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第1章 インドネシアのあらまし

1.4 文化・社会制度

1.4.2 伝統文化・現代文化

インドネシアはその地理的な位置から古来さまざまな人々が往来し、それととも に様々な文化がもたらされた。インドネシアの文化は、もともとこの地に住む人々が 持っていた固有の文化と外来の文化との混合、融合の中で形成されてきた。

紀元前2世紀ごろからヒンズー、仏教など南アジアや中国からの文化が流入し、

13世紀ごろからインドとの交易等を通じてイスラム教がもたらされたという説が有力 である。オランダの植民地支配が始まると、結果としてヨーロッパの文化の影響も受 けるようになった。それぞれの文化を受容していく過程では、新しい外来文化がもと もとあった固有の文化等と融合し、独自の文化が形成されていった。もちろんインド ネシアには単一の伝統文化(基層文化)が存在したわけではなく、また外来文化の 影響の受け方も一様ではなかった。そのため地域によって多様な民族文化が形成 されたのである。

例えば、現在でもジャワで盛んに上演されている影絵芝居であるワヤン・クリット では、インドの古代叙事詩『ラーマヤナ』、『マハーバーラタ』を素材とした演目が演 じられている。これらの演目は10世紀ごろにジャワに伝わったものであるが、研究 者によれば、ジャワ古来の信仰体系の中に組み込まれ、仏教やヒンズー教、イスラ ム神秘主義をも吸収しながら発展を遂げ現代に至っていると言われている。

伝統芸能は観光のための芸能としてショー化するものもあるが、その多くは伝統 的・哲学的価値観の継承手段もしくは宗教儀礼の一部として発展したもので、その

表現形態、発展の歴史は様々であり、現在存在する言語種族の歴史とも大きく関係 する。

2)

現代文化

上述したように、インドネシアの文化は様々な文化の融合の結果できたものであ り、現代文化についてもその傾向は顕著である。

(1)音楽

インドネシアで最もポピュラーな大衆音楽であるダンドゥットはインドの打楽器 タブラのリズムが非常に印象的な音楽である。ダンドゥットはオルケス・ムラユ(マ レー音楽とヨーロッパ的要素が混合した音楽)とインド音楽、アラブ歌謡が融合し て生まれたとされているが、スンダ、ジャワ、バリ等各地のリズムを取り入れたも の、ロック、ディスコ、レゲエ風のものもありきわめてバラエティーに富んでいる。

その他、『ブンガワン・ソロ』で日本でも有名となったクロンチョンは、ジャワの伝統 的な歌謡とポルトガル音楽とが融合して生まれたものだといわれている。

また、西洋の影響を受けたポップス、ロック音楽も若者の間で非常に人気があ り、1990年代後半より根強い人気のあるスランクやギギのほか、ウング、ニジ や、J-Popを模したJ-Rockなど、「バンドブーム」に乗った多数の若手歌手が 活躍している。最近では、「韓流」が隆盛であるが、日本のアイドルグループの嵐 やAKB48及びその姉妹グループであるJKT48も若者に人気を博している。

(2)演劇・舞踊

インドネシアでは現代演劇も盛んで 多くの劇団が積極的に作品を発表してい る。ナノ・リアンティアルノ主宰のテアトル・コマは、最大の観客動員力を誇るイン ドネシアの代表的な劇団であり、最近ではスハルト政権下で抑圧されていた中国 古典劇を半世紀ぶりに復活させるなど、話題作を常に提供している。著名な文学 者であるプトゥ・ウィジャヤ率いるテアトル・マンディリは、老舗劇団の一つであり、

日本を含む海外公演を多数行っている。商業的に成功している劇団は少数で、

劇団を取り巻く環境は決して良いとは言えないが、テアトル・ガラシなど、世界的 にも活躍する劇団が多くの若い才能を輩出している。

一方、豊かな古典舞踊、特にジャワ宮廷舞踊の伝統を踏まえ、インドネシアで は現代舞踊の創作活動も非常に盛んである。サルドノ・W・クスモ、マルティヌス・

ミロト、ムギヨノ・カシド、ハルタティなど、国内外で活躍している現代舞踊の振付 師・舞踊家も多い。特に、新進舞踊家ジェコ・シオンポは、出身地であるパプアの 民族舞踊とヒップホップを融合した独特なコンテンポラリー・ダンスを展開しており、

海外での評価も高い。映画『オペラ・ジャワ』に出演したエコ・スプリヤントは、米国 人歌手マドンナのバック・ダンサーに抜擢された経験を持つなど、国際的に実力

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が認められるダンサーが誕生している。

(3)映像

1970~80年代はインドネシア国産映画の最盛期で、世界的にも活躍してい るクリスティン・ハキムらを輩出し、1977年には年間124本の映画が製作されて いたが、民放テレビ局の発展や政府による輸入映画優遇政策などの影響を受け て1990年代からは映画産業は衰退し、2000年代前半の5年間に製作された 国産映画はわずか35本であった。しかし2005年が国産映画復興の年と評され るように、同年以降は年間50本超の国産映画が製作されるようになり、2007年

『Ayat Ayat CInta(愛の章)』、2008年『Lakar Pelangi(虹の戦士)』など、観客動員 数300万人を超えるヒット作が続いた。2016年は、70年代コメディ映画の続編

『ワルコップ DKI リボーン』が700万人近い動員数を記録し、リリ・リザ監督の

『再会の時~ビューティフルデイズ2』(366万人)を超え、インドネシア映画史上 の記録を塗り替えた。インドネシア映画は国際的にも注目されており、2015年に はトロント・アジア国際映画祭でエディ・チャフヨノ監督の『SITI』が特別賞、2016 年カンヌ国際批評家週間でレガス・バヌテジャ監督の『Prenjak(申年)』が短編映 画賞を受賞しており、若手監督の活躍が目覚しい。

テレビは全国ネットの民間放送局が十局以上存在し、地方局も各地に複数存 在するため、乱立状態にある。インドネシアにおいても「韓流」がにぎわっており、

韓国産の映画・ドラマが人気となっている。2014年にスカパーJSATが日本の 番組を24時間インドネシア語で放送する「WAKUWAKU JAPAN」を開局し、

有料ではあるがインドネシアにいながら日本のテレビ番組を見ることができる機 会が増加した。

(4)文学

書籍が高価である一方で、コピーが安価であること、購買者が少ないこと、図 書館が未発達であること、国民の読書の習慣が十分育っていないことなど、文学 を取り巻く環境は依然厳しい状況ではあるが、詩はいまだ根強い人気があり、詩 の朗読公演なども行われている。また近年は、優れた文学作品が映画化される ケースが相次ぎ、『彼らは私をサルだと言った』(ジェナール・マエサ・アユ、2003 年、2008年映画化)が、上述の『虹の戦士』(アンドレア・ヒラタ、2005年)、『ク ティカ・チンタ・ブルタスビ(「愛が神を讃えるとき」の意、ハビブラフマン・エル・シラ ジー、2008年、2009年映画化)』などがある。

1.4.3 教 育