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――元アメリカ兵捕虜問題を事例に――

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(1)

戦後和解のコミュニケーションと非対称性

――元アメリカ兵捕虜問題を事例に――

立教大学大学院 社会学研究科 前川 志津

(2)

目次

序章 ... 1

1 本研究の視点――戦後和解概論 ... 8

1.1 戦後和解の諸問題とその位置づけ ... 9

1.2 戦後和解と承認――acknowledgement

reconnaissance ... 11

1.3 関係の非対称性と相互性の問題 ... 15

2 ナラティヴ・アプローチ ... 20

2.1 主体と物語――歴史主体論争を超えて ... 20

2.1.1 ナショナリズム批判のジレンマ――歴史主体論争 ... 20

2.1.2 他者に開かれた物語の可能性と問題点 ... 22

2.2 フーコーの言説分析とコミュニケーション ... 26

2.3 ナラティヴ・アプローチの利点と限界 ... 31

3 招聘プログラムの背景――文献調査より ... 34

3.1 捕虜問題の歴史的変遷 ... 34

3.2 捕虜体験のナラティヴ――死の行進、収容所、地獄船、殲滅 ... 38

3.2.1 バターン死の行進... 42

3.2.2 収容所での生活――生活環境、強制労働、暴力 ... 43

3.2.3 地獄船による移送... 45

3.2.4 パラワン島の虐殺... 47

3.3 補償・謝罪請求のナラティヴと招聘プログラム ... 48

3.3.1 戦争請求法 ... 49

3.3.2 対日補償請求権と日本への要求 ... 52

3.3.3 招聘プログラムの評価 ... 57

(3)

4 捕虜問題と日本人――フィールド調査より... 60

4.1 バターン・コレヒドール防衛兵の会 ... 60

4.2 バターン降伏 70

周年フィリピンツアー ... 65

4.3 POW

研究会――日本人活動家へのインタビュー ... 69

4.3.1 JA

さん――ウェブサイト「捕虜 日米の対話」代表 ... 72

4.3.2 JB

さん――POW研究会事務局長 ... 78

4.3.3 JC

さん――戦史研究家 ... 83

5 日米間対話の齟齬 ... 93

5.1 招聘プログラムの日米間対話... 93

5.1.1 元捕虜レスター・テニーさんのナラティヴ ... 94

5.1.2 日本人のナラティヴと元捕虜の応答 ... 100

5.2 すれ違う戦後和解のナラティヴ――日米間対話の齟齬とその要因 ... 103

5.2.1 戦後和解の多様性――問題関心と条件の力学 ... 104

5.2.2 関係の非対称性と主体の位置 ... 115

6 コミュニケーションの好転 ... 121

6.1 4

つの場面 ... 121

6.1.1 記者会見にて ... 121

6.1.2 高岡市にて ... 122

6.1.3 高岡の企業訪問 ... 122

6.1.4 川崎の企業訪問 ... 123

6.2 もうひとつの戦後和解 ... 125

7 承認と生の感知 ... 131

7.1 承認をめぐる困難 ... 131

7.2 非対称性をめぐる困難 ... 136

7.3 生の感知 ... 141

(4)

8 結論――国民と戦後和解 ... 147

8.1 戦後和解の当事者 ... 149

8.2 戦後和解の相互性と非対称性... 152

8.2.1 戦後和解の多様性と承認の困難 ... 152

8.2.2 戦後和解で構築される関係――関係の流動性と非対称性 ... 154

8.3 絶対的非対称性と生の感知 ... 156

8.3.1 戦後和解の危機と危機からの脱出 ... 156

8.3.2 戦後和解の力学 ... 158

8.4 戦後和解との接続 ... 159

参考文献 ... 163

謝辞 ... 176

(5)

1

序章

2016

4

月、ケリー米国務長官が現職の国務長官としてはじめて広島の原爆資料館を訪 問した。

5

月にはオバマ米大統領も広島を訪問して大きな話題となった。日米の戦後和解は いまだ継続中の政治課題である。しかし、このような政治的な動きは両国民の感情や思考 をどこまで反映しているのであろうか。本研究は外交問題として注目されることの多い戦 後和解を国民の視点で探究するものである。

第二次世界大戦終結直後、戦後和解は国家間の講和条約で解決されるべき問題であった。

ところが、被害者個人が戦後和解当事者としての発言力を強めるようになると、自分たち が阻害されるかたちで締結された講和による戦後和解の再検討を求めはじめた。戦後和解 は現在、国家の代表者によって解決されるべき国家間の問題だけではなくなっている。

国民を当事者とした戦後和解については少なくない論考が蓄積されているが、一般的に 戦後和解は、国家に対して政治的要求をする被害者からの異議申し立てという文脈で論じ られている。人道・人権の観点から国際政治に歴史認識や謝罪、個人への補償といった問 題を導入し、国益優先の講和による戦後和解への疑義を呈するという文脈である。そのた め、当事者である国民とは被害を訴える被害者のことを指し、加害国家と被害国民が対立 的に描かれる。このとき、加害国民は間接的な当事者である。加害国民には自国の加害の 歴史を認識し、補償や謝罪といった、被害者の要求に応えるような自国政府の行為を是認 することが期待される。つまり、実際に和解遂行の行為をおこなうのは加害国家であるが、

加害国民は国家の行為およびその結果である和解の成否に責任を負うとされ、その意味に おいて和解の当事者とされるのである。そこでは、加害国家の和解行為は、加害国民の戦 後和解への態度が反映されたものとして理解されている。

戦後和解研究において日本は戦後和解に失敗している国であり、日本政府の対応は非難 の対象とされている。そして、そのような日本政府の対応を導く日本社会の特性に言及さ れることも多い。しかし、くり返しになるが、国家によって遂行される戦後和解は、国民 の戦後和解に関する感情や思考をどこまで反映しているのであろうか。

政治的文脈で考えれば、日本政府の戦後和解の失敗の要因を日本国民の政治的態度や、

それを決定する日本社会の特性に見出そうとすることは当然である。しかし、国民は政治 的世界だけを生きているのではない。国民を当事者とした戦後和解を探究しようとするの であれば、国家の行為を出発点にしてそれと関連する日本社会の特性を明らかにするだけ では十分ではないだろう。たとえば、日本政府が補償をすることに賛成か反対かを問うこ とや、それぞれの意見の理由を聞くことだけでは第二次世界大戦の歴史、およびそこから 派生する戦後和解について日本人が何を思い、どのような感情を抱き、どのような態度を 取るのか、などということのほんの一部分を明らかにすることにしかならない。

