第3章 日本の英語教育と言語態度の諸相
4.5 分析
4.5.3 A 先生の英語観
自分の受けてきた学校英語教育に肯定的で、英語へ尽きない興味があり、学習の 楽しさを経験してきたA先生は、どのような英語観を有しているのだろうか。以下 は、非母語話者同士の英語でのやりとりが増えているという現代の英語使用状況や、
それによって日本の英語教育はどのような影響を受けるのかについての調査者から
の質問に答えるかたちで始まったストーリーである。
(*)なんか今、英語教育だけじゃないんですけど、社会言語学みたいなところ で、英語がアメリカ人イギリス人オーストラリア人とかだけのものじゃな くって、例えばインド人はインド人同士で使っていて、あとはインド人と 中国人とかー。
(A)あー、そうそう。
(*)ノンネイティブ同士が使っているっていうのがすごく多くなっていて、で、
日本の英語教育でもアメリカ英語やイギリス英語が一辺倒になっていて、
それを完璧に身につけなさいっていうのはどうかなっていう話があったり、
そういうのってどう思われますか?
(A)うー…、私は感覚が古いのか、確かにノンネイティブ同士で、ツールとして 英語を使うのは大いに結構だけど、やっぱり生徒や自分が学ぶにはやっぱ り正統派のブリティッシュイングリッシュやアメリカンイングリッシュを 学んでいきたいっていうのが本音ですよねー。
(*)なるほどー。
(A)うーん、なんか差別っぽくなっちゃうみたいだけど。
(*)いえいえいえ。
(A)やっぱりそれを最高レベルとしてそれ以外を二次的、三次的なところにノン ネイティブ同士の会話ツールとしてあるっていう、
(*)なるほどー、目指すところはやっぱりアメリカ英語、イギリス英語をって いうことですかね?
(A)そう。なんか自然に、自然発生的に生まれた中で例外的なものとか、文化 的な背景とかもあるから本当に正統派の英語を、まあ自分も学びたいし、
生徒もなんかできるだけそっちを極めるように努力してほしいって。でも、
インドの人が悪いとかってそういうことじゃなくて。(笑)
(*)(笑)
(A)でも、それが本音なんです。だから、イギリス人、アメリカ人からいっぱい 学びたいし、メールしててもわかんないこととかあるとすぐマーガレット さん(イギリス人の友人)に聞いていいですかとかってするし、
(*)あー。やっぱりそう思われるのはご自身がそれを目指してきたからですか?
(A)うーん、やっぱり理屈とかじゃなくて、そういう姿勢になっちゃってるんで す。
(*)あー。
(A)だから、古い考えなのかもしれない。叩かれちゃうかもしんないけど。
このストーリーからは、「正統派の」英米語こそが自分も生徒も目指すべき「最高レ ベル」のものであり、非母語話者の英語はその下に位置する「二次的、三次的な」
ものであるとする英語観が看取できる。これは、「多くの英語教師は非母語話者英語 を単純化して劣っている英語だとみなしている」とJenkins(2007, p. 248)が言及し たものを支持している。そのような英語観は、多くの日本人英語教師が「現代の標 準的な英語」と捉える英米語に対する標準語イデオロギーと規範主義の意識からく るものであると考えることができる。ある変種のみが唯一の正しい言語であるとい う信念が、他の変種に対する不寛容を引き起こし、非標準変種とされるものに対し て「のぞましくない」、あるいは「逸脱している」と捉える考え方であるとされてい る。一般的に言語教育は学習者の到達度を評価する観点などから、学習モデルとす る変種の規範に従うという性質を有しており、言語教師が規範主義的立場に傾倒す るのは否めない。さらに、目標言語を母語として実際の語用について熟知した母語 話者教師より、それが不足しているためにある程度の規範に頼らざるをえない非母 語話者教師のほうがより規範に忠実であることから考えると(Timmis, 2002)、A先 生のこのような英語の非母語話者教師としての規範主義的英語観は説明がつくもの である。
また、「正統派」の英米語を目指して学習、指導していきたいという自らの信条を 明確に述べている一方で、「私は感覚が古いのか」、「差別っぽくなっちゃうみたいだ けど」、「でも、インドの人が悪いとかってそういうことじゃなくて」、「古い考えな のかもしれない。叩かれちゃうかもしんないけど」等と、自身の信条に対する反論 を予想したフレーズを繰り返している。このインタビューの時点で調査者は協力者 に、自分は国際語としての英語について研究をしているということだけ伝えてあっ たが、それについての詳細および自身の見解などには言及していなかった。よって このフレーズは、国際語としての英語が社会的地位をある程度確立してきていて容
認せざるをえないという、A先生の見解からきているものだと考えられる。または、
