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規範主義と言語教育

ドキュメント内 2016 年度 博 士 学 位 申 請 論 文 (ページ 43-50)

第2章 国際語としての英語と規範主義

2.5 標準語イデオロギーと規範主義

2.5.3 規範主義と言語教育

本項では、英語教育を行う言語教師が有する標準語イデオロギー、および規範主 義的態度とそれをめぐる諸相をみていき、英語教育に関わる諸問題を議論していき たい。

ミルロイ&ミルロイ(1988, pp. 161-162)は、グラスゴーの教員養成大学の講師に、

「この地方のアクセント」と「不注意からくる間違い」の違いについてどう認識し ているかについてインタビューを行った。協力者は、両者を厳密に区別し、間違い については厳しく批判すると語ったが、彼が「間違い」として認識している「語尾 を切り詰めたり、母音を引きずったりする発音の仕方」は、実際にはグラスゴー方 言の顕著な特徴であったことがわかった。彼は、その地方のアクセントを尊重し、

多様性のひとつとして、それについては注意・批判はしないといういわば反・規範

主義的態度を自己認識しているが、結果として、地方変種アクセントを誤りとする 姿勢を学生に示していたのである。これは、協力者である講師の、発音に対する単 なる認識ミスの結果として起きたことと考えることもできるが、彼の「正しい」発 音に対する認識には多様性がなく、それ以外の発音に対して厳しく批判するという 態度にも問題があった一例といえる。

これは、内円圏における母語としての英語の変種をめぐる規範主義と教師の問題 であったが、次に、外円圏であるシンガポールの教師の例もみてみたい。シンガポ ールは歴史的に様々な国からの支配を受けてきた国であり、公用語にはマレー語、

標準中国語(普通話)、英語、タミル語の4言語があり、学校教育では英語と母語の 2言語を学習することが義務付けられている14。英語については、シンガポール標準 英語(Standard Singaporean English)とシンガポール口語英語(Colloquial Singaporean

English)があり、後者はSinglishとして広く知られるシンガポール独特の地域変種で

あるが、学校で英語を学ぶ際にはイギリス標準英語の規範に従うことが通例とされ ていた。そこで議論となったのが、生活のための英語として十分に通用するシンガ ポール独自の用法や発音を、それらがイギリス本土の標準英語のものと合致しない からといって間違えであると見なしてよいのかという問題である。Platt & Weber

(1980)はこれについて、どんなによく工夫された語学学習のプログラムも、その 中で用いられている用法などが、その地域で実際に使われている用法と大幅に乖離 していたら、そのプログラム自体の効果はないに等しいと述べ、特にシンガポール の中でも政治家や実業家といった社会的に認識された人々は会話において、イギリ ス人としてではなく、シンガポール人として認められたいと考えていると指摘した。

また、平賀(2016, p. 27)によれば、より最近の傾向として、大学生など若い世代の

間でも Singlish はシンガポール人としてのアイデンティティを示すことができるこ

とばとして浸透しているという。このような点から考えると、現代のシンガポール の状況は、前述した言語学習モデルの議論でKachruが述べた、外円圏の英語規範は 国内基準的モデル、すなわち言語の使用地域内の現地モデルを採用すべきであると いう主張に合致する。規範が、実際の言語使用とかけ離れてしまうことによって形 骸化してしまっては、言語教育そのものの意味が失われてしまうからである。

14 英語が「第一言語(first language)」とされ、3つの民族語は「母語(mother toungue)」、ま たは「第二言語(second language)」とされる。

しかし、シンガポールの人々の英語使用はその地域内のみに限定されるわけでは なく、当然のこととして国際語としての使用がある。1999年には、Singlishが浸透し て国際的な理解を妨げているという見解から、シンガポール人が世界中で理解され る文法的に正しい英語を話すことを奨励する“Speak Good English Movement”がシン ガポール教育省主導で実施された。発音について、この規範となるものは特にイギ リス・アメリカ標準英語などではなく、「中立的で理解可能なシンガポール英語のト ーン」でよいとされ、ただ文法的には文の構造がしっかりとした完全な文で話し、

