第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相
3.1 学習モデルと英語変種に対する言語態度
3.1.2 英語変種に対する日本人の言語態度
にコミュニケーションに役立つ世界共通の英語の創造には限界があるとした上で、
互いの文化の相違を認めながら、「外国語を学ぶときにはできるだけ民族言語として の外国語を学習するのが望ましい。それでも、到達の結果としては、日本式の英語 になってしまうのは、多くの人々が発音や表現などで経験している。」とし、学習モ デルを到達目標にしないことを奨励している。
実際に、非母語話者が母語話者とまったく同等の言語運用ができるなどというこ とは(特殊な場合を除いて)非現実的であるといえる。アメリカ英語をモデルとし て学習し、運用する際には日本語の影響を大きく受けた英語になり、母語話者と比 較して流暢さや表現に制限がある等ということについては、日本人の多くの人が実 感していると考えられる。しかし、問題となるのはそれをよしとするかどうかの意 識である。「母語話者とは異なる日本人の英語話者として目標があること」と、「母 語話者英語を絶対的な規範としてそれを最終目標とすること」とは意味合いが異な る。前者は実現の可能性が高く、またその中でも多様な目標設定ができる柔軟なも のであるが、それに比べて後者は達成の難易度が高く、母語話者標準英語への規範 主義的態度がいっそう強化されることが懸念される。
では、非母語話者として十分な英語運用力を身につけるためにはどのようなこと が重要なのであろうか。本名(1999)らの立場に拠ると、母語話者英語をモデルと して学習し、結果として習得したそれとは異なる(かもしれない)英語を肯定的に 受容する態度が鍵となるとされている。それを英語の多様性のひとつとして受け入 れることによって、英語の話者になりうるという。これには母語話者変種、日本に おいては特にアメリカやイギリスの標準英語以外の様々な変種も肯定的に捉えるよ うな態度が求められる。そのような多様性を受容できなければ、自らの英語も受け 入れることが難しいというのがその理由である。それでは次に、様々な英語変種に 対する日本人の言語態度はどのようなものであるのかという点についてみていきた い。
数多くの言語態度研究によって、人は他者の発話を聞く時、発話内容からだけでな く、その人の使用する言語や方言からも話し手の印象を推測し、「知的である」とか
「洗練されている」といった何らかの評価を下していることが明らかにされてきた
(Giles & Powesland, 1975)。
花元(2010)は日本人大学生を対象にイギリス英語、インド英語、日本アクセン ト英語(日本語の影響を強く受けた英語)への態度について調査を行った1。それに よると、イギリス英語に対しては、「教養のある(educated)」、「ステータスの高い(high status)」というイメージを含んだ地位・能力面を表す「社会的ステータス(social status)」
の項目、および「親しみのある(friendly)」、「好ましい(likable)」という社会的魅 力・帰属意識面を表す「魅力(attractiveness)」の項目で、他の 2 変種と比較して高 い評価をしているという結果が報告された。さらに、イギリス英語は音声提示のみ の場合で全体的な評価が高かったうえに、その後「これはイギリス英語である」と いう変種名を提示した際にはさらに評価が上がったという。インド英語については、
イギリス英語より全体的な評価が低く、変種名提示後に評価がさらに下がったとし ている。また、日本アクセント英語に対する評価は、音声のみの提示時も変種名提 示後も、インド英語よりさらに低くかったと報告されている。このように、インド 英語や日本アクセント英語がその変種名の提示後にともに評価が下がったことから、
花元(2010)は、母語話者英語は英語学習者にとっての学習モデルであり、それ以 外の変種である非母語話者英語に対しては否定的固定観念(ステレオタイプ)を持 っていると結論づけた。
Crismore, Ngeow & Soo(1996)のマレーシア人の英語変種に対する態度の研究で は、母語話者英語は「社会的ステータス」で高く評価される一方で、非母語話者英 語は「魅力」で前向きに評価されるという結果が出ており、非標準変種は必ずしも 否定的に受け取られるわけではないというTrudgill(1975)の言説を支持する結果と なっていた。しかしながら日本人に対して同種の調査を行った研究では、非母語話 者英語は「親しみのある」、「好ましい」ものという受け入れ方はなされていないこ とが実証された。非母語話者英語の中でも特に、日本語の影響を強く受けた英語へ
1 調査方法はGiles & Powesland(1975)によるマッチガイズド法を採用。調査協力者に 変種の音声を聞いてもらい、話者の社会的能力や社会的な好ましさなどの度合いを測定 する方法。
