INDONESIA HANDBOOK 2018
i
目 次
表のリスト
... ix
図のリスト
... xii
第1章
インドネシアのあらまし
... 3
1.1
地
理 ... 3
1.1.1 自 然 ... 3 1.1.2 気 候 ... 5 1.1.3 人口・民族 ... 51.2
歴
史 ... 7
1.2.1 古 代 ... 7 1.2.2 ヒンズー王国の時代 ... 7 1.2.3 イスラム王国の時代(15世紀~16世紀) ... 8 1.2.4 ヨーロッパ人の影響 ... 8 1.2.5 独立宣言 ... 10 1.2.6 スカルノ時代 ... 10 1.2.7 スハルト時代 ... 11 1.2.8 スハルト後の時代 ... 121.3
政治・行政 ... 14
1.3.1 政体・憲法 ... 14 1.3.2 政治概況 ... 15 1.3.3 国民協議会、国会、地方代表議会 ... 16 1.3.4 大統領・内閣 ... 16 1.3.5 司法制度 ... 16 1.3.6 治 安 ... 17 1.3.7 国 防 ... 18 1.3.8 地方分権と地方行政 ... 19 1.3.9 汚職対策、グッド・ガバナンス ... 191.4
文化・社会制度 ... 20
1.4.1 宗 教 ... 201.4.2 伝統文化・現代文化 ... 21 1.4.3 教 育 ... 24 1.4.4 保健衛生、医療制度、社会保障 ... 26 1.4.5 運輸交通 ... 30
第2章
日本との関係 ... 35
2.1
概
観 ... 35
2.1.1 沿 革 ... 35 2.1.2 強い相互依存関係(投資、貿易を中心として) ... 39 2.1.3 多様化する相互交流 ... 392.2
日本の経済・技術協力 ... 41
2.2.1 総 論 ... 41 2.2.2 経済・技術協力の沿革と現況 ... 422.3
学術・文化交流 ... 43
2.3.1 人の交流(留学生、学術交流) ... 43 2.3.2 文化の交流 ... 45 2.3.3 その他の交流 ... 49第3章
国家開発計画 ... 51
3.1
これまでの国家開発計画 ... 51
3.1.1 スハルト政権とRepelitaの策定 ... 51 3.1.2 ワヒド、メガワティ政権とPropenasの策定 ... 523.2
国家開発計画システム法 ... 53
3.2.1 システム法制定の経緯 ... 53 3.2.2 システム法の内容 ... 54 3.2.3 国家開発計画システム法の意義 ... 553.3
国家中期開発計画(RPJMN) ... 56
3.3.1 国家中期開発計画2004-2009年 ... 56 3.3.2 国家中期開発計画2010-2014年 ... 57 3.3.3 国家中期開発計画2015-2019年 ... 583.4
国家予算のあらまし ... 60
3.4.1 主要前提条件 ... 60目 次
iii
3.4.2 歳 入 ... 61 3.4.3 歳 出 ... 62 3.4.4 財政収支及びファイナンス ... 62第4章
経済の概況
... 65
4.1
経済動向 ... 65
4.1.1 2015年の経済動向 ... 66 4.1.2 2014年の経済動向 ... 674.2
貿易動向 ... 68
4.2.1 2015年の貿易動向 ... 68 4.2.2 2014年の貿易動向 ... 694.3
外国投資動向 ... 71
4.3.1 2015年の外資投資動向 ... 71 4.3.2 2014年の外国投資動向 ... 734.4
消費者物価動向 ... 75
4.5
関連資料 ... 76
第5章
産業の動向
... 87
5.1
インドネシアの産業の特徴 ... 87
5.1.1 インドネシアの産業構造 ... 87 5.1.2 企業グループ ... 89 5.1.3 国営企業 ... 905.2
水産業... 91
5.2.1 概 況 ... 91 5.2.2 生産量 ... 91 5.2.3 水産物輸出 ... 93 5.2.4 日本にとってのインドネシア ... 945.3
畜産業... 95
5.3.1 概 況 ... 95 5.3.2 畜産政策 ... 95 5.3.3 今後の課題 ... 975.4
食品・飲料水 ... 98
5.4.1 食 品 ... 98 5.4.2 飲料水 ... 995.5
鉱業(石油・天然ガスを除く) ... 101
5.5.1 概 況 ... 101 5.5.2 主要鉱産物の現状 ... 1045.6
エネルギー ... 113
5.6.1 石 油 ... 114 5.6.2 天然ガス ... 118 5.6.3 その他のエネルギー ... 119 5.6.4 電 力 ... 1215.7
繊維産業 ... 123
5.7.1 概 況 ... 123 5.7.2 市場動向 ... 124 5.7.3 日系企業動向 ... 126 5.7.4 繊維産業界の今後の課題 ... 1275.8
製鉄・鉄鋼産業 ... 128
5.8.1 概 要 ... 128 5.8.2 鉄鋼貿易 ... 133 5.8.3 課題と展望 ... 1355.9
非鉄金属産業(アルミ、錫、ニッケル、銅) ... 137
5.9.1 アルミニウム ... 137 5.9.2 錫 ... 139 5.9.3 ニッケル ... 140 5.9.4 銅 ... 1425.10
一般機械 ... 145
5.10.1 ディーゼルエンジン(除く自動車用) ... 145 5.10.2 ポンプ ... 1455.11
農業機械 ... 146
5.11.1 農業機械市場 ... 146 5.11.2 農業機械産業 ... 1475.12
建設機械 ... 147
目 次
v
5.12.1 建設機械市場 ...147 5.12.2 建設機械産業 ...148 5.12.3 主たる生産拠点 ...1485.13
自動車(四輪) ... 149
5.13.1 沿 革 ...149 5.13.2 市場考察 ...151 5.13.3 自動車産業政策 ...152 5.13.4 課題と展望 ...1535.14
二
輪 ... 153
5.14.1 概 況 ...153 5.14.2 需要推移(メーカー出荷実績) ...154 5.14.3 市場特性 ...154 5.14.4 日系二輪車製造販売会社 ...156 5.14.5 今後の展望 ...1565.15
建設業 ... 157
5.15.1 建設業の実態 ...157 5.15.2 建設業関連の法整備と許可制度 ...157 5.15.3 外国建設会社の進出形態 ...159 5.15.4 最終課税制度 ...1615.16
流通業 ... 162
5.16.1 貿 易 ...162 5.16.2 卸売業・小売業 ...1635.17
運
輸 ... 167
5.17.1 陸上交通(鉄道、バス) ...167 5.17.2 海上輸送、港湾 ...170 5.17.3 航空、空港 ...1745.18
観
光 ... 178
5.18.1 インドネシアへの観光 ...178 5.18.2 日本への観光 ...1815.19
銀
行 ... 185
5.19.1 銀行業界現況 ...185 5.19.2 中央銀行(BI:Bank Indonesia) 金融サービス庁(OJK:Otoritas Jasa Keuangan) ...1865.19.3 商業銀行 ... 186 5.19.4 外国銀行支店・合弁銀行及び駐在員事務所 ... 187 5.19.5 地方開発銀行 ... 187 5.19.6 庶民信用銀行 ... 187 5.19.7 シャーリア(Syariah)銀行 ... 188 5.19.8 主要トピックス ... 188
