第三章、 京劇『蘆蕩火種』
第四節、 京劇『蘆蕩火種』の改作と上演
一、北京京劇団が滬劇『蘆蕩火種』を改作する任務を受ける
1963 年 5 月 3 日、江青は杭州勝利劇場で上海人民滬劇団の滬劇『蘆蕩火種』を観覧 した。その後、人を派遣し、上海市文化局を通じて、人民滬劇団から滬劇『蘆蕩火種』
の脚本を受け取り、北京に送った。130同年の秋、滬劇『蘆蕩火種』を現代京劇に改作 する任務を北京京劇団に任せた。
北京京劇団が滬劇『蘆蕩火種』を京劇に改作する任務を受けた時間については、い くつかの叙述がある。汪曾祺の『関于「沙家浜」』131と許晨の『人生大舞台』132は、北 京京劇団は 1963 年冬に改作の任務を受けたと指摘している。『風雨人生様板戯』133は、
改作する任務を受けた時は 1963 年春であると指摘している。『江青文選』134は 1963 年秋に江青が滬劇『蘆蕩火種』を改作する任務を北京京劇団に任せたとしている。『江 青文選』は江青の文章、演説と指示に対する文集であり、出版時期は 1969 年で、当 時の政治背景の下で、筆者が指導者の講話と指示などの内容を安易に歪曲することは できず、繰り返し事実の確認をしたものであると思われるため、大いに参考にできる 真実性があると考える。
間違いの有無を確認するため、筆者は当時の関連報道を調査した。1967 年 5 月 18 日の『北京新文芸』に掲載された「江青同志と京劇『沙家浜』」は、「1963 年秋、江青 同志は心を込めて滬劇『蘆蕩火種』等の脚本を選び、劇団に推薦し、そしてみんなに 毛主席の『実践論』、『矛盾論』等の輝かしい著作を学習するように指示した」135と述 べている。『江青文選』だろうが『北京新文芸』だろうが、すべてその当時の資料であ り、誰も新聞雑誌上で偽情報を発表し「破壊革命様板戯」(「模範劇を破壊する」)のリ スクを冒すようなことはしないと思われるため、筆者はこれを一次資料だと考える。
1964 年 9 月 3 日の北京市文芸工作会議の総括報告の中で、北京市委員会宣伝部部長 の李琪は「北京市委員会宣伝部の文芸工作の指導には確かに欠点が多い。例えば、革 命現代劇の上演については去年の下半年に至ってやっとその指導を始めた」136と述べ ている。以上の分析から、筆者は本文で北京京劇団が滬劇『蘆蕩火種』を京劇に改作 する任務を受けた時期は 1963 年秋であると考える。137
130 汪培、陳剣雲、蘭流編集、『上海滬劇志』、上海文化出版社、1999 年、30 ページ、参照。
131 汪曾祺、「関于『沙家浜』」、『八小時以外』、1992 年、第 6 期。
132 許晨、『人生大舞台:“様板戯”内部新聞』、黄河出版社、1990 年、31 ページ。
133 鳳凰衛視『鳳凰大視野・風雨様板戯』番組製作グループ、『風雨人生様板戯』、中国友誼出版公司、
2006 年、69 ページ。
134 吉林省通遼師範学院中文系編、『江青文選』、1969 年 10 月、194 ページ。
135 「江青同志与京劇『沙家浜』」、『北京新文芸』、1967 年 5 月 18 日。原文「1963 年秋,江青同志精心 选择了沪剧《芦荡火种》等剧本,推荐给剧团,并指示大家学习毛主席的《实践论》、《矛盾论》等光辉著 作」
136 原文「市委宣传部领导文艺工作是有不少缺点的,例如演革命现代戏,到去年下半年我们才开始抓」
137 しかし、食い違う可能性もあるから、また更に真実で正確な史実の資料が見つかることができるの を期待する。
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二、改作の過程
北京京劇団は滬劇『蘆蕩火種』を京劇現代劇に改作する任務を受けた後、すぐ対応 して行動を開始し、創作チームを設立し、汪曾祺、楊毓珉、蕭甲、薛恩厚の四人で改 作することを決めた。滬劇の台本の基本が比較的良かったため、四人の脚本家はわず か数日の期間でより良い台本に改作して完成させた。元の劇が地下活動を称賛する主 題を強調していたため、劇名を『地下連絡員』に改めた。それから舞台稽古を始めた。
蕭甲と遅金声が監督を担当し、琴師138、李慕良などは節回しを設計して、趙燕侠が阿 慶嫂を演じ、高宝賢が郭建光を演じ、周和桐が胡伝魁を演じ、ある道化の役者が刁徳 一を演じた。139
『様板戯的風風雨雨』140によれば、最初に発表された『地下連絡員』は慌ただしく 取り掛かったため、北京市長の彭真、参謀総長の羅瑞卿と江青が出席して鑑賞したリ ハーサルは、上演効果が良くなく理想的ではなかった。非常に失望した江青は舞台に 上がって役者に接見した時、表情をこわばらせ一言も発しなかった。その後、彼女は 関心を示さず、南方へ療養に行った。反対に彭真をリーダーとする北京市委員会、北 京市政府はこの劇の基本はよいと考えていたため、何度も時間を割いて劇団に赴き、
