第2章 国際語としての英語と規範主義
2.4 各国の標準語の諸相
ろう。しかしながら、拡大円圏というコンテクスト、特に日本においてはその複数 なるものについてどの変種をいくつ採用するのかという問題が生じる。また、実際 問題として教室で複数の学習モデルを扱うことについては、学習者に混乱が生じる ことも避けられないであろう。複数の英語変種にさらされるという経験が、学習者 のあらゆる変種への寛容度を高めるのに有効であるとしたら、それは複数変種をモ デルとして提示するのではなく、英語の多様性を紹介する目的での変種の提示とい うかたちが適切であろう。
これらの議論から、日本のような拡大円圏の英語教育において母語話者英語が学 習モデルであることは、現状として避けられないことが明らかになった。そしてこ れこそが、国際語としての英語と英語教育の抱える問題の根底にあるものなのであ る。
なる権限が付与されることになるのである。それでは、拡大円圏においてモデルと される母語話者英語の標準変種とはどのようなものなのだろうか。まずは、イギリ ス、アメリカそれぞれの標準語についてみていきたい。
2.4.1 イギリスにおける標準語
イギリスの標準英語(Standard English)は、15世紀頃にイギリス王室で使用され ていた変種が王室御用達の商人たちに広まったという記録があるとされている。王 室近くのロンドンは当時すでに人口も多く、政治・社会の中心であり、ロンドンを 中心とした地域の上流階級の日常語が標準語となったという経緯がある。王室で使 用されていたという威信があるだけでなく、公的な場面で使用され、活版印刷の発 達とともに話しことばが体系的に整理され、辞書や文法書に組み入れられて書きこ とばとしても拡散を見せた(岩田・重光・村田,2013, p. 20)。
イギリスにおける規範主義および標準語について研究するミルロイ&ミルロイ
(1988,p. 35)は、このように標準語が定着し、ある変種の特定の用法だけがよし とされるのは、「それが理屈に合うから、効果的だから、姿が美しいからといって選 ばれたのではなく、当時の上流階級の人々の用いる言葉づかいを反映した結果にす ぎない。特定の用法が好ましいものとされる背後にあるのは、政治的な力関係であ る」と述べた。前述のように、英語が世界に拡散していった理由と同様に、英語の 母語話者地域であるイギリスにおける標準英語も、誰がその変種の話者であるかと いう力(power)によって決定されていた。
また、ミルロイ&ミルロイ(1988,p. 44)によれば、標準語として比較的容易に 固定化されやすいのは書記言語、「書きことば」の体系であるとし、「話しことば」
の完全な標準語化というのは達成しえない目標であると述べている。その上で、現 状として「書きことば」は標準的規範についての広い意味での意思の一致が得られ るところまではきているとし、「話しことば」の領域では、今後も標準語の規範性を 確立する試みが成功することはないだろうと予測している。その「話しことば」に ついては、現在イギリスでは人口の 15%ほどが標準英語の語彙・文法形式で話して いるが、最も威信があるとされている発音である容認発音(Received Pronunciation: RP)
を使用するのは、イギリスの人口の3~5%であるという。つまり、「話しことば」の 中でも、語彙・文法はまだ標準語が確立しやすいとしても、発音においては、標準
英語の中にも様々な変種があるとされている。
2.4.2 アメリカにおける標準語
アメリカ合衆国は主にイングランドからの移民によって建国された国であり、ア メリカで話されていた英語は、元々はイギリス人たちの英語であったことはいうま でもない。しかし、そのイギリス人たちの出身地はイングランドの各地方と多岐に 渡っており、さらに職業など社会的属性も多様であった。また、イングランドのみ ならず、スコットランド、アイルランド、アフリカ、カリブ諸国等からの移民も流 入していたことによって、実に多様な言語に影響を受けながらアメリカ英語は形成 されていった。その後、イギリスからの独立戦争を経て、アメリカ英語は独自の変 種として確立することになる(平賀,2016,p. 48)。
アメリカ英語の標準語とされているのは、北東部や南部を除いた地域で話される 一般アメリカ英語(General American: GA)と呼ばれる、ほぼ大陸を横断する広範囲 な地域で使用されている変種である。これは全国放送のニュースキャスターなどが 話す変種であることで知られている。
また、アメリカ英語の地域変種間では、広大な国土の割には全般的に、イギリス 英語の変種間ほど違いが少ないとされている。さらに、イギリス英語よりも新しく 確立されたものであるが、アメリカ英語のほうが古い形態を保持している部分もあ る。getやforgetの過去分詞形は、イギリスではそれぞれ got、forgotなのに対して、
アメリカではより古い形であるgottenやforgottenが使用されることが多い。
2.4.3 日本における標準語
さらに、英語という言語から離れるが、日本における日本語の標準化についても 見ておきたい。日本人が標準語をいかに捉え、どのような反応・態度を示したかを 考察するためである。日本語の標準語化政策は、明治時代中期に日本の近代化政策 の一環として行われ、政治・経済の中心であった東京地方の地域変種が標準語とさ れて浸透していった。イギリスと異なるのは、皇室(御所)のことばが標準語とな ったのではなく、江戸時代から政治・経済の中心であった東京地域の中産階級知識 層の使用する変種が語彙・文法、発音ともに標準とされた点である。
しかし、それと同時にその他の地方方言を軽視、あるいは侮蔑するような風潮も
生まれた。地域によっては方言撲滅運動なるものも起こり、標準語励行が強化され るところとなった。これは、ある特定の変種が正しいものとして設定されることに よって、それは他の変種より優れたものであるという価値観と序列が生じ、標準変 種以外のものは排除すべきであるという排他的発想から生起したものであるという
(久保田,2008, p. 16)。小山(2011, pp. 205-206)はこれについて、標準語自体が有 する社会文化的機能が、地方方言の指標する地域多様性を抹消しようとする性質を もっていると指摘している。ミルロイ&ミルロイ(1988,p. 35)も同様に、標準語 への要求は、同時に起こりえたかもしれない変化への抑圧にも通じているとし、過 度な標準語化イデオロギーを批判している。戦後は、政治的な意図に基づく言語の 統一は行われておらず、方言の復権も見られ12、「標準語」という用語も、国が特定 の日本語を規定することに対する反対する立場からの批判を受け、「共通語」と呼び 名が置き換えられるようになっている。
2.5 標準語イデオロギーと規範主義