第二章 本研究の中心命題等
2.1 先行研究の概要
2.1.1 リスク・コミュニケーションの論点
人びとは福島原発事故を経験し、原子力発電は決して「絶対安全」ではないことを理解 した。福島原発事故の後に脱原発運動や反原発運動に参加するようになった人もいた。毎 週のように日比谷公園に集まり、東京電力本社周辺や経済産業省周辺、あるいは、国会議 事堂周辺で大規模なデモを展開する光景もみられた。しかし、原子力発電はリスクを伴う。
このことを最初から認識していれば、これほどヒステリックな反応は生じなかったであろ う。原子力発電の便益(ベネフィット)だけでなく、原子力発電に伴うリスクも正しく理 解したうえで、これを如何にコントロールするのか、原子力発電を進める政府や電力会社 だけでなく市民一人ひとりも意識を持って考えることが求められる。
原子力発電だけでなく、HLW 処分においても、また、すべての科学技術の利用におい ても、便益だけでなく、リスクや不確実性が必ず存在する。とりわけ、HLWはそのリスク や不確実性が長期間にわたって持続することを正しく理解することが必要である。そのう えで、このリスクや不確実性を如何にコントロールするのか、という観点から対処手法を 検討することが求められる。水上・西田(2007)も、HLW処分も科学技術のリスクに如 何に対応していくか、という問題の一つであると指摘している。HLW については、十万 年以上も先までリスクや不確実性が持続するが、現時点においてHLWに関するすべての 技術的課題を解決することはできず、十万年以上も先まで「絶対安全」を保証することは
74 本稿における「リスク・コミュニケーション」とは、National Research Council(1989)
の定義に倣い、個人、グループ及び組織の間で情報や意見を交換する相互作用的過程
(“interactive process of exchange of information and opinion”)である。
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不可能に近い。HLWについては「絶対安全」な解決策を追求するのではなく、現時点にお いて、最も安全で、かつ技術的に実現可能な、あるいは、入手可能な処分方法を採用する、
換言すれば、現時点で考えられる最適な処分方法を採用し、同時に、研究開発を続け、技 術力を高め、リスクや不確実性への対処を継続するという考え方に立つべきである。
HLW の地層処分の場合、天然バリアと工学バリアを総合的に採用し、多重防護システ ム、あるいは、マルチバリアシステムを実現することによって、処分事業全体のリスクや 不確実性を下げるという手法が採用されるが、市民もこうした考え方を理解することが重 要である。しかし、HLW の地層処分に関する技術情報は、事業の実施主体である政府や NUMO などに集中的に蓄積されている。坪谷・安藤・山本・佐藤(2006)が指摘すると おり、HLW問題は、多くの市民にとって、「情報の内容や更新の経緯などに接することが 難しい、典型的な『情報の非対称性』(複数の当事者間で、保持する情報量に著しい格差が ある状態などを指す)を有するプロジェクト」(坪谷ほか, 2006, p.139)と捉えられており、
HLW 処分に関する「社会の意思決定を困難にしている重要な原因の一つにこの情報の非 対称性がある」(同上)と考えられる。
こうしたHLW処分に関する情報の非対称性を解消するためには、政府やNUMOなど の専門家は、科学的な分析や知見に基づき、できる限り客観的で、かつ正確な情報を市民 に提供する努力を続けることが必要である。しかし、福島原発事故後、政府や原子力専門 家の信頼は失墜しており、情報を提供するだけでは市民は話を聞いてくれない状況となっ ている。市民の中には「政府や専門家が言うことは信じられない」と主張し、インターネ ット上の誤った情報やデマを鵜吞みにする人びともいる。HLW に関するリスクがよく分 からない、理解できないから不安になるということは当然であるが、正しい情報を伝えよ うとする側を「信じられない」と言って拒否し続けていては議論が始まらない。市民の側 でも、政府やNUMOなどの専門家の意見を聞き、自らの疑問や不安を伝える努力をする ことが求められる。
他方、政府やNUMOなどの専門家に対しては、道徳心や倫理観が要求され、市民の声 に耳を傾ける柔軟性が求められる。政府や専門家の側に聞く気がなければ、市民も会話を する気にならない。市民の関心や興味に沿った情報提供や十分な情報公開によって、市民 がいつでも必要な情報にアクセスできる環境を整え、市民の疑問や不安に真摯に対応する ことが求められる。また、原子力発電やHLW処分に関しては、たとえ科学技術が進展し ても、必ず何らかのリスクや不確実性が伴い、事故や失敗が起きる可能性が残されている ことを正直に伝えたうえで、このリスクや不確実性に対して、どのように対処していくの かという課題について、市民とともに考え、共通の認識を醸成していく姿勢が求められる。