同様のことは被害国側にも言える。被害者の補償や謝罪の要求は、被害国民の考える戦 後和解をどのくらい反映しているのであろうか。彼らは日本政府が補償や謝罪をするべき

(6)

2

であると考えているかもしれない。しかし、彼らにとっての戦後和解とはそれに尽きるも のではないのではないか。はたして、彼らの戦後和解の相手は日本政府であり、日本国民 は間接的な当事者でしかないのだろうか。政治的潮流のなかで戦後半世紀以上が経過して から思いがけず戦後和解の当事者となった彼らは、自分の経験や日本国民に対してどのよ うな感情を抱き、どのような態度で何を語るのであろうか。これまでの和解研究では、国 民が当事者であることが提起されながら、実際に当事者としての国民にとって戦後和解が どのようなものであるのかということが十分に問われていないように思われる。

国民の視点で戦後和解を探究するからといって、筆者は、国民レベルでの戦後和解が国 際政治のセカンドトラックとして機能することを期待しているわけではない。国民が戦後 和解の当事者となることで国民感情が揺り動かされ、旧敵国のあいだに緊張が高まること を危惧する声もあるが、国家レベルで困難な戦後和解の解決の糸口が民間外交のような国 民レベルの交流から見出せるとは筆者も考えていない。そうではなくて、本研究で問いた いのは単純に、当事者としての国民にとって戦後和解とはどのようなものであるのかとい うことである。被害当事者としての立場から戦後和解の問題を提起する人たちや、自らは 被害当事者でなくても彼らの提起する問題に積極的にかかわろうとする人たちにとっての 戦後和解は、彼らの主張や論考から明らかである。しかし、そのほかの、戦後和解再検討 の潮流のなかで思いがけなく戦後和解の当事者となった国民たちにとって、戦後和解とは 一体どのような問題なのであろうか。

この問いに対するなんらかの答えを得るにはどうしたらよいであろうか。たとえば、無 作為で抽出した人たちに「あなたにとっての戦後和解とは何ですか」と質問したとしても、

あまり意味はないように思われる。この質問への答えは無数に考えられるので、そこから 戦後和解について何かを発見したり論じたりすることは不可能である。「あなたは被害者へ の補償についてどう思いますか」という質問ならば答えは賛成か反対のふたつしかない。

しかしこの質問は、「戦後和解とは何か」という質問へのある答えがすでに前提とされたう えで、そのような戦後和解への意見を聞いているだけである。このようなアプローチでは、

あらかじめ前提されている戦後和解の解釈に制限されずに「戦後和解とは何か」という問 いに答えることはできない。

本研究では、いかなる定義も前提せず、仮説も立てずに、さまざまな可能性に開かれた かたちで人びとと戦後和解のつながりを捉えるために、旧敵国であった国民のあいだのコ ミュニケーション、特に被害当事者と加害国民のあいだのコミュニケーションに注目した い。被害当事者と加害国民のあいだでおこなわれるコミュニケーションは、参加者が戦後 和解を意識しているかいないかにかかわらず、また、彼らが戦後和解をどのように解釈し ているのかにかかわらずにおこなわれる戦後和解の実践である。コミュニケーションの相 手が被害当事者または加害国の国民であることを知っている参加者は、被害の歴史を意識 せずにはいられないだろう。そのため、コミュニケーションをおこなうことで参加者のあ いだには歴史を媒介にした関係が構築される。参加者が語るナラティヴには彼らの戦後和

(7)

3

解の捉え方、当事者となったときに直面する困難や態度などが反映され、そのようなナラ ティヴの交換をはじめとする参加者のさまざまな相互行為(コミュニケーション)を通じ て戦後和解が実践される。そこでのコミュニケーションは、参加者を戦後和解当事者とす る関係を構築すると同時に、そのような関係のなかで遂行可能な戦後和解のあらわれでも ある。参加者のあいだになんらかのコミュニケーションが生じている限り、参加者が戦後 和解を意識しているかいないかに関係なく、彼らはすでに戦後和解を実践しているのであ る。たとえ被害の歴史が話題にならなくても(回避されたとしても)、それもひとつの態度 を反映した戦後和解実践の結果である。そのようなコミュニケーションを分析することで、

国民の考える戦後和解、彼らが直面する困難、そして戦後和解はどのように遂行可能であ るのか(あるいは不可能であるのか)ということを捉えることができるだろう。つまり、

国民のレベルで戦後和解の実態を明らかにすることができるのである。

本研究は戦後和解のコミュニケーションの分析から、「国民にとっての戦後和解とは何か」

という問いを中心に、「戦後和解はどのように遂行されているのか」「そこにはどのような 困難があるのか」という問いに答えることで戦後和解の実態を解明することを目的として いる。しかし、その答えの出し方は、具体的に何を明らかにするのかによって異なってく るだろう。さまざまな可能性に開かれたかたちで戦後和解を探究するといっても分析や考 察の軸は必要である。そこで、分析の軸を戦後和解に対する筆者の

3

つの問題関心にもと づいて設定したい。

3

つの問題関心とは、日本人の応答、戦後和解の多様性、そして加害者 と被害者の関係における非対称性である。

日本の第二次世界大戦の歴史が「問題」として国際的に注目されていた

2000

年代前半、

筆者はバージニア州にあるジョージメイソン大学コンフリクト・リゾルーション研究科の 修士課程に在籍していた。ある日、アカデミック・アドバイザーの先生に修士論文のテー マについて相談することになった。筆者の頭の片隅に日本の歴史問題はあったが、「何か日 本に関係するコンフリクトをテーマに」というまったく具体性に欠けた考えしか持ってい なかった。そのとき、先生から、もし興味があるなら「慰安婦」問題はどうか、そのテー マであれば指導教授を引き受けてもよい、というお話しがあった。それ以来、戦後和解を テーマに研究を続けているが、そのきっかけは個人的な関心というよりは、どちらかとい うと偶然、そのような時期に日本人留学生としてアメリカにいたからである。筆者の日本 人性が筆者と日本の加害の歴史にまつわる問題とを結びつけたのであり、筆者は問題の前 に立たされたのである。日本人であるがゆえに問題に結びつけられるという受動性、日本 人として問題への応答を求められること、(それは、応答を強要されているということでは なく応答に関心が寄せられるという意味であるが、)これがひとつめの問題関心である。応 答を求められたとき、日本人性は主体をどのような態度や行為に導くのであろうか。また、

