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個体の所有と事象の所有

ドキュメント内 ― ドイツ語の移動動詞を例に ― (ページ 194-198)

7. 事象の「所有」: 与格構文と lassen 構文の意味構造

7.1.2. 個体の所有と事象の所有

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一指示であることで(ここではdie Tasche)、「zがxを所有し、xが落ちてQという位 置の変化を被る」という意味が得られる。(3a)と同様に、(3b)の所有者拡張された

waschenでは、「xがyを洗い、zがuを所有する」という意味表示において、yとuが

同一指示であり(ここではdas Hemd)、「xがyを洗い、zがyを所有する」という意 味が得られる。(3)の所有者拡張された意味構造からは、同時に、自由与格で表されう る不利益や利益といった意味を読み取ることも可能となる。(3a)では、与格で示される

「私」の所有物である「かばん」が、所有者(z)の手を離れるということになり、「私」

はそのような事態から不利益を被ると解釈することができる。(3b)では、与格で示され る「私」は洗われた状態のシャツの所有者(z)であり、ここでは「彼が(私の)シャ ツを洗ってくれる」という「私」にとっての利益の解釈が可能となる。

以上のように、Wunderlich (2000)による「所有者拡張」では、新たに追加される与格 の項と文中のいずれかの項(例えば(3a)では主語の移動物、(3b)では他動詞の目的語)

との間に所有の関係が認められる(=与格が該当項の「所有者」である)ならば、予 め提示された(1)の図式に従い、与格の追加が可能であるとされる。

188 「彼は私のためにシャツを洗ってくれた」

(5) a. Meine Tasche fiel in den Fluss.

my bag-NOM fell-3SG into the river 「私のかばんが川へ落ちた」

b. Er wusch mein Hemd.

he-NOM washed-3SG my shirt-ACC

「彼は私のシャツを洗った」

いわゆる所有の与格のように所有物から独立した形式で示される所有者は、「外的所有 者(externer Possessor; external possessor)」として、例えばdie Tasche der Frau「その女 性のかばん」、Michaels Hemd「ミヒャエルのシャツ」のような、名詞句(DP)内に表 示される「内的所有者(interner Possessor; internal possessor)」から派生されるというこ とが、伝統的な関係文法や生成文法の枠組みで論じられることがある(Perlmutter/Postal (1983)、Massam (1985)、Baker (1988)など)。そのような統語的派生は「所有者繰り上 げ(Possessoranhebung; possessor raising)」と呼ばれる。所有者繰り上げの例としては、

以下のようなものが挙げられる((6)の例はHeine (1993: 14)からの引用):

(6) a. Mein Hund hat Karls Knie geleckt.

my dog-NOM has-3SG Karl’s knee-ACC licked b. Mein Hund hat Karl das Knie geleckt.

my dog-NOM has-3SG Karl-DAT the knee-ACC licked 「私の犬はカールのひざをなめた」

(6)が表すのはいずれも、「私の犬(主語)がカール(所有者)のひざ(所有物)をなめ

た」という状況である。(6a)では所有者(Karl)が属格修飾語で、(6b)では与格で示さ れている。所有者繰り上げでは、(6a)のように所有者が名詞句(DP)内で示される形 式が基本形とされ、そこから(6b)のように与格の項(Argument; argument)として繰り 上げられていると捉えられる。上掲の(6)はドイツ語の例であるが、(6b)のような「外 的所有者」構文は多くの言語で観察されることが知られており(例えば Payne/Barshi

(1999)参照)、とりわけ所有者繰り上げについて、その統語的な派生の仕組みが論じら

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れている(例えばAllen/Frantz/Gardiner/Perlmutter (1990)、Landau (1999)、Lee-Schoenfeld

(2006)など)。これらの統語論的なアプローチでは概して、(6a)のような「内的所有者」

の構文と、(6b)のような「外的所有者」の構文の意味的な違いは問題とされない。自由 与格の認可を基底の動詞の意味述語に対する関数 POSS (z, u)の追加で捉えるという Wunderlich (2000)の意味論的なアプローチにおいても、例えば(6b)のような自由与格の

「外的所有者」は、個体の所有者である(=与格zが個体uを所有する)という点で、

(6a)のような「内的所有者」との意味的な差異はないものとして見なされる。

しかし、Heine (1993)で指摘されるように、文の間接目的語や直接目的語として所有 物からは独立した形式で示される「外的所有者」と、所有格の形式で名詞句(DP)内 に示される「内的所有者」では、その表す意味内容が異なる。Heine (1993: 163f.)では、

以下の(7)のような英語の「外的所有者」と「内的所有者」の例に基づいて、両者の違 いが以下の(8)のように述べられている3

(7) a. The dog bit Cliff on the ankle. <外的所有者>

b. The dog bit Cliff’s ankle. <内的所有者>

「その犬はクリフの足首を噛んだ」

(8) 外的所有者と内的所有者の意味の差異:

