第 6章 「スピーク・マンダリン・キヤンペーン」
第 1節 「スピーク 0マ ンダリン ・キヤンペーン」の展開
a,第
1段階での「 ス ピー ク・マ ンダ リン。キヤンペー ン」(1979年‑1989年
)1979年
9月 7日、 リー・ クア ンユー首相 の 出席 に よる「 ス ピー ク・ マ ンダ リン・ キヤ ンペー ン」の開幕式典が開催 され、 シンガポール華人が、社交の場で、方言に とつて代 わ って華語 を使用す るこ とが奨励 されるこ とになつた。 これは、華語が英語やその他 の言語 に取 つて代 わ るこ とを意味 してい るのではな く、 これまで華人の母語であ つた多様 な方言 に代わ つて、華語 を華人の 言語 として根付かせ る とい うことを目標 としてい るものであ つ た。・1979年
当時、 シ ンガポールでは、華 文教育 を受 けて いて も、普段 は方言 を使 用す るた め、華語が 十分 に話せ ない とい う学生が多 く、 このままでは華文教育 さえ も発展 しない と い う問題 に直面 していた。 また、 シンガポールは多民族 国家であ るため、各民族 の共通の 言語 と して英語が使用 されているが、 この まま方 言 を しよ う し続ければ、異な る方言群 の 華 人の共通話が英語 にな つて しま う可能性 があ る。 この状況 は、政府の推進す る2言
語政 策 には何 の プラス にもな らない。華人が学校 で華 語 を母語 として学んで い くため にも、華 語 を使 用 す る習慣 を普段 か ら付 け る必要 があ る とい うこ ととなつた。一方、 シンガポールの華人社会では当時、主に
12種
類 の方言が使用 されてお り、 これ まで、福建 系華人 はアモ イ・ ス トリー ト、潮州系華 人はテオチユー・ ス トリー ト、広東系 華人 は ク レタアヤ地 区、海 南人はハイ ラム・ス トリー トとい うように、サ ブ・エスニ ツク・ グルー プによる住み分 けの中で、それぞれの方言が共通語 として使用 されていた。 しか し、1970年 代 以降 の公共住 宅の開発 に伴 い、徐 々に方 言群 の崩壊 が顕著にな るに従 つて、
華 人社会 の中に共通語 の問題 が生 じるよ うにな つた。°
当初 は、サ ブ 。エスニ ツク・ グル ー プの 中でマ ジ ヨリテ イを占め る福建系華人の方言であ る福建語が、華人の共通語 と して 使 用 されてい たが、 方言 であ る福 建語 を使 用す るこ とは、華語教育の障害 にもな るため に 政府 に とっては好 まれ る こ とではなかつた。一方、マ レー人やイ ン ド人社会では、それぞ れマ レー語 、 タ ミル語 とい う彼 らに共通 する母語 が存在 していたため、華人間 に存在 す る この種 の問題 は、 ほ とん ど存在 しなかつた。 この問題 を解決するためにも、積極的な華語 の推進が必要 とされたのである。
華 人社 会 に理解 を求め るため、「 ス ピー ク 。マ ング リン・ キヤ ンペー ン」の利 点 として 以下 の ものがあげ られた。Ⅲ3
1,方
言間 に よる壁 を取 り除 き、華人 の意思の疎通 をはか る。2,華
語 は文章化 す る こ とがで きるため、学習及び応 用が容易 である。3,華
語 の応用範 囲は広 く、華語は「 華文」を学習 す るための鍵にもな り、また「 華文」推広華語秘書処編『 十年華語』、
推広華語秘書処編『 十年華語』、 推広華語秘書処編『 十年華語』、
推広華語秘書処、
推広華語秘書処、
推広華語秘書処、
‑105
1990、 14頁。 1990、 18頁。 1990、 20頁。
∧バ
=性
︱八 盤半
b C
1 2 3
は、華人の豊富で悠 久の文化遺産 を知 るための鍵 にもな る。
4,科
学技術 の発展 に伴 い、華 語 もコ ンピユー ターの 言語 と して も使 用 され るようにな り、漢字 の漢語併 音Ч、 部首、 適i数等 を用 いて、 コ ンピユー ター に資料 を入力す る こ とがで きるようになつた。
5,華
語 は、第2言
語 と して の華 文の学習 の強化 に繋 が る。6,華
語 は、華 文 を学校教学 言語 にさせ るため の特別 な意義 を有 して い る。7,学
校 で学習 した華語 は、学外で も用途があ る。8,方
言 の8、9声
と異な り、華語 には4つ
の声音lノかないため、学習 しやすい。そ して、 シ ンガポール国籍 を有 す る華 人 を対象 に、 単に「 華語 を話 そ う」 とス ロー ガ ン を掲 げ るのではな く、具体 的な方法 を提 示 して推
Fし
て い くこ と となI)た。そ して、効 果 を上 げ るため に、1982年
よ り、 以 下の よ うに対教や場所 を限定 して運 動 を展 開 してい く こ ととなつた。1982年
職場
1983年
市場 や フー ド・コー ト 1984年
子供 を持つ華 人の両親 1985年
交通機 関の労働者 1986年
飲食業
1987年
シ ヨッピング ・セ ンター 1988年
ホ ワイ ト・ カラー階級 1989年
華人全体
この運動 に際 し、当局では、ポスタ‐、,段幕、テ レビ広 告、音響等 に̀kる宣伝 を展 開 し、