5.20
証
券 ... 191
5.20.1 証券市場 ... 191 5.20.2 株式市場 ... 191 5.20.3 株式上場要件と基準 ... 191 5.20.4 上場のメリット・デメリット ... 192 5.20.5 債券市場 ... 193 5.20.6 証券市場関係機関 ... 193 5.20.7 証券会社 ... 194 5.20.8 昨今の市場動向 ... 194 5.20.9 日系企業に関する動向 ... 194 5.20.10 現状の課題とそれに対する取り組み ... 1955.21
保
険 ... 195
5.21.1 保険会社(損害保険会社) ... 195 5.21.2 最近の問題点 ... 198 5.21.3 保険会社(生命保険会社) ... 2005.22
その他金融機関 ... 204
5.22.1 マルチファイナンス会社 ... 204 5.22.2 リース会社 ... 207第6章
経済関係制度 ... 211
6.1
労働関係制度 ... 211
6.1.1 最近の雇用情勢 ... 211 6.1.2 労使関係 ... 213 6.1.3 労働条件 ... 2156.2
貿易・為替管理制度... 219
6.2.1 概 要 ... 219 6.2.2 貿易管理制度 ... 219目 次
vii
6.2.3 関税制度 ...223 6.2.4 為替管理制度 ...2266.3
投資関連制度 ... 230
6.3.1 投資促進・許認可機関 ...230 6.3.2 外資に関する規制 ...231 6.3.3 外資に関する奨励制度...233 6.3.4 外国企業の会社設立手続き・必要書類 ...236 6.3.5 工業団地の概要 ...2386.4
税制(種類と特徴) ... 255
6.4.1 税法体系 ...255 6.4.2 所得税 (PPh:Pajak Penghasilan) ...256 6.4.3 間接税 ...271 6.4.4 納税申告、税務調査と追徴、異議申立等 ...277 6.4.5 税の優遇制度(タックスホリディ) ...2816.5
会計制度 ... 284
6.5.1 諸規制 ...284 6.5.2 会計基準概要 ...286 6.5.3 財務諸表の体系 ...289 6.5.4 税法と会計 ...289 6.5.5 会計基準のポイント ...290 6.5.6 会計監査制度 ...3026.6
経済法制度 ... 304
6.6.1 経済法制度整備の経緯 ...304 6.6.2 競争法 ...305 6.6.3 消費者保護法 ...308 6.6.4 破産法 ...310 6.6.5 会社法 ...314 6.6.6 新投資法 ...316 6.6.7 仲裁法 ...319 6.6.8 環境法 ...323 6.6.9 知的財産権関連法...330第7章
ジャカルタ ジャパン クラブ ( JJC)の概要 ... 337
7.1
JJCの目的 ... 337
7.2
法人部会 ... 337
7.3
投資環境改善に向けたインドネシア政府への意見具申活動 . 338
7.4
個人部会 ... 339
7.5
調査部会 ... 340
7.6
広報文化部会 ... 340
7.7
その他の活動 ... 341
7.8
JJCの組織図 ... 341
7.9
出版物 ... 343
7.10
連絡先 ... 343
ix
表のリスト
1.1.3-表1 在留邦人数の推移 ... 6 1.4.3-表1 学校数・在籍者数及び就学率(2013/2014年度) ... 26 1.4.4-表1 母子保健指標の国際比較 ... 27 1.4.5-表 1 国道、州道、県・市道の総延長、舗装及び道路状態(2015年) ... 31 1.4.5-表2 車種別の自動車登録台数 ... 32 2.1.1-表1 インドネシアと日本の関係資料 ... 37 2.3.2-表1 日本語教育の機関数、教師数及び学習者数(2012年) ... 45 3.3.3-表1 開発数値目標 ... 59 3.4-表1 財政収支 ... 60 3.4.1-表1 補正予算策定の主要前提条件 ... 60 3.4.2-表1 歳入構成 ... 61 3.4.3-表1 歳出構成 ... 62 3.4.4-表1 2017年度のファイナンス状況 ... 63 4.3.1-表1 外国投資の推移(2011~2015年) (実現ベース) ... 71 4.3.1-表2 2015年の外国投資・件数別 ... 72 4.3.1-表3 2015年の外国投資・金額別 ... 72 4.3.1-表4 業種別外国投資実績(2015年) ... 72 4.3.1-表5 日本からの投資推移(2007年~2011年) ... 73 4.3.2-表1 2014年の外国投資・件数別 ... 74 4.3.2-表2 2014年の外国投資・金額別 ... 74 4.3.2-表3 業種別外国投資実績(2014年) ... 74 4.4-表1 消費者物価指数上昇率の推移(前年比、2009~2016年) ... 75 4.5-表1 主要経済指標 ... 76 4.5-表2 インドネシアのGDP ... 77 4.5-表3 インドネシアへの投資動向/国・地域別投資状況(実現ベース) ... 79 4.5-表4 インドネシアへの投資動向/業種別外国投資額(実現ベース)... 80 4.5-表5 インドネシアの貿易動向(1998年~2016年) ... 81 4.5-表6 日本の対インドネシア商品別輸出(2014年、2015年) ... 83 4.5-表7 日本の対インドネシア商品別輸入(2014年、2015年) ... 84 5.1.1-表1 インドネシア産業別GDP構成比(2006年~2013年) ... 88 5.1.1-表2 製造業の分野別GDP成長率(2009年~2013年) ... 88 5.1.2-表1 インドネシアの主要企業グループ ... 89 5.1.3-表1 インドネシア国営企業の業績(2002年~2011年) ... 905.2.2-表1 インドネシアにおける水産物生産量(2009 年~2014 年) ... 93 5.2.3-表1 インドネシアの水産物輸出入額(2012 年~2016 年) ... 93 5.2.3-表2 輸出先別輸出量 ... 94 5.2.3-表 3 輸出先別輸出額 ... 94 5.3.2-表1 インドネシアにおける主な家畜の飼養頭数(2011 年~2015 年)... 96 5.3.2-表2 インドネシアにおける生体牛および牛肉の輸入規制 ... 97 5.4.2-表1 飲料市場推移(飲用量ベース)(2012~2016年) ...100 5.5.2-表1 インドネシアの鉱物資源量と生産量 ...105 5.5.2-表2 インドネシアの鉱種別生産量(2010年~2014年) ...105 5.5.2-表2 インドネシアの鉱種別国内販売量(2010年~2014年) ...106 5.5.2-表2 インドネシアの鉱種別輸出量(2010年~2014年) ...107 5.5.2-表3 インドネシアの主要鉱産会社別生産量(2010~2014年) ...108 5.6-表1 インドネシア最終エネルギー消費の推移(2011年~2015年) ...114 5.6.1-表1 インドネシア石油確認埋蔵量推移 ...114 5.6.1-表2 既存製油所の原油処理能力 ...116 5.6.2-表1 天然ガスの生産量と利用状況(2008~2012年) ...119 5.6.3-表1 インドネシアの地熱発電所(2015年) ...120 5.6.3-表2 インドネシアのタイプ別発電能力(2011~2015年) ...121 5.7.2-表1 仕向地別繊維製品(衣料用生地、衣料用縫製品)輸出入推移 ...125 5.8.1-表1 インドネシアの鉄鋼産業の指標データ(2011~2015年) ...128 5.8.1-表2 ASEAN 主要各国の鋼材見掛消費の推移データ(2011~2015年) ...129 5.8.1-表3 ASEAN国別全鋼材生産量推移(2004~2015年) ...130 5.8.1-表4 2013年以降のわが国鉄鋼メーカーによる主な投資事業案件 ...132 5.8.2-表1 品種別鉄鋼見掛消費の構造(2015年) ...133 5.8.2-表2 日本からインドネシアへの鉄鋼輸出実績(2015年) ...135 5.14.4-表1 日系二輪車製造販売会社 ...156 5.15.2-表1 建設サービス業者資格決定条件 ...159 5.17.1-表1 トランスジャカルタ路線 ...170 5.17.2-表1 インドネシアの戦略25港湾 ...172 5.17.2-表2 2015年世界主要港コンテナ総取扱い量 ...173 5.17.3-表1 航空旅客数 (2011~2015年) ...174 5.17.3-表2 国内航空主要路線 (2014年) ...175 5.17.3-表3 国際線旅客数(2014年) ...176 5.17.3-表4 日本とインドネシアとの定期航空路線 (2017年2月) ...176 5.17.3-表5 主要空港利用者数 (2015年) ...179 5.18.1-表1 インドネシアへの外国人訪問者数(2014年~2015年) ...179
表のリスト
xi
5.18.1-表2 インドネシアへの外国人訪問者・外貨収入(2013年~2015年) ... 179 5.18.1-表3 主要玄関口別外国人入国者数(2013年~2015年) ... 180 5.18.1-表4 デンパサール(ングラ・ライ)空港国別入国者数(2013~2015年) ... 181 5.18.2-表1 インドネシア人外国出国者数 ... 182 5.18.2-表2 インドネシア人の訪問国別旅行者数... 182 5.18.2-表3 訪日インドネシア人数の推移 ... 183 5.19.8-表1 総資産を基にしたインドネシアの主要銀行順位 ... 190 5.19.8-表2 日系メガバンクの総資産推移状況 ... 190 5.20.3-表1 株式の上場基準 ... 192 5.21.1-表1 インドネシアにおける日系合弁損害保険会社 ... 198 5.21.3-表1 インドネシアにおける保険浸透率 ... 200 5.21.3-表2 新契約保険料と更新保険料の推移 ... 201 5.21.3-表3 インドネシアにおける日系合弁生命保険会社 ... 202 5.22.1-表1 インドネシアにおける主な日系ファイナンス会社... 206 6.1.1-表1 基本的労働統計値の推移(2011~2015年) ... 212 6.1.2-表1 ストライキ等発生件数の推移(2008~2014年) ... 215 6.1.3-表1 労働時間別労働者数(2013~2015年) ... 215 6.1.3-表2 労働災害の推移(2009~2014年) ... 218 6.3.5-表1 主要工業団地の概要... 239 6.4.2-表1 減価償却率 ... 260 6.4.2-表2 特定事業のみなし利益率とその実効税率 ... 261 6.4.2-表3 輸入源泉税率 ... 267 6.4.2-表4 源泉分離課税の源泉税率 ... 269 6.4.2-表5 条約源泉税率 ... 270 6.4.2-表6 恒久的施設タイムテスト ... 271 6.4.3-表1 印紙税課税対象文書 ... 277 6.4.4-表1 課税標準 ... 281 6.5.4-表1 会計と税務における計上基準の主な違い ... 289 6.6.2-表1 インドネシア競争法の実体規定の概要 ... 306 6.6.2-表2 KPPU事件取扱い件数 ... 307 6.6.9-表1 インドネシアにおける知的財産権保護の体系 ... 333 6.6.9-表2 インドネシアにおける知的財産権の出願登録件数状況 ... 334図のリスト
1.1.1-図1 インドネシアの地図 ... 5 1.4.4-図1 インドネシアの医療施設特徴... 29 5.5.1-図1 インドネシアの地質構造 ...103 5.5.2-図1 インドネシアの主要鉱山・製錬所・鉱床位置図 ...105 5.5.2-図2 石炭の生産と国内消費・輸出量(2008~2013年) ...113 5.6.1-図1 インドネシアの石油生産と需要 ...117 5.6.1-図2 インドネシアの補助金付きガソリン価格の推移 ...117 5.6.4-図1 インドネシアの用途別の販売電力量 ...122 5.6.4-図2 インドネシアの発電設備容量推移 ...122 5.8.1-図1 ASEAN国別全鋼材生産量推移(2001~2015年) ...129 5.8.1-図2 2015年品種別鋼材生産比率(最終製品ベース) ...131 5.13.1- 図1 自動車総市場実績(2005 年~2016 年) ...151 5.14.2-図1 インドネシア二輪車出荷実績(2004年~2016年) ...154 5.14.3-図1 カテゴリー別 構成比率の変化(2005年~2016年) ...155 5.18.2-図1 目的別訪日インドネシア人数(2016年) ...183 5.21.3-図1 販売動向 (2015年) ...201 7.8-図1 ジャカルタ ジャパン クラブ(JJC)の組織図 ...3423
第1章 インドネシアのあらまし
1.1 地 理
1.1.1 自 然
1) 国 名: インドネシア共和国(Republic of Indonesia) インドネシアの名前は、インドを意味するIndosと島を意味する Nesosの2つのギリシャ語に由来する。 2) 建 国: 1945年8月17日 3) 政 体: 共和制(詳しくは第2章を参照) 4) 国 旗: 紅白旗(1950年制定) 紅白2色は、古代の太陽と月の信仰から由来し「潔癖と勇気」を意味 する。 5) 国 土: 北緯6度から南緯11度、東経95度から東経141度に位置 東西5,100Kmの世界最大の群島国家であり、アジアとオーストラリ アの2大陸間及びインド洋と太平洋の2大海洋に位置し、かつて“オ ランダ女王の首飾り”と称された。6) 時 差: 東西に広大な国土に対応して次の3つの時間帯がある。 (1) 西部インドネシア標準時:+7時間(GMTに対して) (スマトラ、ジャワ、カリマンタンの西部、中部の州) (2) 中部インドネシア標準時:+8時間(GMTに対して) (カリマンタン東部、南部の州、スラウエシ、バリ、ヌサトゥンガラ の西部、東部) (3) 東部インドネシア標準時:+9時間(GMTに対して) (マルク、パプア) 日本標準時がGMTに対して+9時間であることから、ジャカルタ では、日本とは2時間の時差、バリで1時間の時差がある。 7) 総面積: 191万931km2(日本の約5倍の広さ) 群島数:大小合わせて約13,000の島々からなり、そのうち約6,000の 島々に住民が居住する。 8) 火 山: 環太平洋火山地帯に属し、ジャワ島はメラピ火山をはじめ火山が11 2あり、その内15が活火山である。 9) 地 震: インドネシア南部のインド洋において、インド-オーストラリアプレート がユーラシアプレートの下に沈み込んでいるため、プレート境界型 地震が発生する。最近では、2004年12月26日にスマトラ沖地震 (マグニチュード9.3)が発生し、津波によってインドネシアを始め近 隣諸国に大きな被害を及ぼした。特にインドネシアではアチェ及び 北スマトラにおいて16万人を超える死者・行方不明者が出た。続 いて、2005年3月29日にスマトラ島沖で再び大地震(マグニチュ ード8.7)が発生し、ニアス島(北スマトラ州)を中心に900人以上 の死者が出た。また、2006年5月27日に、中部ジャワ地震(マグ ニチュード6.2)が発生し、6,000人を超える死者が出た。その 後も、スマトラ島を中心に、ジャワ島西部等でも大きな地震が起こ っている。ジャカルタでは、有感地震が年に2、3回程度発生してい る。
