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長崎さるくの参加者数の推移

第 4 章 住民主体観光の裏面

2 参加者減少に対する行政の対策

2.1 長崎さるくの参加者数の推移

長崎さるく博’06 がまち歩き観光の成功事例として挙げられ、多くの自治体や観光業界 から注目された理由は、述べ1千万人という「集客効果」が立証されたからであった。「ま ち歩きで人々が集まるのか」という主催者たちの挑戦において、2006年に町中を歩いてい

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る人々の姿は、その可能性を示したのである。しかし、まち歩きをする人々でまちが賑わ うことは、2006年以降なかなか再現できなかった。

長崎さるく博’06の成果を基に、2007年から日常的に行われる観光事業として「長崎さ るく」が継続することに決まった。そこで、運営主体は長崎市から長崎国際観光コンベン ション協会へ委任されたが、それに対しまち歩きコースの内容やガイド研修の方法など、

まち歩き自体の更新はほとんどなされなかった。

長崎国際観光コンベンション協会による統計【表4-2-1】によると、長崎さるく博’

06 が修了した翌年の 2007 年における通さるくと学さるくを合わせた参加者数は 21,920 人であり、前年度の52,389人から半分以下に減少した。長崎さるく博’06の参加者のうち

約70%が長崎県民であったことから、212日間イベントが開催されたこともあり、2006年

の段階で長崎県民が十分に参加をしたため、住民の参加が大幅に減ったと推測される。一 方で、長崎さるく博’06 の余波で、一部の住民や旅行会社を利用した長崎県外からの観光 客の参加も多少あったことで2007 年と2008年は参加者 2万人台が維持されたと考えら れる。

そして、2009年の「通さるく」は前年度と比べて18,615人から33,262人へと大幅に増 加し、通さるく・学さるくの参加者数が36,802人となった。その翌年の2010年にはさら に増加して41,056 人と、2006年の長崎さるく博’06 までは至らないが、参加者数の急激 な回復が見られる。

長崎さるくの参加者数は2006年52,398人をピークに減少し、2010年に再び41,056人 と増加した。その後の参加者数は2万人前後を維持しているが、2016年に13,663人、2017

年には9,582人と減少した。それに対し、【表4-2-2】で示しているように、長崎市全

体の観光客数の推移をみると、2006年に約570万人から毎年増加し、2017年からは初め て観光客数700万人を突破した。すなわち、長崎市全体の観光客数は増加し続けており好 景気であるにも関わらず、その影響が長崎さるくには反映されていないことが分かる。

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【表4-2-1】通さるく・長崎さるくにおける年度別参加者数(長崎国際観光コンベン ション協会 2018)

年度 通さるく 学さるく 合計

2004 2,474 136 2,610 2005 4,141 817 4,958 2006 48,973 3,425 52,398 2007 20,322 1,598 21,920 2008 18,615 4,005 22,620 2009 33,262 3,540 36,802 2010 37,282 3,774 41,056 2011 15,985 5,635 21,620 2012 18,562 5,977 24,539 2013 15,117 6,665 21,782 2014 11,933 7,405 19,338 2015 15,182 9,182 24,364 2016 8,185 5,478 13,663 2017 6,419 3,163 9,582

【図4-2-1】通さるく・長崎さるくにおける年度別参加者数の推移(長崎国際観光コ ンベンション協会 2018)

0 10000 20000 30000 40000 50000 60000

2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通さるく 学さるく 合計

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【表4-2-2】長崎市における年度別観光客数(長崎市 2019)

長崎市観光客数

年度 人数 年度 人数

2004 4,934,700 2012 5,952,300 2005 5,393,500 2013 6,078,000 2006 5,699,300 2014 6,306,800 2007 5,640,900 2015 6,693,800 2008 5,559,500 2016 6,723,500 2009 5,585,600 2017 7,077,700 2010 6,108,300 2018 7,055,400 2011 5,944,700

【図4-2-2】長崎市における年度別観光客数(長崎市 2019)