調査者もこの分野を研究しているのだから、当然、国際語としての英語の存在を強 く支持し、英語教育における英米語一辺倒を批判する立場であろうと考えていたと も思われる。これらのフレーズは、目の前にいるインタビュアーである調査者から の反論を予測し、防御するためのものであると同時に、A 先生が認識する現在の英 語を取り巻く社会言語学的状況から反すると思われる自身の信条を浮き彫りにした かたちになっている。
さらに、A 先生の英語観を構成するものには、ライフストーリー・インタビュー によってこそ浮かび上がる要因がある。A先生は非母語話者英語について、「確かに ノンネイティブ同士で、ツールとして英語を使うのは大いに結構だけど」と述べて いる。つまり、母語ではない者同士が英語でやりとりを行う際の非母語話者英語は 単なる道具であると捉えているのである。それに対して、「自然発生的に生まれた中 で例外的なものとか、文化的な背景とかもあるから本当に正統派の英語を自分も学 びたいし」と述べていることからも明らかであるように、母語として話される英語 は、その中に歴史・文化およびその話者たちの考え方を包含した相対的なものであ り、単に記号化したツールとは異なるという認識をしている。これは、A 先生が学 生時代に英語の語彙や表現の学習を通じて強く興味を抱いた言語と文化に対する相 対主義的な関心と一貫している。道具としての非母語話者英語と、それだけではな くさらに人間と深く関わるものとしての母語話者英語という区別から、A 先生は母 語話者英語をより重視しているのである。それを裏づけるのは、以下の口述である。
(A)グロービッシュとかって反対だし。ちょっとでも次々と新しい単語って生 まれてね、それでことばの使い方も違っていくっていう、そういうことば の違いに敏感になって、そういう正統の英語から学んでいくっていう、だ からグロービッシュっていうのは違うと思う。
(*)先生は言葉を道具として、その利便性だけを追求して簡素化していっちゃ うのはけっこう反対っていうことですね?
(A)そうです、そうですねー。なんかほんとに言葉は生き物だし、例外は例外 として捉えて、言葉は歴史の変遷の中でこういうふうに使われるようにな ったとかっていう知識を入れて、で、言葉は生きたものだっていうものと
して受け入れて学んでいくっていうのがなんか理想っていうか。
(*)その生きたものっていうものを吸収したいって、
(A) そう。それこそ杉田先生(ラジオ英会話の講師)なんかも言葉もこんなこ とから生まれてるって言ったり、そういう大御所とかもそんなふうに言葉 に敏感になって吸収していこうとしてんのに、いきなりいくつかに区切っ てなんか暗号みたいにやるっていうのは絶対反対っていうか、
(*)なるほどー。言葉の面白みがなくなるってことですかねー。
(A)そう、言葉の面白みですよねー。そういうのを切り離しちゃったら、ほん とになんかむなしいっていうか。
A 先生は、英語の非母語話者のための国際ビジネスにおけるやりとりのために提 唱されたグロービッシュ(Globish)17について、1500 語というその単純化され限定 された語彙だけで意思伝達が可能であるとする概念を批判している。ことばという ものは人間の日々の営みの中で生まれ、変化していくものであり、それを学ぶ際も 語彙の使い方、違いを認識するべきであるという教育的言語観が見て取れる。学生 時代のA先生が、まさにそこに英語学習の魅力を感じたように。A先生にとっての 非母語話者英語は、ことばとしてのこれらの重要な要素が欠落したものなのである。
では、A 先生の母語話者英語に対する言語観についてみていきたい。学生時代の 英語学習時に感じたように、確かに、母語話者英語はその話者である人々を反映し たものであることには間違いがない。A 先生の語りの中でも母語話者英語が「生き たもの」と表現されているように、言語としての歴史を有していると同時に、話者 がいる限り今後も変化し続けていくものであり、その点においてはどの言語におい ても同様のことが言えるであろう。しかし、日本の英語教育において日本人が非母 語話者としてそれを学ぶということになると話は違ってくる。母語話者英語の歴 史・文化的背景を鑑みながら、その語彙や表現を身につけようとするだけでは知識 としての言語の習得に留まってしまう。非母語話者にとって英語が真に人間と深く
17 IBM社副社長であったフランス人、Jean-Paul Nerrièreが、社内の国際会議等において英
語の母語話者を相手にすると萎縮・緊張してしまう非母語話者社員が非母語話者同士であれ ばそれが軽減されていたことに着目し、非母語話者にとってのコミュニケーション・ツール として考案した。Nerrière自身、Globishはツール(道具)以上になることは目指しておらず、
豊かで文化的な英語とは異なると述べている(Nerrière & Hon, 2009)。