a,『
各党派教育報告書』 (1956年)戦前か ら、植民地政府は華校 に対 してほ とんど補助を行わず、華校は常に自生 自滅の状 態であつた。よつて、 これまでの華文教育の発展は、教育熱心な人々、 とりわけ学校董事 や教員による努力のたまものであ り、経済的な問題は常に華校 を悩 ませていた。
戦後の「 十年教育計画」の下で、
1953年
に、政府は華校 に対 して補助金の増額 を発表 した。 しか し、補助金 を申請するためには、学生は英語 と華語の能力を備えていること、*1桂
貴強『 新馬華人国家認同的轄向 1945…1959』、南洋学会、1990年 、274頁。*2周
羊峨『 東南亜華文教育』、雪南大学出版社、1996年 、88頁。*3桂
貴強「新加岐華人国家認同的転変」、上海中山学社『 孫中山与華人学術研討会』1994 年 5月 20‐23日 、4頁
。¨48‑
良 きシンガポール人 としての意識 を学生に持たせ るような教育を行つていることの、
2条
件が学校 に要求され、補助金 を出すかどうかの判断は教育司による独断で決定 された。実 際に若干の華校が補助金 を得ていたが、 この金額は英校のものには及ばない額であつた。
また、
1955年
には、政府 は「華校教師給与の全額補助制度」を公布 し、教師が教育省の 規定 を満た していれば、教育部の補助を得 ることがで き、その条件は資格 と経験 によつて 判断された。・ このような補助金制度によって、補助金を得 ることができた華校や教師は 非常に少な く、英校 とはかな りの差があつた。1955年
は、 シンガポールは、長期の植民地統治か ら、ポス ト植民地時代 に向けて、内 部 自治段階に入ることとなった。内部 自治 を任 されたのは、選挙で勝利 した労働戦線を中 心 とする連合政府であつた。この労働戦線を中心 とする連合政府は、早速社会問題 となっ ている華文教育問題の解決に乗 り出 した。同年、華文教育の調査 を目的 とした、立法議院 各派の参加 による委員会が設立され、その中には、委員長のチユー・スイキー (周嶼 教育相、労働戦線代表の リム・ユーホ ック (林有福)、 人民行動党代表の リー・ クアンユ ー、民主党代表の リム・ズーキン (林子勤)等
も含 まれていた。中2彼
らは、 これまでの華文教育か ら、現在の状況、将来の見通 しに対する調査 を行い、
1956年
に『 各党派華文教 育報告書』 を発表 した。この調査委員会の設立は、華人社会 の注 目を浴び、503の 会館組織がこれに合わせて「 66 僑団」大会 を開催 した。 この大会では、華人社会の指導者である陳六使、高徳根、連続洲 等が代表 とな り、各党派華文教育委員会 に対 し、以下の提案を行 うことになつた。中3
1,各
民族学校の地位 を平等 とし、植民地教育政策 と不合理な教育法令を排除 し、迅速 に民主政治精神に適 つた新教育政策 を実施 する。2,華
文教育の優良な伝統制度を保存 し、母語教育に力を入れる。3,政
府は学校建設に対 して平等な対応 を行い、華校董事部が建議するプロジエク ト及 び校舎問題、特に郊外の学校の経費問題を解決するための資金の提供 を行 う。4,華
校教師の待遇を英校教師 と平等 にする。5,華
校学生は6年
間の無償教育 を受ける。以上の提案を、各党派教育委員会は重要なもの として受け止め、その提案を考慮に入れた 上で、
1956年
2月に「 シンガポール立法議 院各党派華文教育委員会報告書」がまとめ ら れた。この報告書は、華文教育の問題 を考慮に入れているだけではな く、多民族国家シン ガポール全体の教育政策 に対する建議であつた。その主要内容は以下の通 りである。中4■51,4種
類の言語 (英語、華語、マ レー語、タ ミル語)を
平等に扱 う。2,全
ての学校 における共通カ リキユラムの範囲を規定する。*1桂
貴強『 新加披華人一従開埠到建国』、新加披宗郷会館聯合総会、1994年 、271‑272頁 。*2周
羊峨『 東南亜華文教育』、賢南大学出版社、1996年 、89‑90頁 。*3周
羊峨『 東南亜華文教育』、賢南大学出版社、1996年 、90頁。*4
丁莉英『 新加岐華校課程及教科書的演進初探』、南洋大学文学院中文系栄誉学位畢業 論文、1972年 、7頁
。*5桂
貴強『 新加岐華人一従開埠到建国』、新加披宗郷会館聯合総会、1994年 、270‑271頁 。‐49‑
3,異
なった言語源流の学生の混合 を推進する。4,小
学校で2言
語教育を実施 し、中学校で3言
語教育を実施する。5,そ
れぞれの文化 を融合 させ、共通する文化 を創造する。6,全
ての学校は公民課程 を設置する。7,各
源流学校の教師の給金及び待遇 を平等にするだけではな く、政府の各源流学校 に 対する補助金 も統一することとする。8,学
生の中に現地への帰属意識を養 うために、マラヤで統一 した教科書委員会を設立 し、教科書の改訂等を行 う。9,華
校董事部は継続 して存在 して もよいが、内部で改組を必要 とする。以上の教育報告書の内容は、シンガポール教育史上、非常に重要な文献の 1つ であるとい え、現在 もなお、 この方針 を基礎 とする教育政策が行われている。
この報告書は、 これまでの政策 と比較すると華文教育に対 して、若干の理解 を示 してい たが、将来的には政府 による政策の下絵になるもので、華人社会の注 目を浴び、若千の修 正が求め られた。「華文教育委員会 (中華総商会 と各宗郷会館が合 同で臨時的に組織 した 機構)」 は、報告書の中に若千華校の要求にそ ぐわないものがあると指摘 した。それは、