た他 、聯合 早報、聯合晩報、ス トレー ツ 'タ イムス、新1月 11報等 の新 聞ネ11、 当時の シ ンガ ポール広播局 (SillgapOre Broadcaming Co■ )Oratioll,SBC)ツ や、 その前身の シ ンガポール広 播 電視 台 (Rado alld Tcle宙Jon Singaμ)じ
,RTS)と
い ったマスメデ イアが積極 的名支持 を 表 明 し、数年間華語講座 の番組 を企lfliす る とい うように、 この運 動 に大 き く貢献 した。 ま た、毎年10月
を「 ス ピー ク・マ ング リン 。キヤンペー ン 1月 間 と設定lン、 その月間 には 国会議 員、公民諮詢委員会、 コ ミJ^ニデ イ ー・セ ンター管理委 員会、居 民委 員会等 の地域 組織 のメ ンバーが、各家庭、市場、フー ド・コー ト等 を訪 問 し、宣伝 品 を配布 した りして、*1
中華人民共和 国、 シ ンガポール等 で採用 されている、 アル フアベ ツ トを使用 した標 準 中国語 の発音記号。*2 1997年
の 時 点 で は 、 シ ン ガ ポ ー ル 広 播 局 (SingapOre BrOadcasting Corpor誠 lon,SBC) に代わつて、シンガポール国際メデ ィア機構 (SingapOrc lnにrilati()nal Mc(lia Pr市atc Limitcd,SIM)が
編成 されてお り、その傘下 にはSIMグ
ループ機構 (The sIM group incorporaに s)、シンガポール・テ レビ機構 (tlle Tclevおk)n Corporalon of ttllgaporc,TCS)、 シンガポール
・ ラ ジ オ 機 構 (the RadiO Corporation of Shlgapore,RCS)、 テ レ ビ ジ ヨ ン・ トウ エ ル ヴ ・ ネ ッ トワ ー ク (Televion Twelve Pte Lid,'1lV12)及 び
SIMコ
ミ ユ ニ ケ … シ ヨ ン機 構 (SIM Communication Ptc Ltd,SIMCOM)があ る て〕106
華人に華語の使用 を呼びかけた。Ч
この運動に際 して、1979年以降、政府の採用 した措置には以下のものがあげ られる。中2
1,カ
ウンター ・サー ビス政府部門 と法定機構では、華語を話せない華人職員に代わつて、華語を話せ る職員をカ ウンターに配置 した。また、華人職員は、勤務時間内においてで きるだけ華人職員 とは 華語で会話するように支持を受けている。
2,華
語課程当局は、公共機構サー ビスで、市民 との華語による会話の必要に応 じて、職員のために 華語会話課程 を設けた。1980年以降、政府各部門では、4,000人 余 りの公務員が、 この 課程を受講 している。
3,試
験教育部は、華語会話課程を受講 ヒノた公務員に対 して、華語会話試験を実施 し、合格者に は、昇級の際に若 千考慮されることとなつた。1981年 以来 (1989年 まで)、 政府部門と 法定機構では 3,001名
(74.5%)の
合格者を出 している。4,タ
クシー運転手1979年
以降、華人のタクシー免許 中請者に対tノてヽ単語の会話能力が義務づけ られる こととなつた。5,テ
レビ・ラジオ番組テ レビ、 ラジオの方言番組は、華語を解さない人々のためのエ ユース以外、段階的に廃
LLされ、華語が取 つて代わるようになつた。
6,ビ
デオ・llAl画当局は、 ビデオテープと1映画の監修 を行 う際に、華語によるものに優先的に監修lノ、方 言によるもの特別 した。
7,標
準華文委員会の設立教育部は、 シンガポールにおける華文の応用についての研究、華語の質の向 │ヽ、標準的 な華語の提供 といつた目的を達成するために、
1981年
に標準華文委員会 を設 立lノた08,漢
語併音による名称飲食 メニューの看板、新会社及び商業機構、住宅発展局
(HDB)の
ニユータウン、新街路名、個人住宅区及び建築物、満
12歳
時の児童身分証の登記名、華人の新41i児名 を、漢語併 音にて行 うことを決定 した。ちb,第 2段
階での「 スピーク・マンダ リン 。キヤンペー ン」(1990年‑1999年
)*1
推広華語秘書処編『 十年華語』、推広華語秘書処、1990、 20頁。*2
推広華語秘書処編『 十年華語』、推広華語秘書処、1990、 28‐31頁 。*3
福建系のTan Lark Syc(陳六使)と
い う名 Tanという姓は変わ らず (親の姓がそう であるため)、 名のみを漢語併音の Liu Shiす る。それまでは同一の漢字であつても、方言 によって、福建系や潮州系ではTan、 広東系ではChan、 客家系ではChnlと表記されきた ように、様々であつたアルフアベ ツ ト表記を統 ヽするためでもある。以上のような形で展開された「 スピーク・ 。マング リン 。キヤンペーン」は、上述のよ うに、最初の
10年
間は、 日常生活における華語の使用を目的 としていたが、その後の10 年間は、第8章
第 1節及び第2節
でも述べているように、中華文化に照準を当て、宗郷会 館の活性化、華人の伝統風俗の紹介、中国・香港・ 台湾の華語による映画の上映、華語戯 曲等の文化的な行事を増やすことに力が入れ られて きた。また、中国の改革開放 に伴い、華語は ビジネスにおける重要な言語 として受け入れ られ、インターネ ッ トでも華語は普遍 的に使用されるようにな り、運動 も様相 を見せ るようになっている。Ч