彼らに気を落とさずに、更に精を出してこの劇をよくするように励ました。王彬彬が 指摘しているように、141彭真がこの見事ではない『地下連絡員』に興味を持ったこと は、容易に理解できる。彭真は長期にわたり地下活動に従事したことがあり、劉少奇 が「白区工作」142を指導していた時の古参の部下である。地下活動を直接表現し謳歌 しているこの現代劇は、彼に親近感を自然と感じさせたであろう。彼が「この劇は基 本が良い」と考えたのは、恐らくこの劇の筋が良いことを指している。
この「基本がよい」劇の夭折は見るに忍びなく、彭真は政務が多忙を極める中にお いて何回も劇団を訪れ励ましと支持を与えたが、励ましと支持は単なる空論ではなか った。台本は、脚本家たちを邪魔しないために、北京市委員会は特別に頤和園に一定 期間住まわせた。広々とした昆明湖と美しい山の景色、この江南の陽澄湖に似た鏡の ような湖と青々した山は、脚本家達の創作意欲を奮い立たせ、大きな作用が起こるの は疑いようがなかった。劇の中の第二幕の郭建光のあの広く世に知れ渡った「朝霞映 在陽澄湖上、芦花放稲谷香岸柳成行……」(「朝焼けが陽澄湖上に映り、蘆の花が咲き、
籾米が香り、岸の柳が列を成している……」)という歌い回しは、その時期に雛形が 作られたものである。ある脚本家の笑い話によると、郭建光が沙婆さんに対して言っ た「一日三餐有魚蝦……心也寛、体也胖」(「一日三食に魚と海老があり、……心も広
138 琴師は戯曲における弦楽器の伴奏者である。
139 戴嘉枋、『様板戯的風風雨雨:江青・様板戯及内幕』、知識出版社、1995 年、53 ページ、参照
140 戴嘉枋、『様板戯的風風雨雨:江青・様板戯及内幕』、知識出版社、1995 年、53 ページ、参照。
141 王彬彬、「“様板戯”『沙家浜』的風風雨雨」、『文史博覧』、2006 年、第 19 期、参照。
142 白区とは反動勢力の支配地区である
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く、体も太る」)という感激の言葉も、彼らが頤和園に住んだ時の真実のあるがまま の描写と称するに値する。同時に北京市のある関係部門はまた劇団が部隊で短期間兵 士となり、生活を体験するように手配した。これはずっとただ古人を演じ、英雄的人 物の生活に詳しくない役者たちが、舞台で現代劇を演じる上で大きな助けを提供した。
143この種の指示と配慮の下で、何人かの脚本家は指導者の期待に背くことなく、彭真 等の人々を非常に満足させる台本を完成させた。
1964 年 1 月中旬、茶館の一幕を削除し、一部の物語のプロットを変え、進歩的な人 物の内容を一幕増やし、三人のキャストの出演者を調整して、最後の修正を完成させ た。144
新たに脚本を改作した後、北京京劇団は演出の陣容も調整した。趙燕侠が阿慶嫂を 演じ、譚元寿が郭建光を演じ、周和桐が胡伝魁を演じ、馬長礼が刁徳一を演じた。北 京市委員会は北京京劇団が順調に改作の任務を完成できるように、良い創作環境を提 供する以外にも、1963 年 12 月 12 日に、特別に上海市人民滬劇団の『蘆蕩火種』の製 作グループを招いて上京させ公演させた。1964 年 1 月、上海市人民滬劇団の『蘆蕩火 種』の製作グループは文化部に招待され、上京して公演し、北京に駐在している部隊 を慰問した。北京京劇団の『蘆蕩火種』の役者たちはこの機会を利用して、繰り返し 観察学習を行い、滬劇団に謙虚に教えを乞い、京劇『蘆蕩火種』の演技力の向上に努 めた。一心不乱に加工して質を向上させ、ひたすら鍛えたことで、この劇は台本、監 督から演技まで、面目を一新させた。145
このように、彭真をリーダーとする北京市委員会からの強い関心と支持があり、北 京京劇団の『蘆蕩火種』の全ての役者の努力と協力があった以上、新たに改作された 京劇『蘆蕩火種』は、脚本のプロットの設計だけでなく、役者の配置からも、素晴ら しい現代劇になることに疑いの余地はなく、その成功はあらかじめ示されたのも同然 だったと言えよう。
三、改作を完成させた後の上演
多方面からの援助と鼓舞の下で、北京京劇団はついに滬劇『蘆蕩火種』を京劇『蘆 蕩火種』に改作できた。1964 年 3 月 11 日、彭真などの北京市の指導者と 1964 の年京 劇現代劇競演大会を担当していた中央宣伝部の指導者の林黙涵が一緒に京劇『蘆蕩火 種』を鑑賞し、大変気に入り、すぐに公開上演を許可した。3 月 31 日の初公演は、康 生が出席して観覧した。4 月 10 日、李富春、李先念、薄一波、譚震林、楊尚昆及び各 省・市の財政と貿易を担当している書記達と部長達が京劇『蘆蕩火種』を観覧した。
4 月中旬、江青は上海から北京へ急いで引き返し、京劇『蘆蕩火種』の公演を観覧し た。江青は劇団が彼女の許可をもらってないのに早めに公演したことに、大変な不満
143 戴嘉枋、『様板戯的風風雨雨:江青・様板戯及内幕』、知識出版社、1995 年、53 ページ、参照。
144 陳徒手、「『蘆蕩火種』的幕後風雲」、『炎黄春秋』、2010 年、第 11 期、参照。
145 戴嘉枋、『様板戯的風風雨雨:江青・様板戯及内幕』、知識出版社、1995 年、54 ページ、参照。