• 検索結果がありません。

第七章、 小説『沙家浜』

第二節、 小説『沙家浜』が形成した人物像に対する分析

滬劇『蘆濤火種』だけでなく、その後この基礎の上で再創作し生まれた現代京劇

『沙家浜』も、述べられている内容がただのストーリーであり、決して歴史ではな い。これは芝居の創作で、文学の創造である。文学的創造は生活の中から生まれた ものである。しかし、文学創造は生活を反映しているが、生活と等しくないため、

屈折して出てくるのはただの歴史の痕跡であり、決して歴史の事実ではない。新四 軍の抗日戦闘の内容を描いた現代京劇『沙家浜』は文学の再創造であるが、文学的 に想像して作り出したものであるため、決して歴史的事実ではない。作品の中に出 てきた阿慶嫂、郭建光、胡伝魁は文学の創造であるが、本当の歴史的人物ではな い。そのため、模範劇『沙家浜』の想像で書いた芝居の内容と題材が小説の形で再 創作されるのは、明らかに常識に合うものである。この作品が存在する合理性があ る以上、本節の中で筆者は小説が作り上げた人物像に対して分析と考察を行い、創 造された人物像に「ひどい政治的な過ち」があるかどうか、本当に「中国人民の感 情を踏みつけ、人民の心の中の英雄像を中傷した」のか、「情欲、性欲を満たし た」のかを考証する。

一、阿慶

「彼女がこのようなら、私にはどうしようもない」小説は阿慶のこの言葉で始ま る。この言葉は阿慶のもの寂しく救いようのない嘆息のようであり、小説にある重 く沈んだ苦しい雰囲気を終始一貫して纏わせており、背景の音楽が同様にゆっくり とある悲劇的雰囲気を形作っている。阿慶の口や心の中のこのような嘆息は合計四 回表れている。一回目は胡司令官が阿慶嫂を強姦した時、阿慶は気が弱く、ベッド と妻を譲って、その屈辱とどうしようもないという気分が一度嘆息となって表れ る。二回目は彼と頼り合って生き、また彼と同じく声帯を壊している雄鶏を殺すよ うに迫られた時、阿慶は友達を保護する力と、自分の尊厳を守る力がなく、その憤 慨とどうしようもなさが嘆息となって表れた。三回目は、阿慶嫂と郭建光に不倫の 関係が発生した時、阿慶の悲しい心は更に悲しくなり、彼は自分と胡、郭を比較し た後、このような嘆息しか出なかった。四回目は許三爺が殺されて、阿慶が殺人犯 と疑われた時である。

小説を詳細に読んでから明らかになったのは、阿慶の性格が非常にはっきりとし ているであることである。自分の妻の目には堂々たる立派な風采を持つ男ではない が、外で一人の寡婦を探して、息子を生ませた。臆病だが、自分の生命に望みがな いと分かった時、自分を犠牲にして日本軍のトーチカを爆破した。家庭に愛はな く、息子が殺され、傷も癒されない状況の中で、阿慶がトーチカを爆破した英雄に なったのは、必然性的で、情理にも合っている。このような小人物が最後には英雄 になったが、阿慶がもし自分の病気が完全に治るのを知っていても、トーチカを爆

179

破しに行ったかどうかは分からないが、これは正に小人物の真実の一面を体現して いる。英雄となる業績をあげるかどうかは一定の偶然性がある。言うなればこれが 道理であろう。今の社会を見ると、社会と生活の圧力に迫られ、どうしようもない ことが多すぎるぐらいある。どうしようもなく人の言いなりになる生活をしている 男は、小説『沙家浜』の阿慶の人物像から少しでも自分の影を見つけ、わずかでも 共鳴することができるのではないだろうか。

二、阿慶嫂

小説『沙家浜』が作り出した人物の中で、一番論争を引き起こしたのは阿慶嫂の イメージの変更である。多くの批判的文章は、人々に機知に富み、勇敢で、革命的 で、英雄的な女として印象付けられている阿慶嫂を小説が「潘金蓮」式の「放埓な 女」として描写していることを、著しく「人民の心の中の英雄を中傷している」と 指摘した。だが、本当にそのように言えるだろうか。この項では、作品の内容か ら、阿慶嫂の情感を分析し、阿慶嫂に対する以上ような認識を再検討したいと思 う。阿慶嫂と彼女と色恋沙汰を起こした男との間には、一体どのような心情と感情 があったのか、阿慶嫂の情感的世界を分析したいと思う。

阿慶嫂は胡伝魁に関してこう言っている「正直に言うと、私と胡さんは内縁の関 係、ただの内縁の関係です。彼は果敢に日本軍と戦い、人柄が豪気で、うちの阿慶 が、元気がなく、度胸もないのと大違い。だから私は胡伝魁と手を組みました。村 の人の噂など気にならない。今日は減らず口が人を殺し、明日は日本兵が機関銃を 掃射して、みんな閻魔大王に会いに行ってしまうのよ。誰が誰を恐れると言う の。」

