4 捕虜問題と日本人――フィールド調査より
4.3 POW 研究会――日本人活動家へのインタビュー
4.3.3 JC さん――戦史研究家
元捕虜との交流会は「捕虜 日米の対話」「POW研究会」「元捕虜・家族と交流する会」
の共催である。「元捕虜・家族と交流する会」の実態がわからなかったのでJBさんに聞い たところ、「名前ばっかり」の組織であるという。JBさんの耳には情報が間接的にしか入 らないことを前置きしたうえで、POW研究会のなかには「外務省のプロジェクトにP研が かかわることをあまり快く思わない人たち」がいて、「外務省の事業の下請けをするのか」
や「政治的なことにかかわるのはよくない」というような、いろいろな意見があるのだと 教えてくれた。
別組織をつくったからといって問題が解決したわけではない。POW研究会に政府に対す る不信感を抱える会員がいるのは確かである。2013年にはある会員から、外務省のウェブ サイトから元捕虜になされた外務大臣の「謝罪の言葉」が削除されていたことが指摘され、
それを受けてほかの会員からも、政府に異議を申し入れるように行動を促す強い意見が聞 かれた。POW研究会は内部にそのような不信感を抱えながら、招聘プログラムに参加して いるのである。
JCさんと知り合ったのは、2012年の交流会のテープ起こしを通じてであった。POW研 究会からJCさんが英語、筆者が日本語(日本人の発言と通訳)部分の作業をするように依 頼され、メールで連絡を取るようになった。結局、高齢による聴力低下のためJCさんには 音声が聞き取れないということで、英語のテープ起こしは別の会員がやることになり、JC
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さんは起こしたテープの和訳をすることになった。交流会には通訳者がいるが、通訳者も プロではなくボランティアであり、特殊なテーマであるため誤訳も発生する可能性がある。
そのため、正確な記録を残すために日本語のテープ起こし原稿を参考にJCさんが和訳をす ることになったのである。JCさんは筆者に和訳作業が難航したことを打ち明けてくれた。
このときの作業が不満の一端となり、JCさんは一時期POW研究会の翻訳を断るほどであ った。
JCさんにインタビューをしたのは、JCさんから受け取った、テープ起こしソフトにつ いての問い合わせのメールがきっかけである。(その時点では、JCさんが英語のテープ起 こしをすることになっていた。)ダウンロードや操作方法を書いて返信すると、次のような ことが書かれたメールをいただいた。
年は取りたくないのですが、アッというまに80歳の大台を超えました。昔、海軍
(NHK「坂の上の雲」で、広島湾に浮かぶ江田島の海軍兵学校はご覧になったと思 います)で鍛えられましたので、現在、こうしてやっておられるのも、そのお陰か と思います。
JBさんが「連合軍捕虜の銘碑」を出版された時、P研メンバーは女性が多く、
戦争体験、軍事に疎いので、その援助ということでお手伝いを始めたのが、何時の 間にか、英語の便利屋に変身しました。
「知られざる戦史の発掘」で、untold stories を日、米、豪で発表しています。
メールの内容からPOW研究会と独特な関係にある人だと感じた。海軍への特別な思いや 軍事の知識が豊富であることがうかがえ、戦争のアントールド・ストーリーを各国で発表 しているということにも興味をひかれた。そのあとのメールからもさまざまなアメリカ人 との交流をおこなっている人であることがわかり、そのことについて知りたいと思ってイ ンタビューをお願いしたところ、「80歳を超えた老爺にお会いになっても、失望されるので はと懸念します」、「お会いして何をお話すればよいのか、その準備もあります」と躊躇さ れながらも引き受けてくださった。
JCさんが捕虜問題にかかわるようになったのは第二次世界大戦のアントールド・ストー リーの執筆活動を通じてであった。執筆活動は定年後にはじめたという。JCさんが定年を むかえるころ、勤めていた航空会社が外国人パイロットを導入することになった。JCさん は、定年をむかえたあとも外国人パイロットに運輸省(当時)の資格取得に必要な日本の 航空法を教えるために会社に残ることになったが、そのときのプロジェクトマネージャー はアメリカ人であった。そのプロジェクトマネージャーの妻は、西海岸では著名な料理研 究家で、本を出版しており、「あなたもリタイアしてやることがないなら、本を書いたらど う」と言ってアメリカで出版するノウハウを教えてくれたのがきっかけであったという。
戦記ものが好きだったが、第二次世界大戦史には偏りがあると感じていたJCさんには書き
85 たい戦史があった。
太平洋戦史を書く時にですね、日本の人は日本側だけのこと、アメリカの人はアメ リカ側だけのことをやっているんですね。〔中略〕非常にワンサイデッドっていうか、
偏った見方っていうのか、偏った情報しかない。ですから私は両方から資料をとっ てですね、それをつなげて、そのなかには間違っているというか、食い違っている のがたくさんあります。だけどまあ、自分なりの解釈をつけてですね。
