6. 移動動詞の意味構造
6.2. 移動事象を構成する関数
6.2.2. 経路の意味構造
6.2.1.では、「移動」の概念を表す関数MOVEを定義した。移動関数MOVEによって
構成される意味構造λP λx λs [MOVE (x) & P (x)](s)(=上掲(19))において、移動に伴 って形成される経路の概念を表すP (x)は、具体的には経路項の前置詞句(PP)によっ て具現される。それでは、そのような移動の経路を表す前置詞句の意味は、どのよう に捉えられるのだろうか。空間の位置関係を表す前置詞句の意味構造は、Wunderlich (1991)、Wunderlich/Herweg (1991)、Wunderlich/Kaufmann (1990)などの先行研究におい て、詳細に分析されている。ここでは、Wunderlich らの分析に基づき、語彙分解の手 法による経路を表す前置詞句の捉え方を示す。
Wunderlichらは、Wunderlich (1991)、Wunderlich/Herweg (1991)、Wunderlich/Kaufmann
(1990)などの一連の研究において、「場所」を表す前置詞(lokale Präpositionen; locative
prepositions)と「方向」を表す前置詞(direktionale Präpositionen; directional prepositions)
に対してそれぞれ異なる意味構造を提案している。Wunderlich (1991: 603)によれば、場 所を表す前置詞と方向を表す前置詞はたびたびペアとして現れるものの、その違いは 必ずしも形態的には表示されない。例えば英語ではintoの-toのような接辞はごく限定 的にしか用いられない。また、ドイツ語の前置詞には、例えばan(~へ、~に当てて)、
auf(~の上に)、in(~の中に)、vor(~の前に)などのように、場所や位置関係を表
す場合には与格、方向を表す場合には対格を支配するという格支配の対立があるもの が存在するが、その一方で、um(~を回って)のように場所や位置関係を表す場合と 方向を表す場合とで格支配の対立がなく、一貫して対格を支配するものもある9。この ように形態的には必ずしも判然としない場所と方向の前置詞の違いについて、
Wunderlich (1991)は、場所の場合は[−DIR]、方向の場合は[+DIR]として、「方向を表す
か否か」というカテゴリーの対立で捉えている(DIRはDIRectional)。Wunderlichらの アプローチでは、まず、場所を表す前置詞の意味構造が問題となる。彼らの分析では、
9 例えばum die Ecke gehen「角を曲がって行く」ではumは方向を表し、um den Tisch sitzen
「テーブルのまわりに座っている」のumは場所や位置を表す。
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場所を表す前置詞([−DIR])の意味は、位置づけられる個体(Individuum; individuum)
と領域(Region; region)という2つの項を取る述語LOCで分析される。例えば、場所 を表す前置詞 unter/under「下に」が指しうるあらゆる状況の特徴は、以下のような図 で表される(Wunderlich (1991: 596)を参照):
(22) 「場所」を表す前置詞unter/underの指しうる状況
v
vertical LOC (u, R [v]) u
R
(22)の図において、uが位置づけられる個体である対象(Theme; theme)、vが指示対象
に関連づけられる項(Relatum; relatum)、Rが領域である。ここで重要なのは、前置詞 が表すのが、個体同士の関係(例えば(22)におけるuとv)ではなく、位置づけられる 個体(u)と領域(R)との関係と捉えられていることである。この領域は、具体的な 前置詞および関連項が決まることで規定される。例えばunter/underならば「(何かの)
下」、auf/onならば「(何かの)上」のように空間関係が決定され、さらにunter dem Tisch
「机の下」やauf dem Tisch「机の上」のように具体的な関連項「机(der Tisch)」が埋 まることで、これらの前置詞句によって表される領域が定められる。
このような前置詞句で表される空間関係を、例えば「花瓶(x)が机(v)の上にあ る」という状況で考えてみると、その状況は以下の(23)のように捉えられる:
(23) 「花瓶(x)が机(v)の上にある」という状況
AUF* (Region)
x (theme) LOC (x, AUF* (v))
v (relatum)
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(23)のように、「花瓶」は位置づけられる対象(x)、「机」は関連項(v)を指す。さら
に、前置詞aufによって具体的に指し示される領域は、aufを概念化したAUF*として 捉えられる10。このように、場所を表す前置詞aufの意味構造は、LOC (x, AUF* (v))「x がvを関連項とする領域AUF*に位置づけられる」として示される。前置詞句auf dem Tisch「机の上に」を例にすると、その意味構造は、LOC (x, AUF* (der Tisch))のように 捉えられる。ここでは、その意味構造における外項の対象項x は未定である。この対 象項xは、例えばstehen(立っている)やliegen(横たわっている)のような動詞と結 合することで、具体的に埋められることになるとされる。例えば、Die Vase steht auf dem
Tisch.「花瓶が机の上に(立てた状態で)ある」では、動詞stehenによって導入される
対象物のdie Vase(花瓶)が、述語LOCの対象項xを埋めることになる。この文の意
味構造は、以下の(24)のように示される11:
(24) Die Vase steht auf dem Tisch.