和解の相手はどのような応答を期待しているのであろうか。

ふたつめの問題関心は、歴史の承認という問題提起への筆者の違和感から生じている。

日本の歴史教育批判に象徴されるように、その頃、歴史の忘却が盛んに論じられていた。

(8)

4

歴史認識の問題は和解の阻害要因として追及され、歴史の承認の必要性が説かれていた。

戦後和解において被害の歴史の承認が決定的に重要であることに異論はない。しかし、い くつもの疑問が浮かぶ。歴史に向き合うことや承認というのは、具体的に何を意味するの であろうか。歴史の承認は、そのような出来事があったことを史実として認めることにと どまらないだろう。歴史認識の問題提起、歴史の承認の提唱には多様な問題(issue)が含 まれている。戦後和解では国家による補償や謝罪から、被害者の人権、憎しみと心の癒し、

人間性の回復、ゆるしまで、実にさまざま問題が取り上げられる。ほぼすべての戦後和解 において日本の歴史認識が問題(problem)とされるが、被害者がどのような問題関心を抱 いているのかによって、承認として日本に求められていることの内容は異なるのではない か。そこでは何の承認が目指されているのであろうか。なぜ日本は承認に失敗していると みなされているのであろうか。日本はどのように応じれば承認したことになるのであろう か。さらに言えば、戦後和解とは、はたして承認に還元できる問題なのであろうか。

特定の問題関心にもとづいて歴史の承認が問題提起されているにもかかわらず、自分た ちが期待するかたちの応答が日本から得られないことによって日本は歴史に向き合おうと していないと結論され、そのことだけが和解の阻害要因とされてしまっている傾向がない だろうか。日本が戦後和解に失敗しているのは間違いない。しかし、さまざまな問題(issue の意味でも

problem

の意味でも)が混在する戦後和解の複雑さにかかわらず、失敗の原因 がほとんど「歴史に向き合わない日本」「歴史を承認しない日本」に縮減されてしまってい るように感じるのである。共通理解を欠いたまま、さまざまな戦後和解が論じられている 状況、および、そこからもたらされる議論の混乱があまり注視されずに日本の歴史認識だ けが戦後和解の問題とされること、これがふたつめの問題関心である。

三つめは、当事国を加害者と被害者の関係におくことが両国の関係に与える影響があま り考慮されずに戦後和解が提唱されていることに対する問題関心である。戦後和解では第 二次世界大戦中に起きたさまざまな問題に焦点を当てていくことによって、これまでは認 識されてこなかった被害の歴史を承認するように当事国に要求する。それは、当たり前で あるが、片方の国を被害者の立場に、もう一方の国を加害者の立場におくことになる。と ころが、この被害者と加害者の関係の非対称性が戦後和解で問題とされることはあまりな い。それは、戦後和解においては、どちらの国の被害の歴史も認められ、どちらの国も加 害者の立場におかれるのであるから両国は対称な関係にあるということが前提とされてい るからである。しかし、片方の国の被害の歴史が認められれば、もう片方の国の被害の歴 史も認められるようになるという戦後和解のプロセスは、はたしてそれほど自明であるの だろうか。

確かに、加害者と被害者という関係は戦後和解が目指す関係のかたちではない。被害の 歴史を認めることで被害者の地位を押し上げ、両者が対称的な関係となって、被害者と加 害者にかわる新しいアイデンティティのもとに新たなスタートを切ることが可能になると いう説明は説得的である。しかしながら、加害者もまた被害の歴史を持つことが戦後和解

(9)

5

の困難となりうることを論じている研究は少ない。加害者の被害の歴史が認められるとい うことは和解のプロセスに入っているのであろうか。そうであったとして、加害者が被害 者との非対称な関係のなかで被害者と同じように自分の被害を訴えることは可能なのであ ろうか。ある被害の歴史の認識のために焦点化され顕在化された被害者と加害者のあいだ の非対称性は、その後の両国の関係と戦後和解のプロセスにどのような影響をもたらすの であろうか。さらに、両国の被害の歴史がそれぞれに認められたとして、そのことと、被 害者と加害者という関係からの脱却とはどのようにつながるのであろうか。これらが十分 に考慮されないまま両国を被害者と加害者の関係においてしまうことは、かえって両国の 関係を損ねることになってしまうのではないだろうか。

先に被害国民と加害国民のあいだのコミュニケーションが戦後和解の実践であると述べ たが、コミュニケーションの相互作用によって生じる力学のなかで、解決されるべき問題 が特定され、問題解決のための条件や困難が浮き彫りにされ、両国の関係がさまざまにか たちづくられるだろう。コミュニケーションを研究することで、これらの様子を確認する ことができる。それは、たとえば、被害者の癒しや日本の戦後補償というような特定の問 題関心にしたがった、ひとつの戦後和解のかたちを前提することなく、戦後和解を包括的 な視点から動的に捉えることを可能にする。国民にとっての戦後和解とは何かという問い に、3つの問題関心に沿いながら柔軟に答えることができるのである。

戦後和解のコミュニケーションといってもそれは、相手国、およびどのような加害の被 害者であるのかによって大きく異なるであろう。本研究では元アメリカ兵捕虜問題を事例 に取り上げたい。この問題を事例とする理由はふたつある。まず、日米の戦後和解の研究 が非常に少ないことである。確かに、アメリカ人の反日感情が日本のメディアに取り上げ られたり、靖国、歴史教科書、補償、謝罪が日米の外交問題にまで発展したりすることは ほとんどない。一時期、捕虜問題が外交問題にまで発展したことはあったが、イギリスや オランダなど、ほかの旧連合国とのあいだほどには日米間で問題は大きくならなかった。

