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甲南女子大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

未 含 ホ 久 し C 酔 肌 形 の ︼ ア い ア ン い ア ノ η ア 曲 明 一 九 多 人 華 1 0 ヰ ノ わ 0 フ L I り γ 一 ポ ガ ン ヽ ン

宗郷会

館ヽ教育ヽ言語ヽ華人企業家から

考察―

(要約) 甲南女子大学大学院文学研究科社会学専攻研修員 合 田美穂 近年、華人の宗郷組織 による世界大会 が相次いで開催 され、 グローバルな広 が りを見せ る華人のネ ッ トワー クが注 目を集めるよ うにな り、「 華人」 とい う語が普遍 的 に使用 され 始 め るようにな った。その一方で、華人 とは一体 どうい つたカテ ゴ リー に属 す存在であ る のか とい う議論が高 ま りを見せ始 めてい る。 この ように考える際 に、辿 り着 くのが彼 らの アイデ ンテ ィテ ィ問題であると多 くの研 究者が指摘 し、華人のアイデ ンテ ィテ ィ問題 を取 り扱 う際 には、 その多様性、変動性 を理解 す る必要性 も同時 に語 られ るようになつた。 筆者が調査対象 に選択 したシンガポール華人は、現在彼 らが「 華人」 と呼称 され る或い は 自称 す るようになるまで、歴史の変遷 の中で、 自己に対す る認識 を意識的或いは無意識 的 に変化 させ、 多元 的なアイデ ンテ ィテ ィを形成 して きた。本研究 は、

19世

紀 か ら現在 に至 るまでの、 シ ンガポールにおける華人多元的アイデ ンテ ィテ ィの形成 と変容 を、筆者 の通算

3年

間の現地留学 を含 めた フィール ドワー クを通 して、宗郷会館 、教育、言語、華 人企業家の

4者

関係 か ら考察 した ものであ る。 本研究 では、 その中で も特 に、植民地時期 に、宗郷会館や華人企業家 によって設立 され た華校 (華文学校

)が

、華人社会 の 中で「 討派」(華人の 出身地や方言 によるグルー プ) や階級の壁 を超 え るメカニズム と しての役割 を果 た していた こと、そ してポス ト植民地時 期 には、政府 の政策及び言語教育 の変化 が、華人社会 のみな らず シンガポール全体 に大 き な影響 を与 えたこ とに着 日し、華人の 自己認識 とい う ミクロの方面 と、集団 と しての華人 の意識や シ ンガポール社会全体の反応 といったマ クロの方面双方か ら、華人の多元的アイ デ ンテ ィテ ィの形成 と変容 について明 らかに しようとしてい る。 また、 シ ンガポールの華文教育及び華人アイデ ンテ ィテ ィ問題 の重要性 は、多 くの研究 者 によって指摘 されて きたが、本研究では、 と りわけ先行研究 にでは行 われていなかった 部分 で あ る、

19世

紀 か ら現在 までの長期 間にお ける宗郷会館、教育、言語、華人企業 家 とい った

4者

関係 が、華人社会全体 の中で どの ような役割 を演 じて きたのか、 それ ら

4者

と華人アイデ ンテ ィテ ィの相互 関係 は どの ように形成 されて きたのか、

1990年

以降、大 き く変化 した政府 と宗郷会館 の関係が華 人社会 に どの ような影響 を与 えて きたのか とい う 問題 に着手 す るこ とによって、 この研究 が、

21世

紀 に向けての華 人 ア イデ ンテ イテ イ研 究 の発展 に役 立つ ことを も希望 してい る。 本研究 は、 以下 の構成 によって展開されている。

<I.1819…

1945年 移民社会 という閉鎖 された空間に生 き抜 く華人

>

第1章

植民地初期における「帯派」社会 (1819-1919年 ) 第

2章

「譜派主義」か ら「 中国ナショナ リズムの高揚」へ (1920-1945年)

klヽ

301848

(2)

<H.1946-1985年

戦後 の復興 か らポス ト植民地時期 に向けて

>

3章

落葉 帰根 か ら落地生根ヘ ー華人アイデ ンテ ィテ ィの分水嶺 ― (1945-1959年 ) 第

4章

南洋大 学の興 亡か らみ た華人社会 (1950-1970年 代)

5章

ポス ト植民地時期 にお ける華人社会 (1%5-1985年)

<Ⅲ

。1986-1999年

(1)

グ ローバ ル化 とローカル化 の共存

>

6章

「 ス ピー ク・ マ ング リン・ キャ ンペー ン」 と華人社会

7章

華人青少年の文化意識

8章

華人伝統行事 の行方 ―残 るもの、消えるもの、生 まれ るもの

<Ⅳ

。1986-1999年

(2)

「創造 の共 同体」か ら「 ルー ツ」 を求めて

>

9節

新 国民統合政策下 にお ける「 民族」のあ り方 第lo章 市民社会 にお ける宗郷会館 と華人 アイデ ンテ ィテ ィ 第11章 伝統 と脱伝統のはざまで 終章

多元文化の共生 と「 シンガポール文化」

I部

は、主 に歴史文献、宗郷会館及 び華校 に関する第一次資料 をもとに して、植民地 初期 か ら第二次世界大戦 における、華人社会及び華人アイデ ンテ ィテ ィを考察 したもので あ る。 第 1章では、植民地初期 の シ ンガポール華人社会 の特徴であ る、「講派」社会の形成要 因及 び 当時の華人 アイデ ンテ ィテ ィについての考察 を行い、宗郷会館 と華校教育を通 して 「 討派」 を中心 と したサ ブ・ェスニ ック・ アイデ ンテ ィテ ィが強化 されていた ということ を検証 した。第

2章

では、 中国国民党政府 の政策 と抗 日運動に照準 を当てて、植民地中期 における中国ナ シ ョナル・アイデ ンテ ィテ ィの形成 についての考察 を行い、当時のシンガ ポール華人社会の中に、遠隔地 にお りなが らも「 中国」 とい う想像の共 同体 を共有 し続 け る「遠隔地ナ シ ョナ リズム」が創造 されていたこと、 またそれが華人アイデ ンテ ィテ ィに 大 きな影響 を与 えたことを導 き出 した。 第

H部

は、英植 民地及 び シンガポール両政府の政策 に関する資料及び聞 き取 りをふ まえ た上で、ポス ト植 民地時期前後 における華人社会お よび華人アイデ ンテ ィテ ィを考察 した ものであ る。 第

3章

では、

1949年

の新 中国の成立 によ り、 シ ンガポール華人社会は中国ナショナル ・ アイデ ンテ ィテ ィを強化 する集 団 と、現地意識 に目覚 める集団 とに

2分

化 した ことを指 摘 す る とともに、華人社会指導者 の意識 の変化 が、 中国国籍保持者のシンガポール公民化 をはか り、特 に後者の集 団か ら、 シンガポール・ナ シ ョナル・アイデ ンテ ィテ ィが形成 さ れてい った ことを検証 した。第

4章

では、南洋大学の興 亡か ら、1950年代 か ら1970年 にかけての華人の強い現地意識 とエスニ ック・ァィデ ンテ ィテ ィを見いだ し、南洋大学閉 学 時の政府 の絶対的な権 力のあ り方か ら、政府 と華人社会 との関係 を考察 した。第

5章

で は、ポス ト植民地時期のコ ミユニテ ィの変化か ら、民族 の言語、伝統文化、エスニ ック・ アイデ ンテ ィテ ィの欠如 とい う社会問題 を導 き出 した。 第 Ⅲ部 は、華人青少年へのア ンケー ト調査 に基づいて、現在の青少年のアイデ ンテ ィテ イ及 び文化意識、 そ して華人社会全体像 を考察 したものである。 第

6章

では、

2言

語政策及び「 ス ピー ク・マ ンダ リン 。キャンペー ン」の浸透によ り、 華 人青少年 は英語 と華語 に付 け加 え、方言 も含めた多言語を臨機応変に使用 しているとい

(3)

-2-う結論を得ただけではな く、華語の持つ ローカルな側面が、逆に国際都市シンガポールの グローバル化に貢献 しているとい うことを検証 した。第

7章

では、宗教 とは別のもの とし て 占術を信 じる青少年の多さ、多 くの青少年が自然に英文名を使用 しているという事実、 青少年が輸入の英語及び華語双方の歌謡曲に親 しんでいるとい う事実を通 して、華人青少 年がお しなべて東西文化 を吸収 していることを検証 した。第

