第 5章 ポスト 植民地時期に おける 華人社会 (1965・ 1985)
第 3節 国家 統合による 宗 郷会館の 衰退
上述 の ように、 コ ミュニテ ィ・ セ ンターは、活 動内容 も多彩 で、国内各地 区 にあつて気 軽 に参 加 で きるこ とか ら、 一般 大衆 の圧倒 的な支持 を得 て きたが、 その反 面、
1959年
の 自治、 と りわけ 1965年 の独 立 か ら1985年にかけて の時期、 宗郷会館 は衰退 の一途 を辿 つ て い く。宗郷会館 の変化 の発端 は、1959年
に人民行動党 に よる 自治政府 の執権であ り、この時期、 シンガポール人 としてのナ シ ョナル・アイデ ンテ イテ イと国家への帰属意識 を 創 造 す るため に努 力す る政府 に とって、 宗郷会館 の活動 を含 む、 各民族 グルー プによる組 織 が行 つて いた多種多様 な活 動は、国民統合 の障碍 にな る と考 え られた。人民行動党政府 の指導者は、それ まで各民族 グルー プや方言グルー プの組織の指 導者の立場 に取 つて代 わ る こ ととな り、 それ らの組織が担 つていた役割 を政府 が果たす ようにな つた。・
戦前 は、植 民地政府 の華人社会 の対 す る対応 の不十分 さか ら、 宗郷会館 は華人が生活 し て い く上で不可欠な存在であつた ことは、第1章第 1節で も述べ たが、 それは戦後 におい て も同様で、宗郷会館 の存在 は、祭祀、冠婚葬祭の相互扶助 を継続 してい く意味で も、華 文教育 の発展 に対 して も不可欠 な もので あ つた。 しか し、宗郷会館 の大 きな役 割 とな って い た教育、医療、火葬、墓地、生活保護等の役割 を人民行動党政府 が担 うことになつてか
ら、宗郷会館 の必要性 が急激 に低 下 した。
また、公共住 宅の建設 と都市開発 によ り、方言グルー プによる住み分 けが解体 された こ とも主な要 因の1つであ る。特 に市中心部の人 口の分散 によって、ほ とん どの宗郷会館 が それ らの会 員か らの孤立 を招 くこととな つたが、公共住宅の増加 、そ してニユータウンの 建 設 に よる新 しい人 口集 中地 区 には、宗郷会館 が新 たに建設 され ることはなか つた。 もち ろん、政府 は、都市開発 によって建設 された公共住 宅の 中に、宗郷会館 を受 け入れ るこ と は奨励せず、その代わ りに、公共住宅の多民族の居住者 に対 して、地区精神 を植 え付 ける
こ とに力 を費や したのであった。・2
また、 これ までは、宗郷会館 の多 くはそれぞれの方言 グルー プの人 口集 中地 区に位置 し
*l Cheng Liin Keak,:'Chinese Clan Associations in Singapore: Social Change and Continuity‖
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in Leo Suryadinata ed.,Sο ιλ
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̀sι,「rimes Academic Press,Singapore, 1995,p69.
*2 Cheng Liln Keak, "(〕 llinesc Clan Associations in Singapore: Social Change and Continuity", in Lco Suryadinata ed.,Sο ″
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s′As'ακ Cλj″ιsι,「rimes 2へcademic Press,Singapore, 1995,p69.