そのような政治状況を反映してか、捕虜問題の研究は少数ながら存在するが、イギリス、

オランダ、オーストラリアに比べてアメリカが対象とされることは少ない。

外交レベルでは、日米間の戦後和解はアジア諸国やほかの旧連合国とのあいだの和解に 比べて難しくないと言えるだろう。オバマ大統領の広島訪問は日米のあいだで戦後和解が まだ「問題」として残されていることを示しているが、和解問題が日米関係の緊張を高め るようなことはなかった。しかし、それは外交問題としての戦後和解の場合である。国家 レベルで和解が遂行される一方で、日本の加害の歴史を無視できないアメリカ国民がいる ことは確かであり、戦時中に日本軍の捕虜となった元アメリカ兵はその代表的存在である。

彼らはほかの国の元捕虜のように日本に対して訴訟を起こしているし、彼らの記事は今で もたびたびアメリカの新聞や雑誌に掲載され、そのなかには日本への訴えを確認すること もできる。今回のオバマ大統領の広島訪問に関しても、彼らはアメリカ政府に意見書を提 出している。彼らにとって日米の戦後和解は決して簡単な問題ではない。それにもかかわ

(10)

6

らず、日米の戦後和解の研究はほとんどなされていないのである。

元アメリカ兵捕虜問題を事例とするふたつめの理由は、元アメリカ兵捕虜を対象とした 戦後和解の試みが日本政府によって実践されていることである。日本政府は

2010

年より元 捕虜とその家族を日本に招聘するプログラムを開始し、現在も継続している。招聘プログ ラムの存在自体、日米の戦後和解が両政府の代表だけでは解決できない問題であることの 証左であるが、本研究にとって招聘プログラムが意味するのはそれだけではない。プログ ラムが実施されることによって、毎年、元アメリカ兵捕虜と日本人とのあいだにさまざま なコミュニケーションが発生しており、戦後和解のコミュニケーションを調査、分析する ための貴重なフィールドが提供されているのである。

本論文の構成は以下のとおりである。第

1

章では

3

つのことをおこなう。まず、戦後和 解論を概観し、戦後和解が取り上げる多様な問題の位置づけをおこなう。多種多様な見解 が混在し、ときには「戦後和解とは何か」をめぐって対立する戦後和解論の論点を整理し たい。次に、戦後和解の中心的課題とされている承認の概念を精査し、承認の名のもとに 何が追求されているのかを見ていく。戦後和解において日本は加害の歴史を承認しない国 として批判されているが、その要因の分析は承認という概念の特性を考慮したうえでおこ なわれるべきであろう。最後に、これまであまり注目されてこなかったが、戦後和解を通 じて構築される関係は非対称にならざるを得ないことを理論的に説明し、戦後和解研究に 関係の非対称性の視点を導入する意義について述べる。

2

章では、歴史と主体の関係、およびナラティヴに関する先行研究(戦争責任論と物 語論)との関係から本研究の位置づけをおこない、分析方法について論じる。まずは、戦 争責任論および物語論との同異を確認し、それをふまえて本研究におけるナラティヴと主 体を定義する。次に、コミュニケーションの分析方法としてナラティヴ・アプローチを採 用する妥当性について説明したい。

3

章は、招聘プログラムのコミュニケーションの分析に入る準備として、文献調査か ら明らかになった招聘プログラムの背景を見ていく。第

4

章も分析の準備段階であるが、

そこでは、フィールド調査から明らかにされた捕虜問題における日本人性のあり方を提示 する。第

3

章、第

4

章を通じて、第

5

章でおこなう招聘プログラムのコミュニケーション の分析に必要な基礎知識を共有したい。

5

章では日米間対話の齟齬に注目しながら招聘プログラムのコミュニケーションを記 述するとともに、日米のナラティヴを戦後和解の多様性と関係の非対称性の視点から検討 し、齟齬の要因を特定していく。第

6

章も招聘プログラムのコミュニケーションの分析で あるが、第

5

章で明らかにされた戦後和解の困難にもかかわらずコミュニケーションが好 転する場面を検討し、戦後和解の可能性を示したい。

7

章では、第

5

章と第

6

章の分析から明らかにされた戦後和解の困難と可能性の考察 をおこなう。考察は、承認と生の感知というふたつの概念を手がかりにおこなわれる。第

5

章で確認された日米間対話の齟齬の要因について、承認と非対称性をめぐる困難として理

(11)

7

解を深める。そして、第

6

章で発見された、そのような困難が解決されないままでも遂行 可能な戦後和解について、生の感知の概念を使って説明を試みたい。最終章である第

8

では、分析と考察で明らかにされたことをふまえて国民と戦後和解についての結論を述べ るとともに、戦後和解研究の新たな方向性を提示したいと思う。

(12)

8

1 本研究の視点――戦後和解概論

戦後和解とは何か。すべての人がこの問いに対する統一見解を共有することは不可能で ある。多くの戦後和解論はそれぞれの問題関心にもとづいて戦後和解を定義するか、もし くは暗黙裡に前提している。これまで戦後和解に対する共通理解が欠如していることはあ まり問題とされてこなかったが、それは、戦後和解が共訳不可能であることを考えれば当 然であるかもしれない。特定の問題関心は戦後和解のために必要とされる特定の条件を設 定するが、問題関心が異なる場合、それぞれが提起する問題や主張する条件の正当性や優 先順位をめぐる対立が生じることは容易に考えられる。しかし、戦後和解が共訳不可能で ある以上、どちらの問題がより喫緊であるとか切実であるとかということを決定したり、

どのような条件が戦後和解にとってより根源的で必要不可欠であるのかを決定したりする ことはできない。そうであるならば、戦後和解の解釈の違いにもとづく意見の相違を問題 としたところで永遠に自己正当化と相互批判をくり返すことになってしまうだろう。

それでは、個々の戦後和解が取り上げる問題を互いに無関係なものとして切り離して考 えるしかないのであろうか。たとえば、政治問題としての戦後和解、歴史問題としての戦 後和解という具合である。しかし、このような諸問題の切り離しは戦後和解の斬新さを損 なってしまう。近年の戦後和解再検討の動きの斬新さは、それまで国際政治の専門領域と されてきた戦後和解に被害者の人権や記憶、感情といったよりミクロな視点を導入し、問 題提起をおこなうことにあるためである。