8章

では、青少年の中では「伝 統」よりも「現実」にそ くした行事を祝 う傾向が強 くなってきていることを指摘 し、行事 への参加率ではな く、行事の意味や存在意義を、今後 どれだけ華人社会の中で継承 してい けるか とい うことを、新たな課題 として提起 した。 第Ⅳ部は、近年における政府の新国民統合政策、宗郷会館の動向について参与観察、聞 き取 り及びアンケー ト調査 を通 して考察 し、 これまで華人アイデ ンテ イテ イに多大な影響 を与えて きた、宗郷会館、教育、言語、華人企業家の

4者

関係 を再検討 したものである。 第

9章

では、各民族及びその文化 を尊重 し、多民族及び多文化共生を前提 とした 1986 年以降の政府の新国民統合政策 によつて、各エスニツク・グループが「 対話」し始めるよ うになつたことを検証 した。第

10章

では、アンケー ト調査の結果か ら、華人青少年の中 にサブ・エスニ ツク・アイデ ンテ イテ イよりも、華人 としてのエスニ ツク・アイデ ンテ イ テ ィが強 く存在 していることを検証 した他、近年の宗郷会館青年団の活性化が、青少年の サ ブ 。エスニ ツク・アイデ ンテ イテ イを涵養するために大 きな役割を果た していることを 考察 した。第11章では、現在、宗郷会館が脱伝統化 (宗郷会館の国民統合政策への貢献、 多民族 と共生する会館活動

)を

図 りなが らも、伝統 (サブ 。エスニ ツク・アイデ ンテ イテ ィの継承、カ リスマ的華人企業家 と董事の権力

)を

守 り抜 くとい う方法で発展 を続けてい る事実を見出 し、 旧華校で「董事」 とい うコアを通 して、宗郷会館 によるサブ・エスニ ツ ク文化の発揚が行われていることを指摘 した。そ して、 これまで華人アイデンテ イテ イの 形成 と変容に大 きな影響を与えて きた、

4者

関係の存在の大 きさが、

1990年

代 にも存続 していることを検証することとなつた。 以上の ように、

19世

紀か ら現在 に至 るまでの長期的な期間における、 シンガポール華 人の多元的アイデ ンテ イテ イを多方面か ら考察 したが、本研究では、華人アイデ ンテイテ ィは多元的な要素が織 りなす関係 によつて影響を受け、現在 もその姿を変えていることを 指摘することがで きた。それは、あるアイデ ンテ イテ イか らあるアイデンテ イテ イヘの移 行 という形ではな く、多元的なアイデ ンテ イテ イのその度合いが変化 した り、その一部が 変容 した りという形 によつて、アイデ ンテ イテ イが形成 されていることを示 している。 ま た、筆者が、 とりわけ本研究で取 り上げた宗郷会館、教育、言語、華人企業家の

4者

関係 は、 シンガポール華人のアイデ ンテ イテ イだけではな く、シンガポール社会全体に影響 を 与える要素 として存在 していることを検証することがで きた。そ して、その

4者

のうちの

1者

が機能 しな くなると、華人社会のみな らず、 シンガポール社会が歪みをきたすとい う 事実を指摘することとなつた。 本研究では、上述のように、華人アイデ ンテ イテイを分析する際に指標 となるものを提 起 しただけではな く、あわせて、 シンガポールのみな らず世界の国民諸国家に共通する問 題 として、国民の国家に対する帰属意識や愛国心のみか ら、国家の発展 を考えることの危 険性 を指摘 し、「ルーツ」と伝統 を知 ることの意義を提起することができた と考えている。

(4)

序 章 第 1節 第

2節

3節

4節

汐ン

ガポールに

おける

華人多

元的アイ

デン

ティ

ティ

形成と

変容

宗郷会館ヽ教育ヽ言語、華人企業家から

考察―

甲南女子大学大学院文学研究科社会学専攻研修員 合 田美穂 華人 アイデ ンテ ィテ ィ及び華文教育 に関する先行研究 研究 目的 研究 方法及び研究過程 本研究 の注意点

(1)

(3)

(5)

(8)

<I.1819‐

1945年 移民社会 とい う閉鎖 された空間 に生 き抜 く華人

>

第1章 植 民地初期 にお ける「 討派」社会 (1819-1919年) 第1節 シ ンガポール華人社会の特徴

・・…・ 第

2節

植 民地初期 にお ける宗郷会館の役割

……・

a,宗

郷会館 の類型 :同 郷、宗親、方言、行業

b,宗

郷会館 の構造、性質、機能

c,宗

郷会館 と英植 民地政府 との関係 第

3節

英文教育の勃興 ―私塾設立 と「帯派」主義 (1819‐1899年) …・ … (18)

a,私

塾設立の時代背景

b,私

塾設立 とその発展 第

4節

華文教育の発展 とサブ・エスニ ック・アイデ ンテ ィテ イの形成 ……。(21) (1900-1919年) 第

2章

「討派主義」か ら「 中国ナ シ ョナ リズムの高揚」へ (1920-1945年) 第 1節 英植 民地政府 の政策 と華校 との関係 第

2節

中国国民党政府 の政策 と「 遠隔地ナ シ ョナ リズ ム」の形成 第

3節

華校 のあ り方か らみ た華人アイデ ンテ ィテ ィ 第

4節

華 人企業 家・陳嘉庚 か らみ た華人社会 第

5節

日本統治時期の華人アイデ ンテ ィテ ィ (1942-1945年) 第

6節

第 1章及 び第

2章

を通 して の要点 (12) (13) ・・ … 。(27) … … 。(29) … … 。(30) … … 。(32) … … 。(36) … … 。(38)

<H.1946‐

1985年 戦後 の復興 か らポス ト植民地時期 に向けて

>

3章

落葉 帰根 か ら落地生根ヘ ー華人アイデ ンテ ィテ ィの分水嶺 ― (1945-1959年 ) 第1節 ポス ト植民地時期 に向けての宗郷会館の貢献 第

2節

中国国民党政府及び英植民地政府の教育政策

3節

中国の政変にともなう華人社会の変化

4節

内部 自治開始による新教育政策

a,『

各党派教育報告書』(1956年

) b,「

新教育法令」(1957年)

5節

華人企業家・李光前か らみた華人アイデ ンテ ィテ ィ 第

6節

華校名の変遷か らみた華人アイデ ンテ ィテ ィ ¨ … 。(41) … … 。(42) ¨ ¨ 。(47) … …・(48) … … 。(54) … …・(57)

(5)

4章

南 洋大学 の興亡か らみ た華 人社会 (1950-1970年 代) 第1節 南洋大学設立の時代 背景 とその要 因 第

2節

華人企業家・陳六使 か らみ た華人社会 第

3節

華人社会 におけ る「 講派」と階級 の超越 第

4節

南洋大学設 立 をめ ぐる華人アイデ ンテ ィテ イの変容 第

5節

南洋大学設立 にお いて華字紙の果 た した役 割 第

6節

政府 と華人社会 との関係 第

7節

「 南洋大学 に関 す る出来事」の見解 における矛盾 第

5章

ポス ト植民地時期 における華人社会 (1965-1985) 第 1節 独立後 の国家統合政策 と「elJ造の共 同体」

a,国

家 シ ンボルの創造

b,住

宅政策

c,ナ

シ ョナル・サー ビス 第

2節

原籍地で繋 が る地縁 か ら、地 区コ ミユニテ イで繋 が る地縁ヘ 第

3節

国民統合 に よる宗郷会館 の衰退 第

4節

英語教育の発展 と華校 の衰退 第

5節

英校生 と華校生 か ら見 た華人の

2元

a,思

想 の欧米家への懸念

b,中

c,高

d,大

学 第

7章

華 人青少年の文化意識 第 1節 華人青少年 と宗教 第

2節

占術 :算 命、風水、迷信 第

3節

英文名 一シ ンガポール化 した欧米文化 第

4節

歌謡 曲 一シ ンガポール らしさの不在 第

8章

華人伝統行事の行方 一残 るもの、消えるもの、生 まれ るもの 第 1節 華人伝統 文化 の継承 問題 第

2節

春節 第

3節

清明節 第

4節

端午節 第

5節

乞巧節(七夕節) 第

6節

中元節

<Ⅲ

。1986-1999年

(1)