このためには、市民と政府や専門家の間の双方向の情報共有、相互理解のプロセスとし てのリスク・コミュニケーションが正しく行われなければならない。しかし、大越・鳥井・
藤井(2007)が指摘するとおり、我が国においては、「原子力分野では十分なリスク・コミ ュニケーションが実施されていない」(大越ほか, 2007, p.421)と認識されている。その理 由は、「その必要性及び有用性は認識されているものの、実施経験がほとんどなく、リス ク・コミュニケーションの方法論が十分に確立していない」(同上, pp.421-422)ためであ る。水上・西田(2007)は、我が国においては、「これまでのところ、一方的な情報伝達の 側面が強く、いわゆるパブリック・アクセプタンスにとどまっている傾向が見受けられる」
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(水上・西田, 2007, pp.11-12)と指摘している。すなわち、双方向の対話、あるいは、適 切なリスク・コミュニケーションになっていないのである。
これは政府や専門家の意識の問題であるとされる。そもそも、リスク認知は専門家と一 般の人びととの間で異なる。水上・西田(2007)は、「一般の人びとが被害の重大さのみで 判断するのに対し、専門家は被害の重大さと生起確率による客観的期待値で判断する」(同 上, p.11)という違いを指摘している。また、傍島(2001)が指摘するとおり、専門家はこ のような違いを無視して、市民が反対意見を表明するのは市民の無理解に基づくものであ り、専門家の説明不足が原因であると考える傾向にある。専門家が、「公衆の不安感を技術 の安全に対する無理解のためと意識したとき、社会とのコミュニケーションは一方的な安 全広報活動に集結されてしまう」(傍島, 2001, p.26)のである。土屋・小杉・谷口(2008)
は、「専門家と市民のリスク認知の違いは、人びとはリスクを理解するための知識や情報が 欠如しているとする『欠如モデル』に基づく専門家から一般市民への一方的な知識・情報 提供、教育・啓蒙活動の必要性や、専門家集団による意思決定の妥当性を主張する根拠と なってきた」(土屋ほか, 2008, p.77)と指摘している。
土屋(2004)は、専門家は専門的技術用語を使い、専門家が重要だと考えている内容、
すなわち、対象となる技術の社会的必要性、有用性、コントロール可能性、経済的メリッ トなどの情報を伝えることに注力する傾向があり、専門家が与える情報は、市民にとって 理解できる情報、あるいは、求めている情報ではなく、また、デメリットやマイナス面、
あるいは、リスクに関する情報は含まれにくいことから、こうした情報提供では、市民か らの信頼を得ることは難しいと指摘している。すなわち、情報の伝達の仕方だけでなく、
政府や専門家の意識にも問題があるのである。さらに、土屋(2013)は、リスクを共に考 える関係を構築する試みは生まれてこないとし、これは、①原子力事業者の窓口担当者や 広報担当者の意識、②原子力事業者の組織の理解、③原子力業界、あるいは原子力ムラの 実績、④原子力施設立地の地域社会の目、⑤原子力に関わる国策、という5重の壁が、「リ スク・コミュニケーションを実践させないための深層防護」(土屋, 2013, p.14)となって いるためであると指摘している。
木下(2008)は、ステークホルダーが問題解決に向けてより良い解決法を模索するため のリスク・コミュニケーションを「共考」と表現している。社会にとってより良い解決法 を模索するためには、「共考」を通じてステークホルダーと政府や専門家が情報を共有し合 い、相互理解を深める必要がある。土屋・谷口・盛岡(2009)は、「共考やより良い解決法 を模索する状況を生み出すためには、従来情報の受け手であった市民や地域住民が、より 積極的に関与する場を設けること、すなわち住民参加が求められる」(土屋ほか, 2009, p.4)
と指摘している。また、水上・西田(2007)は、「社会的議論になりうるHLW地層処分問 題においては、市民と専門家・専門機関との間で双方向に情報を共有し、相互の考え方を 知る過程としてのリスク・コミュニケーションの在り方は、重要な課題」(水上・西田, 2007, p.12)であると指摘している。すなわち、市民に対して原子力施設の安全性や放射線の影 響に関する科学的な知識を分かりやすく伝える広報活動だけでは不十分であり、むしろ、
双方向の情報共有を通じて、HLW 処分と関連する科学技術や環境問題へと説明の幅を広 げ、あるいは、社会的に関心が高い分野に繋げて議論を行い、市民とともに相互理解を深 め、合理的判断に至るリスク・コミュニケーションが求められるのである。