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第七章、 小説『沙家浜』

第三節、 小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』の内容比較

一、内容の比較 (一)内容概略

模範劇『沙家浜』の粗筋はこうである。抗日戦争期に、十八名の負傷兵を率いてい た新四軍某部指導員の郭建光が、自分のけがのため沙家浜で休養していた。同じ頃、

沙家浜にいた「忠義救国軍」司令の胡伝魁と刁徳一は抗日のふりをして、実は密かに 日本兵に降伏していた。地下党員の阿慶嫂は沙婆さんを代表とする進歩的な抗日の大 衆の力を借りて、敵と勇敢に戦い、負傷兵を巧妙に匿い、最終的に頑強な敵を打ち負 かした。

それに対し、小説『沙家浜』のストーリーはこうである。抗日戦争期の陽澄湖沙家 浜鎮で、主人公の阿慶と妻の阿慶嫂が「春来茶館」を共同経営している。阿慶は体が 小さく、度胸も小さいため、何でも言われた通りにする人である。阿慶嫂には生育能 力がなく、子供がいない。阿慶には高家村の高升平の寡婦である章翠花との間に七歳 の私生児がいる。阿慶嫂の方も胡伝魁司令、新四軍某部指導員の郭建光とそれぞれ男 女の関係を持っていた。阿慶はこのような環境下で生活しており、男としての尊厳を 持っていたが、いかなる気概も持っていなかった。ある日、阿慶が金根を連れて放牧 に行った時、日本兵に見つかり、息子の金根は日本兵に撲殺され、阿慶も日本兵の銃 弾で負傷する。日本兵に連行された負傷兵を救うために、郭建光は阿慶嫂の取り持ち で胡伝魁と密かに話し合いを付け、団結して計画を練り、日本兵のトーチカを破壊す る準備をし、捕えられた負傷兵を救出した。最後に、息子の金根がすでに銃殺された ことを知り、自分もまた毒の銃弾が当たって残された時間が多くない阿慶は、誰が身 を捨ててトーチカを爆破しに行くかで郭建光と胡伝魁が言い争っているのを聞き、勇 敢に事に当たり、最終的には犠牲になった。阿慶が犠牲になった後、小説のエンディ ングは、阿慶嫂が胡伝魁に嫁ぎ、郭建光は一人で大部隊を探しに去って行くことを暗 示して終わる。

(二)共通点と相違点

共通点:二つの作品の名前は『沙家浜』と呼ばれ、両方とも沙家浜での抗日物語 を叙述している。阿慶嫂、郭建光、胡伝魁という共通したキャラクターがいる。

相違点:小説は人物に阿慶を増やし、阿慶の経歴によって全文のプロットの発展 の本筋を一貫したものにしている。新四軍と地下党員が日本軍と戦うことで、胡伝 魁と連合して共同で抗日を行うように変わっている。阿慶嫂と胡伝魁、郭建光の間 の男女の関係の叙述を増やしている。

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以上二作品の内容の比較を通じて分かるように、小説『沙家浜』と模範劇『沙家 浜』はただ物語の発生背景が同じだけではなく、何人かの人物の名前も同じである が、叙述している物語のプロットと発展の筋立てはまったく異なっているのであ る。

二、小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』の関係に関する考察

模範劇『沙家浜』は滬劇『蘆蕩火種』から改作されたものである。『蘆蕩火種』

は上海市人民滬劇団が集団で脚本を書き、文牧が執筆し、1960 年 1 月に共舞台で初 演を行った。399文牧はその創作メモの中で明確に「これは実写実話ではなくて、架 空のものである」400と述べている。したがって、模範劇『沙家浜』はただの芝居の 物語であるが、歴史的事実の叙述と記載ではなく、演劇創作の文学分野に属する。

虚構の戯劇内容と題材の基礎の上で小説として再創作が行われるのは、確実に「自 由」である401。阿慶嫂と郭建光等の芸術的人物のイメージが他の価値傾向をもって 別の作品中に存在することを許すべきである。二つの作品は物語の発生背景は同じ であるが、叙述している物語のプロットはまったく異なっている。その点から見る と、この二作品の間には必然的な関係がなく、二つの作品はそれぞれ独立した存在 で、対等、並列の関係であると筆者は考える。

しかし、このそれぞれ独立した二作品には互いに密接な繋がりがある。中国共産党 は中国を統一して中華人民共和国を建国した当初、人民を統合するために、様々な「神 話」を作らなければならなかった。それらには偉人たる「リーダーの神話」、「革命英 雄の神話」、「解放軍の神話」などを含む。これらの「神話」によって、革命や共産党 に対する人民の期待と信頼を生み出し、人民の意志を統合しようとしたのである。あ る面から見れば、解放後の多くの文芸作品はこれらの神話を創造するために作られた。