グ ローバ ル化 とローカル化の共存

>

6章

「 ス ピー ク・ マ ング リン 。キ ャ ンペー ン

Jと

華人社会 第1節 「 ス ピー ク・マ ング リン・ キャ ンペー ン」の展 開

……。(105)

a,第

1段階での「 ス ピー ク・ マ ング リン・ キャ ンペー ン」 (1979-1989年)

b,第

2段

階での「 ス ピー ク・マ ング リン 。キャンペー ン」 (1990-1999年) 第

2節

「 ス ピー ク・マ ング リン・ キャ ンペー ン」と華人青 少年

……。(108)

a,華

語能 力

b,家

庭 での使 用言語

c,公

共 の場所 での使用言語 第

3節

華語 と英語 の関係

……。(112) … … 。(60) … … 。(60) … … 。(64) …・・。(66) … … 。(68) … … 。(70) … 。・ 。(75) … … 。(80) (兵役義務) … … 。(86) … … 。(91) … … 。(94) … … 。(96) … … 。(116) … … 。(119) …・…(121) ・・・・ 。(122)

(6)

7節

中秋節 第

8節

重陽節 第

9節

冬至 第lo節 第

8章

の要点

<Ⅳ

。1986-1999年

(2)

「 創造 の共 同体 」か ら「 ルー ツ」 を求めて

>

9節

新 国民統合政策下 における「民族」のあ り方 第 1節 国民意識の創造 第

2節

国民教 育の推進

3節

「種族融和 日」(Racial HarmOny Day)

4節

トー タル・ デ ィフェンス 第

5節

華社 自助理 事会

(CADC)の

成 立 と発展 第 10章 市民社会 にお け る宗郷会館 と華人アイデ ンテ ィテ ィ 第1節 宗郷会館聯合総会

(SFCCA)の

成 立

a,宗

郷会館聯合総会成立の背景

b,宗

郷会館聯合総会の発展 第

2節

宗郷会館の新 たな役割

3節

政府 の宗郷会館 に対 するア プローチ 第

4節

政府 と市民社会 の架 け橋 と しての宗郷会館

5節

華人青少年 と宗郷会館 ―華人青少年の意識調査 か ら

a,宗

郷会館 との関係

b,宗

郷会館 に対する意識

c,サ

ブ 。ェスニ ック・ グルー プに対す る意識

d,華

語及 び華人文化 に対す る意識

e,民

族 意識 第

6節

宗郷会館 における青年 団

a,青

年 団成立の動 き

b,呂

氏公会青年 団

c,南

安会館 青年 団

d,同

安会館青年股

e,李

氏総会青年 団

f,青

年 団の行 方 … … 。(132) … … 。(134) … … 。(135) … … 。(135) … … 。(176) 第11章 伝統 と脱伝統のはざまで 第1節 サブ 。エスニ ック文化の復興

……。(188)

a,宗

郷会館のサブ・エスニ ック文化復興活動

b,マ

スメデ ィアの変化

2節

脱伝統化する宗郷会館の活動

…。・。(193)

a,福

清会館

b,福

建会館

c,福

州会館

d,李

氏総会 第

3節

宗郷会館の「 国民統合」への貢献 第

4節

華人企業家 。黄祖耀 か らみ た政府 と華人社会 の関係

5節

「 華 中董事事件Jか らみ た旧華校 における董事の権力 第

6節

旧華校 と宗郷会館 の関係

` 終章 多元 文化 の共生 と「 シンガポール文化」 第1節 「 華文復興運 動」と「 華文 エ リー ト」 第

2節

近年 の伝統 文化 か らみ られ る「 シ ンガポール文化」 … … 。(138) …・…(140) … … 。(145) 。・… 。(147) ・・・…(150) …・…(157) … … 。(161) …・…(164) … … 。(168) … … 。(171) ・・¨ 。(196) ¨ 。・。(198) … …・(204) … … 。(209) ・・・・。(212) 。・・・ 。(214)

(7)

序章

1節

華人アイ

デン

ティ

テイ

及び華文教育に

関する

先行研究

近年、華 人の宗郷組織 による世界大会 が相次 いで開催 され るようにな り、 グ ローバ ル な 広 が りを見せ る華 人のネ ッ トワー クが注 目を集 め るようにな つて きてい る。それ と同時 に、 東南 ア ジア地域 に居住 す る華 人 は、

1998年

か ら深刻化 してい るア ジア経済危機 とい う状 況 の中で、 この地域 の経 済発展 の鍵 を握 る存在 と して も注 目を浴 びてい る。 この ような状 況 か ら、最近は華 人 とい う語 が普遍 的 に使 用 され始 め るようにな つて きてい るが、 その一 方で、華 人 とは一体 どうい つたカテ ゴ リー に属 す存在 で あ るのか とい う議論 が高 ま りを見 せ始めている。それは、一昔前の「 東南 アジアの華僑は商売が上手 く、世界 中の何処 でで も適応 で きる生活能力 を持 つてい る。」とい うような、ステ レオタイプ化 され た「 華僑像 」 を脱 出 し、彼 らの本 当の姿 を見 出そ うとす る動 きに通 じてい る。 「 華 人」 とは一体 どうい つた存在 なのであ ろうか。そ う考 える時、辿 り着 くのが彼 らの アイデ ンテ イテ イ問題 で あ る。筆者 が本研究 にお いて、研究対象地 に選択 した シンガポー ルで、現在、 と りわ け若 い世代 の シンガポール 中国系住民は、「 中国人」或いは「 華僑 」 と呼ばれ るこ とを嫌 い、 あえて 自 らを「 シ ンガポール人」或いは「 華人」であ る と説 明す る。人 によればそれが「 シ ンガポール人であ るけれ ど、 その 中で も福建系の華 人」 と多元 的なアイデ ンテ ィテ イを示す場合 もあ る。 しか し、

19世

紀 か ら

20世

紀初頭 におけ るシ ン ガポールの 中国系住 民は、 まだ「 華人」で もな く、 また決 して「 シ ンガポール人」では な か ったはずであ り、 その後 しば ら くは、彼 らが「 中国人」或いは「 植民地 に居住 す る福 建 系の華僑 」等 と自称 して いた時期 も存在 す る。 この ようにシ ンガポール に居住 す る中国 系 住 民は、歴 史の変遷の 中で、 自己 に対 す る認識 を意識 的或いは無意識の うちに変化 させ、 多元 的なアイデ ンテ イテ イを形成 して きたのであ る。 華人のアイデ ンテ イテ イ問題 に関す る研究は、近年、注 目を浴 びて きてお り、既 に多 く の研究者 が着手 をは じめてい る。

1985年

には、 キ ヤ ンベ ラにて「 第

2次

世界 大戦後 の東 南 ア ジア華 人アイデ ンテ ィテ イの変容」 とい うテーマ に よる国際学会 が開催 された。 この 学会 は

3年

間 に及 ぶ計画 の下で実現 した ものであ り、東南 ア ジア、北米、 オー ス トラ リア か ら

40人

の研 究者が出席 した。そ して、その集大成 と して 1988年 に発行 されたものが、 Cushman Jennifer and Wang Gllngwu,eds.,Cみ α″gj″gI&れ″″66ノ滋

` Sοみ ιαs′As'ακ CλJ“ωι

s,“θ

`1ゐ′″ 助 ′ff(Hong Kong Un市 ersty Press,1988)で あ る 。 該 書 は 、 ワ ン・ グ ン ウ (王 庚 武)、 レオ・スルヤデ イナタ (参建裕

)等

を含 む、著名華人研究者 らによる14本の論文 と17本のサマ リーか ら成 つてお り、各執筆者 の論文内容は様 々ではあるが、「 華人アイデ ンテ ィテ イは多元的で常 に変容 している」 とい う論点がそれ らに共通す るもの として強調 されてい る。その論点は、 これ まで よ く華人アイデ ンテ イテ イについて語 られて きた「 華 僑 か ら華人へ」 とい つた、いわゆ るステ レオタイ プ化 されたアイデ ンテ イテ イの概念 か ら 脱 出す るこ ととな つた。該書 は、世界 の華 人問題研究者 の注 目を浴び、現在 に至 つて も多 くの研究者 が華 人アイデ ンテ イテ イを語 る際 に、書 中におけ る各論点やモデル を参考 に し て い る。

(8)

こういつた華人に関する学会は、1989年の虜門、1991年のマニラ、1992年のサ ンフラ ンシスコ、1994年の上海、台北及びシンガポール、1996年のシンガポール、1998年のマ ニラというように、その後頻繁に開催されるようになつてお り、その中でもアイデ ンテ イ テ ィに関する論文が多 く発表されていることか らも、華人アイデ ンテイテ イ問題が注 目を 浴びていることが理解で きる。 この趨勢の中、東南アジアの華人研究者 自身による、華人アイデ ンテ イテ イについての 論文や学会発表 も、非常に多 くみ られるようになっている。その中で、書籍 として出版 さ れているものには、宋明順著『 新加岐青年的意識結構』(教育出版社、