いかなる問題関心であれ、特定の問題関心にもとづいて戦後和解の条件を主張するだけ では戦後和解の多様性がもたらす困難を解決することも、新たな可能性を柔軟に模索する こともできないであろう。さらに、焦点を絞ることによって戦後和解の実態を見誤ること になってしまうかもしれない。さまざまな問題関心が競合するコミュニケーションのなか で、戦後和解の認識や理解に変化がもたらされたり、条件が妥協されたり調整されたりし ながら戦後和解が遂行されることも考えられるからである。戦後和解の実態を把握するた めには、包括的な視点から戦後和解のコミュニケーションの力学のなかで構築される諸問 題の関係を捉え、戦後和解の条件がどのように設定されているのか、どのように満たされ ようとしているのか、または満たされることに失敗しているのかということを確認してい くことが有効であると思われる。

実際のコミュニケーションの分析に入る前に、戦後和解の諸問題とはどのような問題で あるのかを概観し、それらを概念的に位置づけておくことは有益であろう。戦後和解のコ ミュニケーションのなかで語られるナラティヴの背景を概念的に整理することで、それぞ れのナラティヴがどのような問題関心を持ち、戦後和解をどのように認識し、問題解決の ためにどのような条件を前提しているのかを理解するための示唆が得られるだろう。特に ここでは、戦後和解の中心的問題とされている承認の概念について詳しく見ておきたい。

その後、本研究の問題関心である戦後和解における非対称性の問題を提示する。

(13)

9 1.1 戦後和解の諸問題とその位置づけ

哲学者

T・ガバー(2006)は多岐にわたる和解の解釈を以下のように整理している。

1.

和解とは統一(unity)である。

2.

和解とは調和(harmony)である。

3.

和解とは個人、そして関係の癒し(healing)である。

4.

和解とは後悔と謝罪につづくゆるし(forgiveness)である。

5.

和解とは一定水準の関係(decent relationships)の構築である。

6.

和解とは真実の承認(truth acknowledged)である。

7.

和解とは加害者の後悔と被害者への補償をともなう、修復的司法(restorative

justice)である。

8.

和解とは加害者への懲罰を必要とする応報的司法(retributive justice)である。

9.

和解とは法制度、選挙制度、議会制度の発展を必要とする民主化である。

10.

和解とは相互に物理的暴力の行使を停止することである。

(Govier 2006: 13)

ガバーによれば、この

1

から

10

までの順番は、感情面が強調される和解からはじまり、

下にいくにつれて感情面が比較的弱く、態度や感情がほとんど強調されない和解となるス ペクトラムになっているという。従来、戦後和解といえばおもに、相互に武力を行使しな い軍事関係と平常な経済関係の回復が目指される

10

番目の和解のことを意味していた。第 二次世界大戦の日本と敵国との和解でいえば、一連のサンフランシスコ講和条約、占領政 策、極東国際軍事裁判(東京裁判)は

8、 9、 10

番目の和解を目指したものと言えるだろう。

ところが、現在は被害者の感情面をより重視した和解が提唱されている。日本政府に謝罪 を求める被害者と、サンフランシスコ講和条約で問題は決着済みであるという日本政府の コミュニケーションがどこまでも平行線をたどるのは、戦後和解の見解の違いとして理解 できる。

戦後和解の解釈の拡大と従来の戦後和解の再検討がはじまったのは

1980

年代末以降と言 われている。民主化、自由化をとげたアジア諸国の発言力が国際社会において強まり、一 部の戦勝国との和解に過ぎないサンフランシスコ講和条約によって封印された未完結のア ジア諸国との和解が、人道・人権の問題として提唱され、政治問題となってきたのである

(荒井 2006; 笠原 1994; 黒沢 2011b; 鈴木 1994)。このような傾向はアジア諸国とのあ いだに限られたことではない。社会学者

J・トーピー(2003)によれば、政治と過去の問

題の背景には、第二次世界大戦後の人権概念の広がりにより個人の地位が尊重されるよう になり、国家によってとられた政治的・経済的安定といった国益優先の政策の正当性に、

個人や国家の下位にある社会的グループの立場から疑問が付されるようになったことがあ る。旧連合軍捕虜との和解を論じるなかで小菅信子(2005, 2011c)も、社会における個人

(14)

10

の地位向上がそれまでの政治的忘却という和解の価値観を変容させたという。ただし、戦 後和解が再検討されるようになった要因の解明は容易ではない。J・オリックと

B・コフリ

ン(2003)は、1990年代後半以降にローマ教皇や国家首脳による一連の謝罪1がなされた 現象を「遺憾表明の政治(politics of regret)」と名づけて分析するなかで、このような現 象の出現を人権意識の変化や政治体制の変革だけで説明することはできないと論じている。

いずれにしても、そのような国際政治状況のなかで、日本政府が歴史認識、個人への補償、

謝罪などの問題に直面しなくてはならなくなったことは確かである。

トーピーは自身が名づけた「補償政治(reparations politics)」の

4

つの領域として、「政 治体制変革期の正義(transitional justice2)」、「補償(reparation3)」、「謝罪(apology)」、

そして「対話的歴史(“communicative history”4)」をあげている(図

1

参照)。補償政治は 正義や謝罪、そして和解を含む広域の場(field)である5。正義や謝罪といった問題領域は それぞれに独立しているのではなく、後者に前者が含まれるかたちで同心円に近い円を描 くのであるが、その中心点が上方にあるのは、トーピーが補償政治を、中心にある正義か ら外側の歴史へと向かうプロセスと考えているからである。それは正義を出発点に、補償、

謝罪、歴史が次第に政治へと導入されていくプロセスである。トーピー自身は和解という 言葉を用いていないが、戦後和解をめぐって議論されている諸問題をこれらの領域にあて はめることはできるだろう。

1 たとえばローマ教皇ヨハネ・パウロ

2

世、トニー・ブレア英首相、ビル・クリントン米大 統領が過去の出来事への遺憾を表明した(Olick & Coughlin 2003)

2 トーピーによれば、古い政治体制(独裁政権や軍事政権、共産主義など)が崩壊し、新し い政治体制(民主主義)に移行する時、旧体制下で行われた不正を問うのが

transitional

justice

である。そこでおこなわれるのは、おもに、裁判、加害者および協力者の追放、そ

して真実委員会の編制とされる。トーピーは、この正義は非民主主義国家の民主主義国家 への移行期のみの問題ではなく、民主主義国家が過去に不正をはたらいていないという意 味ではないとし、民主主義国家の過去(時には数百年前)の不正も問われていることに注 意をむけている。Transitional justiceの定義については