1.1 地 理 5 1.1.1-図1 インドネシアの地図
1.1.2 気 候
1) 気 候: 熱帯性気候で赤道付近に位置するため、季節の変化はなく、雨期と 乾期の2つに区分される。毎年12月より翌年の3月頃までが雨期の 中心期間で、6月から9月までが乾期の中心期間とされる。 2) 気 温: 年平均気温は、26.9℃ (2012年) 3) 湿 度: 73.8%~87.0%(2012年) 4) 降水量: 年間1,087mm~5,041mm (2012年)1.1.3 人口・民族
1) 人 口 : 約2億4,482万人(2013年推計) 2) 人口増加率 : 1.49%(2000-2010年)、1.49%(1990-2000年)、 1.98%(1980-1990年) 3) 州別人口 : ジャカルタ特別州(1,040万人)、西ジャワ州(4,730万人)、 東ジャワ州(3,920万人)、中ジャワ州(3,420万人)、北スマ トラ州(1,410万人)など (2016年) 4) 宗 教 : イスラム教87.2%、キリスト教9.9%、ヒンズー教1.7%、 仏教0.7% 5) 言 語 : インドネシア語(公用語) ただし、地方、種族により150~250程度の多様な地方言語が あり、多くの国民は日常的に地方言語を使用している。6) 人 種 : 人口の大部分はマレー系であるが、ジャワ族(東部ジャワ・中部ジ ャワ)41.7%、スンダ族(西部ジャワ)15.4%、マドゥラ族(東部 ジャワ・マドゥラ島)3.4%等多くの種族に分かれる。 7) 在留邦人数 : 1.1.3-表1 在留邦人数の推移 (単位:人) 年 2012 2013 2014 2015 2016 在留届出数 14,720 16,296 17,893 18,463 19,312 出典:在ジャカルタ日本国総領事部 ●参考文献・ホームページ ○STATISTIK INDONESIA 2014 ○http://www.bps.go.id/ (BPSホームページ)
1.2 歴 史 7
1.2 歴 史
1.2.1 古 代
1)
数十万年~数万年前 インドネシアでは1891年、中部ジャワのソロ河畔で人類と猿類の中間といわれ るピテカントロプス・エレクトス(ジャワ原人)の頭蓋骨と大腿骨が発掘されており、数 万年ないし数十万年前の人類の痕跡がある。2) BC
3000年~500年
サブ‐モンゴロイド部族がアジア大陸の東南地方から移動して、原住民と次第に 同化した。3) BC1000年
インド‐アーリア部族が移住し、さらに原住民と同化した。1.2.2 ヒンズー王国の時代
1) AD100年~200年
最初のインドの仏教徒が移住、このころ中国人やギリシャ人もインドネシアに到 達。2) 西暦7世紀から14世紀
スマトラのパレンバンを中心に仏教国スリウィジャヤ王国を建設、強大な国力を 背景にスマトラ、マレー半島、ジャワにも支配権を及ぼし、また中国やインドとも交 易して南方アジアにおける通商と仏教の中心地として14世紀まで栄えた。ジャワで も8世紀以後、中部ジャワにシャイレンドラ、それに続くマタラム王国等が栄え、有名 なボロブドゥール、プラムバナンなどの寺院を建立した。もっとも有名なのは 1 239年勃興し、1350年から1390年頃までの黄金時代を築いたマジャパイト王国 で、名君ハヤム・ウルックの治世には名宰相ガジャ・マダの助けにより、産業、海軍、 文化が隆盛を来たし、現在の全インドネシアからマレー及びフィリピンの一部を版図 とするインドネシア史上最大の王国を建設。このころ、最初のヨーロッパ人、マルコ ポーロがジャワとスマトラを訪れる(AD1292)。1.2.3 イスラム王国の時代(15世紀~16世紀)
AD13世紀には、香料を求めて渡来したインド人とアラビア人によってイスラム教が マラッカからスマトラ、ジャワ各地へと伝えられていった。16世紀前半、中部ジャワの デマック侯はイスラム教に帰依し、ジャワで最初のイスラム教国となり、マジャパイト 王国を滅ぼした。イスラム教はジャワ全土に布教された。民衆に受け入れられ、今日 では全人口の9割近くがイスラム教徒となっている。1.2.4 ヨーロッパ人の影響
1) ポルトガル人
1486年の喜望峰発見、1511年のポルトガル人によるマラッカ占領の後、ポル トガル人は香料を求めインドネシアを訪問、また続いてスペイン人も訪問。ポルトガ ル人らがキリスト教の布教をも進出手段としていたので、その影響はマルクに今も 残っている。2) オランダの植民地政策の始まり
オランダは香料貿易により莫大な利益を生んだため、1602年東インド会社を設 立し、東方貿易に本腰を入れ始めた。交易の拠点をバタビアと名づけた。これに対 し、中部ジャワのイスラム王国マタラムのスルタン・アグン・ハニョクロクスモは、敵 対し交戦したが撃退された。オランダは、マルク、バンダ島を手に入れ、香料貿易を 独占した。一方中国人に対しては門戸開放政策を行い貿易業務の仲介者として利 用した。3) オランダとの再戦
1666年 ゴアのスルタンであるハサヌディンがオランダと交戦、敗退し、翌年ゴ アは属国となる。 1680年 マドゥラ王国のトゥルノジョヨ王子は、オランダと交戦したが敗退、この 結果、オランダがマルクの香料を独占した。 1740年 不満をもった中国人が反乱をおこしたが、オランダに鎮圧される。一万 人の中国人が虐殺される。勢力が弱ったマタラム王国は、オランダに ジョグジャカルタとスラカルタに分割された。しかし、一方で、汚職と経 営失敗により、東インド会社が破産したため、1799年に東インド会社 を解散し、オランダ政府は直轄統治に乗り出した。1.2 歴 史 9
4) イギリスの一時的な統治
ナポレオン戦争のとき、オランダ本国がナポレオンの支配下におかれた際、イン ドネシアはイギリスに占領された(1811~1816年)。スマトラには1814年から 1825年までイギリスが駐留した。 1814年ナポレオン没落後、ロンドン条約によってイギリスへのマレーの支配権 委譲と引換えに、オランダはインドネシアにおける支配権を確立した。こうしてインド ネシアはオランダ領東インドとしてオランダの植民統治下に置かれることになった。 このオランダによる植民地支配に対して、例えばジャワ戦争(1825~1830年)、 アチェ戦争(1871~1904年)、バリ戦争(1908年)などの反乱が起こっているが、 これらは土候あるいは土族の指導によるもので、オランダ統治前の社会復古を狙っ た目的、性格からみてまだ民族運動と言えるものではなかった。5) 民族運動
その後、インドネシアのリーダーたちは、より組織的な民族運動を進め、1908年 には「ブディ・ウトモ」(美しい努力)が結成され、社会改良、教育奨励のための社会 啓蒙運動が展開され、次第に政治活動に入り、1915年には政党として認められた。 ブディ・ウトモに次いでサリカット・イスラム(イスラム連盟)、共産党、国民党が結成 され、独立運動の波は次第に拡大していった。6) 日本軍の占領