1970年

)、 鍾錫金 著『 星馬華人民族意識探討』(赤土文叢、

1984年

)、 麦留芳著『 方言群認同 早期星馬華人 的分類法則』(中央研究院民族学研究所、

1985年

)、 在貴強著『 新馬華人国家認同的転向 1945-1959』 (南洋学会、

1990年

)等

があげ られる。それ らは一定の時期のみを取 り上げ て書かれたものであ り、

19世

紀か ら現在 に至 るまでの、一貫 した華人アイデ ンテ イテ イ の変容を取 り上げてはいない とい う限界 を持つが、 とりわけ後

2者

は、華人アイデ ンテ イ テ ィを論 じているだけではな く、社会背景、政府 の政策、華人社会の指導者等 といつた、 華人アイデ ンテ イテ イと相関関係 にあるものの資料 を、多量に使用 した詳細な記載がなさ れてお り、筆者は、シンガポール華人のアイデ ンテ ィテ イを考察するにあた り、彼 らの論 か ら多大な啓発を受けた。 華人アイデ ンテ ィテ ィに大 きな影響をもた らした要因 としては、社会、教育、政治、経 済、他民族 との関係等、華人 と関わる様 々なものが考え られるが、その中で も、 とりわけ 華文教育が、華人アイデ ンテ ィテ イと華人伝統文化の継承に対 して、大 きな影響をもた ら して きたことは注 目に値する。 シンガポールの華人社会における、華文教育の重要性は、アイデ ンテ ィテ ィ問題が語 り は じめ られる以前か ら、多 くの研究者によって指摘されて きた。これまで、華人研究者に よる華文教育に関連する出版物は非常に多 く、その中で も、比較的詳細な記載がなされて いる書籍では、許甦吾著『新加岐華文教育全貌』(新加岐南洋書局、1950年)、 唐青著『 新 加岐華文教育』(台北華僑教育叢書編集委員会出版、1954年)、 王秀南著『 星馬教育泥論』 (東南亜研究所、1970年)、 宋哲美編『 星馬教育研究集』(南洋学会、1974年)、 呉華著『 新 加披華文中学史略』(教育出版社、

1975年

)、 何嘉遜著『 馬来西亜華教奮闘史』(華社資料 研究中心、1991年)、 周華峨著『 東南亜華文教育』(暫南大学出版社、1996年 )等 がある。1999 年

3月

に出版 され た、 呉元 華 著『 務実 的決策 :人民行 動 党与政 府 的華 文政 策 研 究 1954-1965』 (聯邦出版社

)は

、人民行動党の華文教育政策を多方面か ら分析 したものであ り、1999年 1月 20日 におけるリー・ シエンロン (李顕龍

)副

首相 による「新華文教育政 策」の宣布 と同時期の発行 ということで、教育界のみな らず、シンガポール華人社会全体 か らの注 目を浴びることとなつた。また、 日本において も、小木裕文著『 シンガポール・ マ レー シアの華人社会 と教育変容』(光生館、

1995)が

出版 されている。 これ らの教育に 関する書籍及び論文は、歴史的な面か らの考察、オ リジナルの資料 を整理 したもの、先行 研究を詳細にまとめたものが大半 を占めてお り、筆者は、シンガポールの華文教育の変遷 や各時期における華人社会を理解するにあたつて、 これ らの書籍か ら多 くの知識を得 るこ ととなった。 …

(9)

2-第

2節

研究目

本研 究 は、

19世

紀 か ら現在 に至 るまで の シ ンガポー ル におけ る華 人多元 的 アイデ ンテ ィテ ィの形成 と変容 を、宗郷会館、教育、言語、華人企業家の

4者

か ら考察 したものであ る。 近年、東南 ア ジアの華 人アイデ ンテ ィテ ィについての関心が高 ま り、「 華僑 か ら華 人へ」 とい った ような従来 のステ レオタイプで もつて、彼 らのアイデ ンテ イテ イを認識 す るこ と を反 省 し、「 多元的であ りなおかつ常 に変容 してい るもの」 と して理解 するこ とが一般 的 とな りつつあ る。 またワ ン・ グ ンウの「 アイデ ンテ イテ イの変容 とい う と、あ るアイデ ン テ ィテ イか ら別 のアイデ ンテ イテ イヘ の移行 とい う誤解 をまね くおそれがあ り、アイデ ン テ ィテ ィの複雑 さを伝 え るこ とには不十分 な表現であ る」・ とい う提起や、 タ ン・チーベ ン (陳志明

)が

「 華人 とい うものは、 自分 自信 を華人で あ る と認識 し、 エスニ ツク的 には 中国 に起源 を持つ と主張 す る者で あ る」中2とぃ ぅょぅに、 シ ンガポールにおいてはそれ に 付 け加 え、華人ではあるが、 それ よ りもシンガポール人 であ る と認識 した り、 その中で も 福 建 人であ る とい う意識 を強 く持 つてい る といつた ような、多元 的アイデ ンテ ィテ イが華 人 の 中に存在 す る。チ ユー・ リーベ ン (丘立本

)は

、「 ワ ン・ グ ンウの多重 アイデ ンテ イ テ ィ論は、華人のアイデ ンテ ィテ イには多様性、 曲折性 、変動性、複雑性があ るとい うこ とを検 証 した もので あ り、研究者 か ら高 い注 目を浴 びてい る。」 と評価 す る一方で、「 一 部 の西欧の研究者 は、 ワ ン・ グ ンウの多重アイデ ンテ イテ イ論 に対 し、個 人が 自分 自身 を どうアイデ ンテ フアイす るか とい うことに とらわれす ぎてお り、 集 団 と しての意識や所在 国社会 の反応 を見 落 としてい る。 また、他 の研究者 は、 ワ ン・ グ ンウの論文で は、華人 ア イデ ンテ イテ イの変化 の原 因 について の詳細 な説 明がな されて いない。」

"と

述べ、 ワ ン ・ グ ンウの論の不完全な部分 を指摘 してい る。 本研究では、植 民地時期 には宗郷会館 と華人企業 家 に よつて設 立 され た華文学校 が、華 人社会全体 の中で講派主義や階級 の壁 を超 えるメカニズ ム と して の役割 を果 た し、ひいて は華人アイデ ンテ イテ ィの変容 に大 きな影響 を与 えた とい うことを中心 として、華人社会 を考察す る。ポス ト植民地時期 においては、それ に付 け加 えて、政府の政策及び華文教育 が華人社会 に与えた影響 か ら、華人の多元的アイデ ンテ イテ イの形成 と変容 を考察するこ とと した。そ して、上述 のアイデ ンテ イテ イ論 に関 して述 べ られて いた点 に注意 しなが ら、 華 人の 自己認識 のみ を考察 す るだ けではな く、集 団 と しての華 人の意識、 シンガポール社

*l Wang Gungwu,"Chinese ldentities in Southeast Asia", Cushman Jennifer and Wang Gungvnl,

eds.,C力ακ♂κg Iルκ″ “

6イ

ルι Sο “ 滋∼ιαsι As'α “ Cた 'κ ωι s'″cι フ%′″ 予陶 ′ 二

HOng Kong

Universty Press,1988.p10.

