第3章 住民同士の「ホスト-ゲスト」としての役割分担
3 まち歩きの楽しさの源泉
3.2 まち歩きにおける会話の様相
上述したように長崎さるくにおいては、多様な会話の実践が行われている。本項では、
まち歩きの途中でガイドと参加者、参加者同士がどのような関係性を持ちながらまち歩き の時間を過ごしているのか、そしてどのような会話が交わされているのかに注目しながら、
まち歩きの様相を描き出す。
まず以下では、長崎の風の黒田さんと平山さんが実施している「茂木さるく」の事例に ついて述べる。この事例を通じて、まち歩きの道のりが理解でき、参加者たちはどのよう な場面でコミュニケーションをとっているのかが見えてくる。茂木(もぎ)は長崎市内か らバスで20分ほど離れた小さな漁村であり、顕著な観光資源を有するまちとは言い難い。
トレッキングコースのような歩く専用の道が整備されているわけでもなく、茂木まで歩い ていくことはほとんどない。なぜ茂木なのかということも不明確ではあるが、長崎市内か ら山を越えて、その途中で出会う風景を楽しみ、参加者同士で何もない話をしながら、3時 間ほど歩いて行き、帰りはバスを使い20分で帰ってくるコースである。
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【事例3-3-3】長崎の今に向き合うガイドの解説と参加者同士の会話 ガイドは黒田さんと平山さん、参加者は20名。
9:30 正覚寺。長崎から茂木まで行く道は三つあって、江戸時代の道、明治の道、今 の道があると。今日は江戸の道を歩く。明治の道はなぜできたかというと、居留地に 住んでいた外国人が行く避暑地が茂木であったため、人力車で行ける道が必要だった からだと。今の道は車とバスが通る道。正覚寺は、路面電車の終点で「しょうかくじ」
で知られているが、正確には「しょうがくじ」であると言う。長崎では2番目に古い。
イチョウの木がきれいな黄色になっていた。
9:45 江戸道の始まり。5年前この茂木さるくを始めた時は、ここは階段だったらしい。
しかし長崎市の車道事業によって階段がなくなって、その時の趣きもなくなったと。
長崎には車が通れない坂道がたくさんある。そして長崎の人口も減っている。とくに 若者の数が減っている。進学や就職で福岡や東京に行っている。そういった長崎の世 間話もしながら歩く。
10:00 急な斜面道と横に並んでいるお墓。一定の傾斜を超えると亀の甲のような形 に道路を舗装しなければいけない。人ではなくて車が滑らないための装置だという。
確かに傾斜が終わると、亀の甲も終わる。そして階段がなくなると、ごみの収集もで きるようになる。そうするとカラスが集まる。網の穴が多いものは古いものでカラス のくちばしが入る。長崎のまちでは学校が山の上にある。まちの生活と隔離されて学 生たちは学校生活を送る。そうすると、卒業をしてまちに来る時に戸惑ってしまう。
このように長崎のまちと人の生活について、黒田さん自身の考えを語り、みんなが話 会い、討論する時間ができていた。
10:05 無縁塔。茂木から魚を持って築町やまちで魚を売りにくるおばちゃんたちが 歩いたみちであると。それがつい20-30年前の話であると。携帯のカメラを持ってい る参加者たち4-5人が写真を撮る。
10:15 「韓国の方ですか?」と30-40代の女性に韓国語で声をかけられた。「あ、そう です」と言ったら、私が韓国語でメモを取っていたから声かけてみましたという。
10:30 黒田さんはここの下が街中であると言いながら、長崎くんちの話をする。また 韓国に興味のある人(60代女性)に声かけられる。冬ソナタが好きで、韓国の旅行に も行ったし、冬ソナの最後のシーンの撮影場所も行ったことがあるという。必ず韓国 の話は出てくるが、周りの人がよく私が韓国人であることを知っていて、自分たちの
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経験を話してくる。そして、1時間一緒に歩いたら、なんとなく雰囲気がよくなって、
最初の気まずかったことがなくなり、一緒に歩くことを自然と感じ、声かけたり、か けられたりするのがおかしくないようになる。
10:55 山を越え、茂木もまちに入っていく。その途中江戸、明治、今の道が全部見え る場所にきた。話を聞いていないような人もいるように見えるが、じつは聞いていて、
