える英語から解放されることの 重要性について言及した。
以上、3人のライフストーリーから、国際語としての英語について、3つの異なる 英語観を観察することができた。まず1点目は、「人間から切り離されたツールとし ての英語」である。母語話者英語が話者の歴史・文化、考え方を反映したものであ ることばであるのに対して、非母語話者を中心とした国際語としての英語はそれら を含まない単純化した記号のようなものであるとする英語観である。2点目は、教育 的見解から捉えた「目標に達する途中の不完全な英語」である。母語話者英語を目 標に学習し、それを最終到達目標と考えるとき、非母語話者英語はその途中の過程 にある安易なものとする考え方である。3点目は、非母語話者として英語を話そうと する際に、母語話者規範からの解放を促し、「心理的な手助けとなる英語」である。
これらの英語観はそれぞれの経験や興味・関心、教育観や言語観と結びついていた。
前述のとおり、ライフストーリー調査は仮説を検証する研究ではなく、探索的調 査法として、新たな問題提起や、異なる角度から事象を捉えて指摘できる可能性を
もった研究方法である。本研究では、日本人英語教師がそれぞれ抱く英語観につい ての複雑化した諸相を捉えることを目的とし、協力者である 3 名の教師たちの多様 でありながら、ある点では共通した英語観を観察することができた。さらに次章で は、この調査で明らかになった協力者たちの国際語としての英語に対する意識、ま た母語話者英語、英米語に対する意識、自身の興味・関心や学習経験、コミュニケ ーションに対する心理的要因がそれぞれいかに関連しているかについて、実証的な 調査を試みたい。