• 検索結果がありません。

日本の英語教育における国際語としての英語をめぐって:取り組むべき課題 . 62

ドキュメント内 2016 年度 博 士 学 位 申 請 論 文 (ページ 76-80)

第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相

3.4 日本の英語教育における国際語としての英語をめぐって:取り組むべき課題 . 62

本章では、まず日本の英語教育における学習モデルについて考察した。学習指導 要領に、英語の「国際語」としての役割やその「多様性」に関する記述が見られる ものの、指導するべき「現代の標準的な発音」と記載される英語については 9 割以 上の日本人英語教師が「アメリカ標準英語」のことであると認識していることがわ かった。日本の英語教育において、学習モデルを母語話者英語の規範に拠ることは、

その他の非母語話者モデル(日本語の影響を強く受けた英語を含めて)が不適合で あることを考えても妥当であるといえるが、国際語としての英語の話者となるため には、その母語話者モデルへの規範主義的態度を強化せず、その完全な習得を最終 目標としないことが重要であると考えられる。

しかし、様々な英語変種に対する日本人の言語態度の調査結果では、アメリカ英 語やイギリス英語に対して好意的である一方、インド英語はそれより評価が低く、

日本語的アクセントの英語については最も低いということが報告された。これは、

英米標準英語のみが「正しい英語」であると認識され、その他の英語はそれから逸 脱したものであるという規範主義的態度の表出であるといえる。このような態度は、

アメリカ標準英語をモデルとして学習した結果として、日本語の影響をある程度う けた英語を獲得することになる現実を鑑みても、日本人の英語学習に良い影響を与

えるものとはいえないと考えられる。自らが話す英語を否定する態度は、学習に対 する肯定感を生み出さず、そのような学習への不全感を根拠とする劣等感から解放 されるのは難しいという見方もあるからである。

次に、このような日本人の英米標準英語に対する規範主義的態度はどのように形 成されてきたのかについて考察を行った。拡大円圏である日本では、学校で英語学 習をしても役に立たないといった声が、明治時代後期からあがっていた。「役に立つ 英語」を切望される英語教育界では、音声指導やパターン・プラクティスの導入な どをもってしてもその効果が見られずにいたが、財界からの強い後押しを受けて「コ ミュニケーション能力の育成」が前面に押し出され、様々な改革がなされていった。

しかし、この「コミュニケーション能力」が、それまでの役に立たないとされる英 語と対置される概念として使われ、ただ、それまでの文法・訳読を重視した指導を 否定し、いわゆる「英会話」と呼ばれる口頭でのやりとりのみを指標する用語とな っていることを懸念する見方もある。HymesやCanale & Swainの述べるところの「コ ミュニケーション能力」本来の意味に立ち返れば、言語体系(知識)と言語運用(実 践)の両方をもってしてその意味をなすことは明白である。

さらに英語教育のコミュニケーション志向への転換によって、母語話者を言語補 助教師として招聘する JET プログラムという政策も実施されることとなる。これに よって「本物の英語」のモデルを提示することができ、文化交流も図れるといった ものなのだが、これは「隠れたカリキュラム」として、本物の英語はこの言語補助 教師の話す英語(だけ)だということを暗黙裡に学習者に教え、規範主義的態度の 強化に繋がる可能性をもっていることに言及した。

続いて、実際に教室で教える英語教師たちは、どのような英語観を抱いているの かという点について考察した。日本を含めた拡大円圏における教師の言語態度は、

一般調査と同様、強い英米語志向であることが報告され、母語話者教師よりも非母 語話者教師のほうが自分たちの話す非母語話者英語に対して低く評価していること が明らかになった。母語話者モデルへの過度の傾倒で問題となるのは、教師自身の 非母語話者として「不安」を強めるという危険性である。自身の言語運用能力は母 語話者と比較すると劣るものであり、自信がもてないといった心理状況だが、非母 語話者の一英語学習者であり、英語話者として、自身が学習者の良いモデルとなる はずであるという非母語話者教師ならではの利点を活かす態度、またそのようなこ

