第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相
4.5 分析
4.5.6 B 先生の英語観
以下は、調査者が国際語としての英語について話題を提示し、日本の英語教育で は教師はそれをどのようにとらえるべきかと質問を投げかけた後の会話である。
(B)私はやっぱり教師としてだけではなく正確な英語をしゃべるのは必要だと思 います。
(*)正確な英語っていうのはどういう?
(B)やはりきちんとした発音と、アクセントとー、あと文法。
(*)それを教えたいですか?
(B)そうです。やっぱり国際人としてのマナーとして最低限として守ることだと 思います。やっぱり日本人としてでもそうですし、人間としてちょっと恥ず かしいかなっと思いますね。ま、時と場合にもよりますけど、将来、彼女達
は国際人になるわけなので、やっぱりいろんな人と対等に話せるようになる には、ルールにのっとった英語っていうのは必要だと考えます。
(*)なるほどー。それは先生が海外経験のときに感じたからっていう、
(B)いや、そうではなくって。やっぱり日本人のアイデンティティっていうか、
そのそういうのを備えながら、国際人になるっていうことで、それは中学で 行ったからとかそういうことではなく、はい。
(*)じゃあ、そのきちんとした英語っていうのは基準っていうのはどう、どう
(B)基準ですかー、そうですねー。
発音なんかは発音記号で書いてあるのっていうのがそうですけど、文法もあ のその、きちっと使える。例えばenjoyだったら動名詞しかとらないので会 話の中でもそれを守るとか。
(*)ふーん、なるほどー。やっぱり聞いたときにー崩れてたりすると、
(B)そうですねー。やっぱり教養を、まあ、問われますよね。
(*)あー、そうですかー。
(B)特に私たちって教える立場なので、そういうのって一番上のレベルにもって いけなくてもやっぱり真ん中くらいまでもっていってあげられるようにや る気をおこさせてあげないと、人って楽なほうにやっぱりいっちゃうので、
うん。
この英語観についての問いかけに、B 先生はそれまでの口調から少し改まった様 子で上記のように語った。B 先生にインタビュー依頼をする時にも他の協力者と同 様に、これまでの英語との関わり、教師になるきっかけ等とともに国際語としての 英語についてどう考えるかを尋ねたいと伝えていた。国際語としての英語について の調査者の見解はインタビュー以前に一切伝えずにいたのだが、B 先生はインタビ ューにあたって自身のこれまでの経歴と国際語としての英語についての意見を整理 し、メモしていたようだった。よって、言いよどみの少ない、このような毅然とし た語りとなったことが考えられる。経歴については履歴書のような形で書かれたも のを調査者に提供してくれた。
このストーリーの中では、規範に対して忠実であるべきだという B先生が抱く強 い規範主義の信条が表出している。「ルールに則った英語」を話すことが当然のも
のと捉えられ、それは滞米経験からくる信念であることを本人は否定しているが、
何不自由なくアメリカで生活を送ることができる英語運用能力を習得し、帰国後は 自分が話す英語が他の生徒のモデルとなるという経験を通じて、「自らが話すアメ リカ英語=日本の英語教育でもとめられているモデル」という図式がB 先生の中に 成立していることが考えられ、目指すべき規範をアメリカ英語においていることが わかる。さらに、その規範からの逸脱は「教養」に関わるものだと述べている。こ れは、前述のA先生と同じ「教養」という観点であるが、A先生はその語彙や表現 の豊かさが教養を表すものだと捉えていたのに対し、B 先生は発音や文法の規範か ら外れることが教養のなさを示してしまうと捉えているのである。これは非母語話 者としてというよりむしろ母語話者の見地に立った考え方であるといえないだろう か。例をあげていうならば、私たちは日本語の非母語話者である人物が日本語で話 している際に、母語の影響を受けた発音をしていたり、日本語の文法が多少間違え ていたりしてもその人物の教養を疑うだろうか。非母語話者の話す日本語として、
差し引いた視点から考えるのではないだろうか。しかし、日本語母語話者が話す際 に、ことばの使い方がなっていないとなるとその人物は教養が問われることになる。
つまり、B 先生は英語の母語話者に近接した感覚から、日本人の習得すべき英語を 想定しているといえるのではないだろうか。
B 先生はその上で、目指すべき母語話者英語を「一番上のレベル」と捉え、そう ではないもの、つまり非母語話者英語をその下のレベルと認識している。これも A 先生と共通している点であり、「楽なほう=非母語話者英語」に甘んじるべきでは なく、あくまでも上を目指すべきだという教育的見地に起因する信条がそこにうか がえる。これには、前述のストーリーで確認することができた、文法が苦手であっ たが努力して克服したというB 先生の経験が大きな意味をなしている。自身の経験 から、出来るようになるまで諦めずに目指すべきものに向かっていくことこそが重 要なことであり、教師となってからもそこに価値を置いていることがわかる。B 先 生が最上のレベルと捉える母語話者英語が、このような教育的信条と相互に作用し ているのである。
B 先生の教育観は以下のストーリーからもみることができる。編入した大学で教
職課程を履修し、タスク・ベース20で口頭でのやりとりを重視した授業法であるコミ ュニカティブ・アプローチを学んだと語った後のストーリーである。
(*)そういうのを実際に教育実習の時にやってみるときってどうでした?う まくできるかなーとかって不安とかありました?
(B)もちろんありましたよ。できるか不安でしたよ。
(*)え、でも、どういうところがですかね。先生は英語はまったく問題ない ですよね?
(B)え、だってそれは人間を育てる職業ですから、これでいいっていうことは ないじゃないですか。いやーだって私そんな偉い先生じゃないですもん。
(*)え、でも、英語ができればなんかできちゃうんじゃないかとかって、
(B)いやー、それは子育てした人って思わないですよね、たぶん。それは人間 を育てるほうが大変だっていうのがわかってるから。大変でしょ?子育て は。(笑)
B 先生が実習時に不安であったのは、「英語を教える」ということよりも「人を 育てる」という学校教育そのものに対するものであったという。ここでの英語教育 は、単に生徒に英語運用能力をつけることだけが目的ではなく、英語教育を通じて の人間教育であることがわかる。その教科の学習を通じて、新しい知識を得るとと もに考える力を培い、努力する経験をすることで人間としての成長を期待するもの である。この過程の中では、達成すべき目標に向けて個人のたゆまぬ努力が前提と なる。このような教育的見地から鑑みると、母語話者英語という目標に向かって近 づくための努力が当然のこととみなされ、そこにたどり着く前の英語運用能力は常 に目標を達成できていない不完全なものという構図の成立が説明できる。
B 先生の英語観の考察から、母語話者に近い感覚から捉えられた言語態度である 教養の問題、さらに、学校教育の一環としての英語教育という点が浮き彫りとなっ た。次に、C先生のストーリーをみていきたい。
20 TBLT (Task-based Language Teaching)と呼ばれる外国語教授法のひとつ。学習者に達成 させるべき課題を与え、目標言語を用いた話者間のインタラクション等を通じて、目標 言語の実践的運用能力を育成しようとするアプローチである。