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第二章、 滬劇『蘆蕩火種』

第五節、 「四人組」粉砕後滬劇『蘆蕩火種』の再生

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各自の内心的活動を描写し、地域の特色を強調して、アパレルの造型、せりふの節回 しから舞台セットまで、すべて濃厚な江南水郷の趣があることを求め、人々を信用さ せる丁寧さが感じられる。

それ以外に、音楽、節回し、舞台美術設計などの方面でも、すべて革新と突破があ る。例えば、プロットの需要に適応するため、高揚するメロディーを割合多く運用し ている。舞台セットの方面では、『突囲転移』の場面において、舞台上の戦士たちが大 きな波がとうとうと流れる中で耐え難く勇敢に前進する場面は、映画効果が持ってい る手法を大胆に運用し、感情と風景の融合、豊富な戯劇情緒の効果を取り入れている。

上述したように、この劇は当時抗日軍民が勇敢に闘争する雄大な情景を掻い摘んで 表現し、それによって人民戦争が必然の勝利を取るという主題を鋭く掲示した。当時 の観衆に刻苦奮闘の革命精神を発揚し、革命的英雄主義、革命的楽観主義精神を発揚 するという伝統教育を与えた。脚本の創作は堅実でしっかりした生活の基盤に根を下 ろしている。まず題材上は抗日伝奇劇に位置づけられ、作者は独特な芸術構想を運用 し、伝奇劇が必要なサスペンス性とプロット性を提供した。次に、役者は正確に人物 イメージをとらえ、人物の性格がずっとプロットの発展をコントロールし、更に芝居 衝突の中から十分な描写を得た。同時に、芝居の制作レベルの方面で、音楽の節回し から舞台美術設計まで全く新しい突破によって向上させた。そこで、このような現実 的教育意義のあるレパートリーは、また観衆を引きつける伝奇、サスペンスのプロッ トを持っており、役者の巧みで完璧な演技と高い水準の制作によって、上京公演に招 かれ党と国家の指導者の称賛を得られるようになった。連続上演ができ、多くの大衆 を引きつけたのは、容易に理解できる。

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色を再現しようと願っていた。104

1980 年 4 月 8 日の晩、滬劇『蘆蕩火種』が延安劇場105で再び上演され、メディアな どは熱意あふれる報道をした。「丁是娥の阿慶嫂が改めて舞台に立ち、観衆と役者は 非常に興奮した」、「火種は消えず、春風はまた生まれ、我々は熱烈に春来茶館のあの 紅灯が滬劇の舞台で永遠にきらめくのを期待している」106と述べた。

張春橋は滬劇『蘆蕩火種』を京劇『沙家浜』に基づいて修正するように指示し た。陳蘭栄は滬劇が武劇に適さないと考え、張春橋と意見が合わなくなったため、

「四人組」の攻撃と迫害を受けるようになった。「四人組」粉砕後、滬劇『蘆蕩火 種』の特色を守るために「四人組」及びその残党に攻撃された陳栄蘭が名誉を回復 された。1979 年 3 月に平反大会107を開催し、上海市文化局、党と政府の指導者と上 海滬劇団の全てのメンバーは中国共産党の優れた党員、幹部である陳栄蘭に心をこ めて哀悼を捧げ、党と滬劇の事業のために重大な貢献をしたことを追想した。108

ベテランの役者の助けにより、滬劇『蘆蕩火種』には一代また一代と新しい継承者 が現れた。褚慧琴、陳瑜、汪華忠、徐伯涛、韓玉敏などもみごとに公演に参加して、

舞台のバトンを引き継いだ。その後、滬劇舞台の何度かの公演の中で、中堅の役者が 滬劇『蘆蕩火種』の全体或いは一部分を上演し、優れたレパートリーになった。その 伝奇的なストーリーとすばらしい歌は群衆の中で広く伝えられた。1985 年 8 月 15 日、

抗日戦争勝利 40 周年を記念するために、人民大舞台109で滬劇『蘆蕩火種』の『智闘』

が上演された。110

それから滬劇の上演団体は何度も『蘆蕩火種』を復元して上演した。毎回広範な観 衆の熱烈な歓迎を受けた。111更にその影響ははるか文芸舞台を越えて、この劇中の阿 慶嫂、郭建光、刁徳一、胡伝魁などの主要人物が、すでに全国で広く世間に知れ渡り、

聞き慣れて詳しく説明できる典型的な人物のイメージとなった。この劇中に隠れてい る巨大な人文的価値と市場の潜在力を人々は再び認識し、広く深く掘り下げている。

当時新四軍の負傷兵が活動した郷鎮はすでに『蘆蕩火種』の中でつけられた地名「沙 家浜」によって再び命名され、また現地には割合大きい規模のリゾートと記念館が開 発、建設され、その名を求めて来た何千何万の国内外の観光客を受け入れている。地 方は劇によって有名になり、劇の影響力の助けを借りて、今日の沙家浜は遠くまで名 の知られた愛国主義教育基地と有名な観光地となり、巨大な社会的影響が発生するだ けではなく、その上にますます高い経済効果を作り出している。

104 中国滬劇網、http://www.chinahuju.com/、アクセス日 2012 年 6 月 26 日。

105 現在の名は共舞台である。

106 『解放日報』、1980 年 3 月 22 日―4 月 9 日、参照。

107 “平反”とは誤った判決や政治的決定を破棄することである。

108 汪培、陳剣雲、蘭流編集、『上海滬劇志』、上海文化出版社、1999 年、32-34 ページ。

109 人民大舞台は上海最初の京劇の上演場所である。1906 年に建てられ、大舞台とも呼ばれる。

110 中国滬劇網、http://www.chinahuju.com/、アクセス日 2012 年 6 月 26 日。

111 中国滬劇網、http://www.chinahuju.com/、アクセス日 2012 年 6 月 26 日。

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滬劇『蘆蕩火種』が誕生してから再生されるまでの紆余曲折の過程を見渡し、は っきり分かったことは、滬劇『蘆蕩火種』の影響は時が経つにつれて弱く消えてなく ならずに、逆に長い時間を経てますます新しいクラッシックレパートリーとして、

徐々に広範な大衆の心の中に深い印象を刻み込んだということである。これも「野原 を焼いても草は枯れず、春風が吹くとまた生き返る」112という言葉をまさに証明した ものと言える。

112 中国語の「野火烧不尽,春风吹又生」。

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