第四章、 革命模範劇『沙家浜』
第一節、 「模範劇」という言葉の起源の探求
模範劇の正式名称は「革命現代劇」で、革命現代京劇、革命現代バレエ劇及び革命 現代交響楽を含む。そもそも「革命」という言葉と「戯劇」とを結びつけたのは、毛 沢東であった。延安時期に、毛沢東は『逼上梁山』を見終わって、とても喜んで、脚 本演出者の楊紹萱、齊燕銘に宛てた手紙の中に「あなた達のこの始まりが旧劇革命の 画期的な始まりになる」と書いた。175 周恩来は 1964 年京劇現代劇競演大会上の発言 の中で、第十回中央委員会全体会議の上で毛沢東が言った「社会主義に奉仕する現代 革命劇を演じることを提唱すべきだ」を引用して、また周恩来はこの会議の講話にお いて「革命現代劇を演じる」と略称していた。この時から、「革命現代劇」という名称 は京劇現代劇の代わりに広範的に使われている。176
一、「様板」という言葉の出現
1965 年 3 月 16 日の上海『解放日報』の上で、『本報評論員』の署名による、「認真 地向京劇『紅灯記』学習」を題とする短評の中で、初めて「様板」(模範)という言葉 が現れた。文の中に「……この劇を見た人は、彼らのあのような戦闘の政治的情熱と 革命の芸術的力量に強く鼓舞されて、異口同音に、『よい芝居。よい芝居。』と称賛し た。これは京劇革命化の一つのすばらしい模範であろう。上海の演劇工作者は更に相 争って京劇『紅灯記』に学ぶと表明している。」とある。これは「模範」という言葉が 新聞雑誌に掲載された最初の例である。おそらく「模範」という言葉が斬新で格別で あり、また確かにがこの優秀な京劇現代劇に対する賛美や経典、範本としたいという 人々の気持ちに符合していたため、「模範」という言葉はすぐに上海の演劇界の関係 者に認められた。
1965 年 3 月 22 日、北京の『光明日報』は上海の有名な越劇芸術家の袁雪芬が『紅 灯記』を称賛した「精益求精的様板」という文章を掲載した。文章の中に「……『紅 灯記』を見て、私は更に革命現代劇をうまく演じるために、まず真面目に自己改造し ないといけないと深く体得した。……中国京劇院の同志達の勤勉な労働は、私達のた め模範の効果を発揮してくれて、私は上海の広大な観衆とおなじな気持ちを持って彼 らに感謝する。」と述べた。「模範」という言葉の影響は北京にも波及した。1965 年の 北京『戯劇報』の第 3 期は、『比学趕幇、演好革命現代戯』のという全段抜き大見出 しの下、本紙評論員も解説・評論において、「私達は、全国各地の各種類の劇が、まず あれらの古い劇でも、すべて毛沢東思想の輝きの下、労農兵大衆のしっかりした生活
175 『毛沢東文集』第三卷、人民出版社、2001 年、88 ページ、参照。
176 謝柏梁、『中国当代戯曲文学史』、中国社会科学出版社、1995 年、246 ページ、参照。
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を基礎として、苦しい芸術労働によって、優秀な作品、優秀な公演を創造し、鍛え出 し、当地区にある地方劇に模範を樹立しかつ、『紅灯記』とその他の優秀な演劇に追 いついて越えて、演劇の全戦線での「比学趕幇」の運動をだんだんピークに推し進め ていくことを望んでいる」と呼び掛けた。
「模範」という「大衆的」な意味を豊かに含む言葉を用い、これを「経典」、「手本」
等の概念に代替させた。そこには、明らかに模倣、複製として生かすという含意があ ったようである。177『部隊文芸工作座談会紀要』では、政府と軍隊の指導者が「人力、
物力、財力を組織」し、「すばらしい模範を作り出すこと」が一つの戦略的任務として 提起された。「このような模範が生まれ、この方面で成功した経験が生まれてこそ、
説得力があり、しっかりと陣地を占領することが出来、反動派の棍棒を打ち落すこと が出来る」としている。
二、「模範劇」という言葉の出現
1966 年初の『林彪同志委託江青同志召開的部隊文芸工作座談会紀要』では、十七年 の文芸工作を全面的に否定した同時に、革命現代京劇が新たに現れて盛んにするとな ったことを称賛した。『紀要』では「様板戯」(「模範劇」)とい言う言葉を使っていな いが、江青が「精魂を傾けて育成した」いくつかの「革命現代京劇」を革命文芸の手 本と称した。
革命模範劇が正式に出たのは、1966 年 11 月 28 日に「中央文化革命小組」が開催し た「首都文芸界無産階級文化革命大会」からである。『中央首長講話』178の資料によっ て、周恩来と江青は大会に挨拶の中で、京劇改革を話題にする時、それぞれ「模範」
という言葉に言及した。周恩来は「この数年来、京劇改革、バレエ劇改革、交響楽改 革、彫塑改革は、すべて画期的な業績を得た。これは文芸の革命化、大衆的、民族革 命化の一つの大きい飛躍であり、これらの模範の影響と垂範のもとで、すでにいくつ かの革命の文学芸術の優れた作品が誕生した」と言った。江青は「毛沢東思想が方向 を指し示して導く中、ごく短い数年内で、みなさんの革命現代劇を創造する工作は、