*2 Tan Chee―Beng9"Nation―Building and Beillg Chinese in a Southeast Asian State:Malaysia,"in

Cushman Jennifer and Wang Gungwu,eds.,Cλ

`И gj“g■畿 ″″

6イ

ルι Sο “ 滋―ζηs′As,α “ Cλj“ωι

sJ“θι Tフ♭′Jグ l"物″ n、Hong Kong Universty Prcss, 1988,p39,

*3

丘立本「 東南亜華人研 究 中学術 思潮 的演変」、『 南洋学報』、Vol.45/46、 1990/91、 26-27 頁 。

(10)

3-会 の反応 とい つたマ クロ的な方面 か ら、 華人の多元的アイデ ンテ イテ イを考察 す るこ とを 本研究 の 目的 と してい る。 また、先行研究 において も、19世紀 か ら現在 まで の長期 間 におけ る、宗郷 会館、教育、 言語、華人企業 家 とい つた

4者

が、華人社会全体 の 中で どのような役割 を演 じて きたのか、 そ れ ら

4者

と華 人 ア イデ ンテ イテ イの相 互 関係 は どの よ うに形 成 されて きたの か、 特 に

1990年

以降、 大 き く変化 した政府 と宗郷会館 の関係 が、華 人社会 の どの よ うな影響 を与 え るこ とにな ったのか とい う観点 か らの研 究は まだ行われて いない。 よつて本研究が、先 行研 究 にで は行 わ れていなか つた部分 に焦点 を当て、

21世

紀 に向けて の華 人 アイデ ンテ ィテ イ研 究 の発展 に役 立つ視点 を投 げかけ ることを第

2の

目的 と して い る。 本研 究で採 用 した理論 には、 シエ・チ ェンによる「華 人組織 の組織原則 」論、B.アンダ ー ソンの「 遠隔地ナ ショナ リズム」及び「創造の共 同体 」論、 ワン・ グ ンウやその他 の研 究 者 に よる「 華 人 ア イデ ンテ ィテ イの多元性 」論 、「 状況 的エ スニ シテ イ」論、「 グ ロー バ ル化 ローカル化 との相互関係」等があ り、それ らを木研究 における問題解 明のための指 針 と した。 またそれ らを補充 す る形 で、 華人企業 家の教育事業へ の動機及 び権 力を分析 す るため に、P.ブルデ ユーの「象徴 資本理論 」を引用す ることによつて、欠点 の補足 を行な った。 本研究で は、上述 の 目的 を達成 す るため に、以下 に述べ る問題 点 に着 目 しなが ら考察 を 進 めて きた。

1,英

植 民地政府 、宗郷会館、華 人企業 家及 び華 文学校 は、 どの ように してそれ らの関係 を織 り混ぜ、形作 つていつたのか。

2,そ

れ らの関係 は、

20世

紀以 降 どの よ うな変化 を遂 げたのか。 その変容 の主要な原 動 力は何 で あ つたのか。

3,シ

ンガポール におけ る華人多元的アイデ ンテ イテ イの形成 に とつて、宗郷会館及 び華 人企業 家は、 どの ような位置 か らどの ような影響 力 を与 えて きたのか。特 に華文学校 を通 して、 どの ように多元的アイデ ンテ イテ イ (サブ 。エスニ ック・アイデ ンテ イテ イ、エスニ ツク・アイデ ンテ ィテ ィ、 中国ナ シ ョナル・アイデ ンテ イテ イ、 シンガポ ール・ナ シ ョナル・アイデ ンテ ィテ イ

)を

形 成 してい つたのか。

4,宗

郷会館 と華 人企業 家 が、英植 民地政府 と華 人社会 に媒 介す る存在 であ る とい う点 に 着 日 して導 き出され る理論 的意義は何 なのか。 また、エスニ シテ イ、 アイデ ンテ イテ ィ、そ して教育の関係 をどう理論づ けるのか。

5,シ

ンガポール がポス ト植民地時代 に入 り、国家統合及びナ シ ヨナル・アイデ ンテ イテ ィの創 造 に力 を入れ るようにな るが、 それ に よって得 られた もの、 失われ たもの を、 華 人 のアイデ ンテ イテ イとい う方面 か ら考察 す るこ とがで きるか。 また、 失われた も の を、取 り戻 す方法 を見 出す ことがで きるか。

6,シ

ンガポールは、世界 に通用 する国際都 市シンガポール をelJり あげ るこ とを目指 し、 ロー カルな ものを排 除 し、 グローバル化 を促進 させ るこ とに力を注いだ。 しか し、現 在政府 は、社会活動 を各民族 グルー プに分割 す るこ とで、相 互補 助 の精神 を促進 し、 国民統合 に繋 げる方針 を採 る ようにな り、 これ まで とは逆 の、 ロー カル的な もの に注 目す るこ とに よ り、本来 の 目標 を達成 しよう と試み た。それは、宗郷会館 の世界 的な ネ ッ トワー クの拡大 に繋 が り、 きわ めて「 ロー カル な もの」 であ る、サ ブ・エスニ ッ 4¨

(11)

7,

8、 9, ク文化が、重視 され始めるようになつたことにも繋がる。このグローバル化 とローカ ル化は、現在、シンガポールでどのように相互関係 を発展 させているのか。 政府は、特に宗郷会館を華人アイデ ンティテ イの継承の場 と見な し、宗郷会館が伝統 を保存することに助力を行 うようになったが、政府の助力の度合いが高 まる程、それ らの中か ら、正の面での脱伝統化されたものが生まれるようになった。今後、宗郷会 館は、 どのように生存の道を模索 していけばよいのか。 現在、国民教育を進める一方、各民族、各サ ブ・エスニツク・グループの文化 をその まま共生 させ るとい う、相反する方針 を同時進行させているシンガポールに、「 シン ガポール文化」 と呼ばれるものが生 じは じめるようになつた。それは、シンガポール ではかつて邪道な文化 と批判されていたもの と通 じる。このシンガポール文化 と、 シ ンガポールで新たに生 じている、自然発生的なアイデ ンテ イテ イと関わ りがあるのか。 宗郷会館、教育、言語、華人企業家の

4者

が、現在でのもなお必要 とされる理 由は何 か。また、 この

4者

の相互関係は、今後 も華人アイデンテ イテ イに影響を与え続けて い くのか。

3節

研究方法及び研究過程

筆者 が本研 究 を進め る際 に採用 した研 究方法は以下の通 りであ る。

1,宗

郷会館 の指 導者、華人企業 家、宗郷会館 と関係 の深 かつた 旧華文学校 の校長 あ るい は教師、政府 関係者、人民協会関係者、華人研究者等への間 き取 り。

2,宗

郷会館及 び華文学校 の出版 物、各 時期 の華 文学校 の教科書 。

3,英

植 民地政府及 び 中国政府 に よる華僑教育政策 に関す る資料 。

4,そ

の他 の英語或いは 中国語 による公文書及び政府刊行物。

5,各

時期 の英語 或いは 中国語新 聞。

6,先

行研究 の追 認及 び反 証。

7,宗

郷会館、学校 、 コ ミユニテ イ 。セ ンターの行事で の参与観 察及び 聞 き取 り。

8,宗

郷会館 或 いは討派 を中心 に、戦前 に設立 され た華 文学校 全体 につ いて の分析 。(中 で も比較的情報量の多かつた18校を選 出 し、更な る分析 を行 なった。これ ら18校は、 本研 究でのキー ワー ドの1つとなってい る「 需派主義」の変化 を考察 するために、 シ ンガポールの

5大

講 派 によって設 立 された もの を中心 に選 出 した。)

9,学

校 名 の変遷 について の分析。(上述 の華 文学校 のデー タか ら、講派 に よつて設立 さ れ た

3校

と、帯派 と関わ りの浅い

1校

を選 出 した。)

10,ア

ンケー ト調査及び聞 き取 り。(華人青少年の文化意識 と態度 を理解 す るために、1991 年 は大衆 文化 、伝統 文化 につ いて、

1993年

は宗郷会館及 び民族 に対 す る意識 につ い て、

1998年

は言語 について、

30歳

以下 の シ ンガポール華人青 少年 を対象 に、 それぞ れ実施 した。) シ ンガポール華 人の多元的アイデ ンテ イテ イを理解 す るためには、 まず、 シンガポール の歴史、社会、政治、経済、対外 関係 を理解 する必要 がある。筆者は、第

1段

階 と して、1990 年 7月 か ら1991年 10月 までの期間、 シンガポール国立大学付属華語研究セ ンター に留学 し、 シ ンガポール の社会 を理解 す るこ とにつ とめ た。 この留学期 間では、 シ ンガポール の ¨

(12)

5-歴史、政治、経済、社会 を理解するようにつ とめた他、華人問題 に関係する先行研究を探 索 し、華人社会で焦点 となっている問題及び未研究の問題の確認を開始 した。 この結果、 歴史上、華人社会の基礎 となつていた宗郷会館が、華人アイデ ンテ イテ イの形成 に大 き く かかわつて きた とい うことか ら、宗郷会館や関連する廟 において若干の参与観察 も行 つた。 また、シンガポール国立大学内での1年余 りの寮生活を通 して、シンガポールの華人学 生 と積極的に交流 し、ア ンケー ト及び聞 き取 りによる彼 らの意識調査を行 つた。その際に は、大学生 と比較するために、小中学生及び

