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政府の宗郷会 館に 対するアプロ ーチ

ドキュメント内 甲南女子大学学術情報リポジトリ (ページ 170-174)

第 9章   新国 民 統合政策下に おける 「民族」のあり方

第 3節   政府の宗郷会 館に 対するアプロ ーチ

オン・テ ンチ ヨン大統領は、宗郷会館聯合総会

10周

年式典の祝辞の中で「後継者問題 等 を抱え、存続の危機 に立たされていた多 くの宗郷会館は、宗郷総会聯合総会の指導 と支 持 によ り、華人伝統文化 を広め、児童演芸班、華語訓練班、舞踊、書画、学術講座等の多 くの活動を行 うようになった。」 と、過去10年間を振 り返つた。そ して同時に、今後 も、

*1 

筆者 の、新 聞記者で歴史研 究家の韓 山元氏へ の聞 き取 りによる。 (1999年)

‑164‑

宗郷会館聯合総会 が、指導者的な立場 とな り、全国の宗郷会館 を導いてい くことを希望 し、

宗郷会館が協力 して、文化事業の発展のために努力 し続 けることを望み、政府 が後 ろ盾 と な り協力 してい くことを表明 した。円

このように政府は、

1986年

の宗郷総会聯合総会設立以降、宗郷会館 に華人伝統文化 を 継承、発揚 させるために、積極的に合作及び協力の意志を表明 し、宗郷会館 を支持 して き た。宗郷会館聯合総会をは じめ、各宗郷会館で伝統行事やイベ ン トがある度に、政府の要 人や関係者が主賓 として招かれるだけでな く、討論会 にも出席 し意見を述べ るようになっ ている。

特 に、

1990年

代以降、政府は宗郷会館 に対 し、積極的に合作及び協力の姿勢 をみせ始 める。

1991年

10月、

 

トニー・ タン (陳慶炎

)教

育相は、教育部が、

6か

12の

小学校

の管理を宗郷会館 に委託するとい う、 リー・クア ンユー (李光耀

)上

級相の建議 を受け入 れたことを発表 した。そ して、

1992年

7月 よ り、会館管理の学校は、政府補助学校 と同 様の待遇で手当を受け取 りなが ら、カ リキュラムの編成は全て会館 に任 されることとなつ た。教育部は、児童が中学進学に対応 してい くために、英語、数学、母語、科学の基礎 を 小学校時代 に確立させる必要があると、会館管理の学校 に対 して要求 しているが、会館管 理の学校は、教育部の教育政策に忠実に従 つて運営されている、政府の 自主学校 と比較す ると、自由に校務を行 うことがで きるようになる。保護者には、政府学校、政府補助学校、

会館管理の学校 を選択する権利を与えることとし、同時に、教育制度では、児童が小学校

4年

次に試験を受けた後、

EM会

話源流 (英語を第1言語、母語を会話程度)、

EM l(英

語 と母語共に第

1言

)、

EM 2(英

語 を第1言語、母語 を第

2言

)の

コースに分配 さ

れるが、それも保護者の意向で選択できることとした。つ

リー・ クア ンユーは、

1984年

のナショナル・デー集会 における演説で「 華語 中学が徐 々に衰退 し傷つ き苦 しんで、1990年 代に死 を迎えるのを避け、

9つ

の最良の華校 (中学)

を残すことに決めて、特選学校ち

に指定 し、最優秀の教師 と学生をここに集めました。こ れ らの学校で最優秀の学生のために第1言語 としての華語の水準を維持するとともに、華 校特有の礼節 と規律の環境 を残すのです。」Ч

と述べていることか らも、上述の リー・ ク アンユーの建議は、華人の伝統文化の教授 と継承 と、アジアの伝統的価値観 を、学校教育 の中で推進させるということと、従来の華校が有 していた礼節、規律 といつた優良な道徳 教育を、再び教育の場に登場 させ ることを目的と していると考え られる。そのために、一 時は華人社会の教育事業か ら距離を置 くことになつていた宗郷会館が、政府に請われ再び その役割を果たすことになつたのである。

1990年

中期か らは、政府 と宗郷会館の関係が更に密接な ものになってい く。それ と同 時に、かつて、宗郷会館 が植民地政府 と華人社会 における中間的存在であつたように、宗