2.2 「龍馬さるく」・「世界遺産さるく」の登場

2009年から2010年まで、この2年間に参加者数が増加した要因は、NHK大河ドラマ

「龍馬伝」の放送があった。2010年は「龍馬伝」が放送された年であり、長崎市全体の入 込み客数も増加した時期である。長崎市は「龍馬伝」の放送が決定された時期から、「龍馬 伝」による観光客誘致効果を期待し、坂本龍馬関連の観光商品の開発に取り組んでいった。

長崎国際観光コンベンション協会は、「長崎さるく幕末編(2009年4月23日~2009年11 0

1000000 2000000 3000000 4000000 5000000 6000000 7000000 8000000

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月30日)」と「長崎さるく英雄編(2010年1月~12月26日)」とキャンペーン期間を設 定し「龍馬さるく」を全面的に打ち出した。長崎市民のみではなく、修学旅行や団体客を 意識した旅行会社向けPRも行われた。

また、長崎さるく博’06 を機に整備した龍馬コース(コース名「龍馬が見上げた長崎の 空」)に、さらに新しく作り上げた施設を活用し、坂本龍馬ゆかりのコースを複数作り上げ た(表4-2-3)。第3章1節2項で紹介している亀山社中記念館前のブーツ像を含め、

関連の観光モニュメントは龍馬伝を機に作られるのだが、旧長崎街道から旧外国人居留地 までの一本の道を「長崎龍馬の道」と命名し、交差点ごとに案内番号をつけた。商店街に

「長崎まちなか龍馬館」を設置し、石碑しかなかった岩崎弥太郎の「土佐商会」跡や上野 彦馬の「上野撮影局」跡に新たにモニュメントを設置した。そのように新たなモニュメン トを作ったり、既存にあった施設を整備しながら、長崎さるくコースに坂本龍馬ゆかりの コースを追加し、街中の観光施設の整備に取り組んだ。

【表4-2-3】2009 年度から 2010 年度まで行われた「龍馬さるく」の例(長崎観光国 際コンベンション協会2009、2010)

2009 年 幕末編 通さるくコース名及び内容

長崎幕末・維新の道を往く: 幕末 の志士と長崎奉行所

勝海舟や坂本龍馬, 西園寺公望ゆかりの地, 紀州藩との船 舶事故「いろは丸事件」の談判が行われた聖福寺, 長崎奉行 所の跡などをめぐる

日本回天の舞台・長崎をたずね て : 龍馬, 象二郎, 弥太郎が駆 け抜けたまち

薩摩藩蔵屋敷跡や, 坂本龍馬, 岩崎弥太郎らが通った日本 三大花街・丸山, 龍馬と後藤象二郎の会談で日本回天の舞 台となった清風亭跡など, 幕末の志士たちが駆け抜けたま ちなかをめぐる

日本近代化の鼓動は長崎から:

勝海舟と海軍伝習所, そして海 援隊

海軍伝習所や医学伝習所の跡地や, 活版印刷術の創始者・

本木昌浩の居宅跡, 坂本龍馬やお龍, 近藤長次郎らが訪れ, 土佐海援隊の地といわれる小曽根家宅跡などをめぐる 龍馬が見上げた長崎の空: 風頭

から亀山社中跡, そして寺町へ

風頭山から上野彦馬の墓, 坂本龍馬之像, 亀山社中跡など をめぐる

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長崎さるく博’06以降、再び盛況したのは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を活用した戦略 が受け入れられたことを意味する。当時活動したガイドたちの証言によると、「亀山社中記 念館」などの観光施設は、さるくの参加者や一般観光客の増加により、1 時間以上待たな いといけない状況が頻発したり、全国からの龍馬通が多く参加したため、さるくガイドと のあいだで歴史的事実をめぐる口論になることも多かったと言う。さらに、龍馬伝の主人 公である福山雅治さんが長崎出身であったため、彼のファンも多く訪れ、さるくガイドた ちは龍馬ゆかりの歴史だけでなく、幼年期の福山さんについての情報やエピソードも収集 していたと言われる。

