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自己概念・アイデンティティの解釈

ドキュメント内 2016 年度 博 士 学 位 申 請 論 文 (ページ 90-96)

第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相

4.4 分析の焦点

4.4.2 自己概念・アイデンティティの解釈

Freeman(1992,p. 25)は、自分について語るストーリーこそがまさに「自己」そ のものだと主張する。

私たちは、語り手が提示してくれる語りを通して、彼らを正確に知ることが できる。その理由は、実際に彼らの語りというものは自身を形成するものの 一部にあたるからである。端的に述べれば、あるレベルにおいて、私たちが 自身について語るストーリーこそがまさに私たちそのものなのである。

[日本語訳引用者]

そうであるならば、語り手のストーリーの解釈を試みるライフストーリー法の目的 は、その人物そのものを詳細に分析することであるといっても過言ではない。語り 手の自己に対する認識、アイデンティティはいったいどのようなものなのか。それ を探る手がかりが、語られるストーリーの中に埋め込まれているのである。

「アイデンティティ」は自我同一性、存在証明、主体性などと訳される心理学用 語で、発達心理学者Erikson(1980,p. 22)は、自分自身の単一性、連続性、不変性 の認識が、他者に是認された自己の同一性と連続的に釣り合っている自己像を意味 すると説明している。これは、生涯を通じた心理・社会的な発達であり、身体的な

特徴、能力、性格、その他自分自身に属するものといった自分らしさに基づく個人 的な次元から、思春期には家族や学校、友人集団などへの帰属意識や一体感として、

自己のアイデンティティが形成されていき、青年期・成人期には職業集団や、さら に大きな社会的集団(人種、国家、宗教、民族、言語、文化集団など)を同一視し、

自らの枠組みや一部として取り込んでいくとされている(Erikson, 1980; 原,1995; 箕 浦,1995)。本稿の調査協力者である語り手たちも、英語学習を始めた思春期(また は幼少期)から、職業決定を行う青年期、所属する職業集団の中でより大きな枠組 みでの自己を認識する成人期におけるそれぞれのストーリーを語っている。過去の 経験を持って現在に生きる語り手のライフストーリーを分析することは、「あのと き・あそこ」に存在していた自己と「いま・ここ」にいる自己の認識を通じて、語 り手のアイデンティティの形成をダイナミックに捉えることに他ならない。さらに、

「あのとき・あそこ」にいる自己についてのストーリーは、「いま・ここ」にいる自 己がみずからを内省し、再生されているものであることを忘れてはならない。ギデ ンズ(2005,p. 57)は社会学の立場から、「自己アイデンティティは、生活史という 観点から自分自身によって再帰的に理解された自己である」としている。自己のス トーリーを語ることは、単に過去の出来事を羅列していくのではなく、「あのとき・

あそこ」にいる自己、あるいは「いま・ここ」にいる自己が、それについてどのよ うな評価を下し、現在のアイデンティティ形成にどのような役割を果たしているの かということを解釈可能にする自己呈示である。語られる過去の出来事は完全なる 客観的な「記録」ではなく、語り手の感情や評価を伴った「記憶」である。記憶は 脳のどこかに貯蔵、蓄積され、必要に応じて語り手が取捨選択をする操作可能なも のであり、現在の状況を説明するために想起されると考えることができる6。Berger

(1963, p. 70)は、人は過去を顧みる時、何が重要で何が重要でないかという現在の 考えによって過去を再構築すると述べており、Freeman(1992,pp. 27-33)は、過去 の出来事は現在の経験に符合するように語り手によって解釈され、ひとつのストー リーの部分となるように紡ぎ合わされることを指摘している。思い起こされた記憶 によるストーリーに、語り手がどのような意味を付与しているのかを探索すること

6 片桐(2003,pp. 13-14)はシュッツの知識在庫論(stock of knowledge)を参照し、記憶は構 築物であるという立場をとっている。ある場合には捏造されることもあるが、事実に反する かどうかが問題なのではなく、現在をいかに説明し正当化するかが問題であるとしている。

がライフストーリー法におけるアイデンティティの解釈に繋がるのである。

また本稿では、そのような時間を超えた多元的なアイデンティティの分析を縦軸 として扱うと同時に、他者との関係、他者との相互行為から生み出される「関係的 自己」における認識を横軸として分析していきたい。職場、一般社会におけるアイ デンティティといった、自他ともに認識するラベル付けの容易な外在的指標に対し て、語り手自身が抱く自己認識を示す内在的指標と両者の心理的距離を分析の範疇 とする。「帰国子女」、「留学経験のない英語教師」、「英語が得意な自分」といった自 身からも周囲からも同定される自己を、自分自身はどのように捉えているかについ て、その同一性および乖離について考察を試みる。これは社会における自己のあり 方の理想と現実について、すなわち社会的自己概念を掘り下げる試みである。

