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第四章、 革命模範劇『沙家浜』

第五節、 『沙家浜』と「三突出」

一、「三突出」登場始末

「三突出」はプロレタリア文化大革命期の文芸の指導理論の一つである。最初に于 会泳が 1968 年 5 月 23 日の『文匯報』に発表した『譲文芸舞台永遠成為宣伝毛沢東思 想的陣地』の中で提起され、江青などの賛成を受けてから普及した。「文芸作品がプ ロレタリアの英雄人物を創造する時に必ず従わなければならない原則である」と称さ れた。本節では、戴嘉枋の『様板戯的風風雨雨』265の叙述に基づいて、「三突出」の登場 始末の考察を行い。

(一)、「三突出」の誕生

1942 年 5 月 23 日、毛沢東が『文芸講話』を発表した。建国後は毎年「5•23」の度 に、各種の記念の活動を行ってきたが、1968 年の「5•23」『文芸講話』発表二十六周 年の記念活動を行う際に、「プロレタリア階級文芸のモデル」である模範劇の誕生一 周年を記念することを新規の内容として追加した。各新聞雑誌社は次々と重厚な文章 を用意し、模範劇を主題として、毛沢東の革命文芸路線が偉大な勝利と実り多い成果 を上げたことを謳歌した。『文匯報』は真っ先に矢面に立ち、于会泳に文章を書いて 貰うことを約束した。このような特殊な時期に、『文匯報』が重厚な記念的文章の完 成を于会泳に任せたことは、実に深い熟慮を経たものである。先ず、于会泳は『文匯 報』のトップクラスの作者であり、彼は上海の音楽に精通する教師の中でも文芸理論 を文章化することができる人であり、1965 年、『文匯報』は于会泳の『紅灯記』の音 楽に関する分析研究の長文266を掲載し、江青の愛顧を受けた。次に、于会泳は上海文 化改革委員会の主任および上海音楽学院改革委員会の副主任を担当し、実際には上海 の二つの「模範団」の責任者でもあった。最後に、最も重要な点は、文革以前に「京 劇革命」を行う最初期において、于会泳は江青、張春橋の直接的な指導のもとでこの 仕事に従事し、顕著な成績をあげ、重視されていたことである。彼は実際の仕事の経 験があり、江青の「文芸革命」の精神を、深く理解することもできた。以上の事から 見ると、当時の文芸環境の下で『文匯報』が 1968 年の「5•23」記念活動の重要の執

265 戴嘉枋、『様板戯的風風雨雨:江青・様板戯及内幕』、知識出版社、1995 年。

266 于会泳は『文匯報』で「従『紅灯記』談開去―戯曲音楽必須為塑造英雄形象服務」『紅灯記』から 語る:戯曲音楽は英雄のイメージを描写するために奉仕しなければならない)という文章を発表した。

彼は。京劇が革命現代劇を演じなければならないなら、もとの京劇音楽、節回しに対して必ず重大な改 革をしなければならず、元の古かった物は現代劇の内容に適応できないと考えた。于会泳はそれぞれの 京劇現代劇のためにセットの節回しを設計しなければならず、セットの節回しが広く伝わるようにしな ければならないという提言を行った。

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筆をを于会泳に任せたのは、最も妥当且つ正確な選択であった。

1968 年 5 月 23 日、『文匯報』は于会泳が執筆した『讓文芸舞台永遠成為宣伝毛沢東 思想的陣地』を掲載した。当該文章は当時のすべての「造神」の文章と同じく、指導 者の「偉大な功績」を謳歌するとともに、江青および彼女が指導した「文芸革命」に ついても、「江青同志が私たちを指導し、勇気を奮い起こす歳月のことを思い出すと、

心中の激動を押さられなくなり、江青同志の京劇革命中の偉大な功績は歴史の発展に つれて、ますます深い認識を得られた。彼女こそ、最も動揺しない立場、最も敏感な 政治的嗅覚で帝国主義、封建主義、修正主義を攻撃する突破口であり---京劇という 頑固な堡塁を選んだ。彼女こそ、最も頑固な戦闘的精神で広大な革命的群衆を率いて、

突撃をかけ、敵陣を陥れ、転倒した歴史を繰り返し、毛沢東思想に文芸舞台を占領さ せ、プロレタリア階級文化大革命の戦闘の幕を開けた。彼女こそ、最も熾烈な革命的 激情で、世界を震撼した八つの革命模範劇を聳え立たせた」などと賞賛した。

しかし、この文章の中で、最も注目されるところは、于会泳が江青の話を借りて、

革命文芸の重要な理論と「三突出」の原則を創始したというところである。原文では 以下の通りである。「江青同志は繰り返しと強調した。毛沢東思想で武装したプロレ タリア階級の英雄の人物像が必ず京劇の舞台を占領し、京劇の舞台が毛沢東思想を宣 伝する陣地にしなければならない。彼女は、共産党の指導の下で、社会主義の祖国の 舞台で、最も重要な位置を占領するのが労農兵ではなく、それらの歴史の本当の創始 者ではなく、国家の本当の主人ではないというのは、想像もできないことであると言 った。彼女は、私たちの演劇の舞台では現代の革命的英雄の人物像を描き出さなけれ ばならない。これこそ重要な任務であると指摘した。」「私たちは江青同志の指示の精 神に従って、人物を創造する重要な原則を「三突出」に帰納する。即ち「あらゆる人 物の中では正面人物を、正面人物の中では英雄人物を、主要英雄人物の中で最も重要 な中心人物を突出させるのである。江青同志の以上の指示の精神は社会主義文芸を創 作するのに最も重要な経験であり、毛沢東思想を武器とした、文学芸術の創作規律に 対する科学的な総括である。」