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て い る場合 が多か つたが、公共住 宅の建設 と都市開発 によ り、多 くの古い宗郷会館 は、多 民族 が混住 す る地域 に孤 立す る形 とな つた。その ため、 大部分の宗郷会館 はゲ ラ ン地 区ヘ 移転 し、 その結果、現在 、宗郷会館 の多 くはゲ ラ ン地 区 に位 置 してい るか、市の 中心部 に 残 つて い る状態 で あ り、公共住 宅へ入居 してい つた会館 の会 員や 同郷人 とは、地理的 に密 接 な関係 を保持 しに くくなった。 さ らには、 この地理的要 因が大 きな障碍 とな り、宗郷会 館 の新 規加 入会 員、特 に青少年 の確保 の 困難 を招 くとい つた、深刻 な問題 が発生 した。・
ジャランバサール地 区は、 シンガポールの市中心部か ら東へ
2価
程 の、宗郷会館 が密集 してい る地 区であ る。 この地 区は華人社会では通称「新世界」 と呼ばれ、市 中心部のテ ロ ック・ アヤ地 区及 び クレタ・アヤ地区に続 いて、戦前か ら宗郷会館 が多 くの宗郷会館 が密 集 してい る場所 で あ る。 この地域 は都市開発計画 が進 んでお らず、市 中心部 とは異 な り、宗郷会館 は移転 す るこ とはな く、従来 の面貌 と「 会館 の地 区」 と してのイ メー ジを保 つ こ とがで きてい るが、近隣住民のニ ュー タ ウンヘ の移転等 によ り、会 員等 の関係 者 が訪れ る ほ どで あ る。
1970年
代 に、 グ ラ ン地 区へ の会館移 転事業 を推 進 した リー・ ヨ ックセ ン元 国家発展 部 高級政務 部長 は、 当時 の宗郷会館移転計 画 に対 し、「 も し、 宗郷会 館 が移転せ ず にその ま ま市街地、特 に ビジネス外 に残 ることとなれば、孤立化 が加速 されて消滅が早 まつた可能 性 があ る。会館 が集 中 してい るジヤラ ン・バサール地 区は、古 くか らの会館 で手一杯 で、これ以上他 の会館 を転入 させ るわけにはいかず、使用 されていないシ ョップハ ウスが多 く、
比較 的土地 に余裕 があ るゲ ランが最適 の地 区であ る とい う結論 を得 た。 当時はむ しろ、 ゲ ラ ン地 区に宗郷会館 を集 中させ ることによって、 宗郷会館の街 と しての、新 しいイメー ジ を創 り出す こ とが得策であ る と考 え られ た。」 と、会館移転 に際 しての政府側 の見解 を述 べ てい る。中2
公共住 宅の建設 と都市開発 に伴 つて、政府 によって積極 的に推進 され たのが、上述のコ ミユニテ イ・セ ンター、居民諮問委員会 、居民委 員会等 の草 の根 組織で あ る。活動内容 が 多彩 で、各地域 にあ り気軽 に参加 で きるコ ミユニテ イ・ セ ンター の活動 や、
1970年
代 以 降増加 した娯楽 団体等 の活動が、 多 くの若者 の興 味 を惹 きつけて い つた。 こうい つたコ ミ ュニテ ィ 。セ ンター等の対抗組織 に対 して、多 くの宗郷会館は打 開策 を模索す ることもな く、 なお も従来 の体 質 を変えるこ とがなか ったため に、 青少年の興味 を惹 きつ け るこ とは なか つた。また、国家統合政策 の一環 と して行われ た教育 改革 も、宗郷会館 の衰退 に拍車 をかけ る こ とになつた。 これ まで、宗郷会館が果 た して きた教育事業 を政府 が担 うようになつただ けではな く、政府 が新式 の教育政策 を展 開 し、英語や科 学技術 に比重 を置 くカ リキュラム
*l Cheng Liln Keak, "〔〕hinese Clan Associations in Singapore: Social Change and Continuity", in Leo Suryadinata ed.,Sο ιみ
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s′As,ακ Cλjκιsι,「rimes Academic Press,Singapore, 1995,p74.