30歳

以下の社会人にも同様の調査を実施 し た。そ して、シンガポールの青少年は総 じてバイ リンガルであ り、東西両文化 を吸収 して いる一方で、極めて伝統的な行事や習慣の一部を失いつつあるという結果を得 た。また、 政府 による教育政策の変化が華人アイデ ンテ ィテ イに非常に大 きな影響 をもた らしてきた ということを検証 し、その調査結果を、卒業論文『 東南アジアの華人文化 ―シンガポール ・マ レーシアを例 として』 (1992年

)に

まとめた。 第

2段

階では、宗郷会館が、植民地時代には華人社会では不可欠な存在 として機能 して いた という事実か ら、宗郷会館 に関する文献に焦点を絞 り、文献探索 を行つた。そ して、1993 年の8月及び9月に、東南アジア諸国の宗郷会館 と華人 との関係 についての調査を行 うた めに、シンガポール、マ レーシア (ペナ ン、クアラル ンプール、アロースター、イポー、 タイ ピン、 マラ ッカ)、 タイ (バンコク)、 ミヤンマー (ヤンゴン、マ ンダ レー

)の

主要 な宗郷会館 を訪問 し、参与観察及び聞 き取 りを行 つた。そ して、居住地政府の華人に対す る政策が厳 しいところの宗郷会館ほ ど、多 くの華人住民 を引きつけ、華人のアイデ ンテ イ テ イの維持 に作用 しているという結果が得 られた。その一方で、他民族 との同化が進行 し ていた り、政府が宗郷会館 に取つて代わる役割を完全に果た しているところの宗郷会館で は、特に若い世代の会員を獲得することに困難を極め、宗郷会館の存在価値が問われるよ うになつているとい う現実問題を指摘することとなつた。 また、若い世代の華人が、宗郷会館やサブ 。エスニ ツク・グループに対 して どのような 意識を有 しているのかを知 るために、シンガポールを例 にとってアンケー ト調査 を実施 し た。その結果、彼 らの中には華人 としての意識は非常に高 くみ られるが、宗郷会館及びサ ブ・エスニ ック・グループに対 しての意識は低い という結果を得 た。これ らの調査結果は、 修士論文『 華人会館か らみたチヤイニーズ。アイデンテ イテ イーシンガポール・マレー シ ア・タイ・ ミヤンマーを例 として』(1994年

)に

まとめ、その要約 を、同題名にて『 社会 学研究』第13号 (甲南女子大学大学院社会学研究室、1995年

)に

発表 した。 上述の東南アジア諸国における一連の調査 に追加する形で、

1995年

にベ トナムの宗郷 会館 と華人 との関係 についての調査 を行い、他の東南アジア諸国の宗郷会館 には存在 しな い、ベ トナム華人宗郷会館の特異性を、「 文化的 ドイモイ政策下での当代ベ トナム華人文 イヒーホーチ ミン市第

5区

を例 として」 と題 して『 社会学研究』第

17号

(甲南女子大学大 学院社会学研究室、1999年

)に

発表 した。 これ ら東南アジア諸国における宗郷会館の調査では、政府の華人に対する政策タロ何で、 宗郷会館の必要性が決定 されるということ、宗郷会館が華人アイデ ンテ イテ イに対 して一 定の作用を果た しているという結論を得 たこと以外に、教育政策が華人のアイデ ンテ イテ ィに影響を及ぼ しているということが確認で きた。また、東南アジア諸国の華人の相違点 を見出すこともで きた。

(13)

-6-シンガポール華人 とい うものを理解するためには、シンガポール以外 における中国系人 を理解 し、シンガポール華人 と比較する必要 もある。筆者は、 こういつた観点か ら、シン ガポール華人以外の中国人、中国系人 とも交流を続けて きた。上述の調査以外では、筆者 は、

1989年

の2月か ら4月 の期間、北京の中央民族学院 (現中央民族大学

)の

漢語進修 コースでの短期留学を行い、少数民族を含む多 くの中国人 と交流 し、現代の中国及び中国 人に対 して参与観察を行 つた。また、1989年か ら1994年までの期間に、大阪大学中国の 会、関西学友会 日本語学校香港グループ、神戸華僑総会の人々と交流する機会 を持ち続け、 それ らの集団にかかわる中国人、中国系人に対する理解 を深めて きた。この一連の活動は、 その後、彼 らとシンガポール華人 とをあ らゆる面において比較 し、シンガポール華人の独 自性 を見出す といつた意味で、非常に役 に立つことになつた。 1996年 7月か ら1998年 6月までの

2年

間、筆者は「平成

8年

度文部省アジア諸国等派 遣留学生」 として、シンガポール国立大学大学院社会学研究科 において、調査及び研究の 機会 を得た。長期的な現地調査 に際 して、宗郷会館だけではな く、華文学校、華人企業家 が、華人社会では不可欠 な存在 として機能 し、華人アイデンテ イテ イに多大な影響を与え て きたとい うことを検証するために、第

3段

階 として、宗郷会館 に付け加え、華文学校、 華人企業家に関する文献の探索及び歴史的な面か らの華人アイデ ンテイテ イの考察を行 つ た。華文教育に関する先行研究は比較的多いため、それ ら先行研究では取 り上げ られてい ない、シンガポールの旧華文学校の刊行物や教科書を中心 としたオ リジナルの資料をで き る限 り入手することにつ とめた。 それ ら旧華文学校 に関する資料の分析 を行つた後、「帯派」主義の変化を考察するため に、その中か ら更にシンガポールの

5大

詰によつて設立された学校を選出 し更に分析 を行 い、植民地時期の華文学校 を中心 とした華人アイデンテ イテ イの考察を行つた。その研究 成果の一部を、それぞれ

1997年

の第

70回

日本社会学会大会 (於千葉大学

)及

び、1998 年のTh Conference of Southeast Asia in the 21 Century,3rd WoFld Studies(於 フイリピン大 学

)に

て報告 した他、「植民地時期のシンガポールにおける華人多元的アイデ ンテ イテ イ の形成及び変容」と題 して『 社会学研究』第16号 (甲南女子大学大学院社会学研究室、1998

)及

び、Kαsar滋′″

,ル

′JクηれιO“α″″rタ 2'rα Iゐr″ 協 の

,V0113,No.3(■

士d WO■d Studies,Universiy of Philippines,1998)に 発表 した。 第

4段

階では、第

3段

階 と同様の視点か ら、研究対象 を植民地時期か ら現在 に延長 し、 シンガポール独立以降の政府の政策、宗郷会館の活動、華文教育の変遷、華人企業家のあ り方を中心に調査 を実施 し、そこか ら見える華人アイデ ンテ イテ イの考察を行つた。また、 調査を行 う際には、現地滞在を生か して、できるだけ多 くの宗郷会館、学校、国民的行事 等の活動に参加 して参与観察を行つただけではな く、政府関係者、宗郷会館の指導者、教 育関係者に聞き取 りを行 うだけではな く、華人問題の研究者 と交流 し彼 らか らの意見を取 り入れることにつ とめた。 この段階で、筆者が注 目したのは、特 に

1986年

以降、政府が宗郷会館の存在価値 を見 直 し、宗郷会館 とタイア ツプ して華人の伝統文化及びサブ。エスニツク文化の復興に力を 入れることと、宗郷会館の青年団設立に助力する方針 を打ち出 したことである。そのため、 筆者は、青年団及び文化活動が活発ない くつかの宗郷会館 を任意抽出 し、できる限 り活動 や会議の度に参与観察を行つた。この研究成果は「新加岐年軽人与宗郷会館」と題 して、1998

(14)

-7-年4月 6日付の『 聯合早報』に発表 した。 また、

1998年

よ り、各民族アイデ ンテ イテ イの創造のために、各民族の母語教育が見 直されたの と同時に、これまで押 さえ られてきた方言が復活 し始める傾向がみ られるよう になったことか ら、再度、小中学生、大学生、

30歳

以下の社会人を対象に彼 らの使用言 語 に関する調査を実施 した。この調査結果は、年齢が低 くなるにつれて華語能力は上昇 し てお り、

2言

語教育の成功を確認できたことと、 また、母語や方言の習得はシンガポール の「グローバル化」に繋がる大 きな要素 として、更に注 目を浴び るようになつてきている ということが考察で きた。 この研究成果の一部をそれぞれ、