(i) (7a)では、(7b)と比べて、表される行為・動作が「所有者」の人物に対してより緊 密な影響を与えていると捉えられる。

(ii) (7b)で示される身体部位は、「所有者」の人から切り離された対象のように捉えら

れる。

(iii) (7a)では、行為・動作が「所有者」の人物に向けられているように捉えられるのに 対して、(7b)では、「所有者」から切り離された対象物(身体部位)に向けられて いるように捉えられる。

(iv) (i)~(iii)から、(7a)の身体部位は「所有者」の個人的な領域(personal domain)の 一部として捉えられるのに対し、(7b)の身体部位はそのようには捉えられない。

Heine (1993)が指摘するように、「所有者」である人物が「内的所有者」として名詞句

3 外的所有者と内的所有者の意味的な違いは、Blake (1984, 1990)およびCappell/McGregor (1996)も参照。

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(DP)内で表示されるよりも、所有物から独立した形式の「外的所有者」として示さ れるほうが、文で表される行為や動作がその人物に向かうものであることが表される。

例えば、ドイツ語では、「自分の手を洗う」「私は彼の手を洗ってあげる」という状況 を表すのに、Ich wasche meine Hände.「私は私の手を洗う」/ Ich wasche seine Hände.「私 は彼の手を洗う」のような「内的所有者」の所有限定詞(mein「私の」、sein「彼の」)

による表現ではなく、Ich wasche mir die Hände. / Ich wasche ihm die Hände.のような「外 的所有者」の与格の表現が好まれる。このように、いわゆる所有の与格とされる自由 与格で表される「外的所有者」と、所有を表す属格に代表される「内的所有者」は、

統語的な派生関係の有無は別として、連続性を持ちつつも異なる意味関係を表すので はないかと考えられる。所有、利益・不利益の自由与格において表されるのは、

Rosengren (1978: 393)において表される事態から影響を受ける「被動者(Patiens)」の役

割として捉えられたように(本稿の 2.2.3.参照)、述語が表す動作や行為から当該の人 物が影響を受けることである。「内的所有者」が、個体の間で認められる狭義の所有

(Possession; possession)を表すのに対して、「外的所有者」の自由与格が表すのは、よ り広い意味での所有関係、事象と人との影響関係であるといえる4。この影響関係は、

(与格の)人による「事象の所有」として捉えることができると考えられる。

この「事象の所有」という概念について、ここでは、日本語の所有動詞の「ある」

を例として考えてみたい。以下の(9)のような「ある」の構文は、Kuno (1973)、柴谷 (1978)、

高見/久野 (2014)などによると、「に」格名詞を主語、「が」格名詞を目的語とする所有 文(他動詞文)として分析される:

(9) a. 太郎に(は) 妻子が ある 主語 目的語 have b. 太郎に(は) お金が ある 主語 目的語 have

(9)では「が」格で表される対象が、(9a)の「妻子」のように有生物であるか、(9b)の「お

金」のように無生物であるかという違いはあるものの、どちらも所有の「ある」(=have)

4 この広い意味での「所有」関係は、Wegener (1985: 76)においてHaben-Relationとして、

Ogawa (2003: 13f.)においてRelationとして想定されたものに相当する。

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の目的語、すなわち「に」格の主語「太郎」の所有物として見なされるといえる。と ころが、日本語の「ある」で表されるのは、このような個体の項同士に認められる、

狭義の所有に留まらない。日本語の所有動詞「ある」では、上掲の(9)のような所有文 のほかにも、以下の(10)のような用法が見られる:

(10) a. 先日、友人に不幸があった。

b. 昨日、身内に事故があった。

(10a)における「友人」、(10b)における「身内」は、ある事象(「不幸」や「事故」)の 担い手として捉えられる人物である。(10)の例におけるような、「ある」の用法は、(文 で表される)中核的な事象とその受け手の人という意味関係によって、分析すること ができると思われる。例えば(10a)は、いわば「友人に「不幸がある」というコトがあ る」のように、ある中核的な事象「不幸がある」が存在し、その受け手の人である「太 郎」がいることを表しているといえるだろう。この場合の「太郎」は、中核的な事象 から影響を受ける、その事象の経験者(Experiencer; experiencer)として捉えられると 考えられる。(10b)も同様に、「身内に「事故がある」というコトがある」という、中核 事象とその受け手の人との意味関係を表し、「に」格で示される「身内」は、中核事象 の受け手、その経験者として捉えられる。

以上のように、日本語の所有動詞「ある」では、個体間の所有関係「人がモノを持 っている/モノが人にある」という意味だけでなく、事象と人との間に認められる「人 にコトがある」という意味も表されるといえる。ここで、ドイツ語の自由与格に目を 戻すと、与格で表されるのは、述語で表される動作や行為から影響を被る、いわば表 される事象の受け手的な人物であった。このことから、ドイツ語の自由与格で表され るのは、狭義の「個体(モノ)の所有」との間に意味的な連続性・関連性が認められ るような、述語動詞で表される中核事象の受け手、すなわち、人による「事象(コト)

の所有」であると考えられる。

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