Ryono(2012)も参照。

3 日本語の補償には、reparation(賠償、補償、埋め合わせ)、restitution(正当な返還、

損害賠償、補償)、compensation(埋め合わせ、補償、賠償)などが含まれる。ガバーはこ れらの概念を整理して、もっとも高位に

reparation

をおき、その下位に

restitution

redress、さらに redress

の下位に

compensation

をおいている。トーピーの説明はガバー

と異なる部分もあるが、もっとも高位に

reparation

をおいているのは同じである。ここで のトーピーの補償は、特に

compensation

ということわりがない限り

reparation

の意味で あり、補償のもっともひろい概念として使われている。また、似たような意味をあらわす

語に

redress(誤り・不正などを正す、損害などを償う、補償する)がある。ガバーは、象

徴的な

redress

とは実質的には

acknowledgement

のことであるとしている。

4 トーピーによれば、問題となる歴史にもっとも影響を受けた主張をもとにしながらナラテ ィヴの書きかえをおこなうさまざまな当事者たちを、合意に向かわせるような歴史である。

そのような歴史には記憶やメモリアル、そしてそれまで意識されていなかったような歴史 の認識(historical consciousness)などが含まれるという。

5 このトーピーの「場」の概念は

P・ブルデューに依拠しているとされる。

(15)

11

1 戦後和解の諸問題

1.2 戦後和解と承認――acknowledgement

reconnaissance

和解研究で承認が論じられるとき、英語の文献では共通して承認(acknowledgement)

という語が使われているが、この英語の含意を日本語に翻訳することは難しい。使用者に よってもその意味するものには微妙な違いが見られる。たとえば、戦後和解の理論家であ り実践者でもある

J・レデラック(1997)は「知ること(know)

」と承認をまったく別の 社会現象としたうえで、互いの語りを聞くことを通した承認は相手の経験と感情を承認す ることであり、それは互いの人間性と関係を回復させる和解の第一歩であるとする。政治

学者

W・ロングと P・ブレック(2003)は、たいていの場合、被害者はどのような虐待が

誰によっておこなわれたのかについて明確に知っているのであり、真実委員会の重要性は 真実の発見ではなく承認にあるという。ガバーの説明はもっとも包括的である。ガバー

(2006)によると承認は真実を知ること以上のものである。それは公的な統一見解であり、

真実の明確な表現である。和解の文脈において承認は、紛争中に過ちがおこなわれたこと と、そのような行為をおこなった者には責任があることの承認が含まれる。過去の行為が 過ちであったと公的に承認することは、そのような行為が二度とおこなわれないようにす ることへの意思を暗にほのめかすことでもあるという。

ガバーの戦後和解の分類では真実の承認(truth acknowledged)が戦後和解の解釈のひ とつとされ、司法による正義が難しいという現実を鑑みれば、和解における実質的な不正 の是正(redress)とは承認のことであるとされている6。トーピー(2003)が真実委員会の

6

3

参照。関係を重視した戦後和解の場合、司法による和解は最善ではないといわれてい

(16)

12

活動を補償政治の中心に位置づけられる政治体制変革期の正義のなかに含めていることか らも、承認は戦後和解の中核を担う概念であり、正義と非常に近い関係にあると言える。

和解論の文脈における承認とは、歴史を知ること以上のことであり、ある歴史のなかで おこなわれた行為が過ちであったという道徳的判断をともなうものである7。ここで

acknowledgement

と同じく「承認」と訳せるが、違う言葉である

reconnaissance

につい

ても検討したい。後者はガバーによる前者の説明と重なるところが多いが、ガバーが戦後 和解の文脈において承認に含まれるとする意味をより直接的にあらわす概念である。戦後 和解において

acknowledgement

が一般的であるのは、おそらく、承認されるものとして想 定されているのがおもに歴史であり、知識という意味合いが強いためであると思われる。

広義では

acknowledgement

にも歴史を過ちであったと認めるという道徳的判断が含まれ

るが、歴史認識という問題提起に含まれる多様な問題、歴史の承認として追求されている ものの多角的な検討をおこなおうとする本研究における承認はどちらかというと

reconnaissance

の方に近い。以下、P・リクールの説明を参照する。

リクールは、承認(reconnaissance)という言葉がその多様性にもかかわらず統一性を 維持していることに注目し、この言葉に「規則にしたがった多義性という一貫性」(Ricoeur

2004=2006: 2)を与えようとする。そこでの考察は、承認の問題の多様性と捉えにくさ、

そして、特性について明らかにしてくれる。非常に広範かつ詳細なリクールの考察を、戦 後和解に特に関係している点に絞りながら概観する。

リクールは辞書的な意味の確認から承認へのアプローチを開始している。エミール・リ トレによって

1859

年から

1872

年にかけて編纂された『フランス語辞典』の考察からは以 下の点が指摘されている。承認の「I知っている誰かあるいは何ものかの観念を、記憶に呼 び起こすこと」「II何らかの記号、何らかの徴し、何らかの支持物によって、けっして見 たことのない人あるいは物を認識すること」という定義において、前者には反復という時

る。感情より正義が優先される応報的司法では、達成された場合には加害者側に、失敗し た場合には被害者に不満が残り、どちらにしても敵同士の関係にとどまる。修復的司法で は加害者への罰よりも感情と関係の修復が重視され、加害者の過ちの承認や被害者への補 償や支援が優先される(Zher 1990)。しかしその実現は不可能ではないが、非常に困難で ある。ガバーは修復的司法の理念は素晴らしいが、しばしば失ったものが大き過ぎて補償 や回復は不可能であることや、加害者の多くは過ちを承認したがらず、国家は多数の被害 者に補償することができないか、その意思をもたないため、政治的文脈では問題があると している(Govier 2006)

司法の代替物とはならないまでも、違うかたちでの正義をおこなうことができるとされ ているのが公的な

acknowledgement

である。ロングとブレック(2003)は、被害者や加 害者があまりにも多かったり責任者が重要な地位にあったり、また、紛争後の脆弱な社会 秩序を維持するために責任者を罰することや被害者に補償をあたえるというかたちでの正 義をおこなうことが難しい時に、真実委員会による過ちの承認が被害者に不正の是正

(redress)と人間性の回復の感覚をもたらすとする。

7

Govier

(2006)

Lederach

(1997)

Long and Brecke

(2003)

Ren

(2014)

Ryan

(2012)

