第七章、 小説『沙家浜』
第四節、 小説『沙家浜』批判から見る模範劇成立の社会的基盤
小説『沙家浜』は登場してから、かなりの批判を受け、一部の文章は政治的な問 題にさえしたほどで、いずれも小説には「重大な政治的錯誤」がすると考えてい る。本節は小説が批判を受けた原因を分析し、そこから模範劇の成立する社会基礎 も考察する。
一、小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』の関係の混同
上述した通り、筆者は小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』の間に必然的な関連がな く、相互補完の関係を持っていると思う。即ち、形式の上で関連はないが、内容的に は補完し合っていると思う。しかし多くの批判文章の中で、批判が集中しているのは、
小説が阿慶嫂と胡伝魁、郭建光、三者の男女の関係の描写を増やしていること、阿慶 嫂を「潘金蓮」式の人物として描写していることであり、これを「人民の心の中の英 雄のイメージを損なっている」としている。ここで明らかなのは、この批判の立脚点 が模範劇の中の「阿慶嫂」、「郭建光」、「胡伝魁」を小説の中の「阿慶嫂」、「郭 建光」、「胡伝魁」と同一視していることである。実は彼らはただの文芸創作中の人 物イメージとしての存在であり、共通の名前を持っているだけである。異なる作品に 生きている、同名だが、同一の人物ではない。よって彼らは一度に集まったことはな く、模範劇『沙家浜』の中の「阿慶嫂」が時空を超えて小説『沙浜家』の中に入り込 み、胡伝魁、郭建光と男女関係を持つことなどできない。ある学者は、小説は「新し く瓶詰した古い酒」402に属すると考えている。筆者もやはり「瓶」や「酒」で例えよ うと思うが、「瓶」はもとの古い「瓶」ではなく、「酒」はその「酒」ではないため、
小説の中で作り出されたイメージを模範劇が作り出した環境の中に入れて、評価する のは、非科学的であると考える。
二、利益衝突
雑誌『江南』が小説『沙家浜』を発表したのは 2003 年である。中国は 20 世紀の 70 年代末に改革開放を開始し、1992 年に鄧小平が南巡講話を行って社会主義市場経 済制度を確立した。2003 年に至ると社会主義市場経済は社会の各経済領域に浸透 し、この「市場化」の条件下で、最大の経済的、物質的利益を追求することが、各
402 原文「新瓶装旧酒」。
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業界がまず考慮しなければならない要素となった。これは考察するに値する状況で ある。小説に対して批判を行う一派は、二つの作品の人物関係を混同している可能 性があるが、そのほかにいま述べたように経済的利益追求の必要から、小説批判を 行った可能性があるのではないだろうか。
まず小説を批判したのはどのような人なのかを見てみよう。更に、小説の発表と 経済的利益追求との間に、何らかの利害衝突が存在するかどうかを分析し、それが 小説を批判する理由になることができるかどうかを考察してみる。
批判文章を整理して見ると、小説をボイコットし批判した一派は以下の人々であ る。①新四軍の老戦士、②沙家浜鎮政府と現地の民衆、③文牧の家族、④江浙地域 の一部新聞や雑誌などであることが分かる。なぜこの一派の人達の反応はこんなに 激しいのか。①まず、沙家浜の闘争に参加したことのある新四軍の老戦士にとっ て、小説の表現と伝達された情報はこれら老兵士の人生の経歴とおそらく符合しな かった。なぜなら、建国当時からずっと宣伝されてきたのは、すべて新四軍こそが 正面から抗日を行ったという「神話」であり、人民に誇示してきたのがその戦闘、
組織、活動、忠誠と言った能力であったのに、小説はそれを否定的に書いた。そこ で老戦士たちは自己の大切な感情の記憶を守るために、小説に反対したのである。
③の文牧の家族も同様である。この点は、筆者は理解できる。彼らはつまりは戦争 の体験者であり、小説の創作は歴史的事実と同じではないが、我々は十分な尊重を 与えるべきなのである。沙家浜鎮は「紅色」の観光基地を確立し、全国の愛国主義 教育モデル基地となった。②沙家浜鎮政府と現地の人々は京劇『沙家浜』の中の