確かに成績が取って、全国の京劇改革に模範を樹立してあげた」と言った。その後、
当時の「中央文革小組」の組長の康生は、「京劇『紅灯記』、『智取威虎山』、『海港』、
『沙家浜』、『奇襲白虎団』、バレエ劇『紅色娘子軍』、バレエ劇『白毛女』、交響楽『沙 家浜』の八つの作品は革命模範劇である」と宣言した。これは人々が常に言うところ の「八つの革命模範劇」である。
1967 年 5 月 1 日から 6 月 17 日まで、『文芸講話』発表二十五周年を記念するため
177 「複製化」は、「文革」の急進的な文芸の「大衆文化」的性格の特徴である。「模範」式の演劇
(「模範劇」)、絵画(例えば『毛主席去安源』)、歌曲(大量の「『毛沢東語録』を歌詞とした歌曲)、『大 海航行靠舵手』などの流行歌曲)、彫塑(『収租院』)などはすべて大量の複製によって大衆に「普及」
した。この種の複製には、移植、改編、踏襲、模造などの方式を採用した。洪子誠著、岩佐昌暲・間ふ さ子編訳、『中国当代文学史』、東方書店、2013 年、279 ページ、引用。
178 『中央首長講話』、浙江大学紅衛兵編輯部、1967 年、参照。
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に、京劇『紅燈記』、『智取威虎山』、『海港』、『沙家浜』、『奇襲白虎団』、バレエ劇『紅 色娘子軍』、バレエ劇『白毛女』、交響楽『沙家浜』が首都北京で、「合同公演」を行っ た。当時「中央文化革命小組」のメンバーだった陳伯達、姚文元は「京劇革命」、「模 範劇」の意義、及び「京劇革命」における江青の位置と役割に対して、極めて高い評 価を与えた。陳伯達、姚文元は、江青が「一貫して毛沢東の文芸革命路線を堅持し守 り」、「先頭に立ち」、「文芸革命のいばらの道を切り開く人となり」、「指導し発動した 京劇革命、その他の演技芸術の革命は、ブルジョアジー階級、封建階級の反動的文芸 の最も頑強な砦を攻め落とし、一群の斬新な革命京劇、革命バレエ、革命交響楽を創 造し、文芸革命のために輝かしい模範を樹立した」179と称賛した。
この八つの演劇の合同演公演は、その当時最も権威あるメディアであった『人民日 報』、『解放軍報』、雑誌『紅旗』の極力の宣伝宣揚を経て、江青と「模範劇」の名前は 不可分のものとなった。そしてその年の「5•23」の毛沢東の「文芸講話」の二十五周 年を記念する盛大な祝典をきっかけとして、「模範劇」は「無産階級の手本」として中 国大陸で広く世間に知れ渡っていて、人の心に深く入り込んだ。
1967 年 5 月 10 日の『人民日報』、『解放軍報』及び当年第 6 期の雑誌『紅旗』は、
それぞれ 1964 年 6 月 23 日に京劇現代劇の出演者との座談会での江青の演説を掲載し て、『談京劇革命』と題名を付けた。180同時に掲載したのは雑誌『紅旗』の社説『歓呼 京劇革命的偉大勝利』181である。この社説は「京劇革命は、我が国のプロレタリア文 化大革命の進軍ラッパを吹き鳴らした。これは我が国のプロレタリア文化大革命の偉 大な始まりである。これは毛沢東思想の偉大な勝利であり、毛主席の『文芸講話』の 偉大な勝利である……江青同志の演説は、毛沢東思想を用いて京劇革命の偉大な意味 を詳しく述べ、毛主席の京劇革命の指導方針を発揮した。この演説は、マルクス・レ ーニン主義、毛沢東思想を運用して京劇革命の問題を解決する重要な公文書である」
と指摘した。
「模範劇」という言葉は政府が宣伝する際の正式の言葉としても、初めてこの中国 共産党中央の代弁者としての社説の中で引用された。「京劇革命はすでにいくつかの 豊な果実が現れた。『紅灯記』、『智取威虎山』、『海港』、『沙家浜』、『奇襲白虎団』など の京劇模範劇の出現は、最も貴重な収穫である。それらは京劇の優秀な模範だけでは なく、更にプロレタリア文化大革命のそれぞれの陣地における「闘批改」182の優秀な
179 陳伯達、姚文元の講話は、1967 年 5 月 24 日の『人民日報』、5 月 25 日の『解放軍報』に掲載され た。
180 多くの文章では江青のこの演説を「江青 1964 年 7 月在京劇現代戯観摩演出人員座談会上的講話」
としているが、筆者の調査によれば、この演説の時間が行われたのは 1964 年 6 月 23 日である。根拠は 以下の二つである。第一、1964 年 6 月 24 日に、毛沢東が「64 年京劇現代戯観摩演出大会」の事務室が 江青の座談会上の演説記録を審査に送付した公文書に、「すでに読んだ、よく話した」という指示を書 いていること。第二、薄一波が『若干重大決策与事件的回顧』の中で、「江青の 6 月 23 日の発言に対し て、毛主席もとても賞賛して、6 月 26 日に‘すでに読んだ、よく話した’」と指摘していること。薄一 波の『若干重大決策与事件的回顧』(下巻),中共中央党校出版社、1230 ページ、引用。
181 京劇革命の偉大な勝利に歓呼する。
182 闘争、批判、改造である。