Togo(2013b)

、Yamazaki(2006)を参照。

(17)

13

間的な意味、後者には「見分けられるという徴の観念」が含まれている。しかし、後者に おいては「何を」ということが不明瞭である。次に「III何かの真理を認識し、気づき、発 見するに至ること」という定義が続くが、ここには真理の観念が含まれている。この真理 は「価値」であることもあり、事実的でも規範的でもありうる。ここから、「~しか認めな い」という否定による承認(IV)や、未知なるものの発見と探索という方向(V~VII)へ と意味が分散したのち、「VIII真なるもの、争う余地のないものとして認めること、受け入 れること」で主要な転換点が訪れる。VIIIの転換点をむかえたのち、承認の特殊化された 様態が区別されていく。たとえば、承認されるものに「信仰」(X)や「権利」(XII)が含 まれるようになる。特に戦後和解にとって示唆的だと思われるのは「告白」が前面に出て くることである。信仰の承認を経たのち、過ち、負債、誤りを「白状する、告白する」(XV)

という告白の主題に至るのである。

リクールはこのように承認の定義を渉猟したのち、曖昧である「何を(quid)」承認する のかを考えると、そこには

5

つの場合しかないことが明らかになるとする。最初の承認の 場合では、「そのイメージや観念を記憶に呼び起こす=精神のなかに再び置き直す」という ことが確証されている。第

2

の場合は「真なるものとして認められた」という確証、第

3

の場合は告白、第

4

の場合はある性質を持つもの、つまり「~として認められた」という 確証である。第

5

の場合は、感謝のしるしや褒賞を受け取る人として認められるという確 証である。リクールは第

5

の場合をドイツ語や英語にはない定義「VXI~に対して感謝の念 を抱く、感謝の気持ちを証明する」をもとに考えており、この点において、「承認されてあ ること」という受動的なかたちでの承認があらわれ「承認のための闘争というヘーゲル的 主題による、哲学素の平面での主要な概念的革命が起こった」(Ricoeur 2004=2006: 14-15)

としている。

リクールはさらにアラン・レイによって編纂され、1985年に出版された『グラン・ロベ ール仏語辞典』第

2

版を検討することで承認の根本観念を整理している。『リトレ』より「縮 減された」とされるこれらの観念を見ることで、承認がさらに理解しやすくなると思われ る。承認の根本観念は

4

つある。ひとつめは「I(ある対象を)その対象に関するさまざま なイメージや知覚を互いに関係づけることで、精神によって、思考によって把握すること。

すなわち、区別すること、同定すること、記憶や判断、行為によって認識すること」であ る。ここで「記憶、判断、行為」を用いて「把握すること、結びつけること、区別するこ と、同定すること」とされる認識は、認識のさまざま様態をあらわしており、承認の不明 瞭さ、揺れ動きの証左でもあるとされる。ふたつめは「II受け入れること、真なるものと して(あるいはそのようなものとして)見なすこと」であり、三つめは「III誰かに(何も のか、または、ある行為などについて)借りがあることを、いくばくかの感謝によって証 言すること」、最後に四つめが「IV否定された後に、あるいは疑いをかけられた後に、本当 のこととして容認する、故意の言い落としにもかかわらず受け入れる」というものである。

リクールはふたつめの「II受け入れること、真なるものとして(あるいはそのようなも

(18)

14

のとして)見なすこと」という観念はさらに

3

つに枝分かれしているという。まずは、「II-1

(非難すべき行為、過ちを)犯したことを認める、告白する」という観念であり、それに は「告白する、白状する、責任を負う、責める」という類似物が続く。「II-2(ある人物を)

長として、主人として認める」というのは

II-1

からの跳躍である。そこから「II-3一人の 神、二人の神をそれと認める」へと移行し、そこには「告白、信仰、信条をそれと認める」

という重要な類似物が続くとされる。リクールは、IIから派生するこれら

3

つの観念にお いて、認めるという観念から告白という観念への移行が見られるとする。さらに、それを 可能にしているのは告白の向かうものの人物化であるとし、そこには「何らかの優位性」

の暗黙の参照があることに注意が向けている。なぜなら、リクールは、これらの派生観念 が「真なるものと見なす」という観念に暗に含まれている「正当性」「優越性」という観念 によってつくられており、このとき「真理は暗黙のうちに、その優越性というのが単に道 徳的であるような価値に対して立てられている」(Ricoeur 2004=2006: 23)と考えるから である。

承認(acknowledgementおよび

reconnaissance)は戦後和解の成否を左右するといって

も過言ではない。逆にいえば、承認がなされないこと、特に加害者による承認の否定は戦 後和解の最大の課題であり、さまざまな要因が分析、考察されている。たとえば、ドイツ とフランスの和解と、日本と中国の和解を比較研究した

L・レン(2014)は、戦争中は敵

を否定して自己を肯定するが、過去の過ちを承認することは正当化されたアイデンティテ ィに反するため、加害者の側におかれた国では国民感情にもとづく和解へ反発が生じると している。

ガバーによると、承認にバリエーションがあるように否定にもグラデーションがある。

人びとは過去の出来事を完全に否定するかもしれないし、出来事が起きたことは認めても それは異常な状態における例外で通常では起こらないと主張するかもしれない。たとえ、

そのような出来事が起きたことや、それが過ちで言い訳できるものではないことを認めて も、自分たちは問題をすでに修正しておりそのような過ちは二度と起きることはないと主 張するかもしれない。ガバーは、これらすべてが複雑な否定のあらわれであるとしたうえ で否定を次の

5

つに分類している。

「あなたがいうようなことは、起きなかった」とする直接的な否定(straight denial)

「そのようなことが少しはあったかもしれないが、あなたが考えているようなもので はなかった」とする解釈のおきかえ(alternative interpretation)

「確かに私たちはそのようなことをしたが、あなたが問題の背景を理解し、私たちが おかれた状況を考えれば、それらは過ちであったとは言えない。実際、それらは正し い行為であった」とする正当化(proffered justification)

「私たちのしたことは、敵が私たちにしたほど悪いものではなかった」とする言い訳

(excuse)

(19)

15

「起きたことは過ちであったし、そのようなことをした人たちもいた。でも、彼らは 少数の悪人である。それは政策としておこなわれたわけではなく、例外的な出来事で あった」とするスケープゴート(scapegoating)