Goffman(1959)は、自分が他者に見せたいと思う自己アイデンティティや自分が 他者に好ましい存在であるように見られたいという自己イメージによって、人と人 との相互作用は拘束されているとした上で、自己と他者との相互関係において認知 された役割に寄せられる暗黙の期待を「役割期待」と呼んだ。さらに、人がその期 待に沿うようにすることについて、役割を遂行するという行為と、役割の遂行に関 する演技であるパフォーマンスに分類し、「他者の目に映る、演じられている自己」

と「それを演じている本当の自己」との関係性を「役割距離」とした。本当の自分 と乖離した特徴をもつ人物を演じているような場合には、本当の自己と演じられた 自己の役割距離は長くなるが、職業上のアイデンティティを維持するための演技な どの場合は、その職業活動を長期に継続しているうちに役割距離は近さを増し、違 和感を伴わなくなるという。本稿では、Goffmanのいう行為や演技(パフォーマンス)

といった役割期待に応えようとする社会的相互作用を分析の焦点とせず、役割期待 そのものがどのようなものであり、協力者本人はそれをどのように捉えているか、

またそれら双方の心理的な距離についての解釈を試みたい。

次に、自己概念の解釈を行う際の自己アイデンティティの複数性について言及し ておきたい。James(1890)は知る側(self as knower)の自己(主我、主体としての 自己)を「I」とし、知られる側(self as known)の自己(客我、客体としての自己)

を「Me」として区別した上で、後者の「Me」を自己概念(self-concept)とした。こ の中には、身体的な自己および家族や財産といった自分に属するもの全てを包含し た「物質的自己」と、個人の考え、気質、道徳的な判断などを含む内的な自己であ

る「精神的自己」、社会・集団・仲間などがもつイメージや認識である「社会的自己」

が包摂されている。さらに、社会的自己は他者が認識する自己であるため、自分に ついてイメージを抱いてくれる人と同数の社会的自己をもつことになるとし、その 複数性に言及した(James, 1890, p. 294)7。社会学および社会心理学の範疇において は、自己と他者あるいは社会との関係が詳細に観察されることによって、アイデン ティティという概念自体にいくつかの分類がなされ8、同一性の程度にも差があると いうことや9、アイデンティティの多元化などが指摘されている。一方で、心理学お よび発達心理学では、自他ともに認識される連続した同一性がアイデンティティで あるとされ、無意識も含めて人間が社会、対人関係への適応のために行う機能の総 称であるという見方があり、そこからの拡散、混乱、崩壊の危機など10が研究の関心 事となっている。自己が同一なものである、またはそうあるべきであるという概念 は、近代社会が生み出した信念からきているとされ、西欧文化が一貫性をもたない 人間を非難する傾向にあることと、聖書でも2つの矛盾する心をもつ人などを否定 する言説の存在が指摘されている(Gergen, 1971, p. 20)。しかし、社会が多様化した 現代では自己の多元性や複数性は必ずしも否定すべきものとは言いきれない。ネッ ト空間などでは相手、視聴者、聴衆などそれぞれに対して異なる自己が使い分けら れ、ある他者を前にして呈示し受容された自己は、別の他者を前にした自己と異な る場合があり、それらの間には同一性や一貫性を維持する必要はないのである。こ のような事象は、ポストモダン的11な自己論を展開したGergen(1991, p. 147)による

7 実際には、自分に対するイメージや認識を抱く人たちは、いくつかの別々の集団に分類す ることができるため、その集団の数だけ異なる社会的自己をもつともいえると述べている。

また、このJamesが提唱した概念をさらに社会的に発展させたのがMead(1934)である。

8 Gergen(1971)は、特定の他者個人との関係に帰せられる個人的で独自の自己記述を「個

人的アイデンティティ」とし、集団やカテゴリーの成員(国家・性・人種・民族のような集 団やカテゴリー、さらには一時的な集団やカテゴリー)から派生する自己記述を「社会的ア イデンティティ」としている。

9 片桐(2003, p. 40)は、すべての人が自分の個人誌を緊密で一貫したアイデンティティによ るストーリーで紡ぐことはありえないとし、多くの人は同一性において緩やかな結びつきを もったストーリーを構築するとしている。

10自我の統合がうまくいかず、自分自身を見失いそうになる状態は、アイデンティティの混 乱(identity confusion)、アイデンティティの拡散(identity diffusion)、アイデンティティの危 機(identity crisis)等と呼ばれている。

11 感情や情熱等の行動エネルギーを自己の内部にもっている「ロマン主義的な自己」や、出 来事を客観的に観察し、合理的な判断をすることができる理性的な「モダンな自己」(Gergen,

1994, p. 166; Brown, 1987, p. 30)に対して、「ポストモダン的な自己」は、個々の関係におい

ていかに自己を成功裏に呈示するかの戦略に依存する自己の寄せ集めの総体であるとしてい る。

ドキュメント内 2016 年度 博 士 学 位 申 請 論 文 (ページ 90-96)