1941年12月、太平洋戦争の勃発とともに日本はオランダと戦争状態に入り、翌 年3月首都バタビア(現在ジャカルタ)を攻略、オランダ領東インド全域は日本の軍 政下に入った。スカルノを拘留から開放した。日本政府が開戦前に宣伝していた 「大東亜共栄圏構想」のスローガンからこの占領に対するインドネシア民衆の反応 は極めて協力的で、民衆にインドネシアの独立を大いに期待させた。しかしながら、 独立への期待とは裏腹に、日本軍の占領がオランダ植民地政策と変らないことに 気が付くと、最初の頃の日本軍への好意は次第に反感へと変わっていった。日本 軍は、紅白旗、国歌、インドネシア語を解禁したが、インドネシア人の間では独立へ の機運が一層高まり、翌年3月にはインドネシア独立準備調査会が設けられた。日 本の敗戦が濃くなるとともに日本政府の独立許容のテンポは加速し、これが、独立 への基礎となった。1.2.5 独立宣言
日本の敗戦により生じた空白を突いて、スカルノとハッタは、1945年8月17日、 ジャカルタの自宅にてオランダ領東インド全域を版図とするインドネシア共和国の独 立を宣言し、オランダ主権の復帰を拒否した。日本軍の武装解除に進駐してきたイギ リスやオランダとの間で戦闘が繰り広げられた。オランダは再植民地化を図るためこ の独立宣言を認めず、その後、1946年10月、1948年1月に両者の間で協定が結 ばれたもののその度にインドネシアの領土が縮められた。1949年8月のハーグ円 卓会議により4年間にわたる独立戦争に終止符がうたれ、1949年11月主権移譲並 びにオランダ・インドネシア連合に関する協定が成立した。この協定に基づき同年12 月インドネシアはオランダとの連合の基に連邦共和国を構成するという不満足な形な がら独立を達成した。しかしこの不満足な形は翌年1950年8月インドネシア人自ら の手により単一のインドネシア共和国となり、また同年9月には第60番目の国連加 盟国となった。1.2.6 スカルノ時代
政党政治に基盤をおく1950年憲法の発布により、1955年最初の総選挙が実施さ れた。しかし、1956年は西イリアンの帰属をめぐるオランダとの開放闘争が勃発し、 また地方でも反乱が起こるなど国内情勢は激動を続け、経済再建は思うように進まな かった。1957年にはスカルノ大統領は指導された民主主義と指導された経済を理 念とするスカルノ構想を打ち出し、1959年7月には軍と共産党(PKI:Partai Komunis Indonesia)の支持のもとに、1945年憲法への復帰を宣言し、大統領制内閣を組織し、 権力の集中化を強めていった。スカルノ大統領は、①西イリアン回復闘争、②マレー シア対決闘争、③新興勢力の団結と結集等ナショナリズムを全面に押し出した反帝 反植民地闘争を展開し、1965年1月には国連から脱退した。この結果、外交面では 自由陣営特に米国との関係が悪化し、その反面、中国、ソ連への傾斜が深まった。経 済面ではこの間、植民地型経済を根本的に改革しようとして、1951~1952年の「ス ミトロ計画」をはじめとして、1956~1960年「5ヵ年計画」、1961~1968年には 「総合開発8ヵ年計画」を立案、推進しようとした。しかし、大幅な赤字財政を主因にイ ンフレが進行して、1960~1965年にはハイパー・インフレーションの様相を呈し、1 966年の消費者物価上昇率は650%にも達した。また外国企業の接収により生産 は極度に停滞し、一般大衆の生活は窮乏する中で、対外累積債務は約24億ドルに 達し、国家経済は危機に瀕した。1.2 歴 史 11
1.2.7 スハルト時代
1965年9月30日の共産党クーデター未遂事件をきっかけに急速に勢力を失墜し たスカルノ大統領に代わり、翌年3月スハルト国軍戦略司令官が正式に大統領代行 に就任し、1968年3月には暫定国民協議会において第2代大統領に就任した。スハ ルト大統領は中国、ソ連へ傾斜していた従来の外交を大転換し、西側諸国との良好 な関係に努め国連へも復帰した。国内的にはインドネシア共産党の取締りを徹底す る一方、テクノクラートを大いに登用して実務的合理的政策をとり赤字財政の均衡化 を図りハイパー・インフレーションの終息に努めた。スハルト政権は、いわゆる「開発 独裁政権」の一つと位置づけられており、経済発展が政権の中核的な課題であった。 スハルト時代の経済政策を見ると、輸出促進・外資の積極的導入を図る対外開放的 な政策が採られた時代と、国内産業の振興、輸出代替政策に比重を置いたやや内向 きの経済政策が採られた時代とが交互に生じている。 政権発足当初は、西側諸国からの経済援助を積極的に受け入れ、外国資本の導入 を進めたが、1974年の「反日暴動」後は、外国資本の投資に対する規制が強まって いる。ちょうど1973年の「石油ショック」によりインドネシアの石油収入が増えていた 時期であり、この豊かな資金を活用した輸入代替的な国内産業育成策が採られるよ うになった。しかし、1980年代後半石油価格の下落によりこのような政策の継続が 困難になるにつれ、再び外資の積極的導入、輸出型産業の育成へと政策が転換して いった。1994年には、外資に対する広範な規制緩和が行われ、日本を含む諸外国 からの投資が大幅に増加した。ただ、インドネシアは、石油等の豊かな資源ゆえに、 外資導入、輸出促進型の政策の採用が、タイ、マレーシア等に比べ遅れた感は否め ない。いずれにせよ、スハルト時代、インドネシア経済は平均すれば6.7%の高度成 長を続けており、貧困層の縮小、米の自給など経済面で大きな成果を上げた。しかし ながら、スハルト政権も末期になるとスハルトファミリーによるビジネスなど腐敗が目 立つようになり、国民の支持を次第に失っていった。 1997年7月2日のタイバーツの急落をきっかけとするアジアの通貨危機は、やや 遅れてインドネシアにも波及し、特に1997年12月以降は政治社会不安から通貨ル ピアが大幅に下落してしまった。通貨下落により、インドネシア経済が深刻な打撃を 受ける中で、1998年3月、スハルトは第7期目の大統領に就任したものの国民の不 満は増大し、同年5月21日ついにスハルト大統領は辞任し、大統領職をハビビ副大 統領に譲った。1.2.8 スハルト後の時代
1) ハビビ大統領
スハルト大統領の辞任後、昇格して第3代大統領に就任したハビビ大統領は、憲 法上与えられていた5年弱の任期を1999年12月までの1年7ヶ月余に短縮した上 で、矢継ぎ早に政治活動の自由化、地方分権を進め、1999年6月、44年ぶりとな る 自 由 選 挙 を 実 施 し 、 そ の 結 果 選 ば れ た 国 民 協 議 会 ( M P R : Majelis Permusyawaratan Rakyat)の新しいメンバーは、1999年10月19日深夜、再選に意 欲を見せていたハビビ大統領の1年5ヶ月の業績報告を僅差で否決し再選の芽を 摘んだ。2) ワヒド大統領
MPRは、ハビビ大統領の再選を否決すると同時に1999年10月20日、第4代 大統領として、イスラム教指導者アブドゥルラフマン・ワヒドを選出した。大統領候補 擁立の過程ではイスラム教の教義を理由に、女性は大統領にはなれないという主 張などを入れた中道軸をイスラム系政党が結成した。総選挙で比較第1党となった 闘争民主党のメガワティ・スカルノプトゥリ党首は大統領になれず、副大統領となる こととなった。 1999年10月26日、主要政治勢力を糾合した「挙国一致内閣」として発足したア ブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル)内閣は、スハルト体制下での負の遺産(国軍 の政治介入、行政の腐敗、司法の役割喪失等)の清算に取り組んだ。しかし、内閣 として十分な実効を上げられず2000年8月23日第2次アブドゥルラフマン・ワヒド 内閣を組閣した。ワヒド大統領は、自身の大統領選出に功績のあった中道軸政党を 省みず、次第に個人的な側近を重視するようになり、他政党の主要閣僚を次々に 更迭したことから各政党の反発が高まり、国会(DPR:Dewan Perwakilan Rakyat)と の対立が深刻化した。ワヒド大統領は、日常的な業務をメガワティ副大統領に委譲 することで打開を図ろうとしたが、2001年に入ると国会との対立はさらに深刻化し、 DPRは、2月にはバリ銀行事件、食糧調達庁(Bulog)に絡む汚職疑惑に関連した 特別委員会の報告に基づき、警告を与えるための「覚書」(Memorandum)を大統領 あてに発出した。大統領は無視する姿勢を示したため、再度4月30日に覚書を発 出したが、大統領の回答に満足がいかないとして、5月30日にDPRは、大統領の 弾劾を求める国民協議会(MPR)特別会合の設置を決めた。一方、この動きに対し、 ワヒド大統領は、7月22日にMPR、DPRの活動凍結、総選挙の繰上げ実施などを 内容とした大統領布告を出し対抗しようとしたが、MPR停止のための実力行使に 対する国軍の協力が得られず布告は効果をなさなかった。急遽繰上げ実施された1.2 歴 史 13 MPRの議決によりワヒド大統領は解任され、憲法規定によりメガワティ副大統領が 昇格し、2004年の総選挙までの期間、大統領の任につくことになった。