1998年

の人間科学会第

6回

大会 (於甲南女子大学)、 第

70回

日本社会学会大会 (於千葉大学)、 1998年度第

2回

比較 文化研究会 (於立命館大学国際言語文化研究所

)に

て報告 した他、「新加岐華族青年与華 語」 と題 して、『 八桂僑史』1998年 第

3期

(中国広西華僑歴史学会

)に

発表 した。 第

5段

階では、 これまでの調査で得 られた資料、データ等のまとめに入 り、内容の検証 を行つた。 この段階では、政府関係者、宗郷会館の指導者、教育関係者等に再度、聞 き取 りを行 うことによつて、内容の検証を行い、本研究が主観的なものにな らないようにつ と めた。また筆者は、 この段階において も、 これまでに引 き続 き、現地における宗郷会館、 学校、国民的行事等の活動に参加 し参与観察を行い、内容の補充及び確認につ とめた。 こ れ ら

5段

階を経て完成 したものが、本研究論文『 シンガポールにおける華人多元的アイデ ンテ イテ イの形成 と変容 ―宗郷会館、教育、言語、華人企業家か らの考察 ―』である。

4節

本研究の注意点

1,「ア イデ ンテ イテ イ」 とい う語 に対 す る解釈 について アイデ ンテ イテ イには、 自己 をアイデ ンテ イフアイす る とい う意味 と、他者 に対 してア イデ ンテ イフアイ を行 う とい う

2つ

の意味が存在 するが、本研究 では、前者の意味 を、華 人 の 自己認識 を多元的な方面か ら考察 す るために採用す るこ とと してい る。 また、華人の 集 団 と しての意識 を知 り、 また シ ンガポール社会 全体 か らの華人社会へ の反応 を知 る上で も、後者 の意味 を、華人アイデ ンテ イテ イを考察 す るために採用 す るこ とと した。

2,中

国系住民 に対 す る呼称 現在、研 究者 の 中で シ ンガポー ルの中国系住 民 に対す る呼称 について の認識 は まちまち で あるが、植民地時代で は、

2重

国籍保 持者 (主に英国 と中国

)や

中国国籍 のみの所有者 の割合が高かつたため、彼 らに対 しては「 華僑」或いは「 中国人」 とい う呼称 が一般的 に 使 用 され、彼 ら自身 も自己の こ とをその ように呼称 していた。・ 現在 において も、 中国国 籍 を放棄 し、居住 地の国籍 を取得 した中国系住民や、現地で 出生 してい る中国系住 民に対 して も、 こ うい つた呼称 を採用 してい る書籍 や論 文が非常 に多い。 しか しなが ら、現在で は既 にシ ンガポール国籍 を有 してい る中国か らの移 民やその子孫 に対 して、仮住 まいを意味する「 華僑 」 とい うこ とばを用いるの には無理があ ること、 ま

*1 -般

的に、英語では「華僑」や「海外 に居住する中国人」は、OVerseas Chinese或い は Chinese overseasと 表現 されて い る。

(15)

-8-た国民国家 としての中国の意味合いを含んでいる「 中国人」 とい うことばを用いることも 誤解が生 じやすい ということか ら、シンガポールの中国系住民たちが 自称 している「華人」 ということばを使用することが一般的になっている。・ 本研究の中には、中国 との紐帯が薄れ、現地の公民権 を獲得 してもなお、一時期、 自ら を「華僑」 と呼称する華人がいたように、「華僑」、「華人」の呼称の境界線を特定で きな い時期 も存在 している。 しか し、 このような場合 においても、本研究では「 華人」の呼称 を統一 して使用することとした。なお、「華人」の呼称 を使用することによつて、不 自然 が生 じる場合があると考えられる個所については「 中国系住民」、「 中国か らの移民」、「華 僑」等の呼称を使用することに した。 実際には、ワン・グンウが「海外に居住する中国系の移民に対 しての名称は、華僑で も 華人で もない。彼 らを定義する名称の選択 に困難を極 める。」 中2と 述べているように、 ワ ン・グンウは「華人」の呼称 を使用することに対 しても疑間を提起 している。それだけ、 華人のアイデ ンテ ィテ イは複雑で、多元的であると考え られるが、 この呼称問題は今後の 課題 として考えてい くこととする。同時に、本研究がこの問題を解決するために役立て る ことがで きれば幸いである。

3,標

準中国語に対する呼称 一方、シンガポール華人にとつての標準中国語に対する呼称は、現在、シンガポール教 育省が使用 している「華語」

"の

呼称 を、本研究において採用する。また、シンガポール で使用 されている「華語」は、既 に中華人民共和国の標準語である「普通話 (日本では一 般的に北京語 と呼ばれているもの)」 とは、語義、語彙等の点でかな りの差異が生 じて き ていることは、研究者か らも指摘されている。・ 以上の理由か ら、本研究では「華語」の 呼称を採用することが妥当であると考え られる。また、上述の中国系住民に対する呼称と 同様 に、 まだ「華語」 とい う概念が存在 していなかつた時代等 において、「華語」の呼称 を使用することが不適切な場合 には、「 中国語」、「標準中国語」等の呼称を採用 した。

*1

筆者 の観 察 か ら、「 中国人」 と「華 人」は、英語 で は双方 とも同様 に Chineseと 表現 されるため、華人は英語では Chinescと 呼称 されることに対 して意を介さないが、中には 稀 にSingaporean Chineseと 自称する者 もいる。また、彼 らは、中国語では「 中国人」 と呼 称 されることを快 く思わず、「華人」 と呼称 されることを希望する割合が非常に高い。

*2 Wang Gun型 ,の

♂"ααjκg ttι Mj♂rακ″ κ `jttι′〃 αοκο′〃 “

αrιろ the paper present at

ISSCO Conferencc,Hong Kong UniVersity,19-21 December 1994.

*3

英語では Chineseで はな くManda五nと表現 されている。

*4

シンガポール国立大学中文系の陳重喩副教授 によると、現代 中国で使用 されている 「普通話」 と、中国以外で通用されている「標準中国語

Jは

、既に語彙、語義の上で も同 二ではな く、シンガポールで使用されている「華語」の場合は後者に近 く、マレー語や英 語等が語源 になつている現地化 した語彙 も多 く含 まれているという。また、

1999年

2月 4日付の『 聯合早報』で、李雪林は、「標準 中国語」は、北京語の声調 を取 り入れている ために北京語 と同一であるという誤解 を受けているが、実際には北京語 とは異なるもので あ り、「華語」は前者 と同一であると考えてよい と述べている。

(16)

-9-4,宗

郷会館の呼称 について 会館 (Chinese Associaions)は 、地域 によつては「社団」、「華人会館」、「 自発的組織」、 「宗郷会館 」、「華人組織」等 と様 々な呼称がなされてい るが、 シンガポールでは一般的 に「宗郷会館」と呼称 される場合が多いため、本文中では「 宗郷会館」の名称を採用する。 なお、厳密にいえば、「宗郷会館」は、宗親 (clan)及 び同郷 (regional)の意味 しか持た ず、行業組織である中華総商会や樹膠公会等はそれに含 まれないため、行業組織を含む組 織 について述べ る場合 には、「会館組織」のように呼称することとしたo

5,地

名、人名の表記方法について 本研究の中で、シンガポール地名に関 しては、通称を使用せず、基本的にシンガポール で標準に使用されているアルフアベ ツ ト表記を採用 し、片仮名で記述する。例 えば、 ウオ ータールー・ス トリー ト (Waterloo Street)の 場合、通称は中国語の「四馬路」であ り、 華人社会では「 四馬路」の方が非常に知名度が高いが、チヤンギ(Changi)、 トアパヨ (Toa

Payoh)等

と同様 に、地名の場合はアル フアベ ツ ト表記 (片仮名にて記述

)を

統一 して採 用することとする。

人名においては、 リー・クアンユー (Lce Kuan Yew)、 オン・テンチ ヨン (Ong Teng

Chong)と

い うように、本文中ではアルフアベ ツ ト表記 (アルフアベ ツト表記名は通常、 戸籍上の名である場合が多い

)を

採用 し、片仮名で記述することとする。また、その中で もリー・クア ンユーのように漢字名による知名度が同様 に高い場合に関 しては、括弧内に おいて李光耀 とい う漢字名を記すこととした。 一方、シンガポールの華人社会、特にひいては中国、台湾 と含めた世界 中の華人社会 に おいて知名度の高い人物は、アル フアベ ツ ト表記の名前 よ りむ しろ中国語 (漢字

)表

記で の知名度が高 く、漢字名のみが人々に知 られている場合が多い。 よつて、状況 に応 じて、 あ る人物に関 しては漢字表記を採用することとした。例 えば、戦前の華人社会指導者タン ・ カーキ