Singlishの特徴とされるlahやlors等の間投詞を排除しようというものであった。こ

の運動は現在も継続し、賛否両論の立場があるとされている(矢頭,2014)。地域変 種の言語規範が確立され、それが地域の話者である人々に肯定的に受容され、使用 されていても、それが独自の変化を遂げることによって国際語として機能しなくな ってしまうという問題がある。シンガポールにおいては、これまでのような標準英 語と口語英語のダブルスタンダードが理想的であると思われたが、国家政府として はビジネス、観光、軍事等においてさらなる強化を図るための一方策として、国際 的に通用する英語を国民が話すことは必須条件であることが考えられる。今後、こ の「正しい」文法を習得させようという運動が、シンガポールの英語話者たちの実 際の言語運用や、言語態度にどのような影響を与えていくのかが注目されるところ である。

それでは、最後に日本のような拡大円圏における英語教育についてみてみたい。

外円圏と異なるのは、地域内で独自のある程度の体系を確立した地域変種が存在し ないことから、言語の規範となるものが外にある状態、国外基準的モデルを採用せ ざるをえない点である。このような地域においては、実際の目標言語の使用に十分 に接触することができず、現実として起きている規範の逸脱からの許容を把握する ことが難しく、規範そのものの揺らぎや変化の影響を受けにくいことに問題がある。

つまり、実際にどのように英語が使用されているかを知ることが難しいために、あ る特定の規範に頼らざるをえないのである。特に、非母語話者である英語教師たち は、教えるための規範を辞書や文法書に求めることが多く、これが絶対的な力を発 揮してしまうことが起きる。拡大円圏における英語教師について調査した Jenkins

(2007, p. 249)は、英語教師および学習者の大多数と一般的な人々における英語に 対する規範主義的な態度は強固なものであると述べている。

また、このような言語教育の規範の問題について、Pennycook(2000, pp. 89-92)は

「教室は閉ざされた箱(closed boxes)である」と指摘し、いまや国際語として実際 に使用されている多様な英語の現状と、標準英語とされる英語教育で扱われている 英語の乖離を批判した。また、Lowenberg(2002)も、英語運用能力を測定するTOEIC15 で出題される問題が母語話者規範に傾倒しすぎている点について、言語テストにも 国際語としての英語を反映させるべきだと述べている。これらの指摘は、拡大円圏 における英語教育の現実が、母語話者の標準英語を中心とした規範主義に傾倒して いることを示している。また同時にそれは、英語の多様性の概念が排除され、異な る変種の受容といった態度の形成がなされないという危険性を帯びている。

標準化された母語話者英語を規範にするということには、内円圏での調査でミル ロイ&ミルロイ(1988)が述べていた「言語の極端な単純化」という問題を伴うが、

標準化された変種である標準英語は、言語学上の形式のみならず、英語という言語 自体への標準化されたイメージを単純化して体現してしまうことも考えられる。久 保田(2008, p. 17)はこの点について

標準語化には、言語形式や社会行動の規定だけでなく、言語自体の特殊性に ついての言説を構築する面もある。言い換えれば、ある言語の特徴とは何か を規定する「言語観の標準化」とも考えることができ、文化観の構築にもつ ながる問題である。

と述べている。例えば、極端な例を挙げるとすれば、日本ではアメリカ標準英語が 一般的な学習モデルとされているが(詳しくは3章1節で後述する)、いわゆる英会 話のテキスト等のやりとりにおいて、初対面でも気さくな挨拶を交わし、ファース トネームで呼んでほしいと頼んだりする場面はよく見受けられる。これが英語にお ける標準として学習者に固定化されてしまうと、英語でのやりとりは常にこのよう な基準で行われるという言語観が標準化されてしまうことがあるという問題である。

実際には、アメリカ英語にも当然のこととして、レジスター(使用域)の違いによ

15 Test of English for International Communicationの略で、世界では年間約700万人(日本で 240万人)が受験する英語のテスト。テストの作成は、アメリカの非営利開発機構である Educational Testing Services(ETS)が行っている。

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