3) メガワティ大統領
2001年8月、メガワティ大統領は、ハムザ・ハズ開発統一党総裁を副大統領とし、 開発統一党を与党連合に組み込むことによって、ワヒド大統領解任に大きな役割を 果たしたアミン・ライス(MPR議長)指導下の中道勢力(国民信託党、開発統一党、 月星党、正義党を主体とするイスラム勢力)を分断し、民主党闘争派153、国軍警 察会派38、開発統一党58の249議席に諸派を合わせ、党派バランスを配慮した 「相互扶助内閣」(Kabinet Gotong Royong)を発足。初の国政演説において、政治危機の克服を宣言しつつ、憲法改正を含む今後の 改革と民主化への取り組み姿勢、国家の統一性の堅持や内閣の作業プログラム等 につき包括的な方針を宣言し、意欲を見せた。しかし、国会議長の食糧調達庁予算 外資金流用疑惑や汚職・癒着・縁故主義(KKN:Korupsi, Kolusi, Nepotisme)の蔓延、 地方における分離・独立運動、経済面における改革の遅延や債務問題等といった 多くの課題に直面。さらには、2002年10月12日、バリ島でテロによる爆発事件に 見舞われ、治安面でのイメージが悪化した。 メガワティ政権は、ハビビ、ワヒド両大統領の反省を踏まえ「改革優先」から「安定 優先」路線をとり、政治社会面での安定を図るとともに経済面でもある程度の成長 を納めたが、明確な社会経済改革の成果を果たすことが出来ず、経済危機以降の 物価高騰・雇用難によって低所得者の生活を極めて困難にした。この不満が政党 政治家の低いモラルへの幻滅と相まってメガワティ政権への不満の決定打となり、 更には政治不信を招くに至った。
4) ユドヨノ大統領
メガワティ政権において、前政権から継続して政治・治安担当調整相となったが、 2004年3月にメガワティと対立して辞任。同年、インドネシア史上初の大統領直接 選挙でメガワティを破り当選し、インドネシアの第6代大統領に就任した。就任時に は、アチェ州の分離独立運動は激化し、中部スラウェシ州ポソやマルク諸島のイス ラム教徒とキリスト教徒の対立が先鋭化するなど、紛争が相次ぎ、政治的・経済的 な環境はこの間、テロ対策や汚職撲滅などに力を注いだ。また、スマトラ島のアチェ 独立運動を終結させた。 2009年7月の大統領選でもメガワティらを破って再選を果たし、2014年まで任 期を伸ばした。5) ジョコウィ大統領
ユドヨノ大統領の任期満了に伴い、2014年7月に大統領選が行われ、プラボウ ォ・スビアント元陸軍戦略予備軍司令官との一騎打ちの末、5ポイント差という僅差 で勝利し、10月に第7代大統領に就任した。ジョコウィは、家具業経営を経て、200 5年にソロ市長に初当選し、保険・教育無料プログラム等の改革を実施し、市民から の圧倒的な支持を得て2010年に90%超の支持を得て再選。2012年には市長任 期途中でジャカルタ特別州知事に立候補し、「庶民派」をアピールして当選し、住民 との直接対話を通じた現場主義による政策実行力でこれまでにない新しいタイプの リーダーである。このように、地方の零細企業家から地方首長という経歴を持った、 エリートでも軍人でもない初めての大統領である。ジョコウィは、組閣において内閣 運営の要に政治学者を登用し大統領機能の強化を図るとともに、閣僚は実行部隊 として起業・経営改革の経験者を中心に人物本位で人選した。 2018年には17州、115県で地方統一選挙が行われるのを皮切りに、2019年 には大統領選挙に加え地方代表議会、国民協議会選挙が行われる予定。 ●参考文献・ホームページ ○インドネシア ハンドブック2015年版(JJC)1.3 政治・行政
1.3.1 政体・憲法
立憲共和国(1945年8月17日に独立宣言)。パンチャシラ:Pancasila(建国5原 則:①神への信仰、②人道主義、③民族主義、④民主主義、⑤社会正義)を国是とし、 大統領制を謳う1945年憲法を国家の基本方針とする。 1945年憲法は1950年に議院内閣制を採用したことから一時停止となったが、1 959年に再施行され大統領制に復帰した。同憲法は1998年のスハルト政権崩壊を もたらした「改革(レフォルマシ)」の波を受け、第1次改正(1999年)、第2次改正(2 000年)、第3次改正(2001年)及び第4次改正(2002年)が行われた。この4度の 改正による主な変更点は、大統領権限が縮小(三選禁止を含む)、正・副大統領の直 接選挙、憲法裁判所の設置などである。1.3 政治・行政 15
1.3.2 政治概況
2014年4月9日に実施された総選挙の結果、国会(DPR)定数560議席のうち、 「ジョコウィ(ジョコ・ウィドド大統領)現象」の波に乗る闘争インドネシア民主党(PDIP: Partai Demokrasi Indonesia Perjuangan)が109席を確保し10年ぶりに第1党に返り咲 き、スハルト政権時代以来の与党ゴルカル党(Partai Golkar)が91席で第2党の地 位を維持、プラボウォ元陸軍戦略予備軍司令官率いるグリンドラ党(Partai Gerindra: Partai Gerakan Indonesia Raya)が躍進し73席を確保し、民主党(PD:Partai Demokrat) (ユドヨノ前大統領が総裁)は政党幹部の汚職事案が影響して61席で第4党の地位 に転落した。 2014年7月9日に行われた大統領選挙では、ジョコ・ウィドド(当時ジャカルタ特別 州知事)とユスフ・カッラ(前副大統領)のペアとプラボウォ(元陸軍戦略予備軍司令官) とハッタ・ラジャサ(当時経済担当調整大臣)の2組の間で争われ、6.3%(約840万 票)の僅差でジョコ組が当選した。 ジョコ氏は、その庶民的なスタイルと地方首長時代の政策実行力から、新しいタイ プのリーダーとして、2012年頃からとりわけ若い世代や庶民の支持を急速に集めた こともあり、そういった支持者の高い期待感の中で、2014年10月20日、第7代大統 領として就任し、新政権を発足させた。ジョコ内閣は、「働くこと(Kerja)」をモットーとし た「実働内閣(Kabinet Kerja)」と名付けられ、政策の中心として「海洋国家構想」を掲 げて出発した。当初は少数与党のため政権の安定性が懸念されたが、2度の内閣改 造を含む巧みな人事を行い、また最大野党のゴルカル党などが与党に合流するにつ れて権力基盤の強化が図られた。また、国民の目線で「迅速かつ目に見える成果」を 追求し、このような姿勢に対する国民の評価も高く、支持率も高位で安定傾向にあっ た。 2016年10月以降、アホック・ジャカルタ州知事の宗教発言に端を発する大規模な デモがジャカルタで発生し、政権基盤の安定に対する懸念が一部表面化したが、そ の後、2017年2月、統一地方首長選挙がジャカルタ首都特別州を含む全国101カ 所の州、市、県で特に大きな混乱なく、実施された。特にジャカルタ州知事選挙につ いては、2019年の大統領選挙の前哨戦ととらえて、各政党が候補者を立て国政選 挙並の関心を集めた。 2019年の総選挙及び大統領選挙の実施に関して、総選挙法改正案が2016年1 0月に国会に上程された。同改正の背景には、2013年1月、憲法裁判所が、議会議 員総選挙の後に大統領選挙を行うことになっている現行制度を違憲とし、2019年か らは総選挙と大統領選挙を同時に行うべきとの判決があり、同判決に合わせた選挙 法の改正が行われることになっている。