(Tan Kah Kec)の

場合、彼は後 に中国に戻 り政界で活躍することとなるが、 日 本ではむ しろ陳嘉庚 とい う漢字名の方の知名度が高い。 また、現在、李氏総会会長を務め る リム・ゴホ ツク

(Lim Ngo HOCk)は

、華人社会では漢字名での知名度が高 く、英字紙 でさえも彼の名をLi Wu Fu(李五福

)と

い うように、漢字名か らくる音で表記 している。 このような場合は、漢字名を採用 し、括弧内においてアルフアベ ツ ト表記を片仮名にて記 述することとした。なお、中国語による資料のみで しか判明 しなかつた人物名に関 しては、 アルフアベ ツ ト名が不明なため、漢字名のみによる記載 とすることとした。

6,「

種族 (race)」 と「民族(ethnic)」 の区別について シンガポールに関する書籍や論文においては、華人、マ レー人、イン ド人 といつた各エ スニ ック・グループに対する呼称では、「種族」 と「 民族」の記載の混同がみ られる。ま た、公文書、政府刊行物では「種族」の記載が比較的高い割合で使用され、シンガポール 人 としての宣誓文中にも「種族 を分けず・・・」 とい う個所が存在 している。・ しか し、 本研究においては「種族」 ということばを使用せず、あえて「民族」を使用することとし ている。それは、シンガポールの各グループが、単に血統か らの種族 としてではな く、民

*1

9章

1節を参照。 -10¨

(17)

族 と しての文化、 言語、生活習慣 等 を保 留 してい るためであ る。 例 えば、 シ ンガポールのマ レー系住 民は、種族 的 には もちろんマ レー人であ るが、それ と同時 にイスラム教 を信仰 し、マ レー語 を話 し、 マ レー 文化 を継承 してい る。 それは、例 えばアメ リカに移 民 したマ レー人 の子孫 が何代 に もわ た るうちに、 キ リス ト教 に改宗 し、 英語で思考 し、食 事 も文化 も全て アメ リカナイズ されて しまつていた と して も、彼は種族 的 にはマ レー人で あ る とい うこ とには変 わ りないが、前者 とは全 く異 な るマ レー人 と して 理解 され る。 また、1998年にポ リネシアのあ る集 団 に対 し、 あ る機 関が

DNA鑑

定 を行 つ た ところ、彼 らは種族 的 には 中国系あ る とい う鑑 定 が出たが、彼 らの中には中国系人で あ る とい うアイデ ンテ イテ イは一切 存在 してお らず、文化 や言語 もポ リネ シアの もの となつ て い る。 こ うい つた集 団 も後者の カテ ゴ リー に分類 され る。筆者 は、本研究 において、前 者 と後者 を区別す るため に、 あえて「 民族 」 とい うこ とば を用い るこ ととした。 しか し、 引用 文献 との関係 や、状況 に応 じて「種族 」の語 も使 用 す る場合 があ る。

(18)

1章

植民地初期に

おける

iFK」 ll会 (19世

-1919)

1節

汐ンガポール華人社会の特徴

シ ンガポールは、他の東南アジア諸国 とは異な り、華人がマジ ヨリテ イを占め る多民族 国家で あ る。特 に

1965年

の独立以降 に出生 したシ ンガポール人は、英語 と民族 の母語の

2言

語 に精通 し、英語 を媒介語 と して、他 民族 と共 に国家 を形成 す る一方で、各民族 グル ー プは独 自の伝統 文化 を保持 し、 民族 と してのアイデ ンテ ィテ イを強 く有 してい る。その 中で も特 に華 人は、彼 らの父祖 の 出身地 で あ る中国の様 々な地方 を基礎 とす る、異 なった サ ブ・エスニ ック・文化 を保持 し、それ ら多元的な文化 が複雑 に交差す る華人社会 を形成 してい る。 シエ・ チ ェンは、 シンガポール の華人社会が、外 の東南アジアの華人社会 と異なるい く つ かの独 自の特徴 を持 つてい ると して、以下 に述べ る

6つ

の要素 を示 している。・

1,シ

ンガポール華人社会 は、 中国人の世界各地への離散の中で、世界 で唯一、受け入 れ倶1の規模 が大 き くない世界 で唯一の例で あ る。現在、 シ ンガポール華 人は、程 度 の違 いはあれ、 中国的で もあ り、 マラヤ的で も西欧的で もあ り、農村的で も都会 的 で もあ り、定住的で も通過 的で もあ り、不均質的で も均質的で もあ り、彼 らを華僑、 とい うこ とばでは正確 に定 義づ け ることはで きない。

2,シ

ンガポールに移住 したほ とん どの華人は、移住 当時は労働者階級 に属 していたた め、 いわゆ る「華人移民は概 して仲介商人や小売 り商人で あ り、 ヨー ロ ツパ人 と原 住 民 との経 済 的交流の手段 を提供 す る商人であ つた」 とい う経済 の

3重

構 造の理論 に、 その ままシンガポール社会 にあてはめ ることはで きない。

3,現

在 シンガポール政府 は、 国民の統合 と調 和 的な国民的 同一性 を育成 す る一方で、 各 民族 グル ー プに対 して、 その固有 の伝統 を維持 するよ う奨励 す る政策 を とつて い る。 また、華人学生は華語 と英語 の

2言

語政策 の下で授業 を受けてい る。 したが つ て、 マイノ リテ イ・ グルー プは、マ ジ ョリテ イ・ グルー プの文化 を受け入れ るこ と によつて しか新国家への愛国心 を示す ことがで きない とい う仮説 は、 シ ンガポール にはほ とん ど当ては ま らない。

4,シ

ンガポールでは、華人は 中国の相異なる地域 を出身地 とする

6大

集団 一福建系、 潮州系、福 州系、広東系、客家系、海南 系か らな り、必然 的 にシ ンガポールの華 人 は、 出身地 の違い と移住 の展開の しかたの違いか ら生 まれ た、様 々なサ ブ 。エスニ ック文化 を示す こ とにな る。

5,シ

ンガポール政府 は、各民族 グルー プに対 し、それぞれの文化遺産への忠誠の維持 を助 長 す る ことを望みなが らも、 一方では、 シンガポール におけ る華人の 中で民族 と しての 自覚が高 ま り、 シ ヨウヴ ィニズムに至 ることを恐 れてい る。そのため、政

*1

シエ・チ ェン (謝)「シ ンガポール華人社会 一その内部構造 と基本的構成要素」、 ビ ー ター・ チ ェン編、木村睦 男訳『 シ ンガポール社会 の研究』、 め こん、

1988年

、144-147 頁。

表 ι :準 校 、 英 校 与 牛 英 校 学 生 人 数 (1946‐ 1959年 )̀夕 一 ぅ . 年 分 牛 文 学 校 英 文 学 校 準 校 生 人 数 英 校 生 人 数 1946 124 52 46,312 23,847 1947 154 P 53,478 29,095 1948 184 00 58,096 33,214 1949 94 68,434 37,500 1950 287 72,951 49,690 1951 288 138 75,974 55,292 1952 279 148
表 14  高校「時勢 に対する考 え方」 (シ ンガポールに最 も影響力を持つ国家 ) 英校生     (人 ) 華校生      (人 ) 1  マ レー シア     84 1   マ レー シ ア 93 2  イン ドネシア    45 2  イン ドネシア    66 3  イギ リス      43 3   中国        58 4  ア メ リカ       41 4  アメ リカ     41 5  中国・ ベ トナ ム   32 5  イギ リス      40 計 245 計 298
表 18  華人青少年 (770人 )の 華語能力 表 20公 共 の場所 で の使用 言語 聞 く (%) 話す (%) 読み書き(%)小学校6年生88人非常にできるよ くで きるで きない35.363.61.165。934.1060.239.80中学生34人非常にできるよ くできるで きない29.6.66.845.548.95.629.668.82.2大学 生 。院生302人非常にで きるよ くできるで きない35.157.78.260.534.35.244.852.42.4社 会 人289人非常にで
表 21  信仰 す る宗教 有効 /回 収票 キ リス ト教系 中国宗教 無宗教 その他 計 (人 、 %) /Jヽ 馬 声」 L  88/90 5 5.7 52   59.1 16    18.9 15   17.0 88 100 中学生  88/90 34 38.6 35   39.8 2 2.3 17   19.3 88 100 大学生 246/300 95     38.6 46   18.7 12 4.9 93   17.8 95 100 社会人 265/290 41 15.5 113   42

参照

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