第四章 分配的公正
4.6 分配的公正をめぐる残された論点
本節では、分配的公正をめぐる議論をする際に引き続き検討を要する論点として、客観 的な情報やデータを如何に提供するか、十万年問題がもたらす不確実性をどう考えるか、
また、価値判断を可能とする時間軸をどう設定するか、について考察する。
4.6.1 客観的な情報及びデータの提供の難しさ
本稿では、HLW 問題をめぐる社会的合意形成を進めるためには、受益圏と受苦圏の間 の地域間公平や、現世代と将来世代の間の世代間公平の問題について、分配的公正の観点 から考慮することの重要性を指摘した。分配的公正の観点から議論を進めるためには、
HLW 問題を解決することでもたらされる便益や期待される効用(ベネフィット)、HLW 問題を解決するための費用(コスト)、HLW問題をめぐるリスクや不確実性などを可能な 限り数値化、あるいは「見える化」することが必要である。そのうえで、こうした数字や 情報をもとに市民と熟議、熟慮を行い、可能な範囲で合理的な判断を求めるのである。た とえば、HLW問題を現世代で解決する場合と、将来世代に委ねる場合とでは、便益や、コ スト、リスク(事故の可能性)、事故の損害とその補償等にどれだけの違いがあるのか、現 在価値で算出し、人びとの価値判断を促すのである。また、人びとに対して解決策の様々 なオプションを示すため、HLW の地層処分だけではなく、暫定保管やその他の選択肢に ついても同様に、便益、コスト、リスク等を算出し、これらを比較検討することにより価 値判断を求めることが必要である。
とりわけ、HLW問題を議論する場合、HLWがもたらすリスクが過度に強調されたり、
安全性の確保のみが過度に追及されたりする傾向がある。HLW 問題に限らず、世の中の
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あらゆる科学技術の利用においては必ず一定のリスクが存在すると考えることが重要で あるが、我が国においては、多くの人びとが科学技術の利用に対して「ゼロリスク」求め る傾向がある。こうした人びとのリスク認知を変えることは容易ではないが、他方、和田 ほか(2009a)が指摘するとおり、リスクを認知したうえでリスクを定量化・管理し、安 全性に関する情報を継続して提示することが必要であるとともに、リスクを低減する措置 と、そのために要するコストをしっかりと示すことが重要である。安全性ばかりを追求す ると、コストとの相関に関わる議論が置き去りにされてしまい、経済原則に基づく冷静な 合理的判断ができなくなる傾向にある。仮説や推計の仕方によっては、コスト、リスク、
事故の損害などが天文学的な数値となる可能性もあるが、様々なリスクや不確実性を考慮 しながら、可能な限り数値化することが重要である。もちろん、数値化の意義そのものや、
出てきた数値に対して、批判が出る場合もあるが、こうした批判に真摯に応え、検証を繰 り返しながら、可能な限り経済的合理性判断を行うという考え方が求められる。
4.6.2 十万年問題がもたらす不確実性
原子力発電から生じる使用済燃料や使用済燃料の再処理を行った後に生じるガラス固 化体などのHLWは、放射能が高く、しかもその放射能が十万年以上の長い期間にわたっ て残存するため、人体や環境に多大な悪影響を及ぼすおそれがある。もともと我が国には 活火山や活断層が多く、HLW処分を行ったとしても、十万年以上も先の未来までHLWを めぐるリスクや不確実性が存在することから、容易に解決策を見出せない状況にある。日 本学術会議(2012)も、HLWの最終処分場は、数十年の使用期間を想定している原子力 発電所と比べて、千年、あるいは、万年という桁外れの超長期間にわたって、汚染が発生 する可能性を抱えるという問題に対処しなければならないという困難を抱えていると指 摘している。本稿では、このようなHLW処分の特性である超長期性の問題を「十万年問 題」と呼ぶ。