1.3.3 国民協議会、国会、地方代表議会
1) 国民協議会(MPR:Majelis Permusyawaratan Rakyat)
かつて国民協議会はあらゆる国家機関の最上位に位置する国権の最高機関で あったが、憲法改正を経て、立法機関の一部となった。憲法改正を行う権限、正副 大統領の任命、国会から正・副大統領の罷免要請があった場合に罷免の決定を行 う権限を有する。国会議員(560名)及び地方代表議会議員(132名)の合計692 名により構成される。現議員の任期は2014年10月1日~2019年9月30日の 5 年間。
2) 国会(DPR:Dewan Perwakilan Rakyat)
法律案の提案・審議・制定、国家予算の決定、政府に関する監視機能を有する。 国会は、正副大統領の罷免を国民協議会に要請することができる一方、大統領が 国会を凍結・解散することはできない。議員定数560名。任期は国民協議会と同じ。
3) 地方代表議会(DPD:Dewan Perwakilan Daerah)
各州から4名ずつ選出された議員で構成。第3次憲法改正(2001年)によって新 設が決定され、2004年に発足。地方自治、中央と地方との関係、天然資源の中央 と地方の分配等につき法案を国会に提出し、審議に参加(但し、議決には参加しな い)。任期は国民協議会と同じ。
1.3.4 大統領・内閣
大統領は国家元首かつ行政府の長で、三軍の最高指揮権を有する。任期は5年2 期までで三選は禁じられている。 大統領と副大統領はペアで大統領選挙に出馬・選出される。各大臣は、大統領に よって任命される。(現内閣詳細は第8章の資料参照)。1.3.5 司法制度
インドネシアの法制度は大陸法の法体系に基づいている。司法権は、最高裁判所 及び法律で定めるその他の司法機関及び憲法裁判所がこれを行使する(憲法第24 条)。裁判所は最高裁判所の下に4系統の裁判所として、普通裁判所(民事及び刑事 の一般事件)、行政裁判所(行政機関により法が侵害された場合、または権限の濫用 により財産的損害を受けた場合に、政府に対して提起する民事事件)、宗教裁判所 (当事者がイスラム教徒であり、イスラム法・教義により裁判されることに適した婚姻・ 遺産相続等の家事事件および一部の経済事件)及び軍事裁判所(被告人が軍人であ る刑事事件)がある。各種裁判所には、地方裁判所と高等裁判所があり、全事件に関1.3 政治・行政 17 する最終的な不服申立である上告及び再審を最高裁判所が審理・裁判する。 訴訟手続に関してインドネシアでは民事訴訟法第130条により和解勧試(調停)が 義務づけられており、調停制度が充実しつつある。調停の他、契約時に仲裁を選択 することも可能であり、仲裁機関としてはBANI(インドネシア国家仲裁機関)が存在 する。 普通裁判所の第一審裁判所(地方裁判所)の一部には、商事特別法廷(破産事件、 知的財産権事件)、人権特別法廷(国家権力による大量虐殺事件等)、汚職特別法廷 (贈収賄や公金横領事件等で国家に大きな損害を与える汚職事件)、労使関係特別 法廷(労使事件等)、漁業関係特別裁判所(漁業関連刑事事件)も設置されている。ア チェ州には宗教裁判所はなく、代わりにシャリア(イスラム法)裁判所が設置されてお り、宗教裁判所の管轄事件の他、イスラム法に抵触する一定の刑事事件も審理・裁 判する。最高裁判所は、法律より下位の規範が法律に違反しているかどうかを審査 する権限を有する。 憲法裁判所は、スハルト体制崩壊後の改革期に憲法改正を経て設置され、上述し た裁判所とは独立した機関となっており、法律が憲法に違反しているかどうかを審査 する、いわゆる違憲立法審査を行う機関である。この他、総選挙や大統領選など国政 選挙の結果をめぐる異議申し立てに関する審理も扱う、第一審且つ終審の裁判所で あり、民主主義擁護の砦といわれる。 司法委員会は、最高裁判所裁判官候補の適性審査を行い、裁判官の倫理規程違 反行為などを監察する権限のある、憲法に直接設置根拠のある国家機関である。司 法委員会の権限は当初、憲法裁判所判事の倫理規定違反行為をはじめ、憲法裁判 所の監視に及ぶものであったが、同権限は2006年に憲法裁判決により廃止され、 憲法裁判所に設置される倫理委員会がこれを行うこととなっている。
1.3.6 治 安
1) 概況
インドネシア国家警察(Polri:Kepolisian Republik Indonesia)は、スハルト政権時に おいてはインドネシア国軍の傘下に置かれていたが、同政権崩壊後の1999年に 国軍から分離し、大統領直轄の組織となった。また、2002年1月、新しい警察の組 織や任務等を定めた警察法が施行された。 国家警察制度であり、全ての警察組織及び警察官は国家警察本部長官の指揮 下にある。
2) 国家警察の組織
地方組織として、原則として各州ごと、33の警察本部が置かれている。警察本部 の下には、全国で合計約450の警察署、更にその下に約4,600の警察分署が置かれている。警察官総数は約42万(2016年現在)である。
3) インドネシア警察改革
1999年の国軍からの分離プロセスとともに始まった警察改革の柱は、警察装備、 警察組織、警察文化の3点である。いずれも長期的な取組を必要とするものである が、組織改編、人員及び予算の増加等の他、市民警察を目指した様々な改革努力 が続けられている。特に、2002年11月からは、JJCと国家警察とが直接意見交 換する場も設けられている。 なお、2000年に、インドネシア政府から日本政府に対して、警察改革のための 支援要請がなされ、これを受けて、日本の警察庁幹部がインドネシア国家警察長官 政策アドバイザーとして派遣されるとともに、警察活動の専門家(JICA専門家)の同 国への派遣、同国警察職員の日本(警察署・交番等)での集団研修等の「国家警察 改革支援プログラム」が行われている。1.3.7 国 防
1) 概況
インドネシア国軍(TNI)の総兵力は約39.5万人(陸軍:約30万人、海軍:約6. 5万人(うち海兵隊約2万人)、空軍:約3万人)である。国軍の最高指揮権者は大統 領であり、国防の直接責任者は、国防大臣(国防行政に関し大統領を補佐)及び国 軍司令官(大統領の国軍に対する指揮権の行使は国軍司令官を通じて行われる) である。全国を、陸軍は戦略予備軍と全15軍管区、海軍は西部艦隊、東部艦隊及 び輸送コマンド、空軍は第1作戦コマンド、第2作戦コマンド及び防空コマンドに主に 区分し、防衛に当たっている。2) 国防方針
インドネシア全人民によるインドネシアの独立、主権、国家領土の統一、国家理 念の防衛(全人民防衛)、国家資源を総動員する総力戦の遂行、国家の全領域を活 用した防衛を国防方針としている。1.3 政治・行政 19
3) 国軍の取組
民主化の流れの中でプロフェッショナルな国軍を目指し、スハルト政権下の「国軍 の二重機能(国防のほか、政治・社会的役割を遂行)」を破棄したほか、国軍の経済 活動(参加財団が企業等を経営)を廃止する等、国軍改革に取り組んでいる。国内 の治安には基本的に国家警察があたり、国軍は大統領からの命令があった場合に 警察を支援することになっている。 ジョコウィ大統領の世界海洋軸構想に基づく海洋防衛政策促進の一環として、広 大な領土・領海・領空を保全するために、ナツナ諸島を始めとする外縁の島々の防 衛力整備を目指しており、装備品の近代化も進めている。また、共同演習等の諸外 国との防衛交流・協力や平和維持活動(PKO)の参加にも積極的である。 ナショナリズムと愛国心を育成し、国防方針である全人民防衛の基礎を築くため、 国軍が国民を教育する「国家防衛プログラム(Bela Negara)」を実施している。1.3.8 地方分権と地方行政