実際に長崎市への観光客の総数は、2004 年以降初めて 600 万人台となったのだが、次 2010 年 英雄編 通さるくコース名及び内容

幕末トップ会談 AND 龍馬 VS 長 崎奉行の行方: 長崎まちなか龍 馬館から長崎奉行所立山役所跡

長崎まちなか龍馬館(入場料 300 円込み)と長崎奉行所・

龍馬伝館をめぐる

龍馬が見上げた長崎の空: 風頭 から亀山社中跡, そして寺町へ

既存コースに 2009 年会館した亀山社中記念館の入場が含 まれたコース

龍馬と弥太郎が幕末舞台で待っ とるばい: 土佐商会跡から華の 丸山界隈

薩摩藩蔵屋敷跡や, 龍馬と後藤象二郎の会談で日本回天の 舞台となった清風亭跡などをめぐる

“海外へ志アル者, 此隊二入ル”

海援隊の心得を知る: 龍馬・お 龍, 近藤長次郎, ゆかりの地を 訪ねて

海援隊発祥の地から, 近代活版印刷術の創始者・本木昌浩 の居宅跡, 土佐海援隊の本拠地・小曽根邸跡などをめぐる

ある晴れた日に, 龍馬が夢見た 長崎居留地: 南山手界隈とグラ バー園

龍馬も散歩したであろう往時を想像しながら, 旧外国人居 留地の南山手とグラバー園(入場料 600 円込み)をめぐる

勝麟と風雲児. 出会いは, まさ に維新伝心!: 本蓮寺から長崎 奉行所立山役所跡

紀州藩との船舶事故「いろは丸事件」の談判が行われた聖 福寺, 長崎奉行所の跡などをめぐる(長崎歴史文化博物館

「常設展」の観覧料 500 円込み)

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第に増加し、2010 年には 610 万人を超えた。このように長崎市への入込み客数が増加し ている状況において、さるくガイドの存在は重要であった。なぜならば、坂本龍馬という 歴史的人物、またドラマ上の人物に対する興味を持って長崎に訪れた観光客は、要するに

「ドラマに誘発」されて長崎に訪れたわけである。その人物(坂本龍馬であり、福山雅治 であれ)についてより知りたいというモチベーションから訪れたわけである。そこで、豊 富な歴史的知識と長年のガイド経験を持ったさるくガイドたちは、観光客の要求を満足さ せる能力が十分備えられており、観光客による需要の多かった良いタイミングで、これま でのノウハウを発揮できたのだろうと考えられる。

さらに、2009-2010年にはまだスマートフォンが現在のように普及していなかったため、

地理情報を含めた観光情報を今のようにすぐ手に入れることはできなかった。「亀山社中 の跡」や「坂本龍馬之像」などの関連施設は山の奥に位置しているため、長崎の地理に慣 れていない観光客にとっては、かなり探しにくい場所でもあり、そこで「道案内人」とも なるさるくガイドは非常に役立つ存在であったはずである。さらに、歴史という見えない ものをさるくガイドの解説によって、想像させることも、この龍馬さるくの魅力として人 気を博した要因であった。

ところが、「龍馬伝ブーム」による参加者数の増加は持続せず、ドラマが終了した後から は参加者数は再び減少し続けていった。参加者数が停滞しているなかで、今度は龍馬さる くが脚光を浴びた翌年の2011年からは、長崎さるくが5周年を迎え、長崎国際観光コン ベンション協会は長崎さるくのリニューアルを行った。例えば、グルメをテーマとした「食 さるく」を新設し、グラバー園や大浦天主堂をめぐる「長崎居留地プレミアムさるく: 国 宝大浦天主堂とグラバー園をめぐる」コース(入場料込みで大人 1000 円)が土曜・日曜・

祝日に運行されはじめた。

一律500円の参加費で運営されてきた「通さるく」から、食事代や入場料などが含まれ たやや高い値段のコースを全面的に打ち出した。そのなかで、「明治日本の産業革命遺産九 州山口と関連地域」(2015年登録)、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(2018年 登録)の世界遺産の登録が期待されるようになり、2008年からそれと関連する学さるくが 徐々に実施されてはいたが、2015年からは世界遺産を巡るコースを打ち出した。例えば、

「長崎『明治日本の産業革命遺産』」コースはグラバー園入場料(大人610円)込みで1,000 円、「長崎居留地プレミアムさるく: 国宝大浦天主堂とグラバー園をめぐる」は大浦天主堂 拝観料(大人600円)・グラバー園入場料(大人610円)込みで1,000円、「南山手夕暮れ

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