報告書では、各源流の学校が平等 に扱われてお り、各民族の文化 を尊重 しているが、具体 的な計画内容が欠如 していること、 また、報告書は英文を優位な地位 に位置付けてお り、
各民族学校の児童は英語 を必修 に しなければな らないことに対 して、華文教育委員会は、
各民族の言語を第 1言語 とし、第
2言
語は児童の選択に任せるものとすることを提案 した。また、華校の行政 システムや伝統 に影響 を及ぼさないためにも、政府が補助金 を提供する 際に、交換条件を付けないようにすることを求めた。・
この報告書 に対 して、『 南洋商報』は、同年2月 9日付の記事で「政府は、 これまで学 歴あわせて教師の給与を決定 して きたが、それは華校教師にとって非常に厳 しいものであ つた。政府は、 これまで中国の
8大
学の卒業資格 しか承認 しなかつたことに対 して、見直 す必要がある」と要求を述べているが、華人が過去10年間要求 し続けてきた基本事項が、この報告書に反映されていることと、華文教育に前途が見 られるようになつたことか ら、
この報告書に積極 的な支持を紙面で表明 している。・2
しか し『 南洋商報』 とは異な り、『 星洲 日報』は、報告書 を基本的には支持すると述べ なが らも、同年2月
27日
付で「報告書は、民族の母語の重要性 を説 き、小学校の最初の2年
で民族の母語 を教学媒介語 とすることが強調 されていたが、具体的な科 日の時間割の 中では、民族言語の地位が全 く保証されていない」 とい う矛盾を突 きつける等、紙面では 完全な支持を避けるような記載を行 つている。"『 中興 日報』 も、同年 3月
20日
付で「委員会の9人
のメンバーのほ とんどが英校卒業*1唐
青『 新加岐華人華文教育』、台北華僑教育叢書編集委員会出版、126‐130頁 。*2王
僚鼎『 新加岐華文日報社論研究 1945‑1959』、新加岐国立大学中文系漢学研究中心、1995年 、 381頁。
*3王
憶鼎『 新加岐華文 日報社論研究 1945‑1959』 、新加岐国立大学中文系漢学研究中心、1995年、 382頁。
‐50‑
生であ り、報告書は植民地教育気質か ら抜けきつていない感がある」 とやや否定的な記載 を行い、華校における母語 と英語は双方 とも重要視 されているのに対 し、英校における英 語 と母語はそ うではない といつた例 をあげ、「教育界の人々の積極的な建議 と消極的な批 評を以て、報告書 に欠けている部分を改善するように、 当局に働 きかけてもらいたい」 と 含蓄のある言葉 を記載 している。・
政府はこの報告書 に則 り、 これ までの英校重視の方針 を改め、
1956年
には、華義、徳 明政府、立化、黄哺、徳能の各華文中学を設立 した他、プロテスタン ト及びカソ リック教 会 もそれぞれ 1956年 に聖公会 中学を、1957年に海星中学を設立 した。つまた、『 各党派華文教育報告書』の発表直後、政府は『 教育政策 白書』を発表するが、
その内容は、過去の一連の教育政策 に則 り、部分的に若干修正を加 えている程度のもので、
その主 旨は以下のようなものであつた。
1,多
言語教育は重要であ り、英語、華語、マ レー語、タ ミル語の4言
語の中か ら、小学校では
2言
語を、中学校では3言
語を選択 しなければな らない。また、英校、華 校、マ レー校、タ ミル校の各源流学校の存続については、従来通 り実施する。2,各
源流学校 を平等 に扱 う。この
2点
は、『 各党派華文教育報告書』 と重複 してお り、後者には、前者に付 け加え具体 的な実施方法があげ られているが、「学校教育政策 と政府の政策 との間に衝突を起こして はいけない」 とい う曖昧模糊な規定 もあ り、 これは一部の学校に対 して平等に扱 うことを 避けるための口実 ともとれた。その上、後者では、「 大多数の父母は子弟に英語教育を受 けさせたい と考えてお り、政府は英校の設立 と英校教師を採用に力を注 ぐ」ことが強調 さ れ、華校 を押 さえるべ く、「華校の設備、学業水準、教師の質が低い」 とい うことも述べられていた。中3
この報告書 に対 して も、華文教育界の最高機関である「全星華校董教聯合会」は、『 教 育政策 白書』は過去の教育政策の
2番
煎 じであ り、英校 を基準 として設定 されてお り、各 源流学校を平等に扱 うの と同時に、特に華校の教師の待遇に差が生 じないように、給与の 方面での英校 との平等を申し入れた。一方で、
1956年
、各言語源流 を統一 した教学方法 を実施 し、それ らを同水準 にするた めに、教育部は各民族学校のカ リキユラム及び教科書委員会を組織 した。シンガポールの 華校はそれまでずつと、中国の教学方針、カ リキユラム、学制に従つて きた。この時期、華校である公教中学に在籍 していた唐慶銘氏によると、 当時の教科書は台湾のものが使用 されてお り、「首都は南京」 といつた記載は削除 され、普遍的な事項のみが教学 されてい
*1王
憶鼎『 新加岐華文 日報社論研究 1945…1959』、新加岐国立大学中文系漢学研究中心、1995年 、383頁。
*2王
秀南「 新加岐華 文教育演進史 」、『 新 馬教育濯論』、東南亜研究所叢書、 1970年 、171 頁。*3
崖貴強『 新加岐華人 一従開埠到建 国』、新加披宗郷会館聯合総会、1994年
、272頁
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