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まち歩き観光の場を盛り上げるパフォーマーとしての常連の役割

第 4 章 住民主体観光の裏面

1 考察

1.3 まち歩き観光の場を盛り上げるパフォーマーとしての常連の役割

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治的な弾圧について語ることについては、実際に賛否両論があり、その内容の重みをどの ように捉えるかは考える余地がある。しかし、観光の場に集まった人々がフラットな関係 性の中で、何かについて語り合えるきっかけをつくるのは、さるくガイドの評価すべき点 ではなかろうか。東の議論からすれば、さるくガイドはツーリスト的な存在であり、何者 にも見えない存在だからこそ、新しいコミュニケーションを開く可能性を備えていると考 える。

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長崎さるくの常連はどのような人びとであり、まち歩き観光の場でいかなる役割を果た しているのだろうか。常連は長崎市あるいは近隣地域の住民であり、いわゆる観光客とは 違って長崎の地理的・文化的な感覚をすでに持っている。彼らは自分の地域について知り たいという気持ちや身近なこのまちで楽しいことを見つけたいという意欲が強い人々であ るように見える。参加年数が長い人は 2006 年の長崎さるく博’06 から参加する人もいれ ば、周りの人の紹介で4-5年前から参加し始めた人、長崎について学び、知り合いをつく るために参加しはじめた移住者もいる。また毎月参加する人もいれば、仕事や家庭内の事 情、健康条件等、様々な個人的な事情で都合に合わせて参加する人が多い。

常連がまち歩き観光において果たす重要な役割は、参加を継続する中でまち歩き観光の 楽しみ方を身につけており、まち歩き観光の場を盛り上げるパフォーマンスをすることで ある。ここで言うまち歩き観光の楽しみ方として、その一つは「会話する態勢を整える」

「目的性のない会話を楽しむ」といったガイドと参加者間、参加者同士の会話の方式であ る。例えば、ツアーの途中、まち歩きのテーマと関係のない会話をかけてくる人を無視し たり、否定することは決してしない。目的性のない会話をノイズのように扱わないという ことである。そのような暗黙的な了解のもとで、ガイドの解説以外にも様々なところで同 時多発的に会話が生じており、容認される。【事例3-3-3】と【事例3-3-5】では、

まち歩き観光の途中、参加者が他の参加者にガイドの話を補完したり、参加者同士が新し い話題を見つけ、会話に盛り上がったりする等、ツアーの中に複数の会話が行われている ことを示した。その際に会話の話題になるのは、ツアーのテーマとは関係ないものが多く、

むしろそういった目的性のない主観的な経験談や雑談、世間話を楽しんでいる様子が明瞭 に見て取れた。それに対し、【事例3-3-2】のオートエスノグラフィーを通じて、学さ るくの会話の形式を掴んでいなかった時期に学さるくのガイド体験をした筆者が、目的性 のない会話に慣れていなかったため、参加者たちとの会話に苦戦していた様子を紹介した。

さらに注目すべき点は、上述した目的性のない会話を行うなかで、常連の役割が揺れ動 いていることである。【事例3-3-5】では、他のコースではガイドを務めるさるくガイ ドたちが、まち歩きの参加者として参加していることを紹介した。ガイドたちは常にガイ ドとして関わるのではなく、参加者にもなっているのである。参加者として参加したさる くガイドは、まち歩きの途中、他の参加者にガイドの話を補足するなどガイドをしてもい る。また、あたかもガイドのように、他の参加者に自分の話を語る参加者もいた。ガイド 活動をしていない常連の参加者も類似した行動をする。例えば、稀に観光客が参加した時

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や長崎さるくへの参加が初めてのように見える人に対して、ガイドのように振る舞う参加 者は頻繁に見られる。このような特殊な時だけでなくとも、参加者本人の主観的な判断に より、ホストのように振る舞うこともある。ゲストとして参加した彼らは、他の参加者と のやりとりの中でホストとゲストを行き来しながら、自己の振る舞いを決定しているので ある。

Goffmanは、パフォーマンスをつくりだす状況を維持することが、最優先の目標である

パフォーマンスチームにおいて、チームの目標を達成するために、矛盾した役割をする人 物が現れる時があることを指摘した。その事例として「さくら(shill)」を取り上げている。

さくらとは、オーディエンスのなかの平凡な一員であるかのように振舞うが、実はパ フォーマーと気脈を通じている者のことである。典型的には、さくらは、オーディエ ンスにパフォーマーが求めているような型の反応の人目をひくモデルを示すか、ある いはその時点でパフォーマンスの展開に必要な型のオーディエンス側の反応を供給す るものである(Goffman 1959=1974: 170)。

さくらは表面的には観客であるが、パフォーマーと気脈を通じており、パフォーマンス チームがつくりだした状況を成功的に誘導する役割を果たす。

まち歩き観光において、参加者として参加するさるくガイドたちは、表面的には「ゲス ト」であるが、案内を担当するガイドとは同僚であり、気心の知れた関係である。ここで 特徴的なのは、まち歩きへの参加を継続し、常連になっている住民参加者も、徐々にまち 歩き観光の状況や雰囲気を維持させていくことに協力するようになるということである。

住民たちは、ある時はホストとして、また別な時はゲストとして参加しているのだが、ま ち歩き観光の場を共に形成し、継続していくという目的は同一なのである。すなわち、彼 らはまち歩きの場を維持、継続するという目標を達成するためのパフォーマンスチームに なり、その状況に応じたコミュニケーションをするパフォーマンスを実践しているといえ る。

このようにGoffmanの論じた「さくら」と長崎さるくにおける「常連」は、パフォーマ ンスを成功的に行うために矛盾した役割を果たすという点で類似している。しかし両者に おいて重要な違いは、さくらの場合その役割が観客に知らされることは、パフォーマンス の失敗を招く程の「破壊的情報(destructive information)」(Goffman 1959=1974: 164 )だ

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ということである。それは、さくらは舞台上のパフォーマンスの成功のために戦略的に仕 込まれた役割であるためであり、彼らのパフォーマンスにおいて主体性や真正性等は含ま れていないためである。それに対し、長崎さるくにおける常連の存在は、まち歩き観光の 場におけるパフォーマンスの成功のために隠さなければならない秘密でもなければ、何よ りも常連のパフォーマンスは、彼らの個人的な興味関心やまち歩き観光の時間を楽しく過 ごしたいという意思から生まれた「自発的なもの」である。そうした点で、常連とさくら とは区別される。常連の矛盾したパフォーマンスは、まち歩き観光の場を盛り上げたいと いうモチベーションから生まれた主体的なものであり、自分たちのまちという身近な場所 で非日常的な経験を生み出そうとする実践なのである。

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