黒田さんが終わったら、隣の人に一言加えている。また韓国について聞かれる。「韓国 で試験が延期されたでしょう?」と。「そうですね。」「あんたもそう受けたわけ?」「そ うですね。10年くらい前ですね」と(写真3-3-1)。
11:05 スタートから、靴の底が取れた人がいて、それを袋でなんとか結んできたわけ だが、それを取って、下の高さが合わないまま歩きはじめた。隣の人が「ずっと履い てなかったでしょう?はかないと必ず劣化するんですよ」と。歩きながら、距離が縮 んだり、遠くなったり、隣の人と離れたり、違う人が隣に来たり、自分の位置が常に 変わっていくなかで人と話をする。適度な距離を維持しながら。
11:15 道端で民家の庭が見え、びわの花が見えてきた。「びわの花だね」と60-70代の 女性たちは植物の名前を言ってくれる。竹が続く場所で、「竹って韓国語で何っていう のか知ってますか?」と韓国語がお上手な方に話かけた。「あ知らないです」「デナム ですよ。あれでごはんたいたり、歯磨き粉もありますよね」「ああ、知ってる」と。
黒田さんはまちなかだけでなくて、ここの大水害の被害があったことを言いながら、
橋の表札を見せる。水害の翌年に新設されたと書いてあった。「あら~」とみんな反応 する。顔は見たことがあるなと思った参加者(50代女性)に、さるくはよく参加する のかと聞くと、「土日は休みだから、さるくに来て強制的に歩かないと!楽しいですね
~」という。また一人の参加者(50代女性)が「セリ」と言うと、その近くにいた他 の参加者(60代女性)が「セリ、美味しいですよね」と言いながら反応をする。道端 にある植物から会話が生まれている。そして突然ある参加者(60代女性)は「本当に 若い人見るとうらやましい!」と私を見て話す。私は何も答えずに笑顔をした。
11:30 無人売店。1kgくらいのミカンが100円で売っていた。「地元にお金を落とそ う!」と黒田さんは言いながら、ミカンを買う。私も買って、次々と5-6名くらいの参 加者がミカンを買って自分たちのかばんに入れる。道端にミカンの農家のようにみえ る場所があって、ミカンの実がなっている木が次々とあった。ザボンの木も見えた。
実が特に小さいミカンの木を指しながら、ある参加者は「あれはお正月の鏡餅の上に
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乗せるミカン」であると語った。長崎では小さなかわいいミカンを鏡餅の上に乗せる みたい。私が質問をしたわけでないけれど、なるほどと思った。もっと歩くと、昔お 相撲さんがいた場所のお墓を見せる。「黒田さんはどうやってこういうのを知ってる んだろう」と不思議に思いつつ、こういうのが郷土史っていうものなのかと考える。
11:44 左側の向こうに海が見えてきた。「東北の津波を思い出すね。あれと一緒でし ょ」とある参加者が言う。「地形は確かに似ているけど、あの人にはそう見えるんだな」
と心の中で思った。自分は考えてもいなかったことをその参加者は考えながら歩いて いた。20人がぞろぞろ歩いているのを、周りの住民は、何やってるんだろうみたいな 顔で見ている。
11:50 裳着(もぎ)神社に到着。階段の上まで登るとまちと海の全景が広がる。「こ んな場所に神社を立てるなんて昔の人はすごいな」と思う。他の参加者たちは風景を 眺めたり、水を飲んだり、お参りをしたりする。
12:11 まちに入って、茂木の路地を歩き、民家を見て、商店街もみる。お寺の前にお ろんというパン屋があることを紹介してくれる。その前にバス停があることも。そろ そろ疲れてお腹がすいてきた。商店街の中に銭湯があって、夏場は暑いからさるく終 わったら入って帰ると話をする。みんなが笑う。Sマートがある場所に昔茂木ホテルが あったと。最後お店ランチ。
20名が全員座るといっぱいになる小さな食堂で、ちらし寿司を食べた。次のさるくも 紹介してもらって、ここで解散をしますと言い、みんなは拍手。「終わったときにみん なが拍手をするとその日のガイドが成功したってことだよ」と先日に黒田さんが話し たことを思い出し、思わず拍手をしてしまう、私と参加者をみて、今日よかったなと、
黒田さんも喜んでると思って嬉しかった。食事が終わってお店を出たら、なぜかみん ながパン屋に。私も寄って、「コーヒー飲む?」といつも参加されるおばちゃんが聞い てくれる。「パン買うとサービスしてくれるって」と。茂木まで3時間をかけて歩いた が、帰りはバスで街まで20分で着いた。バスにはばらばらに乗って、各自下車。(2017 年11月25日、「茂木さるく」調査日誌の中から)