日本学術会議(2012)が指摘するとおり、専門家の中には、超長期にわたる不確実性を 考慮しても、放射能が生物圏に影響を与えることのないよう確実に隔離することが可能と いう認識が存在する一方、十万年問題がもたらす不確実性の評価、とりわけ、超長期の期 間における地質環境の安定性の評価については、多様に異なる認識を示す専門家が国内外 に存在するのである。したがって、現在の科学的知識や技術的能力に関する限界や不確実 性をどのように自覚し、これを明確にするのか、あるいは、今後の科学的知見や技術の進 歩を、どのように将来の政策や対策に反映できるようにするのかについて、政府関係者や 専門家だけでなく、市民も交えて議論し、社会的合意を得ることが重要である。日本学術 会議(2012)が指摘するとおり、本来、社会的合意を得るには、HLWの隔離機能が十分 に確保され、これに影響を与える地質事象の空間的及び時間的不確実性が小さいことが求 められるが、現在の科学的な知見と技術では万年単位の将来を確実に予測することは困難 であり、多少の不確実性が残されることは不可避であることを認識しなければならない。
十万年問題がもたらす不確実性によって、分配的公正について、技術的観点からだけで 考慮することは容易ではないし、適切でもない。長期になればなるほど不確実性が増すこ とも考慮に入れる必要がある。HLW 処分に関しては、最新の科学的知見によっても十万 年以上も先まで「絶対安全」を保証することは困難である。しかし、「ゼロリスクではない
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科学技術は受け入れない」との立場を主張し、あるいは、将来の科学技術の発展を過度に 期待して、現世代が考えられる最適な技術ですら否定し、議論しないというのは誤った考 えである。あらゆる科学技術にはリスクがあること、HLW 問題については超長期の不確 実性が存在することを理解し、現時点で考えられる最適な技術を適用するとともに、こう した不確実性を可能なかぎり低減するために研究開発や技術開発を継続的に実施して、将 来世代にも価値判断の余地や技術的選択の自由度を残すという考え方が必要である。こう した考え方を採用することによって、すでに述べたとおり、現世代と将来世代の間の世代 間公平をめぐる分配的公正についても考慮することが可能となるのである。
4.6.3 価値判断を可能とする時間の要素
十万年問題によって、現時点において、十万年先を想定して価値判断を行うことは非常 に困難である。したがって、価値判断を可能とする、すなわち人びとが認知することがで きるレベルの時間軸を設定して議論することが重要である。たとえば、使用済燃料を再処 理した後に出てくるガラス固化体については、製造された直後では放射能や温度が非常に 高いが、時間とともに減っていく。我が国では、ガラス固化体は、30年から50年程度の 間、冷却、貯蔵された後、最終的には地下300mより深い地層において地層処分されるこ ととなっているが、30 年から 50 年程度の時間軸であれば人びとは認知できるであろう。
日本学術会議(2012)は、HLW処分に関するプロセスを進めるためには、その前に広 範な国民が納得する原子力政策、エネルギー政策の大局的な方針を示すことが不可欠であ り、多様なステークホルダーが討論と交渉のテーブルに付くためは、HLW に関する暫定 保管と総量管理の二つを柱に政策枠組みを再構築することが条件であると指摘した。暫定 保管は、いきなり最終処分に進むのではなく、問題の適切な対処方策の確立のために、数 十年から数百年程度のモラトリアム期間を確保し、この期間を利用して、技術開発や科学 的知見を洗練し、より長期間を対象にした対処方策を創出すると同時に、将来世代の様々 な選択を可能とするために、保管終了後の扱いを予め確定せず、数十年から数百年にわた る保管を念頭に置くことを提案するものである。
その後、日本学術会議(2015)は、暫定保管の期間を原則50年とし、最初の30年まで を目途にHLWの地層処分のための合意形成と適地選定、さらに立地候補地選定を行い、
その後 20 年以内を目途に処分場の建設を行うことを提言している。そのうえで、市民参 加を通じて、HLWの地層処分の立地選定の在り方とその合意形成について公論を喚起し、
暫定保管の前期 30 年の間に、エネルギー政策に関する国民的議論をリードし、原子力利 用の将来像をどうするのかについての国民の合意形成に携わることを提言している。暫定 保管の期間を原則 50 年とすることの根拠は、保管施設の技術的な設計寿命の目安として 50年が一つの区切りと考えられるからであり、他の可能性として100年、あるいは、300 年の期間もあり得るが、それは予定する処分場に不測の事態が発生した場合に対応するた めであるとしている。いずれにしても、いきなり十万年以上も先のことを考えることは不 可能であり、30 年から 50年程度を一つの区切りとして、HLW問題をめぐる解決策につ いての議論を進めることは有効な考え方である。