the vase-NOM stands-3SG on the table
LOC (die Vase, AUF* (der Tisch)) & STEH* (die Vase)(s)
(24)では AUF*として示されているような領域(R)は、具体的な前置詞が決まること
で規定されるものである。そこで、任意の前置詞 P の意味構造は、以下の(25)のよう に示される(Wunderlich (1991: 599f.)、Wunderlich/Herweg (1991: 772f.)など参照)12:
(25) 場所の前置詞 [−DIR]
λv λx LOC (x, P* (v))
このように、Wunderlichらのアプローチでは、「場所」を表す前置詞が個体と領域と
10このAUF*では、関係項として示される対象の「上」の空間というだけではなく、その 対象に接している(CONTACT)ことも、その語彙情報として含まれる。
11 (24)は Wunderlich/Herweg (1991: 773f.)の記述を参考にしている。意味構造における
STEH*は、動詞 stehen によって表される対象物の状態(「立てた」状態)を概念化した
ものである。
12 (25)の意味構造の表示は、とくにWunderlich/Herweg (1991: 772f.)を参考にしている。
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の関係を表すものとして捉えられている。それでは、「方向」を表す前置詞の意味構造 はどのように捉えられるだろうか。Wunderlich らの分析によると、方向を表す前置詞
([+DIR])は、上掲の(25)で示されるような場所の前置詞([−DIR])の意味構造を基本 としつつ、「変化」を表す述語 CHANGE の導入によって、以下の(26)のように捉えら れる(Wunderlich (1990: 54-57)、Wunderlich (1991: 603f.)、Wunderlich/Kaufmann (1990:
233ff.)、Wunderlich/Herweg (1991: 774ff.)などの記述を参照):
(26) 方向の前置詞 [+DIR]
λv λx CHANGE (D, LOC (x, P* (v))) (27) 関数CHANGE
The predicate constant CHANGE expresses the transition from one region into the other. D is some dimension in which the transition takes place [...].
(Wunderlich (1991: 603))
述語定数CHANGEはある領域から異なる領域への移行を表す。Dは移行が生
じる次元である〔…〕
場所を表す前置詞が静的(statisch; static)な状況を指すのに対し、方向の前置詞によ って表される位置の変化は動的(dynamisch; dynamic)な状況を指す。(27)の関数
CHANGEの定義のとおり、方向の前置詞によって表されるのは、「ある領域(Region;
region)からそれとは異なる領域への移行(Wechsel; transition)」として捉えられる。
以上のとおり、Wunderlich (1991)らの分析によると、「場所」を表す前置詞と「方向」
を表す前置詞はそれぞれに異なる意味構造で表示され、「場所」の場合は意味関数LOC によって、「方向」の場合はLOC(場所)を内包する意味関数CHANGEによって構成 される。laufen(走る・歩く)やschwimmen(泳ぐ)などの移動動詞とともに、移動の 経路を表すために用いられるのは、例えばIch lief ins Haus.(私は家に駆け込んだ)や
Ich schwamm ans Ufer.(私は岸に泳ぎ着いた)のように、対格を支配するinやanなど
の「方向」の前置詞である。これらのことから、本稿では、6.2.1.の(19)で示した移動 の関数MOVEの項である経路を表す述語(P)は、上掲(26), (27)の定義のような、「あ る領域からそれとは異なる領域への移行」という、相反する局面から構成される位置 の変化を表すλv λx CHANGE (D, LOC (x, P* (v)))によって埋められると想定する。
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