• 検索結果がありません。

住民の役割パフォーマンスが生み出すもの

第 4 章 住民主体観光の裏面

1 考察

1.4 住民の役割パフォーマンスが生み出すもの

182

ということである。それは、さくらは舞台上のパフォーマンスの成功のために戦略的に仕 込まれた役割であるためであり、彼らのパフォーマンスにおいて主体性や真正性等は含ま れていないためである。それに対し、長崎さるくにおける常連の存在は、まち歩き観光の 場におけるパフォーマンスの成功のために隠さなければならない秘密でもなければ、何よ りも常連のパフォーマンスは、彼らの個人的な興味関心やまち歩き観光の時間を楽しく過 ごしたいという意思から生まれた「自発的なもの」である。そうした点で、常連とさくら とは区別される。常連の矛盾したパフォーマンスは、まち歩き観光の場を盛り上げたいと いうモチベーションから生まれた主体的なものであり、自分たちのまちという身近な場所 で非日常的な経験を生み出そうとする実践なのである。

183

いて、「飛び地的空間(Enclavic space)」と「異種混交的空間(Heterogeneous space)」と いった、対比する二つの空間的性質から説明した。飛び地的空間は、多くの場合、中央・

地方政府や大企業等による政治的・経済的サポートを基盤に成り立っており、ある種の精 製された空間(purified space)として常に管理され統制される。飛び地的空間の重要な特 徴の一つは、許可された人や活動と外を分離するための明確な境界を継続的に維持するこ とである。空間の一貫性や他の空間との差別性を図るため、計画された空間に必要なもの 以外は、人やモノ、音や匂い等の知覚的刺激も遮断される(Edensor 2000: 328-329)。また 飛び地的空間は観光客の行動を誘導(directional movement)でき、彼らの商品や経験に対す る要請を満たせるため、効率性を重視して設計されている(Edensor 2000: 339)。それに 対し、異種混交的空間は、地域住民が日常生活を営む公的・私的施設等、複合的で多目的 的な場所(mix purpose space)で成立し、そこでは観光客と住民が混ざり合うことができ る。また計画されず(unplanned)、偶発的に(contingent)行った観光の過程で目的地に なる場合が多い(Edensor 2000: 331)。

二つの観光空間において、従来のガイドツアーはガイドの監視や統制下で行われる点で、

飛び地的空間の事例として取り上げられた。例えば、ガイドは決まった場所で観光客に写 真撮影のタイミングを教え、台本化されたコメントを言い、事前に構成されたコースに従 って観光を演出する(Edensor 2000)。また望ましいイメージやナラティブを国内外の訪問 者の前で宣伝しようとする国の目論見のもとでガイドツアーが利用され管理されるという 指摘もあり、ホスト-ゲスト間の接触を都合よく制御する非常に効果的な手段であると論 じられてきた(Dahles 2002)。ガイドは観光客向けに演出された「表舞台」である観光空 間で、彼らの体験をコントロールすることができ(MacCannel 1976=2012)、観光客とホ スト社会の接触を媒介することが可能であると同時に、観光客のまなざしを管理する権力 性を有しているのである(Urry and Larson 2011=2014)。観光客の行動をコントロールす る従来のガイドツアーでは、ガイドは観光客に対し、やるべき規範的な行動を提示してお り、「何を見るべきか、どう見るべきか、何を見ないか」といった目の消費行動をガイドは 指揮し、ツアーに参加した観光客たちはその指揮に従う(Urry and Larson 2011=2014: 315)。

それに対し、まち歩き観光の空間的性質は、管理や統制によっては成立不可能な「偶然 の出会い」が頻繁に生じているという点で、異種混交的空間の性質を持っている。異種混 交的空間は、多数の入口と通路で複雑な構造を持ち、特定の決まった通りがあるわけでは ないため、さまざまな身体や車両の流れが多方向のパターン(multidirectional patterns)

184

で交差される。そこで観光客には複数の行動の選択肢があり、多様なウォーキングパフォ ーマンスと出会いの機会が得られる(Edensor 2000: 331)。まち歩き観光において観光の 対象となる「まち」は、観光客以外の地域住民が日常生活を営む場所として、まさに上述 したような様々な人やものが多方向に交差する場所であり、出会いのチャンスが常に開か れている。また、異種混交的空間においてある程度の計画や規制、監視も存在するが、厳 格なものというよりは、偶発性がより作用する(Edensor 2000: 332)。まちを歩くガイド や参加者の行動は、地域住民に見られており、彼らの行動やマナーは評価の対象になる場 合がある。一方で、そういったまなざしは、地域住民から参加者へと一方的なものとは限 らず、双方向的に生じる。例えば、まち歩きコースの周辺に住んでいる住民たちや、コー スの立ち寄り場所となる店舗の店主は、長崎さるくの参加者を意識して家の前や庭をきれ いに整備する動きも生じていた。ホスト-ゲスト間において双方向的にまなざしを向けて おり、それがお互いの行動にも影響を与えている。

