第六章、 模範劇フイルム『沙家浜』
第四節、 模範劇フイルムから引き出された思考
364 長春電影製片廠『沙家浜』撮製組、「革命現代京劇『沙家浜』」影片撮製小結。李松、『“様板戯”: 編年与史実』、中央編訳出版社、2012 年、386-387 ページから、引用。
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模範劇フイルムが誕生した後、政治宣伝の重要な道具になったのは、映像の伝播力 が他の手段より大きかったからだ。1964 年に公布された『文化部関于加強電影芸術片 創作和生産領導的意見』365は、「映画芸術は最も大衆性がある芸術であるし、最も普及 しやすい文化娯楽の一種である。一部の優秀な映画は、短期間で何千万もの各階層、
各方面からの観客を獲得することができる。映画芸術の創作は必ず多くの面から広範 な大衆の多種多様な需要を満足させなければならない」と指摘した。社会の受け手の 映画に対する強烈な期待及び映画の強大な宣伝効果は、模範劇フイルムがイデオロギ ーの主導権を獲得した重要な条件である。
新中国成立後、中国の映画界は「『武訓伝』批判」や「『清宮秘史』批判」など激し い政治の荒波にさらされてきた。文革初期に、文革前の 17 年の映画界に対して全面 的な批判を行い、批判された映画は幾百部に達した。きわめて少数の「老三戦」366の ような映画を除いて、ほとんど死刑を言い渡されてしまった。それぞれの映画製作所 は全面的に中断して、1973 年まで各映画製作所は 1 部の劇映画さえ撮影することも 許されていない。模範劇を芸術の上で最後に定型化させて残すために、江青は模範劇 を映画撮影することを決定した。模範劇フイルムの自身も、映画を撮影する模範にな って、それ以後の劇映画の撮影に重大な芸術的影響を引き起こした。
1967 年 11 月 9 日と 12 日の『江青同志在北京文芸座談会上的講話』の中で、江青は 文芸の普及問題に言及した時、「私達の革命模範劇は、各種の道筋を通って広まって いるが、主に映画を撮影することで全国の隅々まで普及させるのだ」367と言った。模 範劇フイルムの製作はどのように行ったか。李松の考察368によって、主に以下のよう である。
まず、国家が主導して、最も優秀な創作人員を集中する。
撮影師の李文化369は江青の指導のもとで模範劇フイルムを撮影したことを振り返 って、細かく語っていた。「1967 年 9 月、軍宣伝隊の責任者狄福才同志が銭江、成蔭、
謝鉄驪と私を呼び出して、江青が皆さんと話があると伝えてくれた。その頃、私たち は毎晩工場で雑魚寝していた。その夜十時頃、狄福才が私たちを連れて、釣魚台へ向 かった。みんなが自己紹介を終えてから、江青は「あなた達を工場から解放したのは 模範劇を映画化するためです」と言った。みんなは次々に発言して、これからの模範 劇フイルムを撮影する任務に大変な情熱を示した。江青は「あなた達ならきっといい
365 1961 年 6 月 8 日から 7 月 2 日まで、文化部は北京新僑飯店で全国のフィクション映画作品の創作 会議を開催し、大躍進以来、映画活動の経験と教訓を総括し、「双百」の方針、映画創作を繁栄させる 改善措置を徹底的に討論した。会議は『映画芸術フイルム創作と生産の強化に関する意見』を通過さ せ、それは「電影二十五条」と略称され、後に「電影三十二条」に修正された。
366 「老三戦闘」とは『地雷戦』、『地道戦』、『南征北戦』を指す。
367 中共中央辦公庁、国務院秘書庁文化革命連合接待室編印、『無産階級文化大革命有関文件匯集』(第 五集)、1968 年。
368 李松、「“様板戯”電影的生産与伝播」、『戯劇之家』、2011 年、第 5 期。
369 李文化、「在江青帯領下観摩美国電影」、『南方週末』、2009 年 6 月 3 日。
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ものを出してくれると思う。その前に、先ずは私の直々の指導のもとで、幾つかのア メリカ映画を見せてあげる。アメリカ映画の内容と思想ではなく、主にそのノウハウ や技術を勉強させるためだ。例えば、造形、ライト、場面、管理、背景のデザインな どをプロレタリアート映画の撮影に使うのだ」。最後に、彼女は「力を蓄積するため には、外国の良い技術を真似して我々の革命事業に使わせてよい」と言った。それか ら結構長い間に渡り、江青は私たちと一緒に釣魚台の映写室でアメリカ映画を見てい た。中にはアカデミー賞入賞の作品が少なくなかった」と言った。
このことから明らかになるのは、模範劇フイルムをうまく撮影するために、江青が 自ら役者、監督及び他のスタッフを選定したことである。江青は文革運動の中で「反 動学術権威」や「牛鬼蛇神」、「白専道路的黒干将」370などの名目で打倒された有名な 芸術家、監督、撮影師や美術師らを「解放」した。その中で最も有名な人物を挙げて みると、監督には成蔭、謝鉄驪、謝晋、桑弧、蘇里、王炎などがいた。撮影師は銭江、