の否定的な態度は、Chiba, Matsuura & Yamamoto(1995)やMatsuda(2003)でも同 様に報告されている。Matsuda(2003)はこの理由として、英米語(特にアメリカ英 語)だけが「正しい」ものであり、日本語の影響を強く受けた英語は、日本語母語 話者には避けて通れないものではあるものの、「本物」の英語である英米語から逸脱 した「正しくないもの」であるという認識のためであると結論づけた。
Tanaka(2010)が日本人大学生を対象に行った調査では、非母語話者同士のコミ ュニケーション手段として英語が果たす役割や、英語は今や母語話者だけでなく非 母語話者のものでもあると認識されているという結果が出ている一方で、標準英語 はアメリカ標準英語、あるいはイギリス標準英語であるべきだと強く考えるものが 多数を占めており、英米語以外の新たな標準英語という考え方にはほとんどの学生 が否定的であったという。
このような一連の研究結果で、日本では英米語のみが英語の標準語であり、その 他の変種には否定的な態度を有するという英語の標準語志向が明らかになった。ミ ルロイ&ミルロイ(1988)は、前述のように、標準語イデオロギー(standard language
ideology)2を標準語に対する規範主義的な態度であるとし、あるひとつの変種のみが
唯一の正しい言語であるという信念が、他の変種に対する不寛容を引き起こし、非 標準変種に対して「のぞましくない」、あるいは「逸脱している」と捉える考え方で あるとしている。つまり、母語話者英語(英米語)への規範主義的な強い標準語志 向が非母語話者英語への寛容性を損なわせているといえる。日野(2001, p. 277)は「自 らの英語を含め、諸英語変種に対する偏見のない公平な態度は、国際英語によるコ ミュニケーションを成功させるための基本的な要素」と述べている。
このような英語観は、それを習得しようという言語学習においてもよい影響をも たらすものとは考えにくい。非母語話者英語を、ひいては自らが話す英語を否定し ていては、それが上達する余地はないに等しい。実際に、言語態度と学習の動機づ けの関連性、および学習の成功についての相関は多くの研究者によって実証されて きている(Dornyei & Skehan, 2003)。
本名(1999, pp. 132-135)は、日本語母語話者の話すクセのある英語を否定的に捉
2 Jenkins(2007, p. 33)は、ELF話者が標準語イデオロギーに強く影響を受けているとし
た上で、その理由として、彼らが話す英語が‘performance’変種であるとみなされ、標 準語とされる英米語と常に比較されてきた経緯をあげている。
えるのではなく、そのような英語を話す話者(あるいは自己)を「日本語を母語と する英語話者」というアイデンティティとして尊重すべきだと主張している。英米 標準語が唯一の正しい英語であると過信し、それを習得することだけが学習の最終 目標であると捉えると、ほとんどの学習者は学習に失敗することになる。さらに、
Cook(1999, p. 187)は、そのような学習への不全感を根拠とする劣等感からは永遠 に解放されることはないと述べている。また、矢野(2004, p. 192)も同様に母語話 者レベルの英語力をむやみに目指すことへの弊害を指摘したうえで、母語話者にで きるだけ近づこうとする「クローン志向」を否定し、国際語としての英語の概念へ の転換を提案している。鳥飼(2011,p. 186)は、英語の母語話者を目標にするとい う無理な到達度から学習者を解放し、母語話者規範から自由になることの利点を強 調した上で、国際共通語としての英語を学ぶという目標の明確化を主張している。
日本の英語教育では「母語話者英語の習得」を当然のこととして捉え、言語モデル であるそれに少しでも近づこうとする言語観の存在がある。その根拠として、これ まで日本の英語教育においては、いかに英語運用能力を育成するかという一連の第 二言語習得(SLA)研究や、小学校での英語科目の必修化の是非といったように、
いつ(when)どのように(how)英語を学ぶのかということに多くの研究や議論の 焦点がおかれ、どのような(what)英語、誰の(whose)英語を学んで何を到達目標 とするのかという議論がほとんどなされてきていない現状があげられる。現代の世 界における英語が話されている状況、日本人が実際に英語を話す相手はもはや母語 話者だけではないという現実、さらに、英語学習における学習者の心理的側面から 考えても、この点については再考の余地があると思われる。
次に、このような言語態度が形成される要因となるものについて、日本の英語教 育という観点からの考察を試みたい。まず、日本人にとって英語はいかなるもので あり、どのように扱われてきたのかについて、国の英語教育における政策、および 英語にまつわる言説を検証していく。