まち歩き観光において偶然性が特徴づけられるのは、歩く途中で出会うまちの人々やモ ノ、知覚的刺激、風景をホスト側の意図通りに統制をすることが極めて難しいためである。

さるくガイドはまち歩き観光のステージを事前に計画するのだが、それが予定通りに実践 できるとは確約できない。むしろ、まち歩き観光の中で生じる偶然の出会いをまち歩き観 光の楽しさとして活かし、解釈する。【事例3-3-3】では、まち歩きの途中、ある参加 者の靴の底が取れてしまったことや、田舎の無人売店で安く売られているミカンを参加者 たちが楽しく購買する場面を描いた。些細な偶然の出来事を題材に参加者同士は新しい会 話を生み出していた。そういった出来事を事前にガイドが仕込んでおくことは不可能であ り、逆に防ぐこともできない。また想定外のことが生じたことで、ガイドを責める参加者 もいない。まち歩き観光においては、偶然性が常に潜在していることをガイドや参加者た ちは知っているのである。

一方、まち歩き観光における偶然的な出会いが参加者たちを喜ばせるということを、ベ テランのさるくガイドはすでに認識しており、時々ガイドは偶然を装う場合もある。【事例 3-3-6】で紹介した夜景さるくでは、鍋冠山展望台から長崎港に停泊しているクルー ズ船を見ることが目玉になっており、クルーズ船が見える日または天気が晴れで夜景がき れいに見える日には、ガイドは特別なツアーであると言いながら、参加者たちの気分を高 揚させる。しかし実際には、ガイドは事前に天気予報、日没時間、クルーズ船の入港予定 を確認したうえで学さるくを実施している。完全に偶然な出来事ではないということであ

185

る。しかし、それに気づいている参加者もいるかもしれないが、ガイドも参加者も偶然の 出会いのように振る舞いながら、その瞬間を楽しむ。なぜなら、ガイドが事前に準備した ことが、ガイドの思う通りに行われるという保証はできないためであり、まちという空間 では、予測不可能なことが常に生じうるためである。すなわち、ガイドの偶然を装ったパ フォーマンスも、実は偶然の重なりの中で実現されるものなのである。

さるくガイドと参加者による役割パフォーマンスの意味を理解する上で、「歩く」という 身体的な行為はヒントを与えてくれる。まちを「歩く」ことは、物理的な位置によって両 者の関係性を設定することを防ぐ。例えば、教室の前で授業をする先生と、先生にまなざ しを向ける多数の学生といった従来の学校教室の様子を考えると分かりやすいだろう。宗 教施設も同様であり、固定された位置関係やまなざしを向ける場所によって、人々の関係 性、すなわち権力関係が設定される場合が多い。一般的にガイドツアーとは、旗を持った ガイドは先頭で歩き、観光客はその後ろで行列を作って歩くことをイメージされるかもし れない。しかしまち歩き観光においては、ガイドが必ずしも先頭にいるとも限らず、参加 者たちと交じり合ったかたちで歩くことが多く見られる。歩くことそのものがさるくガイ ドと参加者間の関係性を設定する実践でもあれば、両者の比較的均等な関係性が、歩き方 で現れているともいえる。

その他歩くことは、参加者同士がお互いの物理的な距離を自由に調整できるようにし、

バスや車、電車等の移動手段を利用する時には見ることができない、まちの様々な風景を 五感で感じさせる。2~3時間まちを歩く途中、参加者同士は距離を自由自在に変更しなが ら、会話したい相手を探し、会話を始めたり終わらせたりする。【事例3-1-3】と【事 例3-3-3】では、参加者同士が道沿いで発見した看板から会話の話題を見つける場面 や民家の庭に咲いた花を見て名前を言い合う場面、韓国人である筆者に韓国語で声をかけ るなど、参加者たちがその都度の状況に応じて、話題を見つけ、会話を実践する様子を描 いた。要するに、歩くことは偶然の出会いを可能にし、人々の会話の生成を容易にさせる。

そういった偶然の出会いの過程で経験したものが人々の旅の思い出になる。

偶然性をまち歩き観光の楽しさに活かすためのさるくガイドのパフォーマンスは、ガイ ドと参加者間の会話の中からも見られる。ガイドは参加者に対し一方的な言動はせず、参 加者同士の会話とつながりを促進させる「ファシリテーター」としての役割を担っている。

参加者たちが共感しやすく、会話を生成しやすい話題をあえて持ち込むことが多く見られ ており、例えば 60 代後半から 70 代までの世代が参加している長崎さるくにおいてそれ

関連したドキュメント