1998年のスハルト政権崩壊後、民主化の大きな柱の一つとして、地方分権・自治 への取り組みが急速に進展した。地方自治の対象となる行政区分は、①州(Provinsi) および州と同等な特別行政区(Daerah Khusus Ibukota(DKI)又は Daerah Istimewa (DI)、例:アチェ、ジャカルタ、ジョクジャカルタ)、②県(Kabupaten)、③市(Kota)とさ れている。 外交、防衛、治安、司法、金融・財政政策、宗教については中央政府の 管轄とするが、公共事業、土地計画、保健、教育、文化、運輸、投資促進、環境、協同 組合といった分野にわたる行政の実施は、州、県・市当局が実施する。また2005年 6月以降、任期の満了した全国各地方行政体にて地方首長選挙が行われてきたが、 2015年12月には269の自治体で初となる統一地方首長選挙が実施され、2017 年2月には101の自治体で同選挙が実施された。なお、現在ナングル・アチェ・ダル サラム(NAD:Nanggroe Aceh Darussalam)州及びパプア州・西パプア州については 特別自治法が適用されており、アチェでは固有の社会文化とイスラム法に基づく自治 制度、パプアと西パプアにおいては地方議会の他に、社会指導者から構成されるパ プア人民評議会(MRP)が設置された。1.3.9 汚職対策、グッド・ガバナンス
1998年以降の民主化により「KKN」と称される腐敗・癒着・縁故主義の問題への 対処が国家目標の一つとして掲げられ、これまで汚職撲滅の分野においては様々な 取り組みがなされてきている。2003年10月に設置された汚職撲滅委員会(KPK:Komisi Pemberantasan Korupsi) は、裁判所の許可なしに通信傍受や家宅捜査を含む各種捜査、起訴権といった権限 を有する特別委員会である。これまで国や地方政府が行う各種開発事業をめぐる汚
職摘発(総選挙委員会(KPU)、最高裁判所、憲法裁判所をめぐる汚職の摘発、青 年・スポーツ省、宗教省、エネルギー・鉱物資源省をめぐる汚職事件など)が行われ、 その対象は官僚、政治家をはじめとし国営企業、民間企業等の関係者に及んでいる。 なお大統領、大臣、国会議員や地方議会議員、地方首長やその候補らに対する資産 審査などの監査業務も行い、汚職への取り組みにおいて一定の成果を上げている。
1.4 文化・社会制度
1.4.1 宗 教
インドネシアでは全人口2.55億人(2015年政府推計)の88.1%をイスラム教徒 が占めており、世界最大のイスラム人口を抱える国であると言われている。続いてキ リスト教9.3%、ヒンズー教1.8%、その他0.8%という状況になっている。このよう に、イスラム教が圧倒的な位置を占めているが、国教とはなっておらず、憲法では信 教の自由が認められている。また、地域別に見ると、どの地域でも同様にイスラム教 が支配的なわけではない。例えば、バリ島ではヒンズー教が、北スマトラではプロテ スタント、北スラウェシ、アンボン、フローレス、パプア等ではプロテスタントとカトリック の両信者の人口が多くなっている。 インドネシアのイスラム教といっても、単純にひとくくりできるものではない。それは、 インドネシアにおいて過去にイスラム教が受容されていく過程で、各地の民族がもと もと持っていた土着の信仰や慣習と融合し、それぞれに特色のある性格を持つように なったからである。例えば、ジャワのイスラム教とミナンカバウのイスラム教とでは、 かなり異なった性格を持っている。また、中東のイスラム教と比べても異なる性格を 持っているといわれる。 現在、代表的なイスラム教組織として、ナフダトゥル・ウラマー(Nadhlatul Ulama/ NU)とムハマディア(Muhammadiyah)の2団体がある。両団体ともに国政においても 大きな影響力をもっているが、一定の距離をおくことを尊重する態度も見られる。 イスラーム強硬派といわれるイスラーム防衛戦線(FPI)が、反イスラーム的とみな す対象に対して時には暴力も辞さない構えでデモを開催するなど、インドネシア社会 の不安定要因は取り除かれていない。2012年6月に開催予定だった米国人女性ア ーティスト、レディ・ガガのコンサートがイスラームの教えに反するとして FPI 等の抗議 により中止となり、国内でも賛否両論の議論が交わされた。1.4 文化・社会制度 21 インドネシアの政党は、大きく世俗ナショナリズム系政党とイスラーム系政党に大別 されるが、2014年4月の国民議会選挙においては、イスラム系政党は前回の敗北 から幾分党勢を回復させた。同国民議会選挙に続いて行われた7月の大統領選挙に おいてはジャワ人イスラム教徒であるジョコ・ウィドド候補(当時現職:ジャカルタ特別 州知事)について、対抗馬であったプラボウォ候補が「華人でありキリスト教徒だ」とい うネガティブキャンペーンを行うなど、イスラム教徒であるか否かは政治的にも重要な ポイントであり続けていると言える。また、2014年中盤からは、中東における「イスラ ム国(ISIS)」にインドネシアから加わる若者が出ていることは、社会問題化しており、 中東情勢と連動して、引き続き注目が必要だろう。 ジョコ・ウィドド氏が大統領に就任したことによって、ジャカルタ特別州副知事であっ たバスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)氏が昇格し州知事に就任していたが、2 016年10月にアホック氏がイスラムの聖典コーランの教えに触れた発言が波紋を呼 び、同年11月、12月の第1金曜には大規模デモに発展し、支持率にも影響を見せて いる。今後も政治と宗教の接点は注視を要する課題であり続けるだろう。
1.4.2 伝統文化・現代文化
1)
伝統文化 インドネシアはその地理的な位置から古来さまざまな人々が往来し、それととも に様々な文化がもたらされた。インドネシアの文化は、もともとこの地に住む人々が 持っていた固有の文化と外来の文化との混合、融合の中で形成されてきた。 紀元前2世紀ごろからヒンズー、仏教など南アジアや中国からの文化が流入し、 13世紀ごろからインドとの交易等を通じてイスラム教がもたらされたという説が有力 である。オランダの植民地支配が始まると、結果としてヨーロッパの文化の影響も受 けるようになった。それぞれの文化を受容していく過程では、新しい外来文化がもと もとあった固有の文化等と融合し、独自の文化が形成されていった。もちろんインド ネシアには単一の伝統文化(基層文化)が存在したわけではなく、また外来文化の 影響の受け方も一様ではなかった。そのため地域によって多様な民族文化が形成 されたのである。 例えば、現在でもジャワで盛んに上演されている影絵芝居であるワヤン・クリット では、インドの古代叙事詩『ラーマヤナ』、『マハーバーラタ』を素材とした演目が演 じられている。これらの演目は10世紀ごろにジャワに伝わったものであるが、研究 者によれば、ジャワ古来の信仰体系の中に組み込まれ、仏教やヒンズー教、イスラ ム神秘主義をも吸収しながら発展を遂げ現代に至っていると言われている。 伝統芸能は観光のための芸能としてショー化するものもあるが、その多くは伝統 的・哲学的価値観の継承手段もしくは宗教儀礼の一部として発展したもので、その表現形態、発展の歴史は様々であり、現在存在する言語種族の歴史とも大きく関係 する。