とに対する気づき、認識の重要性について言及した。

最後に、英語の真正性に対する独自のイメージをもち、それを規範とする態度を 有する日本人の英語観の問題において、取り組むべき課題について検討したい。

母語話者モデルの採用が現状として不可避なものであるとすれば、学習指導要領 ではただ「英米語」をモデルとするという文言を消去したうえで「国際語としての 英語」という形だけの記述を行うのではなく、より具体的に、そのモデルへの絶対 的追従の回避とそれによる利点を明記することの必要性が挙げられる。それには、

国際語としての英語がただ世界で使用されているという認識だけでなく、その話者 となる者は、共通性を確保しながらも、多様性への寛容さも併せ持っていなければ ならない性質のものであるという認識が広がることも必要であろう。日本人はアメ リカ標準英語をモデルに学習することによって、「完全なアメリカ英語を話す日本人」

よりも、非母語話者として「国際語としての英語を話す日本人」を目指すことがよ り現実的であり、そのような意識が英語教育そのものにも良い効果をもたらすこと も考えられる。

また、国際語としての英語における言語実践を図るためには、教育制度のみなら ず、現場の英語教師の意識も伴う必要がある。教師として、指導法や学習者要因だ けでなく、英語の社会言語学的側面へも意識を向けるなかで、自身が持っている可 能性のある標準語イデオロギーや、規範主義といった英語観について客観的に把握 し、教育実践に還元することが望まれる。平賀(1986, p. 333)は、「指導技術よりも 英語教育そのものをどう考えるか、もっと根本的には英語(そして言語)をどうと らえるかについて確固たる思想を持つことが教師としてまず必要なのではあるまい か」と述べ、日本の英語教師に求められる点について指摘している。現代の英語と いう言語がもつ性質を認識し、それを母語話者が所有している単なる便利な道具と して活用するのではなく、自分たちの話す「ことば」として捉えた上で、自身の英 語観を再認識する必要性が問われている。これまで当然のものと捉えられてきた概 念を覆すのは容易なことではない。大きな衝撃、それに対する反発などを経て、よ うやく受容に至ることもある。そして、受け入れたとしても、それを実践するには さらなる力を要する。この理由として、英語教師の規範主義的態度は、言語教育が 持つ性質に依拠するだけでなく、もっと個人レベルの、英語という言語に対する動 機づけとも深く関係していることが考えられるからである。英語教師という職業を

選択し、毎日の実践を続けていく動機づけは、「英語」と「教育」に対する個々の信 条が根底にあることは間違いない。それが母語話者英語に対する個人の経験からく る思い入れである場合、そのような個々の経験と信条との関係性を明らかにしてい くことが、日本人英語教師の英語観をさらに詳細に検証する手立てとなり、日本の 英語教育における強固ともいえる規範主義的態度からの脱却を図るためのひとつの きっかけとなることが考えられる。

第4章 日本人英語教師の英語観に関するライフストー リー研究

本章では、日本人英語教師が抱く英語観について、2章で議論した「国際語として の英語」、3 章で論じた学習モデルとする英語、および非母語話者教師として自身が 話す英語に対する認識を中心に、その実態を明らかにすることを目的とする。また、

それらの英語観がいかに形成されてきたのかについて、個々の教師たちの経験や教 育的信条などから、その経緯を紐解くことを試みる。

これまで「日本人の英語観」についての言説は集団に依拠し、背景にある歴史的 事象や社会現象を踏まえて一般化されて捉えられてきた。しかし、そのような一般 化がなされる際には、個人が経験してきた多様な現実が見落とされ、複雑化した言 語態度の諸相を捉えることが困難になる。そこで本稿では、個々人における現実認 識の個別性、多様性を例証し、個人が言語を介して現実を解釈する際に依拠する規 則を明らかにする研究法であるライフストーリー法(石黒,2012,p. 181)を用いて 教師個人の語りから多様な英語観を拾い上げることを試みる。

まず、ライフストーリー法の特性について述べ、次に、本研究におけるライフス トーリー法の採用の意義を議論する。

ドキュメント内 2016 年度 博 士 学 位 申 請 論 文 (ページ 76-80)