*1『

聯合早報』、1995年 12月 7日。

*2『

新明 日報』、1991年 10月 17日 。

*3原

訳文では特別補助学校。特選学校についての詳細は、終章第1節を参照。

*4  

黄彬華・呉俊岡J編、田中恭子訳『 シンガポールの政治哲学 (下

)一

リー・ クアンユ

ー演説集 ―』、井村文化事業社、1988年 、358頁。

165‑

郷会館は再び政府 と市民社会における架け橋 となるように、政府が希望するようになった。

ウォン・カンセン (黄根成

)内

政相は、

1995年

末 に、「 宗郷会館は、人民協会 に所属する コ ミユニテ イ・セ ンターや居民委員会 といつた地域組織 と共 に活動を展開するべ きだ。」

と述べ、既 に合作が成功 している金門会館、テロックブランガ公民諮詢委員会、

 

トムソン

・コ ミュニテ ィー・センター、海南会館合同の「全国華語スピーチ新人コンテス ト」 と、

潮州八邑会館、ブラデル・コ ミユニテ イ・セ ンター合 同の「 全国現場書道コンテス ト」の 例 をあげ、宗郷会館 に協力を呼びかけた。・

続 く

1996年 4月

、 ウォン・カンセ ン内政相は、南安会館の「 五慶大典」の儀式に出席 した際にも、「宗郷会館は、民 と官の間に立って、両者の意志伝達や連係 といつた役割 を 担 つて、大 きな力を発揮するべ きである。」 と述べ、力量のある会館がその役割を担 うこ

とを希望 した。・2

当時、 ウオン・カンセ ン内政相の談話に対 し、晋江会館主席の張錦川は「 宗郷会館が、

現代社会の中で生存 してい くためには、活動を地域コ ミユニテ イの中まで広げていかなけ ればな らない。こうすることで、多 くの人を会館活動に呼び込む ことができ、会館の活性 化 にも繋がる。も し会館 とコ ミユニテ ィ組織 との関係 を構築で きれば、会館は地域コ ミユ ニテ ィ組織を通 して、政府に対 して民意を伝達することができる。また政府 も、会館で見 返 りを求めず活動を行つて きた人々に対 して、国家への貢献に助力 した として表彰すべ き である。」 と述べている。

海南会館主席の趙錫盛及び宗郷会館聯合総会秘書長の察錦沿は、それぞれ「 長年、積極 的に活動を行 つて きた宗郷会館の指導者に対 して、政府は表彰すべ きである。 ウォン・カ ンセ ン内務部長の建議に賛成だが、政府、会館、地域コ ミュニテ イ組織が しつか りした関 係 を築いていかない と、会館はただの橋 となつて しまうだけだ。」、「 ウオン・ カンセ ン内 務相 に同意するが、強いて言えば、政府の指導者や国会議員か らも自主的に、宗郷会館の 意見 を地域コ ミュニテ ィか らの意見 として受け止めてほ しい。」 と、張錦川 と同様 に、宗 郷会館が政府 と地域コ ミユニテ イの架け橋になることに同意 し、政府側か らの働 きかけを 求めた。'3

その一方で、三江会館総務李乗萱及び広恵肇留医院主席の梁慶経は、それぞれ「現在、

多 くの宗郷会館は衰退 し、会員の交流会やカラオケ大会 くらい しかで きない状態だ。よつ て、政府が積極 的に動かない と難 しい。」、「 力量のある大会館は、政府 と地域コ ミユニテ ィの架け橋 になれ るだろうが、小会館は会員の老化や後継者問題で、我が身を守ることで 必死であ り、 した くてもで きない現実がある。」 と、宗郷会館の全てが従来のような社会 機能 を持ち得ているわけではな く、合作 に無理があると、現実問題 を強調 した。

政府関係者の中で、

1990年

に入 つてか ら、宗郷会館の活動に積極的に参与及び助言を 行 つているチヤン・ ソーセ ン総理公署兼社会発展部政務次長は、「 宗郷会館 と政府が合作 すれば、双方にとってプラスに転 じることが多いはずである。特 に小会館は、政府の支持