沈西林、李文化などで、美術師に寇紅烈、陳翼雲、暁濱などがいた。撮影の方法にお いては、江青は資産階級の芸術を何度も激烈に批判した態度を一変させ、門戸を開い てハリウットを含めたすべての西洋諸国の映画芸術の成果を吸収した。
その次に、強大な模範劇フイルムの規模を創立した。
1969 年から 1972 年までの間、国家は力を入れて模範劇フイルムを普及させること によって、「観劇の困難」という問題を解決した。北京映画撮影製作所、八一映画撮影 製作所、そして長春映画撮影製作所などメイン撮影製作所が中心となり、謝鉄驪など が監督として数多くの模範劇舞台を撮影して、全国的に発行、上映した。また、三百 種以上の地方劇が模範劇を真似して、様々なレコードを制作して販売した。模範劇フ イルム、レコードの録音、それに地方劇に移植する際はいずれにしても絶対に模範劇 の型から離れてはいけないと要求され、そうでなければ由々しい政治的問題として問 われることになるのであった。
第三、苛酷な模範劇フイルムの審査と監督制度を創立した。
フイルム創作やフイルム制作の分野において、文化大革命の初期に始まった大きな 政治批判運動のせいで、フイルム創作者が政治に従順で服従しがちな心理を形成して しまった。この時期、いずれの模範劇フイルムの撮影グループでも中央から地方まで 幾重にも政治審査を通過しなければならず、しかも軍宣隊あるいは工宣隊の全面的な 監督を受けなければならない。スタッフ達は軍隊のような管理モデルで管理された。
江青も直々に幾つかの模範劇フイルムの創作と撮影を指導した。フイルム創作者達は 完全に主体的な個性を失ってしまい、結果として作品を政治と一体化した拡声器にす ることだけが彼らの使命であった。
370 政治に無関心で研究に没頭する反動的なやり手。
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章新強は、371模範劇フイルムは伝統劇映画様式として芸術と美学の伝承において自 己発展の内在的動力を持ち、それによって「シーナリーショット」の観点に対して質 疑を提出している。模範劇フイルムの創造的表現は、本来の伝統劇の構造、プロット、
場面分けと幕分けの包括性にあり、シーンを利用して形成される視覚効果は、英雄人 物の高大さを突出させている。模範劇の音楽的、舞踏的特徴、および主演の役者の特 徴に基づいて、ロングシーンなどの焦点を定めた撮影技術を運用していると考えてい る。
中国映画芸術研究センター研究員の酈蘇元は「『文革』映画の英雄主題は確かに特 定の時代の思想の産物であるが、17 年間の映画創作中における極左思想と関連がな いわけではない。そのことは過度に政治に協力し、過度に英雄人物を美化する傾向を ひどく膨張させ極端に発展させた。その影響と作用は、文化大革命が終結かつ消失し ても、徹底的に排除されておらず、それにはさらに月日を要する」372と指摘した。
中国映画芸術研究センターの副研究員呉迪は、373この基礎の上に、模範劇フイル ムを百年の中国映画史の座標軸の中に置くと、模範劇フイルムの占める位置がまる で新旧時期の映画を連結した橋梁のようで、その前に 17 年の映画があり、その後ろ に 1977 年から現在に至るまで、まだ新時期の映画が続いていると考えている。よっ て、橋梁として、それは前のものを受け継ぎ、後のものを導き、踏襲し、盛んに し、前の 17 年の主流理念を集中させ、開放し、指導し後の映画の主旋律、特に革命 歴史フイルムと英雄の模範的題材に影響を与えている。この橋梁自身も歴史であ り、それが中国の銀幕を統治したのは八年の長きに達した。歴史自身は歪曲され、
隠蔽されうるが、分断することはできず、模範劇フイルムは突然現れたものではな く、体制、文化とイデオロギー等の内外の要素の総合的作用の下において時代に生 成されたものである。それは前の十七年の映画の発展の結果であり、歴史の必然的 産物である。よって、模範劇フイルムは新中国のイデオロギーの鎖を打開する鍵だ けではなく、その中に新中国映画史の核心的な機密を含んでいる。この鍵を自分の ものにし、この機密を解くことは、中国映画史を書き換えることを意味している。
まさにこの様であったため、模範劇フイルムはその前の物を受け継ぎ後の物を導く 思想の意義と独特の美学の特徴を以て歴史に記載された。歴史とは現代史であり、
それぞれの時代は書き換えられており、文学史はまさに一ページ一ページと新たに 書き換えられており、映画史もまた同様の運命から逃れることができない。
371 章新強、「様板戯電影是空鏡頭嗎?」、『戯文』、2005 年、第 3 期。
372 酈蘇元、「当代中国電影創作主題的伝移」、『当代電影』、2009 年、第 5 期。原文「‘文革’电影的英 雄主题固然是特定时代的思想产物,但与十七年电影创作中的极左思潮不无关联,是过于强调配合政治、
极力美化英雄人物创作倾向的恶性膨胀和极端发展,它的影响与作用,并未随着文化大革命的结束而消 失,彻底清除,看来还需待一些时日」
373 呉迪、「叙事学分析:様板戯電影的機制/模式/代碼与功能」、『当代電影』、2001 年、第 4 期。