*2筆者の、 リー・ヨックセン元国家発展部高級政務部長への間き取 りによる。(1999年)。
なお、 シンガポール国立大学社会学科のガナ講師 よれば、宗郷会館のグラン地区へ移転の 理 由の 1つ には、秘密結社 との関わ りを持つ会館がなおも存在するため、政府の管理問題 を考慮に入れてのことであるという。
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に よって、伝統 的な道徳観念が軽視 され るようになつた ことで、青少年 の華人伝統文化 や 伝統 的 な慣習 に対 す る考 え方 に も影響 を与 えた。Ч
特 に、 これ まで の各民族 の母語教育 に よる各言語 による学校 を徐 々に廃止 し、英語 を共通語 と して、その他の母語 を補助的に学 習 す る学校 に移行 させて い つた。 また、
2言
語政 策 を円滑 に行 うため に1979年
か ら開始され た「 ス ピー ク・マ ンダ リン 。キャンペー ン」Ⅲ2に
よる華語の普及は、英語 と華語 をこ れ までの方言 に代 わ る言語 と して華人社会 の中に定着 させ る結果 となつた。 これ によ り、
独 立後 の シ ンガポール生 まれの華 人の 中で、方言 を話せ る人 口も減少 し、方言 グルー プに 対 す る帰属 意識 も薄 くな ってい つた。それ に付 け加 え、公共機 関、 ビジネス等 をは じめす る社会生活 において も英語の需要 が増加 し、 シンガポールの英語化 にます ます拍車がかか るこ ととな った。
一方、戦後初期 か ら
1970年
にかけて、宗郷会館 の数 に若干の増加 が見 られ る。チ エン・ リムキャ ックによると、特 に 1960年 か ら 1970年 にかけての会館 の新規設立は、 同郷会 館 が
6件
、宗親会館 が33件
となって い る。特 に前者の増加数の少なさは、国民統合への 貢献 にな らない と して、政府 が新 しい宗郷会館 の設立 を奨励 していない とい う理 由以外 に、宗郷会館 自身 に も変化 が生 じて きてい るためであ ろ うと、チ エン・ リムキャ ックは分析 し て い る。
チ ェ ン・ リムキ ャ ックは会館 自身の変化 の一例 と して、河婆公司 (HepO CorpOration) をあ げてい る。
1981年
に広東省掲 西地域 を原籍地 とす る客家系華人 によつて設 立され た 河婆公 司は、伝統 的な「会館 」 と してではな く、会社組織 と して の「 有限公 司」 と して登 録 され た。河婆公 司 自身が、「会館 」ではな く「 公 司」の呼称 を選択 したのは、河婆公 司 が掲西の客家系華人 に対 して、 もはや同郷意識 を持 たせ 団結 させ ることや、伝統的な会館 と しての役 割であ る福利厚生 を行 つた りす るのではな く、掲 西地域への投資や発展 を、組 織 の最大 の 目的 と してい るこ とが理 由を して考 え られ る。中3戦後 初期 か ら
1970年
にか けて、宗親会館 の増加 が 目立つ のは、 中国の原籍地や方言な どの討派 主義 の崩壊 と関係 してい る とも考 え られ る。 しか し、1970年
以降は、 宗郷会館 の増加は停止 し、新 しい組織の誕生は見 られな くなつた。 この時期、実際 に、既存の宗郷 会館 で も、規模 が比較的大 き く、経済的、人的資源の豊富な会館 の活動が比較的活発 に継 続 してい る以外 で は、ほ とん どの会館 で活動が減 少 した り停 止 した りす る等、活動の衰退 が 目立つ ようにな つた。・また、政府 の政策以外で、宗郷会館 の衰退化の要 因 としては、欧米の映画、テ レビ番組、
雑 誌等のマス メデ ィアの影響、欧米系の商店 や レス トラ ンの流入等 による社会 全体 の欧米 化 があげ られ る。英語 の推進は、各民族 のコ ミユニケー シ ョンを向上 させ、 ビジネス、経 済 の グ ローバル化 に貢献 し、都市国家 シ ンガポール をア ピールす るここ とな つたが、 それ
*1
桂 貴 強『 新 加岐 華人 一従 開埠到建 国』、新加岐 宗郷会館 聯合 総会、1994年、241頁。*2「
ス ピー ク・ マ ング リン・ キ ャ ンペ ー ン」 につ いて は、 第6章
を参 照 。*3 Cheng Liin Kcak, "(〕hinese Clan Associations in Singapore: Social Change and Continuity", in Lco Suryadinata ed.,Sο 滋
̀α
s′As'α″Cλj″
̀s̀,Times Academic Press,Singapore,1995,p70.