*1『

聯合早報』、

*2『

聯合早報』、

*3『

聯合早報』、

1995年 8月 12日 。 1996年 4月 16日 。 1996年 4月 16日 。

‑166‐

があれば、活性化することは必至である。実際に、宗郷会館聯合総会や規模の大 きな宗郷 会館は、政府やコ ミユニテ イ・セ ンター と共に多 くの伝統行事を開催 しているが、会館独 自で行 うよ りも成果の向上が現れている。 しか し、独立前後 に、政府が会館 を監視下に置 き、活動等に制限 を加えたことや、南洋大学を閉校 して しまつたことに対 して、苦い経験 を持つ一部の会館 の指導者は、今 となつて政府の態度が変わ り、会館 に合作 を求めるよう になったことを快 く思つていない とい う事実 も存在する。」 と述べ、政府 と会館の合作 が 容易にいかない要因を指摘 している。・

ウォン・カンセ ン内務相の建議が出された1996年 4月以降、1997年 11月 、「社 区発展 理事会及び宗郷会館座談会」が開催 され、華社 自助理事会及び社区発展理事会のような地 域コ ミュニテ ィ組織 と宗郷会館の合作お よび協調ついて、政府関係者 と各宗郷会館の指導 者討論が行われた。座談会で、政府狽I代表のチャン・ソーセ ン総理公署兼社会発展部政務 次長は「社区発展理事会の設立の 目的は、社会の凝集力 と地域コ ミユニテ イ内のネ ッ トワ ー クを強めることであ り、その中で、貧困家庭、障害者、身よ りのない高齢者達を助ける ことであつたが、 もし、宗郷会館がそれに協力することがで きれば、社区発展理事会の計 画は理想に近づけるだろう。」 と建議 している。

また、中21998年 5月、ホー・ベ ンキー (何畑基

)律

政部兼内務部政務部長 も同様 に、何 姓宗親会館である何思成堂での50周年式典で、「何思成堂 とタンジヨンパガー社区理事会 とが協調 し、会館 が政府や民間団体 との交流を通 して、青少年に良好な価値観 を伝えるよ うにするべ きだ。」 と定義 した りする等、

"多

くの政府関係者が、政府の関連機 関を宗郷 会館が協力 し合 うことを勧めている。

筆者のこれまでの参与観察や聞き取 りか ら、実際に多 くの宗郷会館は、政府 と協調関係 を保ちなが ら、地域コ ミュニテ ィ組織 と合同で、文化芸術活動や伝統行事を開催 した りす る等、地域コ ミユニテイ内での活動を展開 し、活動数や参加者数 を増や していることが確 認で きた。 しか し、その一方で、政府 との合作に消極的な会館指導者も存在 していること は確かである。このように、政府 と宗郷会館の間には、プラス とマイナスの側 面が存在 し、

その微妙な関係の中で、規模の比較的大 きい会館 を中心に、政府や地域コ ミユニテイ組織 との関係を築 き上げ、地域コ ミユニテイの中で多 くの活動を繰 り広げている。

1996年

におけるウォン・ カンセン内務相の、建議直後の具体的な合作例 としては、福 建会館文イヒ芸術団 とタンジョンパガー・コ ミユニテ イ・クラブ児童演芸訓練班合同の、幼 稚 園児を対象に した就学前学習講座の開講、キムセ ン地区コ ミュニテ イ及びタンピユーズ

・ コ ミユニティ・ クラブ芸術センターでの、潮州八邑会館青年団による娯楽プログラムの 開催、晋江会館 と地域コ ミユニテ ィ組織 との合 同座談会の実施等があげ られるが、Ч

その 後、多 くの会館 とコ ミュニテ ィ・センター等の政府関連機関 との合作活動が増加 している。

*1 

筆者 の、チ ヤ ン・ ソーセ ン総理公署兼社会 発展部政務次 長へ の聞 き取 りに よる。(1998)

*2『

聯合早報』、1998年 11月 10日 。

*3『

聯合早報』、 1998年 5月 2日。

*4『

聯合早報』、 1996年 7月 8日。

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ドキュメント内 甲南女子大学学術情報リポジトリ (ページ 170-174)