これは「三突出」を初めて世に知らせ、江青の文芸思想に対し総括を行い、江青の 文芸指示を系統的な理論の高度に引き上げたものと言える。于会泳はこの文章の中で

「三突出」は江青の指示の精神の鼓舞の下でまとめられたものであると指摘し、自然 に「三突出」の発明権を江青に譲り、人々に江青が文芸革命を指導する途上で原則的 な理論の要点を打ち立て、プロレタリア階級の新しい文芸に対し、規範的な理論を樹 立したことを認識させた。こうして、于会泳はこの理論を提議したことで、江青にま すます信頼されることになった。江青の意によって、中共中央の権威的な雑誌『紅旗』

1969 年第 11 期に『努力塑造無産階級英雄人物的光輝形象』が掲載された。当該文章 は一方で于会泳の「三突出」を踏襲しながら、一方で于会泳の言い方に対して修正を 行っている。文章は『林彪同志委託江青同志召開的部隊文芸座談会紀要』が提起した

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「労農兵の英雄的人物を描写するのは、社会主義文芸の根本的任務である」を強調し、

同時に当該文章は「あらゆる人物の中では正面人物を、正面人物の中では英雄人物を、

主要英雄人物の中では中心人物を突出させるのは、革命文芸創作を指導する根本的原 則である」と指摘し、そして「三突出」は創作原則であり、革命的リアリズムと革命 的ロマンチシズムを結び付ける創作方法を運用し、プロレタリア階級の英雄の典型を 描写する重要な原則であり、プロレタリア階級の党の原則の社会主義文芸創作中にお ける体現でもあると考えた。

これ以降、「三突出」は模範劇の共生物として、文化大革命期に中国文芸の経典理 論となり、文芸創作における決して違反できない金科玉条にもなった。特に 1972 年 から 1974 年の間、模範劇が広く宣伝される中で、「三突出」という言葉は頻繁に雑誌 に現れ、「プロレタリア階級文芸創作に必ず従わなければならない原則」として、行 政的に普及した。模範団の経験総括に対しても、「文芸黒線回潮」(文芸の黒い線復活 の風潮)の批判にたいしても、文芸領域と関わる文章はすべて、「三突出」を理論の根 拠にすることになった。「三突出」に対して、当時の文化部は「柔軟に応用することは 厳禁であり、毛主席革命文芸路線の高度な自覚性を執行しなければならず、真剣に勉 強し、運用し続ける」、さもなければ、「毛主席の革命文芸路線を執行しないことと判 断される」267と指示した。「三突出」等の創作理論の登場、普及は、模範劇が芸術領域 での最高地位と唯我独尊の巨頭的地位をいっそうに確固たるものにし、正統的な、唯 一無二の芸術的権威に至らしめた。

事実上、「三突出」の創作原則の基本思想は、早くも 1964 年全国京劇現代劇競演大 会時の評論の中にすでに現れていた。例えば、プロレタリア階級英雄が高大形象(高 尚で大きな人物像)であるのは歴史の主人であり、歴史の主導者であり、「演劇衝突 の発展を推進するのが、常に正面の英雄人物であり、敵を受動的な地位に陥らせる」

存在からである。268「我々が革命現代劇を行うのは、主に正面人物を謳歌するためで ある。」英雄人物の高大形象を際立たせるために、常にこれらの英雄的人物が「敵に 対し見晴らしのきく有利な地勢を占め」269ように表現し、「作品は必ず英雄人物を中心 に書き、プロットは英雄的イメージを描写するために設置する。逆に正面人物に対す る描写が暗く、反面人物に対する描写がいきいきとしていることは絶対に許されない」

270とした。このようにあらゆる手を尽くして正面人物、英雄人物を突出させる。「三突 出」の創作原則の基本思想は早くも 1964 年の段階ですでに形成されていたのである。

267 文化部批判組、「評“三突出”」『人民日報』、1977 年 5 月 18 日。原文「推动戏剧冲突发展的,总 是正面的英雄人物,而让敌人处于被动的地位」

268 顔長珂、「漫談『節振国』的人物塑造」『北京文芸』、1964 年、第 8 期。原文「推动戏剧冲突发展 的,总是正面的英雄人物,而让敌人处于被动的地位」

269 艾明、「前仆後継革命人―京劇現代戯『紅灯記』漫話」『北京文芸』、1964 年、第 8 期。原文「为 了突显英雄人物的高大形象,要时时表现这些英雄人物“对敌人的居高临下”

270 「高挙毛沢東文芸思想紅旗、発展社会主義的戯劇芸術」『寧夏文芸』、1964 年、第 3 期。原文「“我 们搞革命现代戏,主要是歌颂正面人物”“作品必须围绕英雄人物去写,每个情节安排,都应该是为了塑 造英雄形象。相反的,如果把正面人物写得暗淡无光,把反面人物写得活龙活现,这怎么行呢?”