これは『文芸講話』で指摘した文芸が誰に奉仕するかの「文芸道具論」の具体的な体 現である。模範劇もまたこの時代の背景の下に生まれた、高度な政治化と国家イデオ ロギーによる文芸形式である。だから、模範劇の作品はその創作成立時に、「三突出」、

「高大全」等の文芸創作理論に従い、この理論の制約の下で、「高大全」の英雄の形 象を突出させ、加えて大きな力で英雄の形象を創作し描写したが、反対に、英雄の完 全なイメージを作るのに関係がない内容は、放棄するのである。例えば英雄の家庭生 活、個人的感情、趣味などは、英雄像を描く際の要素にはならないのである。英雄の 人間像を、彼の思想の伝達手段と形象符号にならしめるため、人間が本来持っている

399 汪培、陳剣雲、蘭流編集、『上海滬劇志』、上海文化出版社、1999 年、84-85 ページ、参照。

400 文牧、「『蘆蕩火種』創作札記」『大江南北』創刊号、1985 年 8 月 15 日。

401 「醜化阿慶嫂争論的背後小説『沙家浜』作者打破沈黙」『江南時報』、2003 年 2 月 27 日。原文「

在接受特约记者北信的采访时,小说作者薛荣说道“京剧《沙家浜》我是特别熟悉,一直以来就,它给我 的总体感受是一个女人与三个男人的关系,在以前的创作中,这种关系表现为革命关系,而在现实生活 中,只有这种关系是不正常的,还应该有夫妻关系以及另外的人性化的关系,因此,能不能将他们可能存 在的这些人性化的关系虚构出来,进行新的创作。再想,在小说创作上我是有这个自由的,因此就写 了”

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はずの七情六欲と人倫の常を失わせる。よって、筆者は模範劇の作品は実は単純化さ れた芸術創作であると考える。模範劇の創作は生活の基礎が軽視されており、また人 間性も隠蔽されている。この種の隠蔽性がすなわち模範劇の最大の欠点である。しか し、別の角度から見ると、模範劇を「模範」たらしめているのは、「人間性」のない

「超人化」された英雄的人物の存在である。そのような英雄こそが民衆の革命の情熱 を喚起させ、観衆を革命思想によって教育し、観衆の精神世界に「紅色」革命のプラ スのエネルギーを注入させることが出来るからである。よって、人間性を隠蔽してい ることは模範劇の芸術的欠陥であるが、当時に人間性を隠蔽された「超人化」もまた まさに模範劇本体の魅力の所在である。これは矛盾であるが、整合できない矛盾であ る。

『沙家浜』は八つの模範劇の一つとして、同様に隠蔽された芸術的欠陥を持ってい る。阿慶嫂には夫がいないが、各種勢力と派閥の間でやりとりをする活発さと機智に 富んでおり、郭建光に家族はいないが、智勇兼備で、恐れるところがなく、万能の超 英雄的イメージが紙上にありありと表れている。ところが、小説『沙家浜』は人物の イメージに新たな創造を行い、阿慶に再び「担ぎ屋」をさせず、体は「高く大きく」

なく、性格はおとなしく何でも言うがままで、肝っ玉が小さい小人物である。しかし、

そのような阿慶が最後に日本兵のトーチカを爆破した英雄になった。阿慶嫂には夫を 持たせたが、「日本兵が銃器で掃討すれば、皆は閻魔に会いに行く」のような戦乱の 時代において、阿慶嫂は夫の阿慶とは正反対の、自分の心の中で崇拝する真の男、真 の英雄をずっと探し求める女性として描かれた。阿慶嫂のような歪んだ情欲もこの戦 争によってもたらされたもので情理の必然である。新四軍指導員の郭建光は他の負傷 兵が捕虜にされ、自分も重傷を負って、行き詰まり苦境にいる。弱さが現れるのは情 理の必然である。正統の歴史観では、抗日したのは共産党で、国民党は抗日に消極的 だった。ところが小説では、国民党を代表する胡伝魁も自身から積極的に抗日してい る。小説のこのような人物構成から見て、筆者は小説『沙家浜』が模範劇『沙家浜』

では隠されて表現されなかった人間性の描写を補充し、模範劇の高度に政治化された 文芸形式が触れることが出来なかった人間性の描写を増加させた。これは解放後の文 芸創作の空白を埋めるものであると考えている。この角度から見ると、小説『沙家浜』

と模範劇『沙家浜』は互いに補い合う関係にあると言える。

以上、小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』を比較し、両作品の関係を考察し分析 した。二つの作品を単純に表面だけから見ると、歴史背景は共通で、「阿慶嫂」、

「郭建光」、「胡伝魁」という主要人物の名前は同じであるが、それ以外に特別な 関連はない。よって、筆者はこの二つの作品の間に必然的な繋がりはなく、平等並 列な関係であると考える。しかし、作品の創作形式から見ると、小説『沙家浜』は 模範劇『沙家浜』では隠されていた人間性の描写を想像して作り出し、模範劇の中