ここから分かるのは、阿慶嫂が胡伝魁に身を委ねたのは無理があるとは言えず、

当時阿慶嫂の心を動かしたのは胡伝魁の権勢と武力だけであり、特に胡伝魁が日本 兵と戦う勇気があったからである。これは阿慶嫂の心中では非常に重要なことだっ たと言える。「日本兵が銃器で掃討すれば、皆閻魔に会いに行く」ため、好きなも のを崇敬し、この種の戦争のもたらした情欲による歪みもある種の情理の中の必然 である。

阿慶嫂と郭建光に関して「彼女の考えは胡伝魁と郭建光の顔の間をいったりきた りしており、彼女は蘆蕩の中の強火で焦げた顔が誰なのかはっきり分かるが、いつ の間にか心の中は残念な気持ちでいっぱいになっている。……阿慶嫂はこれには他 の原因、はっきり言えない原因があることが分かっている。」

阿慶嫂は郭建光に心を惹かれて惚れ込んだ。阿慶嫂は郭建光が好きだが、郭建光 の気の弱さを見ると、「彼の手を抜け出して、階段に上がった。」その後、郭建光 が胡伝魁にしっぽを振るという行為によって、阿慶嫂は心の中の英雄像を毀損させ られ、彼女の郭建光に対する気持ちは次第に冷えていった。これらの描写から、阿

180

慶嫂はまだ心の中の英雄、本当の男を探していることがわかる。情が動くのは、当 然また興味深い。

阿慶嫂と阿慶に関しては、阿慶嫂は阿慶に対して最初から軽蔑しており、彼女は 阿慶の低くて小さい体と鈍い様子を嫌っていた。しかし自分が不妊症であるため阿 慶に対して恥ずかしくて申し訳ないという気持ちを抱いている。阿慶との婚姻生活 はうまくいっているとは言えないが、お互いなくてはならないほどに頼り合って生 きている。最後に、阿慶は自分を犠牲してトーチカを爆破に行くことを決め、一心 に死を求める。この時から阿慶嫂は夫のことを大切に思い始めた。だが、阿慶がも う長く生きられないこともはっきり分かっているため、阿慶嫂は残念に思い、彼を 捨てがたいのだが、どうしようもない。「彼がこのようなら、私にはどうしようも ない」というのは、阿慶嫂の絡み合う内心の感情の真実の描写である。この時、阿 慶嫂が阿慶に抱いた深い男女間の愛情は、崇敬から引き起こされたものである。

阿慶嫂の感情の世界には、あるはっきりしない渇望と追い求める感情がずっと存 在している。筆者はとりあえず普通の女性としての恋に対する追及だと理解してい る。実際には、これも心の中の英雄と本当の男に対する追及である。よく考えれ ば、これは女性の人生における最も基本的な性と愛の渇望と欲求であり、どれも美 しいと言えるもので、我々は彼女の人生を批判する権利を持っていない。

三、郭建光

小説の郭建光のイメージに対する描写も、多くの非難と批判を受けた。

「郭建光はもう長い間男性の目で異性を見ることはなかった。今日彼はにわかに 意識を取り戻したように、阿慶嫂の後ろ姿を注視して、一瞬何を話すのかを忘れて いた。」小説の中の郭建光は、新四軍の指導員として、重傷で苦しい立場に追い込ま れており、ここの描写は彼女の軟弱でどうすることもできない状態を表している可 能性もあるが、これは人間性の自然の対応である。英雄でも、男女間の愛情を持っ ているが、特に重傷を受けた状況の下では、より関心をもってほしいと願ってい る。このような、阿慶嫂から救助と保護が与えられた。彼の心が全く動かないはず がない。そして、阿慶嫂と郭建光の間には感情の葛藤がある。この関係の中に真の 感情が注入されれば、必然的に温かさと甘美が訪れる。

日本人に捕われた負傷兵を救援するためには、ただ郭建光一人だけの力では実現 できない。彼は自分が置かれている立場をはっきり分かっているため、胡伝魁にお 世辞を言い、歓心を買わなければならない。彼自身が言ったように、今の状況で、

頼りになるのは阿慶嫂と胡伝魁しかいない。これには違和感がなく、特殊な状況の 下で特殊な心理が現れるのは自然である。郭建光の目標はとても明確であるが、彼 が胡伝魁の歓心を買うのは自分自身が利益を得るためでもなく、胡伝魁に阿慶嫂を 譲ってもらうためでもなく、胡伝魁の力を借りて新四軍の負傷兵を救けるためであ