「完全な英雄のイメージ」を持つ阿慶嫂、郭建光という二枚看板に頼って観光客を 呼び込み、企業を誘致して資金を導入している。沙家浜にとって紅色旅行が成功す るかどうかがこの地方発展の最大の要因なのである。常熟市風景庭園、旅行管理局 局長の陳建平はかつて「紅色旅行は普通の意味の旅行と同じで、市場、収入があっ てようやく持続発展することが出来る」403と言ったことがある。小説『沙家浜』は 世間で「風流版」『沙家浜』と呼ばれているため、沙家浜鎮長朱亜輝もまた娯楽媒 体によって「風流鎮長」と称された。『南方週末』記者の取材を受けた時に彼は
「この小説が我々に与えた影響は、やはり相当なものでした。現在も観光客はきま すが、彼らにこれらのものの形を説明する時、彼らはもうこれまでのような尊敬の 念を感じることが出来なくなっています。もし我々の後代の青少年が小説のような 教育を受けたなら、我が民族の歴史は書き換えることになるのでしょうか。中華民 族の精神的支柱が何かはうまく言えなくなってしまいます」404と言った。このよう
403 記者馮穎、「旅游風起蘆蕩 遊客心動沙家浜」、『中国旅游報』、2009 年 9 月 18 日。原文「红色旅游 与普通意义上的旅游一样,有市场、有收入才能做到可持续发展」
404 記者王寅、研修生の杜斐然、「『江南』登載就小説『沙家浜』的書面道歉信」、『南方週末』、2003 年 7 月 18 日。原文「这个小说给我们带来的影响还蛮大的,现在有些游客到我们这里来参观,跟他们讲解 这些原型的时候,(他们)已经无法产生那种肃然起敬的感觉了,如果我们的下一代青少年接受了(小 说)这种教育的话,我们的民族历史会不会改写,中华民族的精神支柱是什么(就不好说了)。」
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な「輝かしくない」イメージは沙家浜の人々が企業を誘致して資金を導入し、現地 の経済を発展させるには不利であり、現地の旅行の効果と利益の崩落を招き、市場 競争力を失い、従って経済効果と利益に影響を与えるのである。こうした点では④ の新聞雑誌も現地政府や民衆と共通の立場に立たざるを得ない。これらの新聞雑誌 は現地政府や民衆読者に支えられているからである。
しかし、小説はやはり文芸創作であり、歴史の記述ではない。愛国主義教育基地 としての沙家浜の現地の人々はそれを理解し、更に寛容な心を持ち、理性的、科学 的に歴史に向き合い、歴史の事実と作品の表現の虚構を客観的に取扱い受容する必 要がある。沙家浜の人々が当時勇ましく戦った歴史的事実は小説によって変えられ ることはない。人民の革命英雄に対する崇拝の情も一つの小説によって弱まること はないし、歴史的地位もいかなる文芸の虚構と創作によっても動揺することはな い。本当に大きな山は震撼を受け止め耐えることが出来るのである。
小説『沙家浜』事件からもう十年が経過し、徐々に忘れ去られようとしている。
本節は文学作品自体の角度から、小説『沙家浜』と模範劇『沙家浜』を比較し、二 つの作品の関係を分析した。最後に結論をまとめれば以下のようになる。第一に、
両者には必然的な関連がなく、対等並列な関係であり、文学創作の角度からは相互 補完の関係である。第二に、多くの読者は両者の間のこのような関係を正しく処理 できず、二つの作品の中の人物を混同し、小説発表後、多くの批判を招いた。第三 に、小説が批判を受けた原因は模範劇の中に隠された人間性の描写を増やしたから であり、またまさに小説が模範劇の不足したところを補完したために、批判を受け たのだ。第四に、このことから小説が批判を招いたのは、模範劇が一つの矛盾した 総合体であるだったからと説明できる。文革が終わると、模範劇は人物描写の中に
「人間性」もなく、現実生活の基盤もないとして否定と批判を受けた。しかし、こ の否定され批判された「人間性」のない描写こそ、まさに模範劇の「模範」たる点 であった。第五に、小説『沙家浜』事件を通じ、模範劇の魅力はより明らかにな り、模範劇成立の社会的基礎がより明確になったと言える。第六に、小説が批判さ れたのはそういう文学的理由だけではない。市場化の条件の下で、各業界は経済利 益の追求を直接的もしくは間接的な目的と見なす風潮が生まれた。小説も市場経済 の潮流のもとで多く売れ、利益をあげることを求める文化商品となった。小説『沙 家浜』も文化商品としての性格を持たざるを得ない。ある観点からすれば、この小 説が人物を新たに創作する際に、紅色旅行基地の英雄のイメージを「破壊」したの も、「文化商品」としての価値を高めるための策略だったと言える。小説はこれに よって沙家浜の現地住民の不満を引き起こしたが、これもまた情理の中の出来事で ある。第七に、だが我々の社会が寛容な社会であるならば、主流思想と一致しない 思想の存在を許容すべきであり、小説に対して「限りなく原理原則の上を走る」と