1.3 関係の非対称性と相互性の問題

被害者と加害者の関係が非対称であることは明白である。被害者は加害者によって虐げ られた人たちであり、被害者の地位向上は戦後和解の最優先課題である。トーピーは過去 の不正に対する補償と謝罪の問題が厳しく追及される政治状況について、「実際、この現象 はあまりにも普及しており、現代政治においては、将来の緻密な展望を描くことが『過去 との折り合いをつけること』に広く取って代わられている」(Torpey 2003: 1)ことに注意 を促す。それでも、この未来への展望を失わせてしまうような過去による政治の占有が肯 定されるのは、それが、かつては政治的に無視されていた被害者の苦しみに意識を向け、

彼らの地位を加害者と対等のものに高めるものだからである。そこで目指されているのは、

被害者を加害者と同じ地位におしあげ、被害者と加害者にかわる両者に共通のアイデンテ ィティにもとづく友好的な関係を構築することである(Long and Brecke 2003; Ren 2014) 加害の歴史の承認は被害者にとっては人間性の回復であり、加害者にとっては新しい価値 観や道徳観を示すシグナルとなる(Govier 2006; Ren 2014)

しかし、戦後和解における被害者と加害者の非対称性は被害者を加害者の劣位に位置づ けるだけではない。加害の歴史の承認がおこなわれる過程で、加害者が被害者の劣位に位 置づけられるのである。ガバーは加害者が加害の歴史を否定する動機を次のように推測し ている。

〔加害者には〕過ちの承認を求めることによって相手側が、紛争後の余波に乗じて「勝 ち組(top dog)」の地位を得ようとしているように見えるかもしれない。つまり、過 ちの承認を求める人たちは「道徳的勝利(moral victory)」を得ようとしているよう に見えるかもしれないのである。

(Govier 2006: 62)

被害者の地位向上を意図した戦後和解、特に加害の歴史の承認において、戦時中の正当 化された自己と同時に、加害者の道徳観や価値観が否定されなければならない。そのため、

加害者が被害者に対して道徳的な劣位に位置づけられるのである。

この非対称性は決して解消されることはない。リクール(2004=2006)は相互承認にお ける自己と他者の関係は根源的に非対称であるとしている。承認においては、たとえ被害 者と加害者という関係でなくても自己と他者の非対称性を完全に解消することはできない のであるが、特に被害者と加害者の関係である場合の非対称性について、リクールはレヴ ィナスに依拠しながら次のように説明する。

(20)

16

レヴィナスにおける他者(顔)と自己の非対称な関係は、もともとの状況として最初に 設定されている。なぜなら、他者の顔の後ろにあるのは正義を教える師の姿であり、その 教えの至高性が他者と自己の関係を最初から不平等なものにするからである。そこでリク ールは、「自我と他者との間の本源的な非対称、他者の倫理的優位から出発して捉えられた 非対称の哲学が、互いに等しくはないパートナーたちの間の相互性をいかなる仕方で説明 することができるか」と問う。リクールの答えは否定的である。レヴィナス自身が「比較 不可能なものの間に存するような正義が必要である」(Ricoeur 2004=2006: 231-232)と認 めている。ここでの正義とは、比較し得ないもののあいだの比較であり、比較し得ないも のを等しくするものでなければならない。リクールは、レヴィナスの議論には迫害、侮辱、

贖罪、「自由に先立つ絶対的な告発」と「限りない罪責性」への誇張法が見られるとし、そ れは、存在論とは切り離された倫理が言葉を抜きに存在することの告白であるという。非 対称性は相互性の諸経験の背後に残り続け、相互承認とは「けっして実現されることのな い非対称の乗り越え」(Ricoeur 2004=2006: 223)であるように見え続けるのである。

このように、被害者と加害者のあいだの非対称性は解消することができない。被害に比 較しうる正義は存在しないからである。それでは、絶対に解消されることのない非対称性 を抱えたまま、戦後和解はいかにして可能なのであろうか。ここで鍵となるのが相互性で ある。

問題となっていたのは、見たところ、非対称性を乗り越えて相互性(レシプロシテ)

と相互性(ミュチュアリテ)を説明する、というものであった。いまや、そうした 問題が逆であることが明らかになる。すなわち、根源的な非対称性が、承認の過程 に強く結びつけられている和解の力に対する信頼を、内部から蝕むことがありうる のではないか、という疑いとは逆に、こうした根源的な非対称性をいかにして相互 性のなかに組み込むか、これが問題なのである。ここでの私の主張とはこうである。

すなわち、根源的な非対称性のこうした忘却を発見することは、相互的(ミュチュ エル)な形態での承認にとって都合のよいことである。

(Ricoeur 2004=2006: 372)

ミチュアリテは承認の行為者のあいだで行使されている観念であり、レシプロシテはよ り抽象的な水準での行為者の「折り合い」に関する観念である。リクールは、すべての相 互性がレシプロシテの形象へと縮減されてしまうことを問題とし、和解をおこなう者たち のあいだのミチュアリテという観念の必要性を説く。なぜなら、『お互いに』の幸福のな かで忘却されてしまうことを望むような非対称性」(Ricoeur 2004=2006: 368-369)を、ミ チュアリテとしての相互性が消滅させてしまうことはできないからである。

非対称性を維持したままでおこなうリクールの和解のイメージは、「林間の空地」と名づ けられた平和状態である。被害に比較しうる正義は存在しないのであるから、この平和状

表 2  文献調査対象一覧

参照

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(出所)Real Clear Politics, FiveThirtyEight, Cook Political Report, New York Times, Washington Post, CNN.

Clapham, Christopher [1996] Africa and the International System: The Politics of the State Survival, Cambridge: Cambridge University Press. Dagne, Ted [2011] Somalia:

Hố Chí Minh: Nhà Xuất Bản Tổng Hợp Thành Phố Hồ Chí Minh. Hồ Chí Minh: Nhà Xuất Bản Tổng Hợp Thành Phố

I2: Indian Gaming Regulatory Act; Wikipedia: the Free Encyclopedia; www: accessed on 2013/8/25. (2010), Gaming Destination Images: Implications

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Economies, Japan External Trade Organization (IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp 雑誌名 アジ研ワールド・トレンド 巻 141 ページ 30-32 発行年

Economies, Japan External Trade Organization (IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp. 雑誌名