日米双方の資料を見ることによってそれまでわからなかったことがわかるようになる。
JCさんはこの方法で、ずっと不明であったアメリカの航空母艦エンタープライズ96に致命 的な損害を与えた特攻隊員を特定した。JCさんはその発見を記事にし、それはアメリカ海 軍協会が発行する雑誌に掲載された。この雑誌への掲載はアメリカ人のあいだでは非常に 名誉なことだという。
このようにして日米の雑誌に記事を掲載していたJCさんは、ある日、取材を通じて知り 合ったアメリカ人からひとりの日本人男性を紹介される。JCさんが連絡をとると彼は自分 の著作などを送ってくれた。そのなかにJBさんが自費出版した捕虜収容所の資料があった。
JBさんの資料に対するそのときのJCさんの印象は「なんだこれ、女子学生のレポートみ たいじゃないか」というものであったという。JCさんはいくつか間違いを見つけたので、
JBさんに知らせた。
[JBさんが自費出版した資料]のなかに、海軍のことについてやはりご存じないか らいろいろと思い違いがあるんですね。たとえば、キャプテンっていうのは海軍大 佐とそれから軍艦の艦長っていう意味があるんですよね。そうすると、あれはディ ック・オッケインという中佐だったんですね。艦長が。だからそこは艦長であるん ですけれども、オッケイン大佐って書いてあるわけですね。ていうのはですね、潜 水艦の艦長っていうのは少佐か中佐なんですよ。大佐になったら潜水艦大指令にな っちゃうわけですね。そういう細かいことはおわかりにならないんですよね。だか ら、オッケイン艦長と書くべきところをオッケイン大佐って書いてあるから「ここ は違いますよ」と。それから、海軍関係のことで気がついたことを2、3知らせたん です。
96 1938年に就役したエンタープライズは、第二次世界大戦のあいだアジア太平洋戦線のほ
とんどの海戦に参加して生き残った航空母艦である。「ビッグE(The Big E)」の愛称で親 しまれた。そのエンタープライズに1945年5月14日、ひとりの特攻隊員が突入して甚大 な被害をもたらした。エンタープライズは沈没を免れたが、その後、終戦まで戦闘に復帰 できなかった。突入した特攻隊員はアメリカ側では「とみざい(Tomi Zai)」とよばれてい たが日本側にそのような名前の特攻隊員の記録はなく、彼の身元は不明のままであった。
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しかし数年後にJBさんから送られてきた著作は「サナギからチョウチョに、大きなアゲ ハチョウ」になったように「飛躍」していた。JBさんに礼状を書くと、POW研究会には 軍隊のことをわかる人が少ないので助けて欲しいという依頼がきた。JCさんは承知し、
POW研究会を手伝うことになったという。
JCさんはPOW研究会と自分との関係を次のように説明する。POW研究会の会員は3 つのグループに分類できる。ひとつは「捕虜との交流」を主体とするグループ、ひとつは
「学問的な研究」を主体とするグループ、もうひとつはJCさん自身が属する「ノンポリ」
である。JCさんは交流派と学問派は密接な関係にあるが、ノンポリ派はふたつのグループ から距離があるという。
そっち〔交流派と学問派〕は密接な関係があると思うんですけど。それから私のよ うなノンポリ(笑)。全然、違うんですよね。関心がないっていうわけじゃないけど、
みなさまよりかは少ないかなと。それでまあ、自分自身のことをしたいと。で、私 がやっていることはですね「知られざる戦史の発掘」と(いうものです)。それがア ントールド・ストーリーですよね。それをやっていて。〔中略〕お手伝いするつもり はなかったんですけどね。
JCさんがアントールド・ストーリーを書こうと思ったのは、映画には描かれない特攻隊 員の最期をできる限り調べて遺族に知らせてあげたいという気持ちからである。
もともとですね、戦史っていうかな、歴史は好きなんですね。太平洋戦史。捕虜問題 はですね、戦争の裏側の知られざる問題で、特攻隊っていうのはですね、表側のその 知られざるところですよね。ですからそれを(書いています)。
映画なんかでもそうじゃないですか。最後は飛行機が出て行って。それが出て行く とき、あれ、笑いながらですか、ねえ。あれ〔海ゆかば〕を流して終わりでしょ。そ ういうんじゃないんですよね。それからが彼らの最期なんですよ。で、ひとりひとり のね、かけがえのない人生があったわけですよ。
[途中で落とされるから突っ込んだ特攻機はごくわずかであるという説明のあと]
それで突っ込んだ人だって、財布だとかですね、写真だとか、手紙だとか、それから 飛行機の破片があったとか、確認できる人はほんのわずかですよ。ですが、私からし たらわずかでもですね、わかっている限りで調べて、そして遺族に知らせてあげたい と。
我々だって戦争が続いていたらですね、乗る艦はない、飛行機はない、それから武 器もない。それだから竹やりでやったかもわからないですよ。[中略]あなたのところ の大事な人はこういう最期だったと思い出させてさしあげたいと、そういう気持ちだ ったんですね。